“森リョータ” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '18 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/18 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Wed, 17 Jul 2019 08:24:01 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.8 雨ニモマケズ、風ニモマケズ、灼熱の太陽ニモマケズ…  http://fujirockexpress.net/18/p_10468 Tue, 07 Aug 2018 03:00:19 +0000 http://fujirockexpress.net/18/?p=10468 「おかえり!」と声をかけると「ただいま!」と戻ってくる。今では恒例となった、前夜祭はレッド・マーキーで行われるオーディエンスの記念撮影。満面に笑みを浮かべたフジロッカーズが堰を切ったように、ステージ前に雪崩れ込んでくると、それを粋な選曲で受け入れてくれるのがDJ Mamezukaだ。そして、その光景をステージから楽しそうに撮影しているのがスタッフの面々。オーディエンス同様にスタッフもこの瞬間を待ちわびていたのがよくわかる。彼らの顔も嬉しそうだ。

 今年は「おかえり!」に続いて、「ニイハオ」、「アンニョンハセヨ」、「オラ」「ハロー」「アロ」…と、たまたま覚えていた中国語や韓国語にスペイン語なんぞも交えて呼びかけてみた。言うまでもないだろう、ここ数年、飛躍的に増えているのが、遠路はるばる海外からやって来る人々。正確な数はわからないが、一説には、台湾からは500人近い人々が来ているんだそうな。しかも、多くが「ラインナップ」に引き寄せられたのではなく、フジロック・フェスティヴァルそのものに魅せられているという。それを証明してくれたのが6月に台湾で開催されたフジロッカーズ・バー、フジロックを愛する人たちが集まるパーティだった。

「フジロックが体現しているものを形にしたかった」

 と、これを企画してくれたのは、過去10年ほど、毎回家族でフジロックにやって来る人物だ。台北の華山1914と呼ばれる公園の一角にDJ用のテントを設置。そこから数々のDJが音楽を流し、時には生演奏も楽しむことができる2日間のイヴェントだった。踊っている人もいれば、芝生の上でのんびりと時を過ごす人もいる。大切なのは人々が繋がり、互いをリスペクトしながら、時間と空間を共有すること。フジロックをキーワードに、そんな動きが海外でも生まれていることがどれほど嬉しかったか。

 また、2001年の出演から17年を経て、苗場に戻ってきたアイルランドのバンド、ホットハウス・フラワーズのメンバーとの会話でも同じようなことを感じることになる。

「クリーンなフェスといっても、ルールやマナーを守らなければいけないってことより、互いが互いをリスペクトして、気遣う姿勢がそんな結果に結びついてんじゃないかな。それがすごいと思うんだ」

 そう話してくれたものだ。山に囲まれ、川が流れるという自然の素晴らしさが、そうさせるのかもしれない。また、長年にわたって環境問題やリサイクルを訴え続けるiPledgeや主催者、fujirockers.orgによるキャンペーンも後押しているんだろう。が、なによりも会場の主役となる観客が動かなければ、それが形になることはない。その結果が「世界で最もクリーン・フェスティヴァル」というイメージに結びついているのだ。

 もちろん、すべてがバラ色なわけはない。昨年のエキスプレスではこのゴミの問題を取り上げなければならなかったし、今年はスリや置き引きといった都会の犯罪が流れ込んでいるという話しも伝わっていた。それでも大きな事故や事件も起きることなく今年のフェスティヴァルが幕を閉じたのは奇跡ではなかっただろうか。

 特に気がかりだったのは台風だった。全国を灼熱の太陽が照りつけ、史上最高気温を記録していた開催前、接近中の台風が下手をすると苗場を直撃するのではないかという憶測も流れていた。1997年の第一回からフジロックに関わっている仲間が想起していたのはあの時の惨状だ。どれほどの人が覚えているかわからないが、あの時、台風が上陸したのは遙か西だったと記憶している。が、それでも本部からステージの上までもが野戦病院のようになっていた。そんな経験を踏まえて、フェイスブックといったSNSを通じて、充分な装備を訴え、開催期間中も台風情報を発信しながら、注意を呼びかけていたのだが、それがどこまで届いただろうか。

 雨がひどくなり始めた土曜夜から、スタッフが更新作業を進める本部テントも強風と雨の影響を受け始めていた。キャンプ場でテントを張っている人たちは大丈夫だろうか? この風雨に耐えられる丈夫なテント、ペグを使っているだろうか… 予定されていた取材が大切なのは言うまでもない。が、あの時、僕らはもっと臨機応変に対応しなければいけなかったのではないだろうか。おそらく、フェスティヴァル慣れしている多くの人々が準備万端で挑んでいたからだろう、21年前の悲劇は繰り返されることはなかった。が、それでもキャンプ場の3割ほどのテントが全半壊し、急遽用意されたプリンス・ホテルの一角に避難したのは約250人。もっと彼らに寄り添うべきではなかったのか… もっともっと必要とされている情報を発信すべきではなかったか? 反省すべきことは、今年もいっぱいあったように思う。

 それでも振り返ると、楽しいことばかりが思い出される。エキスプレスに登場したオーディエンスのひとりが口にしていたように、すでに「ホーム」のようになったのがフジロック。ここに来れば、必ず会うことができる仲間もいれば、何年ぶりかに懐かしい顔をみつけて昔話に花を咲かせることもある。子供を連れて遊びに来ている昔のスタッフや友人もいたし、ずいぶん昔、子供に連れられてここにやって来たおかぁさんとも再会。「夢は3世代でここに来ること」という、彼女の夢が現実になるのは、そう遠くはないだろう。

 ラインナップがどうのこうの… 文句を言うのも、おそらく、楽しみのひとつで、毎年のこと。でも、通りすがりに目にしたアーティストの演奏に聞き惚れたってことも少なくはなかっただろう。有名無名を問わず、ジャンルなんぞ「どこ吹く風」で世界中からミュージシャンからオーディエンスが集まってくるフジロックは、苗場での20回目で成人期に突入したのかもしれないとも思う。

「大きく育った木を根っこから掘り起こして、植え替えても根は張らないよ」

 その昔、フジロックが始まった頃、グラストンバリー・フェスティヴァルの主催者、マイケル・イーヴィス氏にそれを伝えると、そんな言葉をかけられたのを思い出す。おそらく、それは彼からフジロックへのアドバイスだったんだろう。今のフジロックを彼に体験させてみたいものだ。フジロックは苗場にしっかりと根を下ろし、根を張り、確実に成長を続けているのがわかるはずだ。それは年々と整備充実されている施設や、今回の台風への主催者の対応を見れば、一目瞭然だろう。

 1970年に始まったあのフェスティヴァルも、もう少しで50周年。面白いのは… 10数年前だったか、彼の大好きなヴァン・モリソンが上機嫌で演奏した後、「喜んでくれたよ、ステージで笑ってたからね」と話してくれたんだが、実は、同じようなことが今年のフジロックでも起きていた。「ボブ・ディランやドノヴァンが歌っていることへのロマンティックなアプローチ」がグラストを始めるきっかけと、彼が語っていたんだが、そのディランがステージを終えて、にっこりと笑って幸せそうに会場を離れたんだそうな。日頃は、にこりともしないらしいんだが、この日は上機嫌だったと、あの時、ステージにいたスタッフから聞いている。

 さて、雨ニモマケズ、風ニモマケズ、灼熱の太陽ニモマケズ、今年のフジロックを体験されたみなさん、いかがでしたか? 実際には足を運ぶことができず、自宅でモニタを見ていた方、あるいは、初めて実現したYouTubeのストリーミングでライヴを見ていたみなさんもいたかと思います。でも、この現場にあるのは、モニタからはけっして伝わらない「幸せ」。それを体験しにやって来ませんか?一度はまると抜けられませんよ。

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 苗場で20回目という節目もあって、今年は幾度もスタッフが苗場入りして、数多くのレポートを、このエキスプレスの根っこである、fujirockers.orgにアップしてきました。フジロックという「祭り」の魅力は、そこでもみつかると思います。お時間があれば、そちらもぜひチェックしていただければと思います。また、例年、主要部隊が会場入りするのは、開催前の火曜日ですが、今年はその遙か前から、準備期間を含めて取材活動をしてくれたスタッフもいました。ありがとう。あの灼熱と雨と嵐の中、熱中症と向き合いながら、一方で、ずぶ濡れになりながら、会場の内外を走り回ってレポートを続けてくれたのは以下のスタッフとなります。まだまだ未熟でいたらない点があることは否定できませんが、彼らを叱咤激励していただければ幸いです。記述に情報等の間違いがあれば、それを修正し、ご報告いたします。ただ、彼らが残した記録はアーカイヴとして、これからもずっと残していきます。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/18/)
写真家:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、安江正実、アリモトシンヤ、粂井健太、岡部智子、MITCH IKEDA、MASAHIRO SAITO、木場ヨシヒト、Yumiya Saiki、高津大地、Yusuke Baba(Beyond the Lenz)、白井絢香、HARA MASAMI、陳彦伶、上村理穂、つちもり

ライター:阿部光平、あたそ、石角友香、イケダノブユキ、梶原綾乃、長谷川円香、三浦孝文、若林修平、卜部里枝、近藤英梨子、平井ナタリア恵美(Paula)、増田ダイスケ、松原充生子、Masaya Morita、Masako Yoshioka

■英語版(http://fujirockexpress.net/18e/)
Laura Cooper, Sean Scanlan, Patrick St. Michel, Park Baker, Jonathan Cooper, Dave Frazier, James Mallion

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、関根教史、小幡朋子、町田涼、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、酒田富紗葉(デザイン)、坂上大介、迫勇一

スペシャルサンクス:本梅あさみ、坂本泉、土橋崇志、本人(@biftech)、熊沢泉、藤井大輔、Taio Konishi、三ツ石哲也、丸山亮平

プロデューサー:花房浩一

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ユニコーン http://fujirockexpress.net/18/p_1618 Tue, 31 Jul 2018 07:15:05 +0000 http://fujirockexpress.net/18/?p=1618 昨年デビュー30周年を迎えたユニコーンが、初のフジロックのステージ立つ。奥田民生ソロとしては数回参戦しているので、不思議と初めてな感じはしないが、そんなことは割とどうでもいい。いつものスタンスで楽しもう。──なんて思えたりするのは、対象が”ユニコーン”だからだと思う。

ホワイト・ステージには、本当に多くのユニコーンファンが詰め掛けていた。目についたのは、そこに集まっていた人の年齢層の広さ。小学生ぐらいの子供連れの家族から、学生と思しき若いフジロッカーまで。見事なまでに活動30年(実際は16年)を網羅していると言ってもおかしくない層の広さを示していた。

ユニコーンのダイナミズムな引き出しを開けた”Feel So Moon”から始まったライブは、「こんにちは、ユニコーンです。はじめまして。去年デビューしました(笑)」なんて民生らしいすっとぼけMCを挟んで、”スターな男”、”おかしな2人”、”ペケペケ”と初期ユニコーンな曲を連発。すると、中盤は一転して活動再開後の曲からの選曲。”WAO!”、”デジタルスープ”、”TEPPEN KING”、”Boys & Girls”と現在のユニコーンがふんだんに感じられる曲が続いた。と、この時点でもかなりホワイト・ステージの盛り上がりは大きかったのだが、このライブ一番の盛り上がりを見せたのはやはりあの曲、”大迷惑”だった。「大迷惑っ!」とどの世代からも合唱が起きていたのは、この曲が今も変わらず愛され続けている証拠だろう。ラストは、民生とABEDONが初めてツイン・ヴォーカルをとったネクストフェーズな新曲”OH! MY RADIO”で幕を閉じた。

ひたすら濃密だったデビューからの6年と、調和と自由の活動再開後10年。音源やMV(当時PV)を見ていると、まるで全く違うバンドのようにも見えるが、こうしてライヴを目の当たりにして、改めて彼らの曲の普遍性を感じた。

<セットリスト>
Feel So Moon
スターな男
おかしな2人
ペケペケ
WAO!
デジタルスープ
TEPPEN KING
Boys & Girls
大迷惑
OH! MY RADIO

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底なしのバケツのようにざらざら http://fujirockexpress.net/18/p_1731 Sat, 28 Jul 2018 08:39:02 +0000 http://fujirockexpress.net/18/?p=1731 paionia http://fujirockexpress.net/18/p_1732 Sat, 28 Jul 2018 08:11:26 +0000 http://fujirockexpress.net/18/?p=1732 サカナクション http://fujirockexpress.net/18/p_1591 Fri, 27 Jul 2018 23:44:02 +0000 http://fujirockexpress.net/18/?p=1591 台風の心配をもあったが、なんとか今まで天気は保っている。きれいな夕焼けが空にあふれて、少し肌寒くなってきた。さて、サカナクションといえば、音響はもちろん照明にもこだわったステージづくりが特徴だ。この夕焼けを見る限り、このあとの時間は、彼らにもっとも向いている時間なのではないかと思う。周囲を見渡すと、セットリスト予想をしたり、はしゃぐ若いフジロッカーがいっぱい。彼らにとって6年ぶり2度目のステージ、それも今回はグリーンステージだ。この6年でフジロックの客層、彼らの客層も変化・循環しているのを感じる。

時間になり、ステージのモニターに映し出されたのは、波打つ海、どこか都市の日常風景、ノイズなどが混ざりあった映像。黒のバックに「sakanaction」という文字が映され、1曲目は“朝の歌”でスタート。その後、ゆっくりとサウンドが頭角を見せ始めたと思えば“mellow”、真っ赤なライトにスモークが焚かれたなかでの“enough”など、緩急はあるものの比較的落ち着いたナンバーが続く。沈みゆく夕日に透けるしっとりとした山口一郎(vo.gt)の歌声は、ほかのフェスではみれない、フジロックならではの特権なのではないだろうか?

そして“さよならはエモーション”を皮切りに、“ネイティブダンサー”から、グリーンステージがダンスフロアへと染まっていく。緑のレーザーが放たれ、ボルテージの上がったオーディエンスから喜びの声がわっと湧く。Bメロでのクラップが起こり、サビへと突入するとハイブリットかつポップな音像へと進化しており、驚いた。そのまま音を止めずに“ライトダンス”、“夜の踊り子”と続く。サビには「夜の踊り子」という文字と、踊り子による舞踊をマッシュアップしたVJがテンポよく流れ、オーディエンスによる大合唱も。まだまだこれから、と言わんばかりに“アイデンティティ“、そしてそのまま「見えない夜の月の代わりに引っ張ってきた青い君」コーラスが挟まれ、あっという間に“ルーキー”に着地!再び放たれたレーザー光線が、PAを突き抜け、ステージ正面の木々に吸い込まれていく。岩寺基晴(gt)と草刈愛美(bs)がフロアタムを叩き、さらに“ミュージック”では白いサングラス+ヘッドホン装着で一列に並ぶ、クラフトワークスタイルの進化形もあった。

しなやかな曲転換、数年にわたって少しずつ積み上げられていった曲のアレンジ。スタイリッシュな衣装・映像・演出。木が年輪を重ねていくかのように、サカナクションもより成熟し、どデカイロックバンドとなってフジロックへ帰ってきたのだった。そして、インタビューで「フジロックのセットリストは、いわばコース料理」と話していたように、他のフェスにはない前菜に挑戦したステージだったと思う。他のフェスで彼らを見てきたファンにとっても、今日の彼らは印象に残ったはずだ。

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