“石角友香” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '19 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/19 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Mon, 02 Sep 2019 02:34:33 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.10 過去最悪のどしゃ降りという試練を乗り越え、まるでなにもなかったかのように弾けていたフジロッカーに乾杯。間違いなく、これまでで最も素晴らしかったと絶賛のフジロックを作ったのはあなたたちです http://fujirockexpress.net/19/p_8672 Thu, 01 Aug 2019 01:33:33 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=8672  台風に襲われて、修羅場のようになった1997年のフジロックを、まさか2年連続で思い起こすことになろうとは、想像だにしなかった。例年なら、梅雨も明けてからっとした空気に包まれるのが開幕の頃。現地入りした火曜日も、ほとんど雨の気配は感じられなかったし、そろそろ梅雨明けと思っていた。実際、その頃の予想では、フジロック開催時の週末はわずかな雨を伴うが、おおむね好天だろうと囁かれていたものだ。が、台風発生のニュースが飛び込んでくる。当然のように、脳裏に浮かんだのは昨年の惨状。風で吹き飛ばされたテントの数々や横殴りの雨…。 コンピュータ機器が重要な役割を果たす、我々の作業場となっているテントも補強しなければいけないし、キャンパー達にはテントの再点検も呼びかけなければいけない。そんなことを頭の片隅に感じながら幕開けした前夜祭で、DJ Mamezukaのターンテーブルから飛び出してきたのは、1997年、台風に見舞われたフジロックで強烈なインパクトを残した電気グルーヴの“富士山”だった。

 わざわざその意味を説明する必要もないだろう、全身全霊でこれを受け止めていたオーディエンスがそれを雄弁に物語っている。とりわけ、今年は特別なんだろうが、例年、ここで目の当たりにするのが弾けんばかりの笑顔の数々。間違いなく、これこそがこの会場で働くスタッフの宝物だ。だからこそ、それを目にしようと多くの関係者がこのステージ脇に集まってくる。今回は、総合プロデューサーの大将こと、日高正博氏もここで、ニコニコしながら、オーディエンスを見守っていた。そんな彼らの表情を記念写真という形で記録し始めてすでに10余年。それをポストカードという形で販売し始めたのが数年前と思うんだが、今年からは無料で配布することにした。どれほどの人がそれを手にしてくれたのか定かではないが、ささやかなお土産として受け取っていただければ幸いだ。

 限られた時間しかないステージで多くを語るのは難しい。が、今年なによりも伝えたかったのは14年ぶりに苗場に戻ってきたイタリアのバンド、バンダ・バソッティが、世界で初めて“フジロック”というタイトルで発表した歌のことだった。

「ようこそ、フジロックへ。君たちが目の当たりにしているのは紛れもない現実で、ここにいるのは戦争とは無縁の人たち。僕らは一人ぼっちじゃない。残酷な世界は僕らを潰しにかかるだろう。でも、誰にも僕らを止めることはできない…」

 すでに今年のフジロックへの出演が決まっていた昨年暮れ、この歌を書いてくれたバンドの要のひとり、ギター&ヴォーカルのアンジェロ”シガロ”コンティが他界。どこかで彼がフジロックを愛する人たちに残してくれた遺産にも思えるのがこの歌だ。「Welcom To Fuji Rock」という英語のフレーズが出てくるが、歌詞のオリジナルはイタリア語。今回、こちらのリクエストに応える形で、バンド側が「フジロッカーズ限定盤」としてプレスしてくれたイタリア盤シングルの日本での販売に向けて出来上がった歌詞対訳を見ると、彼がフジロックに、そして、その向こうに何を見ていたのかがくっきりと浮き上がる。

 その歌で「まるで流れる川」のように山に戻ってくると描かれている人々にここ数年著しく増えたのが、様々な人種や国籍。フジロック好きが集まってくる飲み会のようなフジロッカーズ・バーが台湾でも開催されているのは昨年お伝えした通りで、フジロッカーズ・ラウンジのそばにあるグラフィティ・ボードには香港関係の書き込みも多かった。また、お隣の韓国から東南アジアの国々にオーストラリア…と、会場では様々な国の言葉が飛び交っていた。彼らがコミュニケーションに戸惑うことはないんだろうかという危惧をよそに、僕らの共通言語、音楽がそれを全てカバーしてくれているようにも感じたものだ。

 耳にしたくなくてもメディアで伝えられるぎくしゃくした国際情勢がここでは嘘のように思えていた。世界中で分断を謳う偏狭なナショナリズムや人種差別の嵐が吹き荒れているというのに、ここで目撃したのはそれとは真逆の世界。誰もが互いを個人として尊重し、いたわり、繋がろうとする。その結果、単純な言葉では描ききれない平和がもたらされていた。この平和を愛し、形にすること、あるいは平和について語ることって政治的? 人種差別に反対し、繋がることが政治的なら、もっと政治的になってもいいじゃないかとも思う。ここ数年、きわめてちっぽけな世界で囁かれている「音楽(あるいは、フジロック)に政治を持ち込むな」という発想がどれほどの矛盾を抱えているか、言うまでもないだろう。音楽であれ、アートであれ、自由。それを規制をしようとすることがどれほど政治的なのかを理解できないとしたら、あまりに貧しい知性の持ち主でしかないだろう。

 誰もが政治や経済、社会とは切っても切れない存在としてこの世界を生きている。だからこそ、背を向けるのではなく、向き合うことが必要とされるのだ。そうすることで自らの未来を描くことができる。「The Future Is Unwritten」と語ったジョー・ストラマーが、その言葉の向こうに込めたのがそれなんだろう。音楽やアートはそういったことを気づかせてくれる貴重な宝物であり、そんな宝物で溢れているのがフジロック・フェスティヴァルなのだ。

 実を言えば、今年NGOヴィレッジに生まれた「うちなーヴィレッジ」の発端も音楽だった。きっかけは10年ほど前に辺野古への新たな米軍基地建設計画を巡って、沖縄で繰り広げられていたピース・ミュージック・フェスタの仲間たち。「フジロックは沖縄に関して何もやってくれないの」というつぶやきをきっかけに昨年からなにかが動き始めていた。それを快く受け入れてくれたのが、フジロックのルーツと言ってもいいだろう、アトミック・カフェ・フェスティヴァルのスタッフ達。それが沖縄県知事を担ぎ出す流れを生んでいる。

 が、そんなことよりなにより、今年を振り返った時、真っ先に語られるのはどしゃ降りの雨だろう。過去10年連続で台湾からフジロックに通っている友人が「10年で最悪の雨」と語っていたんだが、それどころか、1997年の第1回目から振り返っても、これほどひどい雨はなかった。特に土曜日の午後から日曜日早朝にかけて、まるでバケツをひっくり返したような雨がひっきりなしに降っている。ときおり雨脚が緩やかになって「ひょっとして止んでくれるかも…」とかすかに期待するのだが、それをあざ笑うかのように、さらに激しい雨が、これでもかと言わんばかりに我々を殴りつけていた。

 そんななかを走り回って取材を続けていたスタッフからも「カメラ、死んじゃいました」とか、「テント水没です」なんて話が飛び込んでくる。その一方、どしゃ降りの下、大騒ぎでライヴを楽しんでいるオーディエンスがいた。この日のヘッドライナー、SIAが姿を見せたグリーンステージや他界したアート・ネヴィルのことを思い出さざるを得なかっただろう、フィールドオヴヘヴンのジョージ・ポーター・ジュニア・アンド・フレンズからエゴ・ラッピン…。どれほど防水加工されたコートやジャケットにポンチョだろうが、太刀打ちできないほどの雨だというのに、それを跳ね返すほどの熱気が生まれていた。それは比較的小さなステージでも同じこと。苗場食堂では目の前にいるはずの観客が見えないほどに激しい雨が降っていたと教えてくれたのがコージー大内。また、ピラミッド・ガーデンでは滝のような雨を浴びながら、リアム・オ・メンリィがプリンスをカバーした「パープル・レイン」に感動していた仲間がいた。おそらく、生きているうちに幾度も体験できない奇跡のライヴとして、これが彼らの脳裏に刻み込まれ、語り継がれていくはずだ。

 各ステージでヘッドライナーが演奏を始める頃、会場内の裏導線には規制が入り、最重要車両を除いて、奥地に入るのは不可能となっていた。憔悴しきったスタッフの送迎もかなわない状態となっていたが、彼らには雨をしのぐことのできる場所がある。それより観客の安全を最優先すべきと動いていたのが主催者であり、スタッフだ。会場内を流れる川が増水し、かなり早い段階でボードウォークの一部を閉鎖。過去に例を見ない豪雨の影響で会場に繋がる国道17号線に規制が入ったという情報が流れ、各ステージでの最終ライヴが終わった後、グリーンステージから奥が閉鎖されている。でも、毎年積み上げてきた教訓、特に昨年の経験が生かされていたんだろう、その頃にはテント泊に不安を感じる人々のために地元やプリンス・ホテルが一部を休憩所として確保。彼らを誘導し、キャンプ場の安全を確保し続けたキャンプよろず相談所のスタッフに賞賛の言葉を贈りたい。加えて、悲惨な目にあった仲間たちに救いの手をさしのべようとした人たちがいっぱいいたことも忘れてはいけない。

 主催者、地元の人々、スタッフのみならず、会場にやって来るフジロッカーに与えられたのが、これでもか、これでもかと思えるほどの試練の数々。でも、ほとんどの人たちがそれを乗り越えた後、まるでご褒美のように幸福な時間がもたらされる。夜が明けて、お日様が顔を出す頃、会場に溢れていたのは、まるでなにもなかったかのように満面に笑みを浮かべて最後の一日を謳歌する人々。メディアやSNSが「最悪な一点」をあたかも全体であるかのように吹聴し、尾ひれをつけて拡大していった一方で、この現場にいる人たちが至福のフェスティヴァル体験を語り始めていた。申し訳ないが、それはこの場所で同じ時間と空間を共有しなければわからない。モニターでライヴを見ても、全身に降り注ぐ興奮を感じることはできないし、このエキスプレスをチェックしていても、語り尽くせない幸せを体験することはできない。だからこそ、ここにおいでと呼びかけ続けているのだ。

「これまでで最高のフジロックだった。なによりもこのフェスティヴァルがために、ここに多くの人たちがやって来てるってのがよくわかるんだよ。バンドとか、ライヴとか…。それよりなにより、ここにいることに大きな意味がある」

 全てが終わりかけ、夜空に浮かんでいた三日月が、しらけてきた空に姿を消しかけた頃、今年、「I Am A Fujirocker」というTシャツをデザインしてくれたDJでミュージシャンのギャズ・メイオールが、そんな言葉を口にしていた。しかも、同じような言葉がいろいろな人たちから届けられるのだ。あれほど過酷な時間を過ごしたというのに、多くの参加者が「素晴らしいフジロックだった」あるいは、「過去最高!」と今年を語り始めたのはなぜだろう。もちろん、問題がなかったわけではない。あふれかえるゴミやはた迷惑なキャンプ・チェアーや地面に広げられたシートに、置き去りにされるテントなど、解決しなければいけない問題は山積している。が、規則でがんじがらめにしたところで、思考を停止させるだけで本質的な問題は残されたままとなる。じゃ、どうすればいいんだろう。と、そんなことを考えながら、今年のエキスプレスを締めくくることになる。

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 フジロック史上最悪のどしゃ降りのなか、一方で、熱中症も心配された灼熱の下、開催期間中のみならず、その前から最後の最後まで様々な場所に出没し、会場中を駆け巡って取材をしてくれたのは以下の仲間たち。手前味噌ではあるかもしれませんが、いろいろな圧力や問題に立ち向かいながら、公式にサポートされた独立メディアとして、私たちのフジロックを伝え続けてくれたことを褒めてあげたいと思います。もちろん、完成形はまだまだ。もっともっと学ばなければいけないだろうし、数々の試練も乗り越えなければいけないだろうと思います。間違いもあるかもしれません。もし、そういったことが見受けられたら、ぜひご指摘ください。真摯に対応いたします。

 日本のリクエストに応えてバンダ・バソッティが作ったくれた「フジロック (c/w) レヴォリューション・ロック」の限定盤7インチ・シングルはこちらのサイト、fujirockers-store.com、および、フジロッカーズ・バーで販売を続けます。会場で入手できなかった方で、アナログ好きな方はぜひチェックしてくださいませ。

なお、今年、動いてくれたスタッフは以下の通りです。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/19/
写真家:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、アリモトシンヤ、安江正実、粂井健太、Yusuke Baba(Beyond the Lenz)、白井絢香、リン、HARA MASAMI(HAMA)、おみそ、森空
ライター:丸山亮平、阿部光平、イケダノブユキ、近藤英梨子、石角友香、東いずみ、あたそ、梶原綾乃、長谷川円香、坂本泉、阿部仁知、三浦孝文、若林修平

■英語版(http://fujirockexpress.net/19e/
Laura Cooper, Sean Scanlan, Park Baker, Jonathan Cooper, Sean Mallion, Laurier Tiernan

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、関根教史、小幡朋子、町田涼、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、坂上大介(デザイン)、迫勇一

スペシャルサンクス:岡部智子、熊沢泉、三ツ石哲也、志賀 崇伸、Masako Yoshioka、MASAHIRO SAITO、増田ダイスケ、Riho Kamimura、タカギユウスケ、永田夏来、Masaya Morita、suguta、つちもり、Taio Konishi、Hiromi Chibahara、そして、観客を守るために奔走してくれた全スタッフ、試練を乗り越えてフェスティヴァルの素晴らしさを伝えてくれた観客のみなさん。

プロデューサー:花房浩一

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TENDRE http://fujirockexpress.net/19/p_1763 Sun, 28 Jul 2019 13:06:46 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1763 晴れたら晴れたでレッドマーキー内の気温は上がる。先日の渋谷WWW Xを含むツアーが追加公演も完売したTENDREこと河原太朗のプロジェクトの潜在的な人気は高いようで、続々と人が集まってきた。サウンドチェックでも熱演し、「まだだよー」と笑わせるお茶目な側面に、いわゆるおしゃれでクールな人物を想像していた人は驚いたかもしれない。

AAAMYYY(Key/Syn/Tempalay)、松浦大樹(Dr)、小西遼(Sax)、高木祥太(Ba/無礼メン)という辣腕や今のシーンで注目されるメンバーが結集した今のサポートは、もはやサポートの域を超えて、バンドとして機能している。特に最近参加し始めた高木の重低音の効いた迫力のあるベースはバンドをぐっと引き締めている。1曲目の“DRAMA”から、ライブ全体の背景を作るようないいプレイをしている。そしてクールとかチルなイメージを持っていた人はさらなる河原の本当の姿(!?)に驚く。「フジローック!」の絶叫、やたらとテンションが高い。

「いい風吹いてきた〜」と、ハープのSEに乗せてバレエの腕の振り付けのような動きを見せ、フロアにいる人たちの気持ちの壁を演奏以外でもどんどん壊していく。さらに“SIGN“では自らギターを手にし、リズム隊に近づいて、激しくコードカッティングする場面も。
自分自身のテンションの高さもあるが、メンバーとフロアに「暑くない?」と素で聞く様子も、ライブのムードを親密にしていく。

“DOCUMENT”ではAAAMYYYもハンドマイクで歌い、彼女の真っすぐで少女っぽさの残る声と、河原の落ち着くバリトンボイスが重なると、卓越したアンサンブルの中に人懐こい側面が加わるのが面白い。二人とも声が誠実というか、上手く聴かせること以上に、余白の多い歌詞を伝える表現が魅力的だ。

メロウなエレピとストンと腹落ちする平熱感のある河原の声がいい“GIVE”は、疲れて眠っている人も包み込む。割とシビアな現実を歌うオーセンティックなアレンジの楽曲だが、疲れている時に聴いたら、すぐTENDREに恋に落ちるんじゃないか?と思える懐の深い曲なのだ。これもライブで相当仕上がっている。さらにラジオ・プレイなどでも人気の高い“hanashi”が演奏されると、拍手と歓声が起こる。アウトロでは歌詞をアレンジして「話したいな、フジロックで遊びたいな!もっと遊びたい!」と、ジャズファンクなブリッジ部分で煽り、フロアは手を挙げたりジャンプする人も現れた。彼らの音楽性では意外だが、今のTENDREには取り澄ましたライブはもう過去のもののように思える。

「これまでルーキーにはampelで出演し、TENDREでは去年アヴァロンにたくさん人が集まってくれてエモかったんですが、今もエモいです。でもやっぱり頂点を目指したいんです」と、「TENDRE気に入ったなって人はついてきてください」と、力強くさらに大きなステージで帰還したい旨を伝えた。

ジャズファンクや人力ハウスのダンスミュージックとしての骨太さを持ちつつ、20年代のポップスとして定着しそうなTENDRE。ぜひこのメンバーでさらに大きなステージに戻ってきてほしいと切に願う。

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VINCE STAPLES http://fujirockexpress.net/19/p_1741 Sun, 28 Jul 2019 12:33:58 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1741 この日のホワイトステージは深遠なトラック上でラップするKOHHからVINCE STAPLES、そしてVINCEがフィーチャリングでJAMES BLAKEの“Timeless“に参加しているためにひと連なりのストーリーを感じて、続けて見た人も多いだろう。様々なスロットに時代を感じる今年のフジロックだが、2019年らしさを一つ象徴しているのが最終日のホワイトステージという気がする。

いわゆるダーティなラッパーとは真逆なメンタリティで、Odd Futureに見出されて以降、本国アメリカでグランジラップよりは日常的で、でも嘘のない表現が求められていたところ、ラップの内容しかり、ミニマルなベースミュージックやエレクトロに接近したトラックもリリックとの親和性が高く、評価を高めてきた彼。日本でも大雑把に言えば、ケンドリック以降、チャンス・ザ・ラッパーやタイラー・ザ・クリエーター、フランク・オーシャンら、個性が際立つラッパーをチェックしてきたリスナーならもちろん気になる存在だろう。無論、ヒップホップ・プロパーはいうに及ばず。

定刻にホワイトステージが暗転し、背景に写し出されたのは少し前までのアメリカを象徴する、8分割されたテレビ画面だ。億万長者クイズ、アニメ、料理番組、音楽番組などがランダムにコラージュされている。中にはVINCEを主役にしたアニメなども仕込まれ、なかなか周到だ。そこにマリファナの葉のバックプリントのロンTに細いパンツ、スニーカー姿のVINCEがスキップするように現れた。

冒頭は“FUN!”や“Run the Bands“といった『FM』からのトラックにのせ、自由にラップに沿ったアクションで一人きりのステージを縦横無尽に動いたり、顎に手を当てたり、昨夜、SIAで見たパフォーマンスを少し思い出させるような強迫観念的な謎の動きを見せる。この人、手首の柔らかさが印象的で、突然爆発したようにジャンプしたり、語り部のようにステージ前方に腰掛けラップしたり、音楽性同様、パフォーマンスも特定の誰かからの影響が見て取れない。それが今の若い世代には新鮮でクールに見えるのだろう。十二分に存在が突出した人だが、カリスマがあるかというと、それとも違う。フレンドリーかというとそれも違う。日本でライブができることを喜んではいたが、笑顔は一瞬。真剣なのか、あらゆることに醒めているのか、自分が巻き起こしたことも冷静に見つめている、そんな人なのだ。

エレクトロやベースミュージックといった音像にラップを乗せていくスタイルが定着した『Big Fish Theory』からの“Big Fish“や“Rain Come Down”などは非常に演劇的。中盤から後半には、淡々とした調子でオーディエンスを煽り、大きなサークルを作らせてはモッシュを促していた。VINCEの求めていることに即リアクションできるという意味で、ホワイトステージの前方はちょうど良いスケール感だったようで、何度もサークルを作り、もみくちゃになっていた。ただ、自分で指示しながら虚無な眼差しを向けるVINCEは最後まで何を考えているのかわからなかったが。

しかし思えば、音楽の話は聞かれず、儲けてるかどうかばかり聞かれるインタビューのバカバカしさに辟易し、そんなに人の音楽は聴かないとまでいうVINCE STAPLESというアーティストにとって大事なのは、くさい言い方をすれば彼にとってのリアル、それは間違い無いだろう。そう考えるとテレビ画面の演出も皮肉が効いている。

旧来型じゃない、ヒップホップのセオリーにもハマらない、ブラックのミュージシャンの規範になるようなことを別にしているわけじゃない。グランジラップのようなブームとも違う。彼自身は運動神経最高なオタクのような相反する資質を持ち合わせているように感じたが、それって世界中の最新のラップカルチャーに触れているユースの「なりたい人間」なのではないか。抜群の音響と圧倒的な演者一人がいれば、それでいい。そんなアクトを終えた彼は深々をお辞儀し、素早くステージを後にした。新しい……。VINCE STAPLESは誰にも似ていない。

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崎山蒼志 http://fujirockexpress.net/19/p_1878 Sun, 28 Jul 2019 11:12:06 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1878 ギリギリに苗場食堂というか、オアシスと苗場食堂界隈に到着すると、目視で200〜300人はいるのでは?という人だかり。めくりの名前が「崎山蒼志」に変わると大きな歓声が起こる。高校1年の夏休みにフジロックに出演するってどんな気分だろう?いや、すでに様々なフェスに出演している彼にとっては、どこでもステージは全力で挑むもの、それだけかもしれない。

昨夜の豪雨が去り、小雨程度ならもはや涼しいと感じるが、かなり詰め詰めの界隈は、ついに生で崎山を見るという期待感に溢れている。「静岡県浜松市から来ました、崎山蒼志と申します」という礼儀正しい挨拶から、16ビートやボサノヴァを自己流に解釈し、歌のために奏法を作り上げた演奏が凄まじい。右手のカッティング、ブレイク、さらにギターのボディを叩くという、長年、ストリートミュージシャンに受け継がれてきたような奏法が崎山が弾くと、そのうまさに感動するとか、そういうレベルをいとも簡単に超えていく。オリジナルを作りたい欲求に、アコギで表現できる演奏法が必然的にスリリングなものになったという印象なのだ。

演奏も口あんぐりなのだが、崎山の個性は震える声やピッチがフラットする歌唱だ。そして現実から最速で逃避するような想像と、空虚を感じる鳥肌ものの歌詞も崎山の大きな魅力だ。夏でしかも山というシチュエーションで聴く“国”の情景喚起力のすごいこと。10代の天才ソングライターにしてギタリストというだけでは崎山を形容するには何かが足りない。

歌とギターを全身で連動させるスタイルだからか、歌いながら爪先立ちになったり、左足を跳ね上げたり、その自然なアクションも歌いたいことありき、音楽ありきなのだと思った。そういう動きに信憑性を見るタイプの音楽ファンには言おう、間違いなく彼にはその本質が備わっていると。

途中で薬師丸ひろ子の“Woman Wの悲劇”を丁寧に歌い、その相性の良さに納得しながら、あっと言う間の30分は“五月雨”で、本人も驚くほどのシンガロングを起こし、ようやく始まったばかりじゃないか!という思いのオーディエンスを残し、潔くフジロックのデビューライブは終了したのだった。

余談だが重要な関連があるので追記すると、今年のルーキーに出演した君島大空にしても崎山にしても、誰を参照するでもない歌を生み出す、新しい価値観のアーティストだ。苗場食堂に君島が登場することはなかったが、注目すべきシンガー、新しいタイプのソロ・アーティストは豊かな季節を迎えている。

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HYUKOH http://fujirockexpress.net/19/p_1743 Sun, 28 Jul 2019 08:28:06 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1743 今年のフジロックはアジアルーツのアーティストが熱いという実感は初日のMITSKIや、ライブとDJを行うKHRUANGBIN、YAEJIらへの注目度の高さで予感していた。HYUKOHももはや韓国を代表するロックバンドという形容では収まりきれないワールドワイドな活躍で知られるバンドだ。

楽曲の良さと演奏そのもので見せるライブはサービス抜きの質実剛健なもの。以前、2017年にnever young beach(以下、ネバヤン)をゲストアクトに行われた来日公演の際に驚いたのだが、K-POP全般を愛するファンはフジロックでもやはり散見された。というか、彼女たちのアンテナの張り方は実に幅広い。が、今回は作品も浸透し、それこそネバヤンの安部勇磨が共演以降、親しくなり、衝撃を受けたという新曲“LOVE YA!”をラジオで紹介したこともあり、奇しくもネバヤンと同日出演となったこの日、ホワイトステージに確認しに足を運んだ人も多かっただろう。

ブルーのセットアップを着たオ・ヒョク(Vo/Gt)は最後までサングラスを外さず、シャイな感じで感謝を述べるにとどまった。奇抜なシルバーのパンツにパープルのノースリーブというイム・ヒョンジェ(Gt)、ひたすらパワーヒットする上裸のイ・インウ(Dr)、デビュー前のバンドマンのようないでたちのイム・ドンゴン(Ba)と、今日は点でバラバラに好きなものを着ている感じだ。

しかし音を出せば軍靴の響きのようなSEに導かれ、ミニマルにタイトな音を重ねてソリッドなアンサンブルを聴かせる“Wanli”、ポストパンクなタイトなドラムが焦燥を掻き立てる“Citizen Kane”などで、バンドの骨太さを伝える。しかもオ・ヒョクのボーカルは特段張上げるでもなく、よく通る声質で、厳選した音に似合う表情豊かなものなのがこのバンド最大の魅力だ。

アジアの都市をタイトルに冠した曲がいくつか選曲され、自分たちの地元であるソウルに対してはダイナミックなビートの“Goodbye Seoul”、特徴的な機械的なドラムと、リフに80年代の日本のAOR的なものをにじませる“Tokyo Inn”など、彼らの眼に映るアジアが作品になっていることも興味深い。HYUKOHのフィルターを通したロック、ファンク、ポストパンクなど、比較的ハードな曲は“Settled down”のスリリングで厚みのあるプレイで昇華された印象。一旦はけてアンコールしたわけではないのだが、そのあとはガラリと印象を変えて、この場を一つにするような選曲で届ける。ベースのイム・ドンゴンがアコースティックギターを担当し、親密で素朴な優しいメロディを持つ“Gang Gang Schiele“を4人の息を合わせて鳴らす。特にボーカルのメロディライン、語りかけるようなオ・ヒョクの表現力には耳を済ませてしまう。そして、冒頭の話題にもあった、「ドント・ビー・アフレイド」から始まる、愛だけが溢れる“LOVE YA!”の包容力。ビートルズの時代から変わらない、何か大事なことを伝えたい時のアレンジや構成を持つこの曲。もしかしたらこの曲への思いをオ・ヒョクが語れば、初めて聴く人には感動的だったかもしれないが、それをせずに演奏に託したことは彼やバンドの性格なのだろう。

誰にも頼れないとき、ふと夜中に目が覚めてしまったとき、この“LOVE YA!”という曲に随分助けられた。もちろん彼らの魅力はそれだけじゃないが、世の中には無償の愛、仲間からの愛が存在することを伝えるこの曲は、この日のホワイトステージでもっと響いてよかったと思う。必ず再訪してほしい。

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スカート http://fujirockexpress.net/19/p_1766 Sun, 28 Jul 2019 06:56:48 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1766 昨夜の豪雨が嘘のように青空が覗き、すでにレッドマーキーの屋根は熱されている。丁寧なサウンドチェックを行う10時10分頃には随分人が集まり始めた。

トレードマークの白シャツを着た澤部渡(Gt/Vo)も、メンバーの佐久間裕太(Dr)、佐藤優介(Key/カメラ=万年筆)、岩崎なおみ(Ba)も、どこか大学の音楽サークルのような、ポップ・ミュージック同好会的なムードを醸し出す。おこがましいが友人を応援するような気持ちもなくはない。(パーカッションのシマダボーイはケレン味のあるたたずまいだが)。

名曲しかないスカートが朝一のレッドマーキーに選んだオープナーは「何もなくてもきみがいるなら歩いていける」と歌う“君がいるなら”だ。冒頭はアッパーな選曲で、シンガー&ギタリストとしても抜群のセンスを持つ澤部のライブ・アーティストの側面がぐっと前にでる。なんたって良い音のテレキャスターを、切れ味鋭くカッティングする様子は、“セブンスター”の間奏でウィルコ・ジョンソンを思い出させたぐらいなのだから。頭3曲の力演に「カッケー!」と小さく叫んでしまった。自分でも驚くが、バンドのアンサンブルがそう言わせる。

アコースティックギターに持ち替えた澤部は「いやー、ありがとうございます。こんなに集まってくれて。みんな早起きだね。昨日、大雨で大変だったでしょ?今は晴れてるけど。フジロックは2回目で、今回はレッドマーキーに出させてもらって(話の途中)、うわー、人増えてきた!こりゃ歌うしかないね!」とドラマーの佐久間に同意を求める。聴かせるタイプの曲をまとめたブロックでは、午前のレッドマーキーとは思えないぐらい、オレンジの照明が似合い夕焼け感が立ち上がる新作のタイトルチューン“トワイライト”が丹念に演奏され、いい意味で日常的に自分がいる街のことを思い出した。それも悪くない。明らかに澤部のメロディやコード進行のパワーだと思う。

40分のセットでも様々な景色を見せてくれるスカートの曲の多彩さ。おなじみのペパーミントグリーンのリッケンバッカーに持ち替えての“CALL”ではオルタナティヴなギターバンドの趣きをベースの岩崎の重いサウンドとともに作り出した。

「早いもんで我々の演奏はあと2曲なんですが、みんな見たいものたくさんあるでしょ?」と澤部が言うと、佐久間が「ジェイムス・ブレイクも見たいし、クルアンビンも見たいし」と、完全に我々と同じ心境を話す。終盤はグルーヴィに“ストーリー”、そしてイントロで大歓声が上がった“静かな夜がいい”で、フジロック最終日を楽しみ尽くそうとするオーディエンスを祝うように、タイトな演奏を決めた。

「まだ今日は始まったばかりです!」――フジロックを愛してやまないフロントマンの素直な言葉に、みんなの今日も動き出したのだった。

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GLIM SPANKY(Acoustic Ver.) http://fujirockexpress.net/19/p_1809 Sat, 27 Jul 2019 20:08:58 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1809 一向に止まない土砂降りの中でも多くのオーディエンスが集合したジプシーアヴァロン。みんなのお目当てはGLIM SPANKYのアコースティックセットだ。昨年はグリーンステージに登場し、昨日はROUTE 17 Rock’n Roll ORCHESTRAのフィーチャリングアーティストとして登場した。松尾レミ(Vo/Gt)はフジロックを愛する一人のオーディエンスとして、昨日は一人行動をしたそうで、レインウェアごとナポリタンをくるんで雨の中食べたと、ここで雨に打たれているみんなの共感を得ていた。

アコースティックセットとはいえ、亀本寛貴(Gt)はバリバリにエレキで、オブリやソロで豪快にロックンロールのエッセンスをぶち込んでくるし、キーボードの中込陽太を加えた豊穣なアンサンブルは普段とは違うが、バンド的な佇まいだ。中込とは今回が初めての顔合わせとは思えないぐらい、ビートルズに端を発するレジェンダリーなロックを説得力のあるサウンドとアレンジで聴かせることに成功している。

ふだん以上に松尾のボーカルがストレートに届くことが気持ちいい。GLIM SPANKYが持つ、古今東西の少年少女がギターを始める時の気持ちがダイレクトに響く“大人になったら“が描き出す苦味と甘酸っぱい10代の頃の気持ちは、シンプルなセットで心に温かな何かを灯してくれた。

松尾は何度も「みんな雨の中、ほんとにありがとう!」と感謝の言葉を述べ、亀本はステージの前方まで歩み出て、ギターが濡れようが自分が濡れようがおかまいなしで、五臓六腑を揺さぶるソロを弾く。「フジロック最高!みんな最高のロックキッズだよ!」という松尾の言葉。ここにいるオーディエンスは客というより仲間や同志という気持ちが強かったのではないだろうか。彼女のMCがその場を束ね、土砂降りの中から蘇生するように立ち上がる人が何人もいたように見えた。

新曲“Tiny Bird”、そして「思い切りサイケな夜にしましょう」という言葉とともに放たれたラストナンバー、“アイスタンドアローン”で、松尾も前方に歩み出てアコギをかき鳴らし、より歌が伝わる新しいスタイルの45分を存分に楽しませてくれた。松尾、亀本の二人が持つ人としてのたくましさと温かさを再認識したことは豪雨のフジロックとともに記憶に残ることだろう。

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SIA http://fujirockexpress.net/19/p_1713 Sat, 27 Jul 2019 13:37:14 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1713 おそらくグリーンステージに集まった3〜4万人がアンコールの後、終演した瞬間「ほー!」とか「はー!」と声を発したことはフジロック23年の歴史の中でもなかったんじゃないだろうか。その声の種類は単純にため息や種明かしをされた驚きとも言えない、もしくはその両方の気持ちがこもっているとも言える。単に演劇的なパフォーマンスであるだけでなく、曲とSIAの歌唱にテンションは上がっても、どこか物悲しさや息苦しさが残る。いわゆるライブパフォーマンスとしての演者が放つカタルシスとは異質なアートフォーム。立ち尽くしていたのはSIA本人だけじゃなく、ほとんどのオーディエンスもそうだったのではないだろうか。

ミュージックビデオである程度、予想できたとは言え、オープニングでのSIAのドレスのスカート部分が分解し、マディー・ジーグラーが「誕生」したかのような演出は、マディーを分身としてステージに放つ儀式のように見え、鳥肌が立った。そこからのマディーのパフォーマンスは、あまりにもスキルと表現力が高い。しかしそれはビジョンに映っているものを見ているので、ステージ上とは別物なのでは?と疑ってしまうほどだった。しかしパフォーマーもすごいけれど、1時間半、直立で歌唱だけに専念するSIAも生身の人間と思えない集中力だ。その場に存在していることは、紛うことのない事実だが、リズムをとったり身振りをしたりしないSIAは目に見える虚構のようだ。

パフォーマーの表現と曲の相乗効果は、いずれも高い次元で化学反応を起こしたが、こと強迫観念に関する部分では“Reaper”でのマディーの不安発作的な表情と動きにまず圧倒された。他に男性のパフォーマーが3人、女性がもう一人、入れ替わりで曲の世界観を演じていく。男性、女性それぞれの葛藤を“Big Girls Cry”などで描いた上で、男女間の残酷なまでのすれ違いを、パフォーマンスで、より凶暴で攻撃的なものに昇華していく。ステージ作品としては納得するけれど、迫真という言葉以外、どう表していいのか分からないパフォーマンスが続く。自身が前面に立たないことを選んだSIAは、曲のメッセージを伝えるために、より強固なショーを作り上げてきたのだなと、作品への自信、ひいては彼女が経験してきたことの重さを知る。高次元のアートが作られた背景にある構造の恐ろしさ。

曲間のつなぎはライブ映像からすでにある映像が接続され、さらにライブにつながっていく。ライブでありパフォーマンスを途切れさせないための手法だが、最後の最後に「虚構を完成させるためにそこまでやるか」と、薄ら寒いような、同時にユーモアを感じるような場面を迎える。曲間のつなぎの演出は最終的にエンディングで回収されていく。

人間関係、特に男女関係の一筋縄でいかない表現は対立と融和、そのまた次の瞬間にはすぐまた裏切り、そして抱擁……。動物的なアクションに演出されているが、人間の中の暴走する本能を目の当たりにするようで、熱を帯びていくSIAのボーカルには歓声が上がりながら、ただカタルシスに浸ることは難しい。逆に男女をパンダとウサギの被り物にし置き換え、仲違いしたり、一人でも歩いたり、二人揃って歩いたり、距離ができたりする演出に感情移入してしまった。傷つけ合うほどの感情を持つ者同士にしか築けない関係。この演出で感情の防波堤が壊れた人は多かったのではないだろうか。

繰り出される曲は世界的なヒットチューンばかりなのだが、今、目の前にしているコンテンポラリー・アートとでも言うべきパフォーマンスに簡単に騒げない。しかし流石に“Chandelier”ともなると、イントロで歓声が上がる。もちろんモッシュピットはさらに熱狂的なのだろう。自室のベッドと机を小道具に、壊れてしまいそうな精神状態を圧倒的な体力と表現力でマディーがイメージを増幅させて見せる。ここまで登場してきた男女が勢ぞろいした本編ラストの“The Greatest”。ここでも力関係を思わせるパフォーマンスで、不穏なまま終了するという、SIAらしい世界観で完結。さらにはライブでの役柄と言うべき登場人物が、別撮りの映像で挨拶するように流されたのは周到だった。

さて、曲間のつなぎの映像と終演後の映像の関係だが、ライブ終了後のマディーを追うカメラが捉えているのは「今ここ」じゃないことに気づく。最後に楽屋にいる後ろ姿のSIAを捉えたところでショーは完結。グリーンステージにいる約4万人がため息とも納得とも言えるリアクションをしたのはある意味、当然だったのかもしれない。

これぞSIAにしかできないライブという人もいれば、これはミュージックビデオの再現だという人もいるだろう。革新的だという人がいる一方、ライブってこういうことではないだろうという人もいるだろう。意見が分かれるほど、これまでにない問いかけをしてくれたことだけは間違いない。土砂降りの中、離脱する人が少なかったことを鑑みるに、ほとんどの人がSIAの術中にはまっていたのだ。

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UNKNOWN MORTAL ORCHESTRA http://fujirockexpress.net/19/p_1737 Sat, 27 Jul 2019 09:01:24 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1737 未知の人間オーケストラとはよく言ったもので、音源だけ聴いていたら現代のサイケデリアとメロウネスを表現する、一筋縄ではいかない手強そうなバンドというイメージを持ったままだったかもしれない。少なくとも初めてライブを見た私自身は少しそんなイメージを持っていた。持っていたのだが……。

アーティスト写真でアジアのテイストを持ったシックでおしゃれなファッションを着こなすルーバン・ニールセン(Vo/Gt)は、黒縁眼鏡をかけ、ラメなのか光るプリントが派手なTシャツを着て登場。ベーシストと美しいハーモニーを聴かせる“From The Sun”にビートが入った瞬間、バスドラムの風圧にレインジャケットもフードも揺れる。ホワイトステージの音響は今日もえげつない。ガッとオーディエンスが湧いたところで、ギターソロを弾きながら、こともなげにフィールドに降り、オーディエンスの間をソロを弾きながら練り歩くという、初っ端からこれ!?という、驚きの展開を見せたのだ。ルーバンのいるところをテレキャスターを掲げて目印にし、先導していくスタッフもたくましい。ステージに戻るときも片手をついてひょいと戻る。なんなんだこの人のインナーマッスルの強さは。

ルーバンに目を奪われていたが、メンバー全員、相当な辣腕だ。特にムーグを弾いたり、サックス、トランペットと忙しい年配の男性(彼が何者なのかは後で分かる)、シンプルだが強烈な打音でバンドを支えるドラマー、生ベースとシンセベースを1曲の中でも弾き分けるベーシスト、穏やかな笑みを浮かべてメロウなフレーズを繰り出すキーボーディスト。全員が見たことのないタイプのセクシーさを持ったプレイヤーで、終わる頃には全員のファンになってしまった。

改造ムスタングなのだろうか?エフェクターの組み合わせなのか、かなりファズというかノイジーなギター、そしてエレキシタールもノイジーなサウンド。コードではなくリフとフレーズで、歌いながら弾くスタイルは歌とギターがルーバンならではの構造で連動しているとしか思えない複雑なものだ。何がどうしたらそんなフレーズが思いつくのか。スクリーンをポカンと見つめる人、そのすごさにどんどん興奮が増す人、ただただ揺れる人。

メンバー紹介で、年かさの男性がルーバンのお父さんだと分かると、オーディエンスから「おとうさーん!」という声援が飛ぶ。音楽の趣味が似ているとかいうレベルじゃない独特な楽曲を親子で奏でているという事実に感銘を受けてしまった。しかもお父さんの吹くサックスやトランペットが鋭さと洒脱を加味して最高なのだ。いや、世の中は広い。こんな親子バンドが存在するのだから。

フュージョン的なコード感のある“Ministry of Alienation”、イントロで歓声が上がった“Multi-Love”では昼間の自然の中で夜のムードのあるダンサブルな空間が生まれ、さらに横揺れする人が増えていく。ラストはエキゾチックなアフロビート味の“Can’t Keep Cheking My Phone”で、ライブ開始当初は想像もできなかった親密さがホワイトステージを包み込んだ。

チルウェイヴやフューチャーファンク、いやあらゆる時代の音楽やジャンルを貪欲に消化して、このバンドならではの、この世のものと思えないビザールなアンサンブルとグルーヴを生み出している。でもそれは中毒性が高く魅力的で、この音楽を作り出すメンバーの人間力に圧倒されたのだった。

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蓮沼執太フィル http://fujirockexpress.net/19/p_1793 Sat, 27 Jul 2019 05:30:49 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1793 人が多過ぎず、暑過ぎず、風も吹いて、ステージ上は蓮沼執太フィルだなんて、ここは天国か。いや、冗談じゃなく、こんなにフィールドオブヘヴンが似合うアクトを久々に見た気分だ。

このポップ・フィルハーモニックのメンバーは、バンマスの蓮沼執太(conduct, compose, keyboards, vocal) | 石塚周太(Bass, Guitar) | イトケン(Drums, Synthesizer) | 大谷能生(Saxophone) | 葛西敏彦(PA) | 木下美紗都(Chorus) | K-Ta(Marimba) | 小林うてな(Steelpan) | ゴンドウトモヒコ(Euphonium) | 斉藤亮輔(Guitar) | Jimanica(Drums) | 環ROY(Rap) | 千葉広樹(Violin, Bass) | 手島絵里子(Viola) | 宮地夏海(Flute) | 三浦千明(Flugelhorn, Glockenspiel)
という、他にもソロで活動したり、セッションに参加したりしている、次世代バンドでは引く手数多な面々である。

蓮沼のキーボードのキーに合わせてチューニングをし、「初めまして、フジロック!おはようございます、フィールドオブヘヴン、雨に負けないぞ!じゃあ行きましょうか」とマリンバとバイオリン、ヴィオラが風を運んでくるようなメロディを奏でる“Earphone&Headphone in my Head-Play0”で、楽団は一つの生き物のようにゆっくり起き上がる。ちなみにツインドラムだが、昨日のKING GIZZARD & THE LIZARD WIZARDとは真逆な音像なことを思い出して笑ってしまった。

2曲目の“NEW”では、振ると笛のような音がする楽器が登場し、この楽器ならできるのでは?と、バンドに参加したい欲に一抹の希望を感じる始末。参加すると言えば、自然と体が動くグルーヴに、8の字で体をくねらせる人が、そこここに「発生」している。そうしているのが一番ラクなのだ。1曲ごと、見事にエンディングが決まると「おっしゃ!」とばかりにガッツポーズするバンマスは、非常に手応えを感じている模様で、すかさず「環さーん」と、おなじみの環ROYを呼び込み、“YES”へ。環ROYのラップ部分では歓声が上がり、「イエス!」のシンガロングが起こる。みんなリリックをよく覚えている様子だ。だんだん調子が上がってきたアンサンブル。バンマスを見ると、シビアに指揮しながらも、自分の演奏がない箇所では踊り、その足元はサンダル履き、隙あらば写ルンですでオーディエンスを撮影しているというカジュアルさ。

マリンバ〜管楽器〜スチールパン〜ドラムと、徐々に楽器が加わっていく構成の“ZERO CONCERTO”は、不規則なビートで展開していくが、プレーヤーは無駄な力が入っていない方が勝てる武道の名手のように、リラックスしているように見える。見えるだけですごく神経を使う曲なのかもしれない。スタッカートするベースが印象的な部分など、ポップ・フィルの特質を最大限に活かした演奏が見事にフィニッシュすると、拍手にかぶるようにバンマスが「良かったー!」という安堵の声を発した。

まだ音源になっていない新曲も披露し、たっぷり7曲演奏した頃には雨雲は去り、過ごしやすい薄曇りに。いやー、何時間でも揺れていられるな。でも、そろそろお昼たべよっかという声が随所で聞こえてくるようだった。

蓮沼執太(conduct, compose, keyboards, vocal) | 石塚周太(Bass, Guitar) | イトケン(Drums, Synthesizer) | 大谷能生(Saxophone) | 葛西敏彦(PA) | 木下美紗都(Chorus) | K-Ta(Marimba) | 小林うてな(Steelpan) | ゴンドウトモヒコ(Euphonium) | 斉藤亮輔(Guitar) | Jimanica(Drums) | 環ROY(Rap) | 千葉広樹(Violin, Bass) | 手島絵里子(Viola) | 宮地夏海(Flute) | 三浦千明(Flugelhorn, Glockenspiel)

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