“MITCH IKEDA” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '19 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/19 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Mon, 02 Sep 2019 02:34:33 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.10 過去最悪のどしゃ降りという試練を乗り越え、まるでなにもなかったかのように弾けていたフジロッカーに乾杯。間違いなく、これまでで最も素晴らしかったと絶賛のフジロックを作ったのはあなたたちです http://fujirockexpress.net/19/p_8672 Thu, 01 Aug 2019 01:33:33 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=8672  台風に襲われて、修羅場のようになった1997年のフジロックを、まさか2年連続で思い起こすことになろうとは、想像だにしなかった。例年なら、梅雨も明けてからっとした空気に包まれるのが開幕の頃。現地入りした火曜日も、ほとんど雨の気配は感じられなかったし、そろそろ梅雨明けと思っていた。実際、その頃の予想では、フジロック開催時の週末はわずかな雨を伴うが、おおむね好天だろうと囁かれていたものだ。が、台風発生のニュースが飛び込んでくる。当然のように、脳裏に浮かんだのは昨年の惨状。風で吹き飛ばされたテントの数々や横殴りの雨…。 コンピュータ機器が重要な役割を果たす、我々の作業場となっているテントも補強しなければいけないし、キャンパー達にはテントの再点検も呼びかけなければいけない。そんなことを頭の片隅に感じながら幕開けした前夜祭で、DJ Mamezukaのターンテーブルから飛び出してきたのは、1997年、台風に見舞われたフジロックで強烈なインパクトを残した電気グルーヴの“富士山”だった。

 わざわざその意味を説明する必要もないだろう、全身全霊でこれを受け止めていたオーディエンスがそれを雄弁に物語っている。とりわけ、今年は特別なんだろうが、例年、ここで目の当たりにするのが弾けんばかりの笑顔の数々。間違いなく、これこそがこの会場で働くスタッフの宝物だ。だからこそ、それを目にしようと多くの関係者がこのステージ脇に集まってくる。今回は、総合プロデューサーの大将こと、日高正博氏もここで、ニコニコしながら、オーディエンスを見守っていた。そんな彼らの表情を記念写真という形で記録し始めてすでに10余年。それをポストカードという形で販売し始めたのが数年前と思うんだが、今年からは無料で配布することにした。どれほどの人がそれを手にしてくれたのか定かではないが、ささやかなお土産として受け取っていただければ幸いだ。

 限られた時間しかないステージで多くを語るのは難しい。が、今年なによりも伝えたかったのは14年ぶりに苗場に戻ってきたイタリアのバンド、バンダ・バソッティが、世界で初めて“フジロック”というタイトルで発表した歌のことだった。

「ようこそ、フジロックへ。君たちが目の当たりにしているのは紛れもない現実で、ここにいるのは戦争とは無縁の人たち。僕らは一人ぼっちじゃない。残酷な世界は僕らを潰しにかかるだろう。でも、誰にも僕らを止めることはできない…」

 すでに今年のフジロックへの出演が決まっていた昨年暮れ、この歌を書いてくれたバンドの要のひとり、ギター&ヴォーカルのアンジェロ”シガロ”コンティが他界。どこかで彼がフジロックを愛する人たちに残してくれた遺産にも思えるのがこの歌だ。「Welcom To Fuji Rock」という英語のフレーズが出てくるが、歌詞のオリジナルはイタリア語。今回、こちらのリクエストに応える形で、バンド側が「フジロッカーズ限定盤」としてプレスしてくれたイタリア盤シングルの日本での販売に向けて出来上がった歌詞対訳を見ると、彼がフジロックに、そして、その向こうに何を見ていたのかがくっきりと浮き上がる。

 その歌で「まるで流れる川」のように山に戻ってくると描かれている人々にここ数年著しく増えたのが、様々な人種や国籍。フジロック好きが集まってくる飲み会のようなフジロッカーズ・バーが台湾でも開催されているのは昨年お伝えした通りで、フジロッカーズ・ラウンジのそばにあるグラフィティ・ボードには香港関係の書き込みも多かった。また、お隣の韓国から東南アジアの国々にオーストラリア…と、会場では様々な国の言葉が飛び交っていた。彼らがコミュニケーションに戸惑うことはないんだろうかという危惧をよそに、僕らの共通言語、音楽がそれを全てカバーしてくれているようにも感じたものだ。

 耳にしたくなくてもメディアで伝えられるぎくしゃくした国際情勢がここでは嘘のように思えていた。世界中で分断を謳う偏狭なナショナリズムや人種差別の嵐が吹き荒れているというのに、ここで目撃したのはそれとは真逆の世界。誰もが互いを個人として尊重し、いたわり、繋がろうとする。その結果、単純な言葉では描ききれない平和がもたらされていた。この平和を愛し、形にすること、あるいは平和について語ることって政治的? 人種差別に反対し、繋がることが政治的なら、もっと政治的になってもいいじゃないかとも思う。ここ数年、きわめてちっぽけな世界で囁かれている「音楽(あるいは、フジロック)に政治を持ち込むな」という発想がどれほどの矛盾を抱えているか、言うまでもないだろう。音楽であれ、アートであれ、自由。それを規制をしようとすることがどれほど政治的なのかを理解できないとしたら、あまりに貧しい知性の持ち主でしかないだろう。

 誰もが政治や経済、社会とは切っても切れない存在としてこの世界を生きている。だからこそ、背を向けるのではなく、向き合うことが必要とされるのだ。そうすることで自らの未来を描くことができる。「The Future Is Unwritten」と語ったジョー・ストラマーが、その言葉の向こうに込めたのがそれなんだろう。音楽やアートはそういったことを気づかせてくれる貴重な宝物であり、そんな宝物で溢れているのがフジロック・フェスティヴァルなのだ。

 実を言えば、今年NGOヴィレッジに生まれた「うちなーヴィレッジ」の発端も音楽だった。きっかけは10年ほど前に辺野古への新たな米軍基地建設計画を巡って、沖縄で繰り広げられていたピース・ミュージック・フェスタの仲間たち。「フジロックは沖縄に関して何もやってくれないの」というつぶやきをきっかけに昨年からなにかが動き始めていた。それを快く受け入れてくれたのが、フジロックのルーツと言ってもいいだろう、アトミック・カフェ・フェスティヴァルのスタッフ達。それが沖縄県知事を担ぎ出す流れを生んでいる。

 が、そんなことよりなにより、今年を振り返った時、真っ先に語られるのはどしゃ降りの雨だろう。過去10年連続で台湾からフジロックに通っている友人が「10年で最悪の雨」と語っていたんだが、それどころか、1997年の第1回目から振り返っても、これほどひどい雨はなかった。特に土曜日の午後から日曜日早朝にかけて、まるでバケツをひっくり返したような雨がひっきりなしに降っている。ときおり雨脚が緩やかになって「ひょっとして止んでくれるかも…」とかすかに期待するのだが、それをあざ笑うかのように、さらに激しい雨が、これでもかと言わんばかりに我々を殴りつけていた。

 そんななかを走り回って取材を続けていたスタッフからも「カメラ、死んじゃいました」とか、「テント水没です」なんて話が飛び込んでくる。その一方、どしゃ降りの下、大騒ぎでライヴを楽しんでいるオーディエンスがいた。この日のヘッドライナー、SIAが姿を見せたグリーンステージや他界したアート・ネヴィルのことを思い出さざるを得なかっただろう、フィールドオヴヘヴンのジョージ・ポーター・ジュニア・アンド・フレンズからエゴ・ラッピン…。どれほど防水加工されたコートやジャケットにポンチョだろうが、太刀打ちできないほどの雨だというのに、それを跳ね返すほどの熱気が生まれていた。それは比較的小さなステージでも同じこと。苗場食堂では目の前にいるはずの観客が見えないほどに激しい雨が降っていたと教えてくれたのがコージー大内。また、ピラミッド・ガーデンでは滝のような雨を浴びながら、リアム・オ・メンリィがプリンスをカバーした「パープル・レイン」に感動していた仲間がいた。おそらく、生きているうちに幾度も体験できない奇跡のライヴとして、これが彼らの脳裏に刻み込まれ、語り継がれていくはずだ。

 各ステージでヘッドライナーが演奏を始める頃、会場内の裏導線には規制が入り、最重要車両を除いて、奥地に入るのは不可能となっていた。憔悴しきったスタッフの送迎もかなわない状態となっていたが、彼らには雨をしのぐことのできる場所がある。それより観客の安全を最優先すべきと動いていたのが主催者であり、スタッフだ。会場内を流れる川が増水し、かなり早い段階でボードウォークの一部を閉鎖。過去に例を見ない豪雨の影響で会場に繋がる国道17号線に規制が入ったという情報が流れ、各ステージでの最終ライヴが終わった後、グリーンステージから奥が閉鎖されている。でも、毎年積み上げてきた教訓、特に昨年の経験が生かされていたんだろう、その頃にはテント泊に不安を感じる人々のために地元やプリンス・ホテルが一部を休憩所として確保。彼らを誘導し、キャンプ場の安全を確保し続けたキャンプよろず相談所のスタッフに賞賛の言葉を贈りたい。加えて、悲惨な目にあった仲間たちに救いの手をさしのべようとした人たちがいっぱいいたことも忘れてはいけない。

 主催者、地元の人々、スタッフのみならず、会場にやって来るフジロッカーに与えられたのが、これでもか、これでもかと思えるほどの試練の数々。でも、ほとんどの人たちがそれを乗り越えた後、まるでご褒美のように幸福な時間がもたらされる。夜が明けて、お日様が顔を出す頃、会場に溢れていたのは、まるでなにもなかったかのように満面に笑みを浮かべて最後の一日を謳歌する人々。メディアやSNSが「最悪な一点」をあたかも全体であるかのように吹聴し、尾ひれをつけて拡大していった一方で、この現場にいる人たちが至福のフェスティヴァル体験を語り始めていた。申し訳ないが、それはこの場所で同じ時間と空間を共有しなければわからない。モニターでライヴを見ても、全身に降り注ぐ興奮を感じることはできないし、このエキスプレスをチェックしていても、語り尽くせない幸せを体験することはできない。だからこそ、ここにおいでと呼びかけ続けているのだ。

「これまでで最高のフジロックだった。なによりもこのフェスティヴァルがために、ここに多くの人たちがやって来てるってのがよくわかるんだよ。バンドとか、ライヴとか…。それよりなにより、ここにいることに大きな意味がある」

 全てが終わりかけ、夜空に浮かんでいた三日月が、しらけてきた空に姿を消しかけた頃、今年、「I Am A Fujirocker」というTシャツをデザインしてくれたDJでミュージシャンのギャズ・メイオールが、そんな言葉を口にしていた。しかも、同じような言葉がいろいろな人たちから届けられるのだ。あれほど過酷な時間を過ごしたというのに、多くの参加者が「素晴らしいフジロックだった」あるいは、「過去最高!」と今年を語り始めたのはなぜだろう。もちろん、問題がなかったわけではない。あふれかえるゴミやはた迷惑なキャンプ・チェアーや地面に広げられたシートに、置き去りにされるテントなど、解決しなければいけない問題は山積している。が、規則でがんじがらめにしたところで、思考を停止させるだけで本質的な問題は残されたままとなる。じゃ、どうすればいいんだろう。と、そんなことを考えながら、今年のエキスプレスを締めくくることになる。

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 フジロック史上最悪のどしゃ降りのなか、一方で、熱中症も心配された灼熱の下、開催期間中のみならず、その前から最後の最後まで様々な場所に出没し、会場中を駆け巡って取材をしてくれたのは以下の仲間たち。手前味噌ではあるかもしれませんが、いろいろな圧力や問題に立ち向かいながら、公式にサポートされた独立メディアとして、私たちのフジロックを伝え続けてくれたことを褒めてあげたいと思います。もちろん、完成形はまだまだ。もっともっと学ばなければいけないだろうし、数々の試練も乗り越えなければいけないだろうと思います。間違いもあるかもしれません。もし、そういったことが見受けられたら、ぜひご指摘ください。真摯に対応いたします。

 日本のリクエストに応えてバンダ・バソッティが作ったくれた「フジロック (c/w) レヴォリューション・ロック」の限定盤7インチ・シングルはこちらのサイト、fujirockers-store.com、および、フジロッカーズ・バーで販売を続けます。会場で入手できなかった方で、アナログ好きな方はぜひチェックしてくださいませ。

なお、今年、動いてくれたスタッフは以下の通りです。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/19/
写真家:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、アリモトシンヤ、安江正実、粂井健太、Yusuke Baba(Beyond the Lenz)、白井絢香、リン、HARA MASAMI(HAMA)、おみそ、森空
ライター:丸山亮平、阿部光平、イケダノブユキ、近藤英梨子、石角友香、東いずみ、あたそ、梶原綾乃、長谷川円香、坂本泉、阿部仁知、三浦孝文、若林修平

■英語版(http://fujirockexpress.net/19e/
Laura Cooper, Sean Scanlan, Park Baker, Jonathan Cooper, Sean Mallion, Laurier Tiernan

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、関根教史、小幡朋子、町田涼、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、坂上大介(デザイン)、迫勇一

スペシャルサンクス:岡部智子、熊沢泉、三ツ石哲也、志賀 崇伸、Masako Yoshioka、MASAHIRO SAITO、増田ダイスケ、Riho Kamimura、タカギユウスケ、永田夏来、Masaya Morita、suguta、つちもり、Taio Konishi、Hiromi Chibahara、そして、観客を守るために奔走してくれた全スタッフ、試練を乗り越えてフェスティヴァルの素晴らしさを伝えてくれた観客のみなさん。

プロデューサー:花房浩一

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blues.the-butcher-590213+うつみようこ http://fujirockexpress.net/19/p_1817 Tue, 30 Jul 2019 18:35:50 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1817 トリマトリシカ http://fujirockexpress.net/19/p_1818 Tue, 30 Jul 2019 17:56:40 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1818 熊川みゆ http://fujirockexpress.net/19/p_1819 Tue, 30 Jul 2019 17:00:01 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1819 ORESKABAND http://fujirockexpress.net/19/p_1816 Tue, 30 Jul 2019 09:40:26 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1816 アトミック・カフェ ORANGE RANGE (ACOUSTIC SET) http://fujirockexpress.net/19/p_1820 Tue, 30 Jul 2019 07:36:42 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1820 アトミック・カフェ トーク【津田大介・玉城デニー・元山仁士郎・YOH(ORANGE RANGE)】 http://fujirockexpress.net/19/p_1821 Tue, 30 Jul 2019 05:55:27 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1821 玉城デニー沖縄県知事が登場したアトミック・カフェ。
会場となるジプシーアヴァロンには、入りきれないほどたくさんの人が詰めかけ、注目度の高さをうかがわせた。
小さなお子さん連れのファミリーや、熱心にメモを取る人、地面に腰を下ろしてお酒を飲みながら耳を傾ける人たちなど、参加者の層は多種多様で、いかにもフジロックといった自由な雰囲気だった。

ジャーナリストの津田大介氏、辺野古県民投票の会代表・元山仁士郎氏、ORANGE RANGEのYOH氏らと共に、沖縄の基地問題や日米地位協定について意見を交わした玉城知事は、「日米地位協定は沖縄とアメリカの協定ではない。日本とアメリカの協定だから、皆さんにも関わりのあることなんです」と主張。
その上で、「大切なのは自分で考えること、体験すること。そこから湧き上がるものを見つめてほしい。何かを知ることは、種が芽を出すきっかけになります。自分の種を固くしないで、音楽や政治、沖縄にも興味関心を向けてほしい。そうすれば自分なりの答えが見つかると思います」と語った。

これまで自身の選挙などで、たびたび歌を披露してきた玉城知事。
トークセッションの後には、ギターを持って、CCRの“雨を見たかい”と、ボブ・ディランの“見張り塔からずっと”を歌い上げた。
現役知事の堂々としたステージングに、会場からは拍手喝采。
その歌声は力強く、見る人の心に真っ直ぐ飛び込んでくるような不思議な響きがあった。

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Special Guest:G&G Miller Orchestra feat.トータス松本 http://fujirockexpress.net/19/p_1725 Sun, 28 Jul 2019 21:41:06 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1725 最終日の午前0時。いよいよ今年のフジロックが終わる時間が近づいてきた。2016年にフジロック20周年を記念して結成されて以来、グリーンステージ締めの顔となった総勢18名の混成ビッグバンド、ジー・アンド・ジー・ミラー・オーケストラの登場だ。

今年は日本のソウル界が誇るシンガー、トータス松本をゲストに迎え、スイングジャズ界の巨匠、故グレン・ミラーが世に送り出した名曲と国内外の名曲を織り交ぜたソウルフルなセットで賑やかに締めくくる。

暗転したステージに、ロケットが打ち上がり、人類が初めて月面を歩いたとされる映像が流れる。「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」というニール・アームストロングのあまりにも有名な言葉を受けて、ジャズのスタンダード・ナンバー“フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン”で幕を開ける。フランク・シナトラがカバーして爆発的にヒットしたが、元々は作詞・作曲家のバート・ハワードによって制作された楽曲だ。

そして今夜のゲスト、トータス松本が意気揚々と登場する。光沢のある水色のスーツに、濃いめの柄シャツにピンクのネクタイを合わせ、胸ポケットには黄色のチーフを挿れている。なんともイカした着こなしだ。マーヴィン・ゲイの“スタバーン・カインド・オブ・フェロー”、オーティス・レディングの“ハード・トゥ・ハンドル”を立て続けに熱唱。オリジナルよりも早めにテンポをアレンジしたゴキゲンでファンキーな曲調がよく似合う。ローリング・ストーンズの“サティスファクション”を歌えば、「苗場!苗場!」というシャウトに歓声が上がる。

一度ステージを後にし、再び現れたトータスが歌ったのはジェイムズ・ブラウンの“イッツ・ア・マンズ・マンズ・マンズ・ワールド”。先ほどまでの雰囲気とは一変して、体の奥底からこみ上げてくる感情を振り絞るように、しっとりと力強く歌い上げる。観客から「最高ー!」と賛辞が投げ掛けられ、トータスからくしゃっとした笑みがこぼれた。明るい曲調の中で深刻な社会問題を歌ったメッセージソング“ワッツ・ゴーイング・オン”と、グルーヴィな“アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイアー”を挟んで、「最後にバコンと歌わして、おれに! 歌うぞ、苗場!!」とトータスが歌ったのは“ツイスティング・ザ・ナイト・アウェイ”。完全燃焼しようとするように、ステージ前を中心にツイストダンスを踊る人たちの熱気が溢れた。

クリス・ペプラーが登場してメンバーを一人ひとり紹介して、「来年またここで会いましょう!」と会場に語りかけると、いよいよ今年のフジロックが終わってしまうことを痛感してさみしさが一気にこみ上げてくる。

最後は“ムーンライト・セレナーデ”でお別れ。昨年もこの曲が最後に演奏されたことを思い出し、まるで卒業式で聴く『蛍の光』のような気分になってくる。あいにくと雲に覆われた空に月は見えなかったが、ステージ中央のミラーボールが月のように輝き、周囲に星を撒き散らしているような美しい光景が広がっていた。

今年もたくさんの出会いや感動と出会えた3日間だった。始まりがあれば終わりがあるように、終わりがあれば始まりもある。さあ、今ここから、来年のフジロックまでのカウントダウンを始めよう。

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ケロポンズ http://fujirockexpress.net/19/p_1822 Sun, 28 Jul 2019 14:52:42 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1822 近藤利樹 http://fujirockexpress.net/19/p_1823 Sun, 28 Jul 2019 03:59:49 +0000 http://fujirockexpress.net/19/?p=1823 あっという間の3日目、朝から今日はいい天気!アバロンの最初を飾るのは、「ナニワの光速ウクレレ少年」としておなじみ、大阪府枚方市出身のウクレレ奏者、近藤利樹だ。何度かTV番組に出演しているので知っている人も多いかもしれないが、彼はなんと12歳、中学1年生なのである。紛れもなく、フジロックの出演者で最年少!「あいうえ大阪出身の、かきくけ近藤利樹です」というお決まりの自己紹介はちょっぴり照れていてあどけない。それでもひとたび弦を揺らせば、ジェイク・シマブクロも認めるプロのウクレレプレイヤーに変身するのだ。

最初に、斎藤和義の“歩いて帰ろう”を始めると、早速会場からのあたたかい手拍子が。近藤の歯切れの良いスタッカートに、加藤聡(percussion)もカホンで応える。観客の方を向くだけではなく、お互いに向き合い息を合わせ、セッションを組み立てていくようだ。続いて、運動会のBGMとしておなじみ“クシコス・ポスト”、今日グリーンステージに出演するジェイソン・ムラーズの“I’m Yours”、懐かしのフィンガー5“学園天国”など、フジロックからお茶の間まで対応したバラエティ豊かなチョイスである。

特に素晴らしかったのは、ジェイク・シマブクロのカヴァー“Crazy G”。近藤がこちらに耳を澄ませたポーズをしたならば、観客は「もっと早く!」とコールすることになっているこの曲、加藤に「え、まだやれるの?」と聞かれてもチャレンジした早弾きが見事にハマって、一体感と盛り上がりは最高潮だった。荻野目洋子のカヴァー“ダンシング・ヒーロー”では、ひとりでも多くの観客をノらせた、近藤の煽りの上手さにも脱帽!最後はビールのCMでお馴染みジプシー・キングスの“Volare”をカヴァーして、楽しくみんなで歌いながらフィナーレ!

上半身を前後に振り乱しながら、終始笑顔でウクレレを奏でる近藤。ウクレレと楽曲と観客への愛に溢れた、幸せいっぱいのステージだった。次登場するときは、ジェイク・シマブクロとの共演を、ぜひ!

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