“東いずみ” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '25 | フジロック会場から最新レポートをお届け https://fujirockexpress.net/25 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 12 Aug 2025 07:23:59 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.8.2 「もうええやろ。そろそろ辞めようか…」と考えたことが幾度かあった。でも、辞めなくてよかったね。やっと、「いつものフジロック」が戻ってきた…かも。 https://fujirockexpress.net/25/p_9083.html Sat, 09 Aug 2025 02:09:19 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=9083 我々が愛情と尊敬の念を持って大将と呼ぶのが、フジロックを創造したプロデューサー、日高正博。その彼に「俺がやりたいことを一番わかってるのがお前だ。手伝ってくれ」と言われて、黎明期のインターネットを核に情報発信を始めたのは第1回が開催された1997年が開けた頃だった。それからすでに28年が過ぎている。あの年、台風の影響で生まれた混乱や2日目のキャンセルで荒れまくったのが公式サイトの掲示板。それを公式から切り離し、コミュニティ・サイトとして、その年の暮れか翌年にfujirockers.orgを立ち上げている。それは大将と相談の上で生まれた、いわば、裏公式サイト。フジロッカーという言葉を生み出したのもこの時だ。個人として積極的に発言できる場として彼は幾度となく、ここを通じてメッセージを発信。直接、オフ会に顔を出すことさえもあった。ところが、コロナ禍で参加者が抗原検査を余儀なくされ、全面禁酒に加えて小規模開催しかできなかった21年を境に彼の言葉がほとんど聞こえなくなっていった。我々が彼の「指名手配」写真をパロディ化したTシャツを制作したのは、それを受けていた。なによりも大将が描いたフェスティヴァルを楽しみにしているのがフジロッカー。それほどまでに彼は求められている(「Wanted」)という意味をここに込めていた。このTシャツが最も参加者数が少なかったフジロックで、fujirockers.org史上最高の売り上げ枚数を記録。それはフジロッカーと大将が強い絆で結ばれている証のようにも思えていた。

その大将が「もうどうでもいい。放っとけ」と口にしたのは22年か。彼の体調が悪くなったのは、フジロックがただの野外コンサートにしか見えなかったあの頃からではなかったか? 人気エリア、カフェ・ドゥ・パリ周辺がフード・コードになり、パレス・オヴ・ワンダーにいたってはその片鱗さえなかった。主催者には苦渋の決断だったかもしれないが、あれを「フェスティヴァル」と呼ぶには無理がある。それにも関わらず、「いつものフジロック」を謳っていることに大きな失望を感じていた。もう辞めようか… fujirockers.orgも解散してしまおうかという思いが脳裏をよぎっていた。それでも自分をつなぎ止めたのはスタッフを含め、フジロックの存続を支えようとしていたフジロッカーたち。あの時、「フジロックがない人生なんて考えられない」という声を耳にしていた。そんな彼らがこのままじゃ終われないという気持ちにしてくれたように思う。もちろん、あの流れに抗い、フェスティヴァル復活を目指して必死に動き続けていた裏方がたくさんいたことも忘れてはいけない。

そのフジロックを触発した英国のグラストンバリー・フェスティヴァルを初体験したのは1982年にさかのぼる。当時、まだ20代だった自分はすでに高齢者と呼ばれる年齢になっている。あの時とは比べることができないほど巨大化したこれを取材し続ける意味はあるのか? ここ10数年悩み続けていた。そろそろ潮時かもしれないと思ったことが何度もあった。メディアが求めるのはステージに姿を見せるアーティストのことばかり。でも、それは、おそらく会場の20%にも満たないスペースで繰り広げられている一部分にしか過ぎない。だからこそ、ラインナップがほとんどわからない時点でも、20万枚以上のチケットが20~30分で完売となる。あのフェスティヴァルの魅力はメディアがほとんど取り上げない、その他にあるのだ。が、それを伝えるメディアはほとんど消え失せている。加えて、毎回同じことを書くわけにもいかないと、ここ数年はグラストンバリー未体験の若手ライターや写真家を同伴。彼らの新鮮な視点で伝えられる記事を楽しむようになっていた。開催時期に入院していた1995年を除いて、欠かさず通い続けて今年は43年目。もうなにも目新しいものはないと予測するのが普通だろう。が、待っていたのは「伝えなければいけない」という衝動を生む出来事や人との出合い。それが嬉しくて、また語り、書き続けていくことになる。

そのひとつが今年の前夜祭でレッド・マーキーに集まったみなさんの集合写真を撮影する時に語ったことだった。

「The Whole Farm’s the stage and all of you are players」

そんな言葉が書かれたポスターが、取材拠点となるプレス・テントを出た広場の壁に飾られていた。これは会場内で古ぼけた活版印刷の機械を使って毎日新聞を発行している地元のスタッフが作った1枚。それにハッとさせられるのだ。ここに書かれているfarmとは会場となっている農場を示す。簡単に訳せば「会場全てが舞台(ステージ)で、あんたたちみんなが演者(プレイヤー)なんだ」となる。

Photo by 阿部光平

フェスティヴァルの魅力…あるいは、そこで生まれるマジックの所以をこれが見事に語りかけているように思えていた。「自然に囲まれた環境がフジロックの魅力ですよ」としたり顔で語る業界人は多い。でも、それは要素のひとつにしか過ぎない。また、「ユニークなラインナップ」も間違ってはいない。が、フジロックというフェスティヴァルの魅力ってなになんだろうと考えた時、グラストンバリーでみつけたあのフレーズがピンとくる。おそらく、苗場にやって来る人たちの想いがなにやら磁場のようなものを生み出し、それがフェスティヴァルを作り出しているんじゃないだろうか。

フジロックに絡んで始まったのが年に3回ほど開催されている苗場のボードウォーク・セッション。全国からその補修をするために集まってくるヴォランティアのみなさんとはすでに顔なじみで、会場で彼らとよく顔を合わせている。今年は行けなかったが、フジロック直前の7月のセッションの時には会場設営が始まっていたはず。ここに舞台設営にPA関連、テント設営からトイレの準備と、多くの人が加わっていく。そして、前夜祭前日まで、汗まみれで働いているのが、ゴンちゃんの制作チームやパレス・オヴ・ワンダーのスタッフ。と思えば、ボードウォークを歩いていると、様々なオブジェを作っているアーティストたちが目に入る。その誰もが笑顔で輝いている。出店しているブースの飾りやデザイン担当から、その裏で働く人たちやフジロックを支えてくれる地元のみなさんの想いをひしひしと感じるのだ。

そこに雪崩れ込んでくるのが、全国どころか全世界から集まってくるオーディエンス。なかには思い思いのコスチュームに身を固めて遊んでいる人や楽器を持ってきて演奏する人もいる。今年はゲリラDJも出没したんだそうな。彼らから放たれるエネルギーがなにかを揺り動かし、それが共鳴しながら拡散、拡大されていく。ステージに立つミュージシャンの演奏がそこに重なって有機反応を引き起こす。それが奇跡的なパフォーマンスの数々を生み出しているようにも思えるのだ。フジロックでのライヴ体験の素晴らしさの背景にはそれがある。DJブースは、もちろん、カフェやバーに食事を提供するストールでも同じこと。見ず知らずの人にだって、当たり前のように話をすることができて、あっという間につながりができる。そんな空気がここに出来上がっている。

そのフジロック、今年は7月19日に始まっていた。前夜祭は7月24日なのになぜ? と思われるかもしれないが、その前の週末に幕を開けたのがフジロックの一部、ピラミッド・ガーデン。会場の端っこにあるここが「Beyond the Festival」と銘打って単独開催されていた。フジロック独特の磁場がゆるやかに、本番に向かって確実に強くなっていたのを、ここに遊びに来た人たちなら、感じることができただろう。

主催していたのは2010年からこのエリアを任されていたキャンドル・ジュン。彼のフェスティヴァルへの想いがこれを動かしていた。それは大将が抱いていた「想い」にも繋がっている。ずいぶん昔のこと、彼が口にしていたのは「1週間ぐらい開催するってのもいいなぁ」というアイデア。ひょっとすると、そのあたりに伏線があったのかもしれない。大将がなによりも求めていたのは、ラインナップに依存することなく、「フジロックだから」こそ戻ってきたいと思わせるフェスティヴァルを作り上げること。そんな想いをピラミッド・ガーデンに詰め込もうとしたのが今回の試みだったのかもしれない。

ここにいるだけで気持ちよかった。ライヴを追いかけてあくせく歩き回ることもない。タイムテーブルはのんびりと余裕を持って作られているし、ライヴが中心でないのは明らかだ。釣り堀で釣った魚を料理して食したり、サウナで汗を流して冷たい水が流れる川に飛び込む。あるいは、ワークショップを覗き込んだり、日陰で昼寝をしたりと、ゆったりとした時間と空間の中に身を置くことだけで気持ちいい。生きていることのしあわせを充分に感じることができるのだ。

加えて、大将がいつも口にしていたのは「地元の人たちと一緒に作る」という意識だった。都会から地方に来た企業が利益を吸い上げ、地元はおこぼれを授かるだけといったイヴェントのあり方を彼は嫌悪していた。ピラミッド・ガーデンに反映されていたのがそれだった。後援は地元の湯沢町で、一役買っていたのが苗場観光協会。実は、この閉幕からフジロック開催までの間に会場を使って開かれたのが、フジロックに大きな貢献をしている地元若者の結婚式だった。これが今後、どういった展開を見せるか未知数だが、フジロックや苗場を愛する人たちにもそういった場として、この時間と空間を提供していきたいとのこと。興味がある方は観光協会へ問い合わせてみたらどうだろう。

大将から「フジロック前に、みんなに伝えておきたいことがある」と連絡があったのはその取材をしていた時だった。それを受けて、東京のスタッフが彼を訪ねている。話題になったのはクロージング・バンド。その言葉からはこのプロジェクトに対する彼の並々ならぬ想いが伝わっていた。今年はそれだけにとどまらず、様々な指示を出している。ネパールのバンドを招聘したり、どん吉パークのDon’s CafeにDJを入れたいという依頼も届いていた。それを受けてフジロッカーズ・バーの常連DJに協力を依頼。「俺もDJするかも」なんて言われて、リクエストのあった昭和歌謡のシングル盤も用意していた。その1枚がクロージングに出演した尾藤イサオの大ヒット曲『悲しき願い』のオリジナル。もちろん、これはここで使っているし、最後のグリーン・ステージでご本人に見せると大喜びしてくれて、なんとサインもいただいている。

Photo by おみそ

Don’s Cafeは大将の盟友、池畑潤二率いる苗場音楽突撃隊がゲリラ的にライヴをする苗場のホーム。昨年はDJゴンちゃん夫妻がDJをしているし、彼のお気に入りバンド、USも演奏している。今年も同じだがホットハウス・フラワーズのリアムがここに加わり、ゴンちゃん夫妻に代わったのがフジロッカーズ・バーや仲間のDJたち。主要ステージでの演奏が終わる頃ともなると、大将を慕う仲間がここに集まってくる。といっても、実は、フジロック開催を前に「身体が持たないかもしれない」という情報もあって、大将の会場入りが危ぶまれていた。が、前夜祭の朝、東京を離れたという連絡が入ってひと安心したものだ。彼を訪ねると、血色もよくて、去年より元気に見えた。体調もよかったんだろう、毎晩、ここに顔を出して仲間と一緒に楽しんでいた。

そして、最終日、いきなり大将から呼び出しだ。DJの仲間とセッティングをしていたどん吉パークからとぼとぼ歩いて本部の隣を訪ねると、「フジロッカーになにかプレゼントしたいんだ」という。「じゃぁ、今年のポスターにサインしてよ」とお願いして、その様子を撮影。それを3枚受け取っている。さて、このプレゼント、どうしようか。大将へのメッセージを書いてもらうのを要件として、応募してくれた人から抽選するのがベストだろうと思う。もちろん、そのメッセージは彼に手渡すことにしよう。詳しくはこちらで確認していただけると幸い。

Photo by おみそ

クロージング・バンドが演奏する前に大将と一緒にグリーン・ステージ脇に移動。初めて顔を合わせる尾藤イサオと彼が談笑している姿がほほえましい。耳をそばだてているとエルヴィス・プレスリーがどうしたこうしたとロック談義が続いているのがわかる。このライヴに出演するみなさんと挨拶を交わしつつ、「お客さん、残ってくれてるかなぁ」と心配顔だった大将。でも、残って楽しんでいる人たちを見ると実に嬉しそうだ。そして、1943年生まれで御年82歳だというのに、とてつもなくソウルフルな尾藤イサオに大喜びしながら、『悲しき願い』を声を出して一緒に歌っているのだ。

「みんな、若いから知らないかもなぁ。でも、これは、俺からみんなへのギフトなんだ」

彼が愛して止まないロックンロールの名曲の数々を、日本の伝説的ロッカーに歌ってもらい、オーティス・レディングの名曲『ドック・オヴ・ザ・ベイ』をリアムにまかせる。そして、チェ・ゲバラと並んで彼のヒーローだというジョン・レノンの『イマジン』を加藤登紀子に託して幕を閉じる。そこには彼の想いがあった。

さて、今年のフジロックはどうだったか? なによりも嬉しかったのは愛知県豊田市で続けられている、おそらく、国内で最も素晴らしいと感じた『祭り』、橋の下世界音楽祭の仲間がフジロックの奥地を復活させたことかもしれない。印象的なステージを苗場に持ち込んで作り上げたのがオレンジ・エコー。これで明らかに観客の流れが変わっていた。彼ら独特の色を持つラインナップも興味津々で、あの世界がまだまだ広がっていくことを予感させる。地元新潟から三国トンネルを越えた群馬あたりの伝統工芸から民謡や芸能までがここに紛れ込んできたら… なんて夢みるのは、それこそ彼らが橋の下でやっていることだから。さて、来年はどうなるだろう。

また、子供の頃から、あるいは、生まれた頃からフジロックと共に育ってきた地元、苗場の若者たちがDJブース、Roots Grooveを動かし始めたのも特筆に値する。かつてワールド・レストランがあったエリアにGonchan Barを誕生させたのもそんなひとり。これで彼らもフジロックを作る一部となった。さて、これから彼らがなにをどうする? ボードウォークでのパーティは、もちろん、まだまだできることはあるはずだ。彼らからどんなアイデアが出してきて、どう発展させていくのか、それが楽しみでならない。

3年を費やして徐々に復活したパレス・オヴ・ワンダーとブルー・ギャラクシーがフジロックには「なくてはならない存在」だということを見事に証明していたのが今年。「ラインナップでしかチケットは売れない」ってのが、業界では常識らしいが、さて、どうなんだろう。圧倒的な人気を持つスターが演奏している時だって、ちっぽけなステージやDJがいるところには人が集まっていた。その全てがフジロックの魅力。だから、ここに来るのだ。

結局、今年も、雑務に追われて、ほとんどライヴを見ることはできなかった。6月にローマにまで出かけていって、魅力を伝えようとしたフェルミン・ムグルサもクリスタル・パレスでチラ見しただけ。楽しみにしていたホワイト・ステージにはたどり着けなかった。春ねむりを見ようとアヴァロンに向かうと、NGOヴィレッジで難民問題をアピールするブースで昔からの友人と遭遇して長話。結局、わずかな時間しかライヴには接することができなかったが、インパクトは強力で濃密だった。ちなみに、かつてワールド・レストランでフィッシュ&チップスを売っていたのが遭遇したイギリス人。映画にもなったワイト島ミュージック・フェスティヴァルを10代の頃に体験していて、東京でやったフジロッカーズ・バーに来てもらって当時の体験談を聞かせてもらったことがある。

多くの人がそうだったように山下達郎のライヴはなんとしても見たかった。が、あまりの人の多さに恐怖を感じてステージが見えるところまで出かけてはいない。簡単には帰ってこられないと思って、フジロック・エキスプレスの本部裏で音を聞いてたにすぎない。

「仕事がどうなるかわからないんですけど、見に行きたいですよ。竹内まりやが出てきたら… もう、奇跡ですもの」

と、語っていたのは苗場プリンスで働いているスタッフの方。さて、彼はその奇跡を体験できただろうか。あの時の騒ぎや興奮は本部裏にも伝わっていた。実際に見に行った仲間からは、目の前で泣きそうになっていたのは日本人じゃなくて、アジアのどこかから来た人だったとか、海外からのお客さんがやたら多かったなんて話しも伝わっている。

山下達郎の方針としてライヴは放送させないんだとか。でも、それでいい。スクリーンを通じて伝わるのはその一部。Be there or be squareとはよく言ったもので、そこにいなけりゃわからない。うだるような暑さに襲われていたあの日、ひどい雨にやられてしばらくの後に始まったあの時の空気や臭い… そのなかで待ちわびた人たちが最初の音を聞いた時の興奮がどれほどのものだったか。ステージから放たれる音楽が空気を揺らして、それを全身で浴びる感覚はお茶の間ではわからない。さらに、フジロックそのものの魅力は伝わりようがないだろう。

あのステージに近づけなかったおかげで、苗場食堂で目撃することになったのがクリス・ペプラーのバンドだった。

「J-Waveで番組をやっているんですけど、そこで言ってたんですよね。今年のフジロックの一押しは、間違いなく山下達郎だよねって。そしたら、真裏で演奏ですからね」

と苦笑いしながら続けたライヴ。素晴らしかった。スライ&ザ・ファミリーストーンの『Thank you』をカバーしたのは、スライ・ストーンへのトリビュートなんだろう。そこにはブラック・サバスのフレーズも飛び出していた。言うまでもなくオジー・オズボーンへの感謝の気持。めちゃくちゃ嬉しかった。

始まるまではずいぶん長い時間を待たされるように感じるけど、動き出すと一瞬のうちに終わってしまうのがフェスティヴァル。どこかでメンバーには出会えてもライヴを見ることができなかった友人のバンドは数え切れない。出店している仲間たちにもわずかに挨拶できたに過ぎない。会場内外を歩きながら、できるだけ多くの仲間たちと言葉を交わそうと思うけど、なかなかうまくはいかない。そして、気が付くと最終日。いつものように夜明けを迎えるパレス・オヴ・ワンダーあたりに顔を出すのだ。そこで体験できるのが至福の時。会場から流れ出てくる人たちの表情が素晴らしい。若干の疲れを見せながらも、誰もがニコニコ、ニヤニヤと笑顔を見せている。それだけで「楽しかったよ」と語りかけてくれているように見える。名残惜しそうな表情を浮かべながら、たむろしている人も多い。クリスタル・パレスから音が消えて、バーのテントも最後の曲を流している。ザ・ハイロウズの『日曜日よりの使者』。それを大声で歌っている人たちに感動しながら、撤収作業に向かう。ありがとう。今年もフジロックに来てくれて。きっと、来年も、また会えるよね? 心の中で彼らにそう語りかけながら、今年の幕が下りていった。

さて、自分が体験できたフジロックはほんのわずかな部分でしかない。でも、全国から駆けつけてくれたボランティア・スタッフが、馬車馬のように働きながら続けてくれたこのがフジロック・エキスプレス。ここにもっともっとたくさんの「しあわせ」の瞬間 が刻まれているはず。これを書き上げて一段落したら、また、ジックリと拝見しようと思う。ありがとう。みなさんは、私の宝物です。

なお、今年動いてくれたのは以下のスタッフとなります。

■日本語版
HARA MASAMI(HAMA)、安江正実、堅田ひとみ、リン(YLC Photography)、森リョータ、みやちとーる、古川喜隆、おみそ、平川啓子、佐藤哲郎、©2025MITCH IKEDA、前田俊太郎、井上勝也、suguta、粂井健太、エモトココロ、Miyaryo
東いずみ、渡辺紗礼、YAMAZAKI YUIKA、越川由夏、浅野凜太郎、こっこ、Izumi、Eriko Kondo、阿部光平、丸山亮平、梶原綾乃、阿部仁知、イケダノブユキ、三浦孝文、石角友香、あたそ、西野タイキ

■E-Team
Jonathan Ruggles、Sean Scanlan

■フジロッカーズラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

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今年も激写、水中ゴンちゃん https://fujirockexpress.net/25/p_8918.html Thu, 31 Jul 2025 13:52:27 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=8918 水中のゴンちゃんの表情に目が行きがちですが、陸上の景色とのコントラストも楽しんでほしい。水面が激しく動く中、どちらもがベストな瞬間を求めて1236枚シャッターを押したうちの3枚なのです。ゴンちゃんは動かずとも、川の流れはコンマ1秒の世界。

今年は橋にかかったタルチョーと呼ばれる祈願旗もあざやかですね。

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最終日朝5時間際ゲート前 https://fujirockexpress.net/25/p_8017.html Wed, 30 Jul 2025 09:49:04 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=8017 終演後の場内清掃によって集められたと思われる置き去り椅子が無数にあった。
自分のケツは自分で拭けって昔の人はドンピシャな言葉を発してくれたものです。
 

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火イィ! https://fujirockexpress.net/25/p_7998.html Wed, 30 Jul 2025 09:46:41 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=7998 ホワイトステージからレッドマーキーに移動しようと通過したところ天国からThe Birthdayの涙がこぼれそうが聞こえてきたのでついつい奥まで足を運ぶと、そこでは芸人まことさんのファイヤーショーがはじまるところでした。

苗場開催1年目から参加していて日高大将とも強い繋がりを持つ芸人まことさんは、ミッシェル最後のフジロックでのライブのアンコール後にグリーンステージでパフォーマンスしたという激アツな逸話を持つお方。

火のついたたいまつを回したり足の下に通したり背中に滑らせたり…大技をするたびに「フー!とか、おおー!とかもっとちょうだい!」と盛り上げてくれるのですが、こちとらあまりに恐ろしくてどちらかと言うと「ヒイィ!!!(ゴクリ…)」と言う感じでごめんなさい。

今年も会場の至る所で私たちを楽しませてくれた大道芸人さんたちに拍手!

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拝啓、ハイネケン様 https://fujirockexpress.net/25/p_8024.html Wed, 30 Jul 2025 09:31:33 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=8024 さて、この度フジロックエキスプレスは貴酒についてある調査をしてまいりましたのでここで結果を報告させていただきます。
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暑いとビールがうまい。
とは言え飲みすぎが致命傷になりそうな猛暑。暑すぎて逆に酒が進まない…とか言いつつフジロックに行ったらハイネケンを飲まないとはじまらない。なんだかんだで今年も大変お世話になったのは言うまでもありません。
 
巷からは、ハイネケンは薄い!クラフトビールにかぎるぜ!とか、800円って値上がりしすぎ!とかネガティブな声も聞こえてくるけど、他のフェスやイベントで泡だらけのビールを受け取り腰から崩れ落ちる経験を何度もしている筆者は常々フジロックで提供されるハイネケンのクオリティにありがたさを感じているのです。
 
そんなわけで昨年もXで行ったハイネケン重量調査を今年も決行。対象はオフィシャルブースのみです。先に言っておくと、大体440~470gくらいが基準値くらいで30gの差は体感ではわかりにくい程度。全体的に安定した結果となりました。やっぱりおれたちのハイネケンだもの。
 
※計測値はカップの重さ9gを含みます
 
イエロークリフ
2024年 419g
2025年 473g
 
大きく躍進したイエローハイネケン。昨年はオープンしてすぐだったため、店員さんもまだ腕が温まっていなかったのではと推測。そこからの2025年は堂々のトップスコアです。おかげで入場してすぐにタプタプハイネケンを飲めるということが証明されましたね。ナイスハイネケン!
 
オアシス
2024年 449g
2025年 470g
 
oasisハイネケンはいつだってwonderハイネケンなんだ。メイン飲食エリアにあるここは誰もが一度はお世話になったことがあるでしょう。スコアも安定しているので、フジロックのハイネケンが何たるかを体験するにはまずオアシスに行くのをオススメします。
 
グリーンステージ
2024年 489g
2025年 444g
 
ライブを見ながら買うことができるためいつも賑わっているグリーンハイネケン。手渡されるやいなや口からカップを迎えに行っている人、ここで一番見る気がします。昨年は最高値を出しており、アメイジングタプタプハイネケンに出会いたいならここに賭けてみてもいいかもしれません。ちなみに計測しているのは右側ホワイトステージ寄りのブース。来年は逆側も調査してみるとします。
 
ホワイトステージ
2024年 452g
2025年 1回目285g→2回目450g
 
2年の調査を通して、唯一悲しいハイネケンを引き当ててしまったのがここでした。ライブが始まってすぐくらいの忙しい時間帯だったからなのか…ときにはこんなこともあるのか…、調査のためと思って指摘するのはグッとこらえたけど、手渡す瞬間に気づいて入れ直してほしいなーと思うのが本音。そのままだとハイネケンを信じられなくなってしまいそうだったので、翌朝に再計測すると450gという記録で安堵しました。ホワイトハイネケンさん、もう不安にさせないで!

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それでは来年もおいしいビールのご提供を、何卒よろしくお願いいたします。敬具

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君たちは法螺貝について語り足りているか https://fujirockexpress.net/25/p_8009.html Wed, 30 Jul 2025 09:25:10 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=8009 今年はグリーンステージのヘッドライナー後に久しぶりのクロージングアクトがありました。1950’s Western Caravan Orchestra素敵でしたね。尾藤イサオさんの声量しびれましたよね。日高大将もステージ袖で眺めて楽しんでいたそう。

そしていつも通り集合写真をとってPOWER TO THE PEOPLEでみんなで踊って大団円。

だと思ってたよね。
あのときまで。
想像もしなかったよね。
法螺貝。
え、ホラ貝。

最前列で気持ちを整えて、厳かな気持ちで見ていたつもりだったんだ。
けど、終わりが見えない体感5分の法螺貝&ジワジワ加わるコーラス。終盤ついに隣の人が笑い出しちゃって、ええ、我慢できませんでした。

真剣に聞きはじめ、だんだんざわつき、しまいには笑っちゃった。もしくは笑っていいのか分からずに必死で耐えた。これが民衆の声でした。

法螺貝経験値が浅いばっかりにお恥ずかしい限りです。
来年は法螺貝と堂々と向き合うための鍛錬を重ねて臨みたいと思います。またやってください。

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休みは必要だ https://fujirockexpress.net/25/p_8018.html Wed, 30 Jul 2025 09:23:32 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=8018 山の天気は本当にきつい。
昨今はとにかく炎天下の日差しがつらいと思うようになった。
朝から1時間も活動すればもうヘロヘロだ。
過酷すぎてもう帰りたい…と半泣きになっていると、少し太陽が陰りはじめて過ごしやすくなってきた。
と思ったら豪雨になった。本当にもう帰りたい。
 
こんな感じで体力はもちろんだが、並のメンタルでは生き抜けなくなってきたフジロック。
やすみたい…心の底から…と思ったところジプシーアヴァロンからグリーンステージ方面に向かう森のエリアに見つけたのが「休み処」。
すでに他のスタッフもたくさんこの店の記事を書いているあたり、みんな吸い込まれていったんだろうなと推測する。
 
森の中にあらわれる古都のお茶屋のような赤い傘と木のベンチ。
ホワイトステージの音漏れを聞きながら、ししおどしが落ちるのをぼーっと待つ。
バタバタでいつも買って帰れない笹団子の甘さが染みる。あんこは粒にかぎる。
そして今年一番使い古されたワード、抹茶バイブスもここにある。
 
効果てきめんだった休憩。
来年も絶対あってほしい。切に願います。

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灼熱の下、自分と対話する10分間 https://fujirockexpress.net/25/p_8011.html Wed, 30 Jul 2025 09:20:59 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=8011 オレンジエコー向かい奥のほうに設置されていた巨大ブックのストーリー、読みましたか?
へー、こんなの出来たんだーと気軽な気持ちで読み始めると、意外なほど重厚なストーリーにくらってしまう。
そして、読み始めたからには逃げるわけにはいかない…と、己との闘いがはじまるのだ。
 
ストーリーについて簡単にまとめると、
主人公はある男の子のおもちゃ箱のone of themだったビロード生地のうさぎのぬいぐるみ。おもちゃ仲間と交流する中で「ほんもの」とは何かと自分と向き合い、いずれ男の子の一番のお気に入りになりどのおもちゃよりも可愛がられるようになる。そんな幸せな生活の中で本物のウサギに出会って面喰らったビロードウサギはまた自分を追い求めそして結末は…みたいな感じ。
 
灼熱。炎天下。ほんものとは。
なによりもぶっ飛べる10分間がここにあった。

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ディスイズぬか喜び https://fujirockexpress.net/25/p_7980.html Wed, 30 Jul 2025 09:13:10 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=7980 楽天モバイルの基地局ができると聞いて大喜びしていた楽天ユーザーですが、結局ちゃんと使えていた時が数秒でもあったかしら…というレベルでした。私だけ?
結局はPOVOに頼りっぱなしに。

余談ですが、ROYEL OTISのRがとてもそれっぽい。

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最終日12時、ヘビーなゴンちゃんお迎えした人たち https://fujirockexpress.net/25/p_7962.html Wed, 30 Jul 2025 09:10:45 +0000 https://fujirockexpress.net/25/?p=7962 フジロックのアイドル。川に生息するゴンちゃんは、最終日の午後からおうちにお連れしていいと言われています。11時45分にところ天国に辿り着くと、お目当てのゴンちゃんのそばでそわそわする人がたくさんいました。

今年は手のひらサイズのかわいいゴンちゃんもたくさん生まれたらしいのですが、その子たちがもう見当たらないというのはご察しの事実。今ここにいる人はそれでもこの時間まで待って頑張ってヘビーなゴンちゃんをお連れしようとしているということで、そんな彼らを全力で支持します。

推定10kgはありそうなゴンちゃんをお連れしていた写真1枚目のパパさんは、お子さまからどうしてもピンクのゴンちゃんがいい!とリクエストされたため必死でこの子を運んだとのこと。写真がへたくそで伝わりにくいけどバスケットボール超はあると思う。お子さまもさぞ喜んでくれることでしょう。

筆者も推定4kgのピンクちゃんをお迎えするのに成功!狭い部屋のどこに置くのかは日常復帰リハビリ期間が終わったころに落ち着いて考えるので、しばらくはベランダで待機しててください。

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