“西野タイキ” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '25 | フジロック会場から最新レポートをお届け https://fujirockexpress.net/25 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 12 Aug 2025 07:23:59 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.8.2 「もうええやろ。そろそろ辞めようか…」と考えたことが幾度かあった。でも、辞めなくてよかったね。やっと、「いつものフジロック」が戻ってきた…かも。 https://fujirockexpress.net/25/p_9083.html Sat, 09 Aug 2025 02:09:19 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=9083 我々が愛情と尊敬の念を持って大将と呼ぶのが、フジロックを創造したプロデューサー、日高正博。その彼に「俺がやりたいことを一番わかってるのがお前だ。手伝ってくれ」と言われて、黎明期のインターネットを核に情報発信を始めたのは第1回が開催された1997年が開けた頃だった。それからすでに28年が過ぎている。あの年、台風の影響で生まれた混乱や2日目のキャンセルで荒れまくったのが公式サイトの掲示板。それを公式から切り離し、コミュニティ・サイトとして、その年の暮れか翌年にfujirockers.orgを立ち上げている。それは大将と相談の上で生まれた、いわば、裏公式サイト。フジロッカーという言葉を生み出したのもこの時だ。個人として積極的に発言できる場として彼は幾度となく、ここを通じてメッセージを発信。直接、オフ会に顔を出すことさえもあった。ところが、コロナ禍で参加者が抗原検査を余儀なくされ、全面禁酒に加えて小規模開催しかできなかった21年を境に彼の言葉がほとんど聞こえなくなっていった。我々が彼の「指名手配」写真をパロディ化したTシャツを制作したのは、それを受けていた。なによりも大将が描いたフェスティヴァルを楽しみにしているのがフジロッカー。それほどまでに彼は求められている(「Wanted」)という意味をここに込めていた。このTシャツが最も参加者数が少なかったフジロックで、fujirockers.org史上最高の売り上げ枚数を記録。それはフジロッカーと大将が強い絆で結ばれている証のようにも思えていた。

その大将が「もうどうでもいい。放っとけ」と口にしたのは22年か。彼の体調が悪くなったのは、フジロックがただの野外コンサートにしか見えなかったあの頃からではなかったか? 人気エリア、カフェ・ドゥ・パリ周辺がフード・コードになり、パレス・オヴ・ワンダーにいたってはその片鱗さえなかった。主催者には苦渋の決断だったかもしれないが、あれを「フェスティヴァル」と呼ぶには無理がある。それにも関わらず、「いつものフジロック」を謳っていることに大きな失望を感じていた。もう辞めようか… fujirockers.orgも解散してしまおうかという思いが脳裏をよぎっていた。それでも自分をつなぎ止めたのはスタッフを含め、フジロックの存続を支えようとしていたフジロッカーたち。あの時、「フジロックがない人生なんて考えられない」という声を耳にしていた。そんな彼らがこのままじゃ終われないという気持ちにしてくれたように思う。もちろん、あの流れに抗い、フェスティヴァル復活を目指して必死に動き続けていた裏方がたくさんいたことも忘れてはいけない。

そのフジロックを触発した英国のグラストンバリー・フェスティヴァルを初体験したのは1982年にさかのぼる。当時、まだ20代だった自分はすでに高齢者と呼ばれる年齢になっている。あの時とは比べることができないほど巨大化したこれを取材し続ける意味はあるのか? ここ10数年悩み続けていた。そろそろ潮時かもしれないと思ったことが何度もあった。メディアが求めるのはステージに姿を見せるアーティストのことばかり。でも、それは、おそらく会場の20%にも満たないスペースで繰り広げられている一部分にしか過ぎない。だからこそ、ラインナップがほとんどわからない時点でも、20万枚以上のチケットが20~30分で完売となる。あのフェスティヴァルの魅力はメディアがほとんど取り上げない、その他にあるのだ。が、それを伝えるメディアはほとんど消え失せている。加えて、毎回同じことを書くわけにもいかないと、ここ数年はグラストンバリー未体験の若手ライターや写真家を同伴。彼らの新鮮な視点で伝えられる記事を楽しむようになっていた。開催時期に入院していた1995年を除いて、欠かさず通い続けて今年は43年目。もうなにも目新しいものはないと予測するのが普通だろう。が、待っていたのは「伝えなければいけない」という衝動を生む出来事や人との出合い。それが嬉しくて、また語り、書き続けていくことになる。

そのひとつが今年の前夜祭でレッド・マーキーに集まったみなさんの集合写真を撮影する時に語ったことだった。

「The Whole Farm’s the stage and all of you are players」

そんな言葉が書かれたポスターが、取材拠点となるプレス・テントを出た広場の壁に飾られていた。これは会場内で古ぼけた活版印刷の機械を使って毎日新聞を発行している地元のスタッフが作った1枚。それにハッとさせられるのだ。ここに書かれているfarmとは会場となっている農場を示す。簡単に訳せば「会場全てが舞台(ステージ)で、あんたたちみんなが演者(プレイヤー)なんだ」となる。

Photo by 阿部光平

フェスティヴァルの魅力…あるいは、そこで生まれるマジックの所以をこれが見事に語りかけているように思えていた。「自然に囲まれた環境がフジロックの魅力ですよ」としたり顔で語る業界人は多い。でも、それは要素のひとつにしか過ぎない。また、「ユニークなラインナップ」も間違ってはいない。が、フジロックというフェスティヴァルの魅力ってなになんだろうと考えた時、グラストンバリーでみつけたあのフレーズがピンとくる。おそらく、苗場にやって来る人たちの想いがなにやら磁場のようなものを生み出し、それがフェスティヴァルを作り出しているんじゃないだろうか。

フジロックに絡んで始まったのが年に3回ほど開催されている苗場のボードウォーク・セッション。全国からその補修をするために集まってくるヴォランティアのみなさんとはすでに顔なじみで、会場で彼らとよく顔を合わせている。今年は行けなかったが、フジロック直前の7月のセッションの時には会場設営が始まっていたはず。ここに舞台設営にPA関連、テント設営からトイレの準備と、多くの人が加わっていく。そして、前夜祭前日まで、汗まみれで働いているのが、ゴンちゃんの制作チームやパレス・オヴ・ワンダーのスタッフ。と思えば、ボードウォークを歩いていると、様々なオブジェを作っているアーティストたちが目に入る。その誰もが笑顔で輝いている。出店しているブースの飾りやデザイン担当から、その裏で働く人たちやフジロックを支えてくれる地元のみなさんの想いをひしひしと感じるのだ。

そこに雪崩れ込んでくるのが、全国どころか全世界から集まってくるオーディエンス。なかには思い思いのコスチュームに身を固めて遊んでいる人や楽器を持ってきて演奏する人もいる。今年はゲリラDJも出没したんだそうな。彼らから放たれるエネルギーがなにかを揺り動かし、それが共鳴しながら拡散、拡大されていく。ステージに立つミュージシャンの演奏がそこに重なって有機反応を引き起こす。それが奇跡的なパフォーマンスの数々を生み出しているようにも思えるのだ。フジロックでのライヴ体験の素晴らしさの背景にはそれがある。DJブースは、もちろん、カフェやバーに食事を提供するストールでも同じこと。見ず知らずの人にだって、当たり前のように話をすることができて、あっという間につながりができる。そんな空気がここに出来上がっている。

そのフジロック、今年は7月19日に始まっていた。前夜祭は7月24日なのになぜ? と思われるかもしれないが、その前の週末に幕を開けたのがフジロックの一部、ピラミッド・ガーデン。会場の端っこにあるここが「Beyond the Festival」と銘打って単独開催されていた。フジロック独特の磁場がゆるやかに、本番に向かって確実に強くなっていたのを、ここに遊びに来た人たちなら、感じることができただろう。

主催していたのは2010年からこのエリアを任されていたキャンドル・ジュン。彼のフェスティヴァルへの想いがこれを動かしていた。それは大将が抱いていた「想い」にも繋がっている。ずいぶん昔のこと、彼が口にしていたのは「1週間ぐらい開催するってのもいいなぁ」というアイデア。ひょっとすると、そのあたりに伏線があったのかもしれない。大将がなによりも求めていたのは、ラインナップに依存することなく、「フジロックだから」こそ戻ってきたいと思わせるフェスティヴァルを作り上げること。そんな想いをピラミッド・ガーデンに詰め込もうとしたのが今回の試みだったのかもしれない。

ここにいるだけで気持ちよかった。ライヴを追いかけてあくせく歩き回ることもない。タイムテーブルはのんびりと余裕を持って作られているし、ライヴが中心でないのは明らかだ。釣り堀で釣った魚を料理して食したり、サウナで汗を流して冷たい水が流れる川に飛び込む。あるいは、ワークショップを覗き込んだり、日陰で昼寝をしたりと、ゆったりとした時間と空間の中に身を置くことだけで気持ちいい。生きていることのしあわせを充分に感じることができるのだ。

加えて、大将がいつも口にしていたのは「地元の人たちと一緒に作る」という意識だった。都会から地方に来た企業が利益を吸い上げ、地元はおこぼれを授かるだけといったイヴェントのあり方を彼は嫌悪していた。ピラミッド・ガーデンに反映されていたのがそれだった。後援は地元の湯沢町で、一役買っていたのが苗場観光協会。実は、この閉幕からフジロック開催までの間に会場を使って開かれたのが、フジロックに大きな貢献をしている地元若者の結婚式だった。これが今後、どういった展開を見せるか未知数だが、フジロックや苗場を愛する人たちにもそういった場として、この時間と空間を提供していきたいとのこと。興味がある方は観光協会へ問い合わせてみたらどうだろう。

大将から「フジロック前に、みんなに伝えておきたいことがある」と連絡があったのはその取材をしていた時だった。それを受けて、東京のスタッフが彼を訪ねている。話題になったのはクロージング・バンド。その言葉からはこのプロジェクトに対する彼の並々ならぬ想いが伝わっていた。今年はそれだけにとどまらず、様々な指示を出している。ネパールのバンドを招聘したり、どん吉パークのDon’s CafeにDJを入れたいという依頼も届いていた。それを受けてフジロッカーズ・バーの常連DJに協力を依頼。「俺もDJするかも」なんて言われて、リクエストのあった昭和歌謡のシングル盤も用意していた。その1枚がクロージングに出演した尾藤イサオの大ヒット曲『悲しき願い』のオリジナル。もちろん、これはここで使っているし、最後のグリーン・ステージでご本人に見せると大喜びしてくれて、なんとサインもいただいている。

Photo by おみそ

Don’s Cafeは大将の盟友、池畑潤二率いる苗場音楽突撃隊がゲリラ的にライヴをする苗場のホーム。昨年はDJゴンちゃん夫妻がDJをしているし、彼のお気に入りバンド、USも演奏している。今年も同じだがホットハウス・フラワーズのリアムがここに加わり、ゴンちゃん夫妻に代わったのがフジロッカーズ・バーや仲間のDJたち。主要ステージでの演奏が終わる頃ともなると、大将を慕う仲間がここに集まってくる。といっても、実は、フジロック開催を前に「身体が持たないかもしれない」という情報もあって、大将の会場入りが危ぶまれていた。が、前夜祭の朝、東京を離れたという連絡が入ってひと安心したものだ。彼を訪ねると、血色もよくて、去年より元気に見えた。体調もよかったんだろう、毎晩、ここに顔を出して仲間と一緒に楽しんでいた。

そして、最終日、いきなり大将から呼び出しだ。DJの仲間とセッティングをしていたどん吉パークからとぼとぼ歩いて本部の隣を訪ねると、「フジロッカーになにかプレゼントしたいんだ」という。「じゃぁ、今年のポスターにサインしてよ」とお願いして、その様子を撮影。それを3枚受け取っている。さて、このプレゼント、どうしようか。大将へのメッセージを書いてもらうのを要件として、応募してくれた人から抽選するのがベストだろうと思う。もちろん、そのメッセージは彼に手渡すことにしよう。詳しくはこちらで確認していただけると幸い。

Photo by おみそ

クロージング・バンドが演奏する前に大将と一緒にグリーン・ステージ脇に移動。初めて顔を合わせる尾藤イサオと彼が談笑している姿がほほえましい。耳をそばだてているとエルヴィス・プレスリーがどうしたこうしたとロック談義が続いているのがわかる。このライヴに出演するみなさんと挨拶を交わしつつ、「お客さん、残ってくれてるかなぁ」と心配顔だった大将。でも、残って楽しんでいる人たちを見ると実に嬉しそうだ。そして、1943年生まれで御年82歳だというのに、とてつもなくソウルフルな尾藤イサオに大喜びしながら、『悲しき願い』を声を出して一緒に歌っているのだ。

「みんな、若いから知らないかもなぁ。でも、これは、俺からみんなへのギフトなんだ」

彼が愛して止まないロックンロールの名曲の数々を、日本の伝説的ロッカーに歌ってもらい、オーティス・レディングの名曲『ドック・オヴ・ザ・ベイ』をリアムにまかせる。そして、チェ・ゲバラと並んで彼のヒーローだというジョン・レノンの『イマジン』を加藤登紀子に託して幕を閉じる。そこには彼の想いがあった。

さて、今年のフジロックはどうだったか? なによりも嬉しかったのは愛知県豊田市で続けられている、おそらく、国内で最も素晴らしいと感じた『祭り』、橋の下世界音楽祭の仲間がフジロックの奥地を復活させたことかもしれない。印象的なステージを苗場に持ち込んで作り上げたのがオレンジ・エコー。これで明らかに観客の流れが変わっていた。彼ら独特の色を持つラインナップも興味津々で、あの世界がまだまだ広がっていくことを予感させる。地元新潟から三国トンネルを越えた群馬あたりの伝統工芸から民謡や芸能までがここに紛れ込んできたら… なんて夢みるのは、それこそ彼らが橋の下でやっていることだから。さて、来年はどうなるだろう。

また、子供の頃から、あるいは、生まれた頃からフジロックと共に育ってきた地元、苗場の若者たちがDJブース、Roots Grooveを動かし始めたのも特筆に値する。かつてワールド・レストランがあったエリアにGonchan Barを誕生させたのもそんなひとり。これで彼らもフジロックを作る一部となった。さて、これから彼らがなにをどうする? ボードウォークでのパーティは、もちろん、まだまだできることはあるはずだ。彼らからどんなアイデアが出してきて、どう発展させていくのか、それが楽しみでならない。

3年を費やして徐々に復活したパレス・オヴ・ワンダーとブルー・ギャラクシーがフジロックには「なくてはならない存在」だということを見事に証明していたのが今年。「ラインナップでしかチケットは売れない」ってのが、業界では常識らしいが、さて、どうなんだろう。圧倒的な人気を持つスターが演奏している時だって、ちっぽけなステージやDJがいるところには人が集まっていた。その全てがフジロックの魅力。だから、ここに来るのだ。

結局、今年も、雑務に追われて、ほとんどライヴを見ることはできなかった。6月にローマにまで出かけていって、魅力を伝えようとしたフェルミン・ムグルサもクリスタル・パレスでチラ見しただけ。楽しみにしていたホワイト・ステージにはたどり着けなかった。春ねむりを見ようとアヴァロンに向かうと、NGOヴィレッジで難民問題をアピールするブースで昔からの友人と遭遇して長話。結局、わずかな時間しかライヴには接することができなかったが、インパクトは強力で濃密だった。ちなみに、かつてワールド・レストランでフィッシュ&チップスを売っていたのが遭遇したイギリス人。映画にもなったワイト島ミュージック・フェスティヴァルを10代の頃に体験していて、東京でやったフジロッカーズ・バーに来てもらって当時の体験談を聞かせてもらったことがある。

多くの人がそうだったように山下達郎のライヴはなんとしても見たかった。が、あまりの人の多さに恐怖を感じてステージが見えるところまで出かけてはいない。簡単には帰ってこられないと思って、フジロック・エキスプレスの本部裏で音を聞いてたにすぎない。

「仕事がどうなるかわからないんですけど、見に行きたいですよ。竹内まりやが出てきたら… もう、奇跡ですもの」

と、語っていたのは苗場プリンスで働いているスタッフの方。さて、彼はその奇跡を体験できただろうか。あの時の騒ぎや興奮は本部裏にも伝わっていた。実際に見に行った仲間からは、目の前で泣きそうになっていたのは日本人じゃなくて、アジアのどこかから来た人だったとか、海外からのお客さんがやたら多かったなんて話しも伝わっている。

山下達郎の方針としてライヴは放送させないんだとか。でも、それでいい。スクリーンを通じて伝わるのはその一部。Be there or be squareとはよく言ったもので、そこにいなけりゃわからない。うだるような暑さに襲われていたあの日、ひどい雨にやられてしばらくの後に始まったあの時の空気や臭い… そのなかで待ちわびた人たちが最初の音を聞いた時の興奮がどれほどのものだったか。ステージから放たれる音楽が空気を揺らして、それを全身で浴びる感覚はお茶の間ではわからない。さらに、フジロックそのものの魅力は伝わりようがないだろう。

あのステージに近づけなかったおかげで、苗場食堂で目撃することになったのがクリス・ペプラーのバンドだった。

「J-Waveで番組をやっているんですけど、そこで言ってたんですよね。今年のフジロックの一押しは、間違いなく山下達郎だよねって。そしたら、真裏で演奏ですからね」

と苦笑いしながら続けたライヴ。素晴らしかった。スライ&ザ・ファミリーストーンの『Thank you』をカバーしたのは、スライ・ストーンへのトリビュートなんだろう。そこにはブラック・サバスのフレーズも飛び出していた。言うまでもなくオジー・オズボーンへの感謝の気持。めちゃくちゃ嬉しかった。

始まるまではずいぶん長い時間を待たされるように感じるけど、動き出すと一瞬のうちに終わってしまうのがフェスティヴァル。どこかでメンバーには出会えてもライヴを見ることができなかった友人のバンドは数え切れない。出店している仲間たちにもわずかに挨拶できたに過ぎない。会場内外を歩きながら、できるだけ多くの仲間たちと言葉を交わそうと思うけど、なかなかうまくはいかない。そして、気が付くと最終日。いつものように夜明けを迎えるパレス・オヴ・ワンダーあたりに顔を出すのだ。そこで体験できるのが至福の時。会場から流れ出てくる人たちの表情が素晴らしい。若干の疲れを見せながらも、誰もがニコニコ、ニヤニヤと笑顔を見せている。それだけで「楽しかったよ」と語りかけてくれているように見える。名残惜しそうな表情を浮かべながら、たむろしている人も多い。クリスタル・パレスから音が消えて、バーのテントも最後の曲を流している。ザ・ハイロウズの『日曜日よりの使者』。それを大声で歌っている人たちに感動しながら、撤収作業に向かう。ありがとう。今年もフジロックに来てくれて。きっと、来年も、また会えるよね? 心の中で彼らにそう語りかけながら、今年の幕が下りていった。

さて、自分が体験できたフジロックはほんのわずかな部分でしかない。でも、全国から駆けつけてくれたボランティア・スタッフが、馬車馬のように働きながら続けてくれたこのがフジロック・エキスプレス。ここにもっともっとたくさんの「しあわせ」の瞬間 が刻まれているはず。これを書き上げて一段落したら、また、ジックリと拝見しようと思う。ありがとう。みなさんは、私の宝物です。

なお、今年動いてくれたのは以下のスタッフとなります。

■日本語版
HARA MASAMI(HAMA)、安江正実、堅田ひとみ、リン(YLC Photography)、森リョータ、みやちとーる、古川喜隆、おみそ、平川啓子、佐藤哲郎、©2025MITCH IKEDA、前田俊太郎、井上勝也、suguta、粂井健太、エモトココロ、Miyaryo
東いずみ、渡辺紗礼、YAMAZAKI YUIKA、越川由夏、浅野凜太郎、こっこ、Izumi、Eriko Kondo、阿部光平、丸山亮平、梶原綾乃、阿部仁知、イケダノブユキ、三浦孝文、石角友香、あたそ、西野タイキ

■E-Team
Jonathan Ruggles、Sean Scanlan

■フジロッカーズラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

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オレンジ・エコーのプロデューサー、microAction代表・根木龍一インタビュー https://fujirockexpress.net/25/p_8878.html Fri, 01 Aug 2025 14:29:31 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=8878 愛知県の豊田市に自治を極めた「祭り」があり、その名を「橋の下世界音楽祭」と云う。タートル・アイランドとともに「橋の下」を立ち上げたのが、今回のフジロックで新たに追加、もとい、復活したステージ、「オレンジ・エコー」のプロデュースを務める「microAction」代表、根木龍一氏だ。 地方から世界へ独自の磁場を放つ祭りとフジロックにかつて存在した「オレンジ・コート」には、深いつながりがあった。

org:初めてフジロック内のエリアをプロデュースするわけですが、やってみてどうですか?

根木龍一(microAction代表):まさかね、自分がオレンジ・コートがあった場所を任されることになるとはね。フジロックはずっと続いているフェスティバルだし、ここは、フジロックのステージの中でもかなり独特で、ユニークな場所だったじゃない?

org:誰が言い出したかわかりませんが、「奥地」という表現が定着していましたね。

根:そう、オレンジ・コートはそれだけしっかりとした存在感を持った場所だったから、俺らも、「橋の下(世界音楽祭)」をそのまま持ってくる、ということにはならなかったのよ。オレンジ・コートのプロデュースを担当していたスマッシュウエストの南部さんとスタッフ、お客さんも含めて、みんなで作り上げていたような場所。「オレンジ・エコー」については、そんな当時の雰囲気を尊重していて、昔の「オレンジ・コート」と、今の「橋の下」がコラボした状態を目指しているんだよね。

確かに、「橋の下」で使っている資材を運んできてはいるんだけれども、ほんの少しだけデザインを変えたりもして。ただ、頼んでくれたからには俺たちなりに新しい風も入れたいなと思って。オレンジ・コートって、ひとくくりに「ワールドミュージック」と捉えられがちだったけれども、他のどのステージよりも「オルタナティヴ」な空気というか、意識みたいなものが強く存在していた気がする。そもそも、フジロック自体が充分「オルタナティヴ」なフェスなんだけれど、その中でも特に濃度が高い、というかさ。

org: 確かにそうですね。「ワールドミュージック」の要素もあったけれど、「春一番」の流れも汲んでいるというか。例えば、豊田勇造さんのブッキングとか、なぎら健壱さんが登場したのもオレンジコートでしたね。

根:そうそう。ステージ前のいい位置で豊田さんのご家族がご覧になっていたりしたよね。自分は「橋の下」だったりマイクロアクションの活動を通じて、アジア圏のアーティストとの信頼関係を作ってきた自負があるから、俺たちにしかできないブッキングができたらいいなとも思ってる。笑ったのがさ、ステージの詳細を発表した時に、X(旧ツイッター)で、「なんだ? この『橋の下』を丸パクリしたようなメンツは?」とか書いてあって、「それ、両方とも俺たちだから!」って(笑)

org:それだけ、「橋の下」がしっかりと認知されているということですね。

根:そうなのよ! あとさ、実は、俺らがアジアのミュージシャンに関わりだしたきっかけって、南部さんが呼んだモンゴルのHanggai(ハンガイ)が最初なのよ。「ハンガイ呼ぶならタートルしかおらんやろ!」っていう感じで声をかけてもらってさ。その時に、「アジアにもすげぇカッコいいバンドがいるんだな!」っていう衝撃があった。で、ハンガイといろいろやりとりしていたら、彼らが中心となって中央アジアのアーティストを呼んだり、中国のアーティストを呼んだりするようなフェスティバルをやっている、ということを知ったのよ。「それは面白そう!」ってことで、すぐにタートル・アイランドのヨシキと一緒に会いに行ったのね。

org:そんな裏話があったとは!

根木:実はそうなのよ。で、その年にいよいよ「橋の下」を始めて、速攻でハンガイに声をかけた。今回オレンジ・エコーという形で、南部さんが仕切っていた場所を、時を経て自分が関わっている。人としての繋がりがこうしてまた還ってくるということそのものに、喜びはもちろんだけれど、勝手にストーリー性を感じていたりするね。

org:今年、今回の世界ツアーをもってライブ活動からの引退を発表したフェルミン・ムグルサがフジに出演しているというのも、偶然とはいえ、なにか縁を感じます。私が根木さんと初めて会った時も、タートル・アイランドのバスクツアーでした。トロサのボンベレネア(※1)には、フェルミンも見に来ていましたね。

そうだよね。タートル・アイランドはいろいろ海外に行っているけれど、初めての海外ツアーはバスクだった。今でこそアジア圏のミュージシャンをメインにいろいろと展開しているけれど、ベースには確実にバスクでの経験があるし、フェルミンとか、彼をサポートしているラディカル・ミュージック・ネットワーク(※2)との繋がりがある。やっぱり、俺らは縁があってこそ様々なことに関われたり、創れたりしている気がします。

org:オレンジについて、今後はどのようにしていきたいと考えていますか?

南部さんのDNAを受け継ぎつつも、ずっと「橋の下」をやってきて、そこで培ってきたことを活かすこともできるだろうし。ブッキングを好きにやらせてもらえるというのもありがたいよね。橋の下にはまだ呼べていないけれど、ここ(フジロック)だからこそ呼べるアーティストもいるだろうし。オレンジ・エコーにせよ、橋の下にせよ、互いにまた次へ繋がっていくと思うよ。まずは、楽しみながら創っていこうと思っていますね。

(※1)ボンベレネア:バスク自治州の町・トロサにある、元消防署を占拠して改造を施した「スクウォット」。集会所・ライブハウス・バー・映画館・Tシャツ工場・スケートパーク・ボルダリング・宿泊設備などがある。名前はバスク語で「消防署」の意。

(※2)ラディカル・ミュージック・ネットワーク:ラテン圏のミュージシャンをブッキングする「ジャポニクス」が行うイベント名でありコミュニティ。クリスタル・パレス・テントやブルー・ギャラクシーにはクルーがDJとして出演している。

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THE SKA FLAMES https://fujirockexpress.net/25/p_1096.html Sat, 26 Jul 2025 14:52:17 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=1096 フジロックには2021年以来、約4年ぶりの出演となるスカ・フレイムス。今年、結成40周年(!)を迎える彼らは、基本的にマイペースな活動を維持している。いくつかの脱退やメンバーチェンジなどはあったが、オリジナルのメンバーも複数名残っており、日本のスカの屋台骨を支え続けている。かつて、サイドギターを担当する宮崎研二氏にインタビューした際に、次のように言ったことを覚えている。

「ずっとスカ・フレイムスを続けたいから、俺らはちゃんと『職に就く』と決めた。だから、アマチュアバンドなのよ」

今でこそ複数の職を持つことは珍しくないが、40年前の音楽シーンは、メジャーとの契約を目指すのが当たり前の時代であったことは想像に難くない。別で職を持っていながら、ここ数年はバンドの活動が活発化しているように思う。

フレイムスもまた、フジロックには並々ならぬ想いを抱いている。彼らのフジロック初出演となった2002年は、今なお語り継がれる、通称「スカ祭り」の年。ジャマイカの不良更生施設「アルファ・ボーイズ・スクール」で音楽の英才教育を受けた者たちが結成し、スカのオリジネーターとなったザ・スカタライツ。さらに、そのスカタライツのオリジナルメンバー、ドン・ドラモンドの薫陶を受け、「アルファ」を経たのちに単身イギリスへと渡ったリコ・ロドリゲスは、若者を中心としたスカ・リバイバル、「2トーン」の中核を担うザ・スペシャルズに参加したほか、スカ/レゲエの作法そのままに、ジャズの名門レーベル「ブルー・ノート」のカタログに名を残している。

そして、関東を拠点としていたフレイムスに対して、関西のスカシーンの雄、デタミネーションズも「スカ祭り」に名を連ねていた。惜しくも2004年に突然の解散を迎えてしまったが、スカを創った者たちと、スカに憧れた極東の者たちがひとつの枠に収まった集合写真が、当時の空気を伝えるものとして残されている。その写真は、我々フジロッカーズ・オルグ主宰、花房浩一の手によるもので、日本のスカシーンにおける記念碑的な一枚となっている。

2025年となった今、スカタライツのレジェンド達をはじめとして、リコも、デタミのサックス奏者である巽朗(たつみあきら)までもが鬼籍に入り、かつてのスカ祭りに参加したバンドは、フレイムスのみとなってしまった。この日のヘブンには、2002年の祭りを体験した者もいるはずだ。

豪雨の直後、雨足はやや弱まったものの、まだまだ止む気配のない状況で登場したスカフレイムスの面々。まずは、ヴォーカリストの伊勢浩和を除いた楽器隊が、”Big Foot”を奏で、そのゆったりとしたリズムがフィールド・オブ・ヘブンの森に囲まれた空間へと流れ込む。フレイムスのライブは決まって心地よい音像から緩やかに始まる。音の一端を捉えたオーディエンスはといえば、すぐさま軽めのステップを踏み、その身をだんだんと動かしていく。

伊勢を待つ間、楽器隊の指揮を執っていたのは、かつて、スカ・フレイムスのファンであり、野音こと日比谷野外音楽堂で行われた「スカ・エクスプロージョン」の客席からステージを見ていた過去を持つ、アルトサクソフォン奏者・石川道久。”Big Foot”から流れるように、” I’ll Close My Eyes”へと繋げ、ようやく伊勢が登場。元より足に不安があるため、ステージ上には椅子が用意されているが、まずはスタンディングで歌い出すあたり彼の矜持というものが現れていたように思う。杖を手放し、両手を広げ、大きな身体から発せられるツヤと伸びのある声は健在だ。オーディエンスははずぶ濡れになりながらも、彼の声に浸っている。

歌い終わり、相変わらずご気分ナナメな天候を見た伊勢は、雨に打たれるオーディエンスをねぎらうかのように「スカフレイムスには晴れ男が揃ってます」と前向きな言葉をかけた。たとえそれがリップサービスでも、こちらとしては嬉しいものだ。

フレイムスの大きな魅力として、特に結成当初からのメンバーがそれぞれ際立った動きや演奏をする、ということが挙げられる。メインギターを務める紫垣徹のギターフレーズは、スカやその元となったジャズというよりも、ブルーズ色が強く出ている。サイドギターで、主にカッティングを担当する宮崎研二は全身白いスーツで身を包み、ことあるごとに最前列まで出張ってきては、オーディエンスの反応を確認。これは、40年もの間、フレイムスというバンドを頑なに続けてきた者の余裕に他ならない。パーカッションの中須彰仁はといえば、興が乗ってくると、決まってクネクネとした独特のダンスで同郷・奄美大島の幼馴染である伊勢に絡んでいく。そんな、少年に戻った2人が発した「Are you HAPPY?」の問いかけには、オーディエンスもついつい子供のようにはしゃいでしまうのだ。

ある程度の時間が経ってくると、おそらく長くフレイムスを見ている者は、奇妙なくらいに浸れて心地よいセットリストが続いている、と感じたかもしれない。言い換えれば、最後にやってくるであろう「お約束」に向けて、腹をくくった可能性がある。

そして、その「お約束」は、やはり最後にやってきた。カリプソ風味の”Rip Van Wincle”、伊勢の朗々としたアカペラ終わりから立ち上がる歓声を、存分に受け切ってからのドラムショット一発、性急なビートでもって一気に駆けあがる”I Won’t Never Let You Go”、そして、キーボードと乾いたギターによる短いイントロから、ホーンを巻き込んで最後まで全力疾走する”Tokyo Shot”のシングルカット3連発は、彼らの真骨頂とも言えるルード(不良)なコンボ。若者はハツラツとし、方や、往年のファンはヘロヘロに。これ以上ないほどの「ハッピー」に溢れたライブの締めくくりは、表情のみならず空においても、見事なまでの「晴れ」で締めくくられた。

晴れ男が揃っているというのは、本当だったのだ。

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井上園子 https://fujirockexpress.net/25/p_1131.html Sat, 26 Jul 2025 13:56:48 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=1131 昼間の豪雨を経て、空には霧が煙り、雲の切れ間から太陽の光が差し込まんとする夕暮れどき。井上園子はおもむろにステージへと現れた。風が吹けば揺らめいてしまいそうな、ろうそくのようににぼんやりと灯る光のような佇まいが印象的だ。

彼女のことは、吉祥寺飲み屋で偶然会った友人から勧められて以来、ずっと気になっていた。

いざ見てみたらば、歌というよりはポエット、詩の朗読に音を当てているかのような印象を受けた。爪弾くギターはひとつひとつの言葉をアシストすることに全振りしているようで、我々がこれまで体験したことのないコード進行を用い、こちらの予想の裏をかいていく。それでいて心地よい展開の奇妙さに、こちらはまんまと惹きこまれていく。

「信州信濃の新そばよりも、あたしゃあなたの傍(そば)がいい」

と、映画「男はつらいよ」で渥美清演じる寅さんが用いた都々逸(どどいつ)なども織り込んで、見る者をどんどんと深みへと誘うあたりも秀逸だ。

中盤に差し掛かったころ、サックス/フルート奏者の西内徹(にしうちてつ)が登場。昨晩のレッド・マーキーでは坂本慎太郎バンドの一員としてツヤのあるサックスと、マラカスを持っての激しいスカダンスをそれぞれ堪能したが、それとはまた別の落ちついた佇まいで、これまた新鮮な印象を受けた。井上園子曰く、「(西内氏は)3日間すべてに出演するそうです」とのこと。私は見られなかったが、T字路sのことだろう。

西内氏を迎えてからは、スタンダードナンバー”テネシー・ワルツ”などのカバー曲をはじめとして、メロディと詩が寄り添った展開へ。一点の曇りすらないその声が本領を発揮する一方で、要所にはブルーグラスかカントリーかと思わせるフレーズが顔を出す。それでいて、ライヴの全容としては、彼女の紡ぎ出す音を掴もうとしても、スルリ、と抜け出ていく感じは相変わらず。言葉と音のしっぽを「あらあら、あら?」と追いかけているうちに、いつしか虜となっている不思議さに、ただただ時間を忘れてしまっていた。

アヴァロンは、爆音を放射するホワイトステージに近く、なにかと音かぶりを受けやすいステージだ。だが、井上園子がギターのストロークを止め、口をつぐんだ際には、実際の騒音はどうであれ、必ずと言っていいほど「無音」を感じた。そんな状況をやすやすと演出できるミュージシャンなど、果たしてどれだけいるだろうか。

そうこうしているうちに、ステージの主役はささやかな感謝の言葉を述べてライヴは終了、楽屋へと引き下がることなく、流れるように撤収作業へ。ステージMCによる「日もすっかり落ちまして…」の言葉で、こちらはようやく我(われ)を取り戻した。暗くなっていることに気づかないほどに、のめり込んでいたのだった。

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FERMIN MUGURUZA https://fujirockexpress.net/25/p_1047.html Sat, 26 Jul 2025 12:32:06 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=1047 今回の世界ツアーをもってして、ライブ活動から引退するバスクの闘士、フェルミン・ムグルサ。フジロックには、コントラバンダ(Kontrabanda、2004年)、ジャマイカ色を強めたアフロ・バスク・ファイア・ブリゲイド(Afro Basque Fire Brigade、2007年)、バスクというルーツを前面に押し出したコントラカンチャ(Kontrakantxa、2013年)など、コンセプトに合わせ、様々なバンド形態で参加してきたフェルミン。ベテランフジロッカーにとっては、それなりに馴染みのある存在となっている。

いよいよ定刻となり、フェルミン以外のメンバーが先行して登場。奏でられたのは”In-komunikazioa”だ。ライヴの始まりを告げるにふさわしいホーン隊のユニゾンに、緊張感を高める空襲警報が絡んでいくと、ホワイトステージは瞬時に熱狂の渦へ突入。満を持して登場したフェルミンは、「民衆に全ての権利を(ALL POWER TO THE PEOPLE)」の文字と、突き上げられた拳という「抵抗の象徴」を背負い、全身からエネルギーをみなぎらせている。

今回招集したバンドのメンバーは、マヌ・チャオが率いたラディオ・ベンバ(Radio Bemba)にてパーカッションを担当していた「chalart58」ことジェラルド、そして、昨年の解散ツアーにおいてクリスタル・パレス・テントとホワイト・ステージに出演したエスネ・ベルサ(Esne Beltza)のトリキティシャ(バスク式アコーディオン)奏者シャビ・ソラーノ、ラ・キンキービートの紅一点マタハリ…などなど、見た目にも激しく動くメンバーが揃っている。

クリスタル・パレス・テントでのレポートにも記したが、Kortatu(コルタトゥ)、Negu Gorriak(ネグ・ゴリアック)、そしてソロ名義と、フェルミンのキャリアすべてを惜しみなくつぎ込んだセットリストには、パンク、スカ、レゲエにルンバ、ラップを用いたミクスチャーや人力ドラムンベース、果てはトリキティシャを中心としたバスクのフォルクローレなど、様々な要素が織り込まれている。そして、ほとんどの曲の終盤では、打楽器隊がダブル(2倍)のリズムを刻んで加速。図らずも、朝っぱらから聴く者のHPを削り取ってしまうような超攻撃的なものとなっていた。

フェルミンの歌詞や行動のすべてには、極めて強い「政治的な」意味がある。ご機嫌なオケとは裏腹に、歌い出した途端に険しい怒りの表情に変化する。メッセージをより強く主張するには生半可な覚悟では釣り合わず、にこやかな表情のままでは到底成り立つものではない。音楽活動にせよ、映画監督への挑戦にせよ、彼の行動の全ては、人生を賭けた闘いに他ならない。

背後のスクリーンに映される動画素材は、曲のテーマに沿った映像やスローガンが主。例を挙げれば、”Nicaragua Sandinista”では、サンディニスタ解放戦線(FSLN)による抵抗運動の記録映像を映し、”Yalah, Yalah, Ramallah!”では、パレスチナのガザ地区の映像を映す。乱暴に言ってしまえば、「刺激の強い」ものばかり。「パレスチナに自由を!(FREE PALESTINE)」、「ガザに対する虐殺を止めろ!(STOP GENOCIDE in GAZA)」、「停戦(CHEASEFIRE)」などの言葉も繰り返し示される。70年代後期のイギリスで沸き起こった、「ロック・アゲインスト・レイシズム(ROCK AGAINST RACISM : 「音楽を用いた人種差別撤廃運動」)」との連帯を示し、世界の歪みと不公平、理不尽などに対して、極めて強く、鋭い言葉で糾弾していく。

残念ながら、相変わらず投票にも行かずに自身を強く自立させることを放棄し、近隣諸国に経済力で抜かれたコンプレックスからか、他を排除することでしか自らのアイデンティティを認められなくなった「日本人」が増えた。あろうことか、それなりに影響力を持ったミュージシャンまでもがカルトじみたナショナリズムにあてられてしまったのが今年。フェルミンが発するスローガンが特に伝わりにくい国ではあるだろうが、それでも、彼が日本でライヴを行っているという事実はとてつもなく大きい。個人の政治に対する考え方を抜きにして、齢62歳にして、ゆうに1時間を超える持ち時間のほぼ全てでステップを刻み、体全体を使ってアジテートしていくフェルミンを目の前にして嗤うことができる者など、果たして居るだろうか?

フェルミンの強さは、これまで生み出してきた音楽に単純に楽しいリズムや展開の妙を持たせているということ。そこに、確固としたメッセージやスローガンを乗せていくことで、オーディエンスからのレスポンスが、そのままシュプレヒ・コールとなっていく。彼の親友でもあるマヌ・チャオの詞を借りるなら、「次の駅は希望(Proxima estacion, Esperanza)」。フェルミンの地道な草の根活動は、今後もしっかりと種を蒔き、芽吹いていくことだろう。

ライブを締めくくるのは、フェルミンのキャリアの始まりとなったバンド、Kortatuの代表曲、”Sarri Sarri”。シンプルかつ軽快なスカナンバーは夏にぴったり。単純な単語の繰り返しであるサビを、オーディエンスは諸手を挙げて歌い上げていた。名残惜しさそのままに、アウトロのSEとして Toots & the Maytalsの”Pressure Drop”が鳴り響くと、メンバー全員が楽器を下ろし、自由気ままに踊り、抱き合い、手を繋いでのカーテンコールで大団円。歌を用いて強いメッセージを発する際に見せた表情の険しさは消え、これまでのライヴと同じく、満面の笑みで締めくくられたのだった。

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FERMIN MUGURUZA https://fujirockexpress.net/25/p_1145.html Fri, 25 Jul 2025 23:51:37 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=1145 フェルミン・ムグルサにとって、2015年の苗場食堂以来、実に10年ぶりのフジロック。自身が率いるバンドでは、2013年までさかのぼる。彼は、今回の世界ツアーをもってして、「ライブ活動から身を引く」とアナウンスしている。フェルミンのすべての行動は、緻密な計画に基づいている。泣いても笑っても、日本で見られるのは今回のフジロックが最後となる。
 
開演前のバックステージでは、メンバー全員でバスク民謡を歌ったりしながら、天井知らずの盛り上がりだった。翌日の朝イチ(時間にして10時間もない)にはホワイトステージ出演を控えた主役・フェルミンは、御年62歳。今年限りでライブから引退するとは到底思えないほどにエネルギーに満ち溢れている。さあ、いよいよ開演だ。

フェルミンは、「ストラマーヴィル×フジロッカーズ」コラボの法被を着込んで、パレス・オブ・ワンダーのステージに現れた。彼もまた、ジョー・ストラマー、ザ・クラッシュの遺志を真摯に受け継ぐ者。この法被は、10年前の苗場食堂に出演した際に着用したもの…つまり、わざわざ「このためだけにクローゼットから引っ張り出してきた」ということに他ならない。つくづく、気配りの人である。

そんなフェルミンが、満面の笑みで最初に発した言葉は、極めてシンプルだった。

「タダイマ!フジロック!」

やすやすとオーディエンスから喜びのリアクションを引き出すあたり、やはり百戦錬磨の猛者である。

バンドメンバーは男女混成。地元であるバスクはもちろんのこと、スペインやキューバなど様々な出自を持ち、人気バンドのフロントマンを務めた者も少なくない。さながら、ラテン語圏レベルミュージックの「ドリームチーム」の様相を呈している。

映画監督としてのキャリアを開始するまで、フェルミンの音楽活動は、まずアルバムのコンセプトを決めて、都度メンバーをイチから招集して音源を発表、そのまま世界ツアーへと向かう、というルーティーンがあった。今回は、ライブ活動の幕引きとあって、これまでのようなコンセプトありきではない、楽しければ体全体でそれを表現してしまうような「動きが特に派手」、かつ「超武闘派」なメンバーを揃えた印象。セットリストは、これまでフェルミンが手がけてきた様々な活動でリリースしてきた楽曲の中でも、選りすぐりのナンバーが揃っていた。

スカ・パンクのコルタトゥ(Kortatu)、ラップを取り入れたミクスチャースタイルのネグ・ゴリアク(Negu Gorriak)、そしてソロ名義それぞれの時代の代表曲を歌うのは、なにもフェルミンに限らない。脇を固める女性陣がコーラス、時にはシャウト、さらにはレゲエのトースティングを発し、エスネ・ベルツァ(Esne Beltza)を率いてのフジロック出演経験もあるトリキティシャ(バスクのアコーディオン)奏者、ソラーノもヴォーカルをとったりしながら、メリハリと深みを与えていく。

フェルミンはといえば、エネルギーの塊。常にステップを刻み、ソロ回しに差し掛かったメンバーにはハッパをかけ、バンド全体のマエストロ、指揮者としての一面を見せつける。時折差し込まれる、「モリアガッテ!」など、日本仕様の煽りもお手のもの。これでもかというほどにテント内のボルテージをあげていく。ファン思いの一面を見せる一方で、歌うとなれば怒りの表情を露わにして、世界にはびこる理不尽や矛盾に対して拳を突き上げる。音楽というくくりで説明するには収まりきらない、「フェルミン・ムグルサという『生き様』」を表現していく。アメリカを中心とした強権政治への批判、虐殺が続くパレスチナの解放を叫ぶなど、その内容は実に重いものである。

それでいて、改めて音楽とは「楽しいもの」であることもしっかり認識させてくれる。演奏パートがないメンバーは、フェルミンに負けず劣らず踊ったり、自分の立ち位置から離れてまでソロパートを担当しているメンバーにちょっかいを出したりする。そんな、体全体で表現する楽しさは、生きるうえで切っても切り離せない「政治」へと興味を持たせるためのきっかけを作る手段であり、映画監督のデビュー作に「アニメ」という表現方法を選んだフェルミンの狙いも、まさにそこにある、と思うのだ。

MUGURUZA FM 1984-2024 SET LIST (@FRF’25 CRYSTAL PALACE TENT)

In-komunikazioa(☆)
Big Benat(☆)
Euskal Herria Jamaika Clash(☆)
Nicaragua Sandinista(*)
Zu Atrapatu Arte(*)
Kolore Bizia(★)
Radio Rahim(★)
Dub Manifest(☆)
Yalah, Yalah, Ramallah!(☆)
Gora Herria(★)
Sarri Sarri(*)

* Kortatu (1984~1988)
★ Negu Gorriak (1990〜1996)
☆ Fermin Muguruza(1997〜)

outro(SE) Pressure Drop by Toots and the Maytals

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おとぼけビ〜バ〜 https://fujirockexpress.net/25/p_1041.html Fri, 25 Jul 2025 09:07:08 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=1041 「おとぼけビ〜バ〜」への期待は、MCが注意事項を述べている時点から自然発生的に立ち上がる手拍子に表れていた。

フジロックに限定した経歴では、2017年にルーキー・ア・ゴーゴーで初の出演。2022年には、開けてみてのお楽しみこと、ビックリ箱的な前夜祭(レッドマーキー)への抜擢があり、呑んだくれにとっての憩いの場こと苗場食堂へ。そして今年、ホワイトステージへと駒を進めたとのことだ。

フェスならではの限られた時間、「(フジロッカーを)待たせる時間すらもったいない」とばかりに、すぐさまステージに現れたポップな佇まいの4人。背後のスクリーンに大写しにされているバンドのロゴは、極めてゆるいフォントである。しかしながら、いざ口を開けば「デストロイ!」などやたら物騒な言葉が並び、絶えずこちらを殴りつけてくるかのようなMCを繰り出す。全方向を口撃し尽くし、ステージと相対するオーディエンスは、ライブの開始早々に僕(しもべ)となってしまった。

MCにおいてオーディエンスを思うがままにいじってくるのはギタリストで、ヴォーカリストでないのは意外だった。しゃがれた声でパンチの効いた単語を矢継ぎ早に投げてきて、その単語自体は尖っているものの、要所要所には隠せない可愛げがある。RATMのトム・モレロか、あるいはバタやん(田端義夫)かというほどに高い位置でギターを構え、まるで神経の反射をどれひとつとして取りこぼさないように弦を掻きむしり、爆音を繰り出す。そして、そのフレーズを活かすリズム隊はといえば、太く強靭な音の壁でぶちかます。ヴォーカリストは歌詞を用い、何気ない日常のワンシーンを罵倒へと作り変えては、楽器に力負けしない声量と圧でもって塗りつぶしていく。

それぞれの表情は実にバラエティ豊か。歌詞とは裏腹に、どこを切り取ってもネガティヴな要素はなく、常に自信と充実がみなぎっている。ファンには怒られるかもしれないが、私は初見。「SNSでバズっている」とのことで、それにはなるだけ遭遇しないよう、苗場での初見のために温存してきた。それほど話題を呼んでいるならば、予備知識を入れずに、生で浴びたいと思ったのだ。

いざ初めて見たらば、パンツ上等、中指上等。世間一般的なメディアにおいては、即レギュレーションに抵触する所業である。「webの生配信? 関係ないわ!」と言わんばかりに、全身全霊のパフォーマンスを繰り広げており、清々しさすらある。静と動のメリハリ、放送事故ばりの時間停止など、セオリーをやすやすとぶっちぎる肝の据わった振る舞いは、さんざん罵倒されようが応援したくなるものだった。そのエネルギーには「性別の別」などなかった。ただただホワイトステージに誇らしげに立つ強い奴らが、日本のロックンロール史に刻まれた「愛という憎悪」をことさら増幅して、オーディエンスに叩きつけていたように思うのだ。

フジロックは、世間という「下界」から離れる口実であり、しがらみを捨て去る場所として機能していると思う。2025年のフジロック、朝イチのホワイトへと来てみたらば、色違いのワンピースで揃えた、やたらと強いバンドが「やりたいようにやっていた」。週6で働いていた過去の苦労を歌詞に落とし込み、笑い飛ばしながら、さらに上へ上へとのしあがる気概は、ジャンルというくくりを破壊する芯の通ったパンク精神があり、ハードコアそのものだった。

ホワイト・ステージは、かつてイギー・ポップが「デストロイ!」と声を大にして叫んだステージである。今後は着実にフジロックの常連となっていくであろう彼女たち。そう遠くない未来に、グリーン・ステージで見られるはず。これからも、フェスのみならずライブハウスにおいても、正対してボコボコに殴られたいと思うほどに、愛に溢れ、楽しく刺激的な時間だった。

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