“三浦孝文” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '21 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/21 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 02 Aug 2022 05:24:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.18 誰もが真剣に向き合い、決断を迫られた「コロナ禍のフジロック」 http://fujirockexpress.net/21/p_5816 Tue, 31 Aug 2021 08:53:35 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5816  いつも通りなら、エキスプレスの締めくくりとなるこの原稿の巻頭を飾るのは、すべての演奏が終了した会場最大のグリーン・ステージ前で、満面の笑みを浮かべるオーディエンスの写真となるはずだった。が、今年は撮影さえもしていない。例年ならば、この時間帯、巨大なスピーカーから放たれる名曲、ジョン・レノンの「Power To The People」でみんなが踊り狂うことになるのだが、それが聞こえてくることもなかった。それに代わったのはMC、スマイリー原島氏の挨拶と締めの一言「Power To The People」だけ。オーディエンスの興奮に水を差すのは承知の上で、現場が最後の最後に彼らに対して「ゆっくり静かにフェスティヴァルの幕を閉じるようにお願いしよう」と判断したからだ。

 コロナ禍でのフェスティヴァル開催という、きわめて特殊な状況の下、例年とは全く趣を異にする光景が、始まる前から様々な場所で見え隠れしていた。越後湯沢駅に向かう新幹線から会場へのシャトル・バスでも同様で、いつもなら、嬉々とした表情を浮かべて仲間とはしゃいでいるはずなのに、誰もが言葉少なに見える。彼らが互いに適度な距離を開けて整然と列に並び、苗場を目指しているのだ。今回のフジロックを開催するに当たって、参加するお客さんから、全スタッフ、関係者に伝えられていたのが感染防止ガイドライン。それを彼らが徹底して守ろうとしているのが見て取れる。

 フジロッカーにとってはおなじみの、オアシス・エリアのど真ん中に姿を見せるはずのやぐらは見当たらず、それを囲んで、地元生まれの「苗場音頭」を大音響でながしながら、みんなが輪を描いて踊る光景もなかった。それが今年のフジロック開催前夜。過去10年以上にわたって続けられてきたというのに、レッド・マーキーで、「おかえり!」と声をかけて、「ただいま」と応えるみんなの記念撮影をすることも、もちろん、なかった。本来ならば、フジロックを愛する人達が待ちに待った時間の到来に、彼らの興奮が一気に爆発するのが前夜祭の開かれる木曜日の夜。しかも、前年の開催が延期されての2年ぶりだというのに、きわめて静かな幕開けとなっていた。

 公式に「前夜祭はない」と発表されてはいたものの、唯一それを感じさせてくれたのは、直前までやるのかやらないのか全く知らされなかった花火ぐらいかもしれない。例年なら、ここで大歓声がわき起こり、否応なしに「祭り」の始まりを感じさせてくれるのだが、そんな反応は一切なかった。最初の一発が打ち上げられたとき、わずかに驚きの声が聞こえ、涙を流す人がいたという話も耳に入っている。が、誰もが夜空を飾る花火をなにやら厳かに見上げていたように思う。拍手はあったかもしれないが、シ〜ンと静まりかえった会場で、花火の音と光だけが響くという、どこかで「特殊なフジロック」を象徴するかのような光景が目の前に広がっていた。おそらく、誰もがここまでたどり着くのが簡単ではなかったことを察していたのではないだろうか。


Photo by 安江正実

 当初、ライブハウスなどからクラスターが発生したことも影響したんだろう、感染拡大を誘発する場所として、ライヴ・エンタテインメントの場所がやり玉に挙げられ、そういったものが知らない間に「不要不急」を象徴するものであるかのように語られ始めていた。数多くのライブハウスが閉店を余儀なくされ、ミュージシャンや演劇人が作品の発表の場を奪われたのみならず、照明や音響の技術者が職を失っていた。さらには大規模なコンサートからフェスティヴァルが次々と延期やキャンセルの憂き目にあう。もちろん、感染拡大は阻止しなければいけない。が、同時に、音楽のみならず文化とは生きることに必要不可欠な要素であり、それを否定することはできない。その集大成としてフェスティヴァルという文化が存在する。とりわけ、それが日本で生まれ、成長していくきっかけとなったフジロックを根絶やしてはいけないという思いが主催者、関係者、そして、フジロッカーにはあったということだろう。

 それだけではなかった。昨年、フジロックが延期を発表した頃、町内から「なんとか開催できないか」という打診があったという噂を耳にしている。その理由はフジロックで生まれる経済効果であり、それが断たれることが地元に計り知れない影響を与えることになる。それが二年も続けば壊滅的な打撃を受ける可能性も否定できない。だからこそ、地元と主催者が開催に向けた方法を模索し始めるのだ。その結果として、可能な限り徹底的な感染予防策を築き上げ、観客には不自由きわまりないがんじがらめの感染予防ガイドラインを提示することになる。しかも、本来のキャパシティのほぼ25%程度にまで規模を縮小。結果として1日の最大動員数は1.4万人弱と、一般的なスポーツ競技で日本武道館をほぼ満杯にした程度にとどまることになる。

 これで採算が取れるんだろうか? しかも、感染問題に絡んで参加に不安を感じている人達や体調がすぐれない人達へのチケット払い戻しにも対応している。加えて、チケット購入者にコンタクトをして、希望者には抗原検査キットを発送し、大多数の人たちがそれに応えていた。が、それでもまだ不安だと、目指したのは100%。必要とされる膨大な数の抗原検査キットを集めるのに東奔西走したという話が伝わっている。さらに、会場内の救護テントに加え、バックヤードには数多くの医療関係者や民間救急搬送車3台を待機。また、会場入りする前に全スタッフがPCR検査を受け、陰性であることを証明してからでないと、苗場入りできない取り決めをしていた。加えて、長期滞在するスタッフは定期的に抗原検査を繰り返す。さらに、すでに会場入りしていても、自宅の家族で濃厚接触者が報告されると速効で会場を追われ、陰性であることを証明することなく現場復帰はできなくなっていた。ちなみに、観客のみならずスタッフも全員が毎日検温チェックを受けないと、会場に入ることもできないことになっている。どこかの新聞が「厳戒態勢」という言葉を使っていたのだが、まさしくその通りだろう。


Photo by 粂井 健太

 下手をすると、今年は最もフジロックらしくないフェスティヴァルになるかもしれないという危惧があった。どこかで自由と自主性が魅力となっていたフジロックだというのに、感染対策に絡んで「がんじがらめ」のルールを守らなければいけない。しかも、コロナ禍での開催ということもあり、海外からのアーティストは皆無。会場を演出するUKチームの来日もできなかった。なにやら、フェスティヴァルと言うよりも、緑に囲まれた野外コンサートでしかないかもしれない。さらには、場内でのアルコール販売が禁止され、中心部から離れた場所にごくわずかに用意された喫煙所を除いて全面禁煙となっていた。1997年にフジロックが始まった頃から、毎回出店していた、オアシス・エリアの顔のような存在となっていたバーやお店の数々が出店をキャンセル。すでに「ここに来れば顔を合わせることができる」友人や仲間たちが参加を断念するにいたるのだ。

 誰もが苦渋の決断と選択を迫られていた。特に大都市を中心に新型コロナウイルス感染者が急増し始めると、「なんとか開催してほしい」という声と同じように、「中止すべき」という声も多くなっていった。出演を予定していたアーティストやパフォーマーに対しても、様々な声が寄せられ、参加しようとしていた個人も揺れ動いていた。その結果がなにであれ、ひとりひとりが真剣にフジロックに向き合い、判断したことに敬意を表したい。来てくれたみなさんにも、今年は来るのをやめたみなさんにも、ありがとう。中止すべきだと主張した人にも、開催すべきだと声を上げた人達にも、出演してくれたアーティストにも、出演辞退をした人達にも、ありがとう。そういった反響に感じるのは、多くの人たちにとってフジロックが大きな存在になっていること。だからこそ、真剣に向き合って、彼らが導き出した判断に最大限の敬意を表したいと思う。

 会場では感染予防ガイダンスを守ろうとするオーディエンスに圧倒されることになる。少なくとも、喫煙所やフード・テントを除いて、マスクをしていない人にはお目にかからなかった。しかも、ここで食事をしていて気付くのだ。ほとんど会話が耳に入ることはなかった。「黙食をお願いします」と書かれている注意書きを守ろうとしているのが、痛いようにわかるのだ。久々に仲間と会って握手をしたり、抱き合いたい気持ちがあっても、それを躊躇して肘や拳で挨拶。マスク越しに語り合う人はいても、大声で話す人にはお目にかからなかった。また、水分補給などでマスクを外すときも、周辺に人がいないことを確認してそうしているのが見て取れた。

 ふつうならグリーン・ステージ外にMCを置くことはなかったのだが、今回は全ステージにMCを配し、演奏が始まる前に必ずオーディエンスに呼びかけていたことがある。

「必ず鼻を隠すようにマスクをして、声は出さないでください。安全な距離を保つために地面に記されたマークを確認してください。ステージ前では水分補給用のペット・ボトルなどを除いて、飲食物を持ち込まないでください」

 MCにはそのマニュアルが渡され、毎回オーディエンスに訴えかけるように義務づけられていた。そうして飛沫や接触による感染を防ごうとしているのは言うまでもない。

 そのおかげで目撃するのは、おそらく、フェスティヴァルやライヴでは前代未聞の光景だっだ。どれほどライヴが白熱しても、ほとんど歓声が聞こえることはなく、聞こえてくるのは拍手や手拍子のみ。それでも、その想いがステージ上に伝播するんだろう。加えて、悩み抜いてここに来る決断をしたアーティストの想いがそこに重なって、誰もがとてつもない熱を感じさせるパフォーマンスを見せていた。それは数えるほどのオーディエンスしか目に入らなかったちっぽけなステージであろうと、幾分の違いもなかった。今年は、会場入りを断念した数多くの人達がYouTubeでそれを目撃することになるのだが、演奏の素晴らしさを支えていたのはこの場で生まれた、えもいわれぬエネルギーのたまものではなかっただろうか。


Photo by MITCH IKEDA


Photo by Eriko Kondo

 今年は、珍しく、チーフ・プロデューサーの日高大将が二度、グリーン・ステージに立っている。昔からフジロックを支えた二人の仲間が他界したことを告げたのが初日、そして、最後、日曜日のトリを務めた電気グルーヴの前。そこで彼がオーディエンスから感じたのは「なんとかしてフジロックを支えようとする人々の熱気だった」という。それが端的に表れていたのは彼らが感染防止ガイダンスを守り続けたことのみならず、まるで1999年の苗場で起きた奇跡の再現でもあった。すべてが幕を閉じた後、会場にはほとんどゴミが落ちていなかったという。ゴミ・ゼロ・ナビゲーションを訴えて、活動しているiPledge(アイプレッジ)が毎日、会場に落ちたゴミを拾い集めているのだが、各所に設置された収集箱を除いてほとんど仕事がなかったという嬉しい話も届いている。

 フェスティヴァルが終わった8月24日に発表された主催者からの公式声明によると、その時点で「会期中の会場においてひとりの陽性者も確認されていないこと」が伝えられている。もちろん、それで完結してはいない。「今後も、時間経過と共に情報収集に努め、その結果をあらためて皆様へご報告し、未来のフェスティヴァルにおける感染防止対策の改善につなげてまいります。」と続いている。また、振り返るには早すぎるかもしれないが、完璧を目指したすべての関係者、地元のみなさん、そして、全国から会場にやって来ることができた方々や来られなかった方々にも、批判した方々にも、ここまでたどり着けたことを感謝したいと思う。

 台風に襲われて惨憺たる状況を経験した1997年開催の第一回目から、その存続が問われる大きな試練となったのが苗場に場所を移して最初の1999年。「ロック・フェスティヴァルは危険だ」という偏見に対して、互いを思いやり、愛し合うことを行動で示すことによって、会場どころか、苗場の町からお世話になったホテルや民宿でゴミひとつ落ちていない「奇跡」を形にしていた。これが「地元と共にフェスティヴァルを育てる」という流れを生み出している。それ以降、同じように台風や記録的な豪雨といった幾多の試練を乗り越えて成長してきたとは言え、今回直面したのは前代未聞のウイルスによる危機だった。前述のように、まだまだ結論を導くには早すぎるのは十分承知の上で、関わるすべての人達が可能な限りの知恵と努力で「奇跡」を目指した今年は、フジロックの歴史を語る上で無視できない1年となったことは言うまでもないだろう。

 どこかで様々な意見や考え方の違いが音楽界で分断を引き起こしているという声も耳に入る。が、フェスティヴァルを愛する人達が、多様性を認めるのは当然であり、互いを尊敬し、受け入れて、そこからよりよい選択肢へと自らを導いていくべきだと思う。その上で、今回の経験を糧に、来年を目指したいと思うのだ。このウイルスによる影響がいつまで続くのか、誰にも予測はできないかもしれない。いつか、そんな心配をすることもなく、苗場でみんなとまみえることがある日を願って、今年のエキスプレスの幕を閉じたいと思う。

 なお、ガイダンスに則り、感染を防ぎながら取材をしなければいけないという難しい状況のなかで、動いてくれたスタッフに最大限の賛辞を贈りたい。マスクやフェイス・シールドの用意はもちろん、安全な距離を保ちながらの取材は簡単ではなかったはず。また、独自に用意周到な感染対策を生み出してラウンジを運営したスタッフにも頭が下がる。心の底から、ありがとう。

 今年動いてくれたスタッフは、以下の通りです。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/21/
フォトグラファー:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、アリモトシンヤ、安江正実、粂井健太、白井絢香、HARA MASAMI、おみそ、suguta、シガタカノブ、佐藤哲郎
ライター:丸山亮平、阿部光平、石角友香、あたそ、梶原綾乃、阿部仁知、近藤英梨子、イケダノブユキ、三浦孝文、東いずみ

■英語版(http://fujirockexpress.net/21e/
Laurier Tiernan, Jonathan Cooper, Nina Cataldo

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、obacchi、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、坂上大介(デザイン)、迫勇一

スペシャルサンクス:三ツ石哲也、若林修平、守田 昌哉、Park Baker、そして、観客を守るために奔走してくれた全スタッフ、試練を乗り越えてフェスティヴァルの素晴らしさを伝えてくれた観客のみなさん。

プロデューサー:花房浩一

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fujirockers.orgとは1997年のフジロック公式サイトから独立した、フジロックを愛する人々のコミュニティ・サイト。主催者から公式サポートを得ているが、独自取材で国内外のフェスティヴァルからその文化に関わる情報を発信。開催期間中は独自の視点で会場から全方位取材で速報を届けるフジロック・エキスプレスを運営。
http://fujirockers.org/
MerdekaTogel

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私が見たフジロック(Day 3)from スタッフM http://fujirockexpress.net/21/p_5524 Tue, 24 Aug 2021 09:01:04 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5524  今年のフジロックもあっという間に最終日を迎えた。例年なら、3日目の朝に目が覚めた瞬間から終わってしまうことへの寂しさがこみ上げてきたものだが、もちろんその気持ちもあるものの今年は少し違う。とにかく平穏無事に終わってほしいと、フジロックが来年も開催されることを切に願う気持ちが強い。 

 今年のフジロック開催にあたって、ツイッターで「#フジロックの開催中止を求めます」ハッシュタグができるなど、主催者をはじめ、出演アーティストや全国から来場するフジロッカーが批判にさらされている。批判している人たちの言い分、意見や考えはごもっともなものが多いのも事実だし、批判や批評があって当然で何も悪くない。なぜ主催者は開催に踏み切り、演者は出演を決め、我々は現地に赴くのか。「なぜフジロックなのか?」ということに尽きると思う。

 私もフジロックに参加しはじめた頃は、お目当ての出演アーティストがいて、音楽を聴きに行くのが一番の目的として参加していた。毎年足を運ぶうちに、徐々にただ愛する音楽を聴きに行くだけの場ではなくなってくる。フジロックはフェスティヴァルなんだということを体感するのだ。音楽、アート、食事というそれぞれの分野で活躍している人たちが大切にしている表現、苗場の大自然の中でこそのフジロックだということ、地元湯沢町、新潟県との繋がり、主催者の想い、ここで出会った仲間たち、現場で新しく知り発見する社会のことなど、その総和がフェスティヴァルという文化を醸成し、自分の中でのフジロック像を形成してきた。ここに触れて感動するからこそ毎年参加し、現場を伝えたいというところからフジロック・エキスプレスにも参加するようになり、フジロックがない普段の大阪での日々もフジロック好きや音楽好きの集いである【フジロッカーズ・バー関西】をbig cakeでやらせてもらったりと、フジロックと繋がって生きている。これが私なりの「なぜフジロックなのか?」だ。

 最終日の印象的なライヴのことも振り返っておきたい。まず、GEZANだ。首謀者のマヒトゥ・ザ・ピーポーは、フジロックの直前に晶文社のスクラップブックでの連載『懐かしい未来』において「批判や責任の一端を背負った上で、個人的な切実さを理由にわたしはフジロックのステージを全うする。生きてるってこういうことだよなっていう一つの感触を、人と人が出会うことの意味を、2021年の混乱と光の同軸で鳴らし、記号ではない血の通った存在の振動でもって、苗場を爆発させる」と自分なりの考えを表明し、尋常ではない覚悟でフジロックにのぞむことを宣言していた。そして、宣言通りに、感動の渦を生み出して苗場を爆発させた。「それぞれの選択を」という言葉には、分断を求めない祈りにも似た感情が込められている。GEZANと同時間帯にホワイトステージに立っていたのがTHA BLUE HERB。MCのILL-BOSSTINOは、今回のフジロックをただの感動で終わらせない、補償とか枠組みとか仕組みを作る重要性について、そしてそれができるのは政治家たちだということを訴えキャップを脱ぎ、頭を下げた。思い出す度に感動して震えてしまう。そして、忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVER。 東日本大震災に新型コロナ、どんどん混沌としていく世界をキヨシローはどんな歌で表現しただろうか。どんな辛辣な言葉を浴びせただろう、どんな優しい言葉をかけてくれただろう、どんな可笑しな言葉で笑い飛ばしてくれただろうか。豪華出演アーティストたちが嬉々として繰り広げるまったく古びないゴキゲンなナンバーたちを聴きながら、雨が降り注ぐグリーンステージの前でみんなと一緒にて、この瞬間を噛みしめ涙が流れた。キヨシローの「愛し合ってるかい?」の投げかけに、ここには愛しかないと答えたい。

 怒っている人、おちゃらけている人、真面目な人、優しい人、混乱している人、かっこつけている人、世の中には本当に色んなあり方の人たちでいっぱいだ。それぞれがそれぞれの表現をしている。それぞれが大切なものを持っている。多くの出演アーティストたちが自分なりの考えを表明し、制限やルールがある中でも存分に楽しみことを自ら生み出していたお客さん。今年のまたとないフジロックを体験して、お互いの存在に向き合うこと、お互いが大切にしていることを大切に扱うこと、相手を自分の意に沿うように変えたりしようとせず、そのままを、あるがままを認め合うことの大切さを強く感じた。ありがとうフジロック!来年は、7月29日(金)、30日(土)、31日(日)の3日間、開催されることが決定した。みんなで愛してやまないこの場所にまた必ず帰ってこよう!

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忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVER with ROUTE 17 Rock’n’Roll ORCHESTRA feat. 仲井戸”CHABO”麗市 GUEST:UA、エセタイマーズ、奥田民生、GLIM SPANKY、甲本ヒロト、チバユウスケ、Char、トーキョー・タナカ/ジャンケン・ジョニー、トータス松本、YONCE http://fujirockexpress.net/21/p_834 Sun, 22 Aug 2021 18:14:50 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=834  フジロック2021も早くも最終日。とっぷりと日も暮れ、ぼちぼち終幕へと向かっている。次のステージにワクワクしつつも、どうしようもない寂しさに襲われる時間帯だ。これからここグリーンステージに登場するのは、今年のフジロックの目玉のひとつ、忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVER。2009年にこの世界から姿を消した我らがMr.フジロック、忌野清志郎(以下キヨシロー)。フジロックの箱バン、ROUTE 17 Rock”n”Roll ORCHESTRAの豪華メンバーたちが忌野清志郎 Rock’n’Roll FOREVERとして、キヨシローのご機嫌なロックン・ロールナンバーを繰り広げるのだ。

 開演直前まで強く降り注いだ雨も止み、まさしく雨上がりの夜空の下、流れる”清水次郎長伝の石松三十石船道中”とともにザ・タイマーズのオマージュバンドのエセタイマーズの4人が登場。フォトピットに乗り入れられたトラックの荷台に特設されたテントステージにて(「ステージに上げてもらえねぇんだよ!バカヤロー!」とのことだ)、ザ・モンキーズの名カバー曲”デイ・ドリーム・ビリーバー”を披露。冒頭のお馴染みのフレーズが流れるだけで周囲の熱がグンと上がるのが感じられた。

 どことなくBRAHMANのTOSHI-LOWによく似た人が、アジアン・カンフー・ジェネレーションのゴッチに似ている人に「言っちゃえよ!」と発言を促す。死んでもいいくらいの覚悟をもって苗場入りをしたこと、ここがグラウンドゼロみたいな気持ちで、愛し合って、許し合って、みんな家まで無事に帰って、生き延びて、周りの自分たちが関わっていない様々な人生のことも想像しながら、またこの素敵な場所でみんなに会えることを楽しみにしていると感謝を表した。ハイスタのツネさんに似ている人が叩き込む激しいドラムソロからの”TIMERSのテーマ”の替え歌を披露。差別をやめてよ!平和が大好き!お酒が大好き!来年は君と笑っていたいよー!こんなでたらめな政府とおさらばしたいよ!と歌に乗っけて伝えたいメッセージをこれでもかと届け、次の曲をマイクなしの状態で奏でながらトラックとともにステージ脇から退出していった。のっけから何という粋な演出だろう。

 エセタイマーズの退出中に、ステージからボビー・ダーリンによる”Mack the Knife”が流れはじめ、【忌野清志郎 Rock n’ Roll Forever】のサインに照明がともる。MCのクリス・ペプラーが、キヨシローのソウルはここ苗場の地に根付いていると宣言し、今朝はキャンセルになった民謡クルセイダーズの代役として急遽アコースティックセットを披露したGLIM SPANKYの二人を呼び込んだ。彼らがセレクトしたのは”僕の好きな先生”。フロントウーマンの松尾レミ自身が美術の大学に行って、美術の先生にお世話になったことから、キヨシローの体験に基づいた大切なこの歌に自分を重ねて選んだとのこと。ハスキーボイスで響くサビのパートが身震いするほどかっこいい。

 お次はキヨシローと縁が深いChar。入りから奏でられた十八番の流麗なフレーズにジーンとさせられる。キヨシローとの共作曲の”かくれんぼ”を披露。「ひとりでかくれんぼ」をしている孤独なオニに対するシンパシーあふれる歌詞にも思わず目頭が熱くなってしまう。

 ROUTE 17 Rock”n”Roll ORCHESTRAのメンバー全員が顔を揃え、The Whoの超名曲”My Generation”をかますと、あのフレーズが!”JUMP”だ。トータス松本が、上下黄金のスーツでキメ、キヨシローよろしくマントを装着してステージ左右に歩きまわり、嬉しそうに歌い上げる。「JUNP!」とみんなと楽しく飛び跳ねるのはやっぱり最高だ。ライヴっていいなぁ。

 キヨシローのバディ、CHABOこと仲井戸麗市がギターをかき鳴らしながら満を持して登場。”よォーこそ”で熱く、場を仕切り直す。相変わらずめちゃめちゃかっこいいなこの曲は!「ヘイヘイ!フジロック!よォーこそ!」、「どうだい、のらないか?よォーこそ!」。そりゃぁ、のるに決まってるでしょ!

 SuchmosのYONCEが不思議なダンスしながら参上し、”すべてはALRIGHT”が開始。よりR&B感強めのYONCE印がスタンプされた歌に昇華され仕上げられていた。

 青木ケイタのバリトンサックスが”ボスしけてるぜ”のリフを重たくかつ軽妙に響かせる中、チバユウスケが登場し、”あきれて物も言えない”へなだれ込んだ。The Birthdayの曲と言われても不思議ではないほど完全にチバの歌になっている。中盤に”ボスしけてるぜ”のリリックも入れながら巧みに、かつクールにがなるのだ。

 ステージ横から嬉しそうに飛び跳ねながらUAが登場し、超名曲”トランジスタラジオ”を投下。「聞いたことのないヒット曲」にインスパイアされ「覚えてるかなこんなヒット曲」と自身の名曲”情熱”を挟み、とにかく楽しそうに歌い上げる。次にセクシーな”スローバラード”を歌うのは、「たみお・おくだ!」と奥田民生を呼び込み「風邪を引かないでね!」と雨に打たれるオーディエンスを気遣いステージを後にした。

 民生が渋くしめやかに”スローバラード”を歌い上げる。時が止まってしまったかのような感覚に陥るほど。間奏部でのブロウしまくるサックスの鳴りもたまらなかった。ここまでそれぞれが愛するキヨシローチューンを披露してきたが、時に笑顔にさせ、時にしんみりとさせ…あらゆる感情を想起させてくれる楽曲の振り幅の大きさにあらためて驚かされた。

 ギターのリフがザクザク刻み込まれると、お馴染みの2匹のオオカミが。トーキョー・タナカとジャンケン・ジョニーだ。キーボードの跳ねるリズム音が最高にロッキンブルーズな”ドカドカうるさいR&Rバンド”を発射。MAN WITH A MISSIONとキヨシローとのリンクには疑問を持っていたのだが、まったくの誤りだったようだ。想像以上のキヨシロー然としたロッケンローを表現しきっていた。ジャンケン・ジョニーが、この錚々たるメンバーと集合写真を取った時、チバユウスケに思いきり頭をとられそうになりましたと思い出を楽しく語っていたのも何とも可笑しかった。

 甲本ヒロトがいつもの痙攣したような動きで飛び出してきた。すぐにTシャツを脱ぎ捨て、上半身裸になり「キモちEE!」とシャウト。ドンピシャ過ぎるセレクトに思わず爆笑。ヒロトの人生そのものな曲なのだろう。最後に歌詞を間違えたようで、『おそ松くん』のイヤミのシェーのポーズをして、「間違えたー!」と恥ずかしそうに、そして嬉しそうに笑顔でステージを後にした。

 ここから再びCHABOが場をリード。「フジロック、2年ぶりにようこそ。キヨシロー、来てるんじゃないかな。フジロック大好きだったから」「ご機嫌なやつらが集まって歌ってくれてるぜ!みんな一緒にいるぜー!」と空に向かって投げかける。もうこのくだりだけで泣けてしまう。「清志郎くんが愛していたラヴソング、俺たちRCが大事にしていたラヴソング」と”指輪をはめたい”を披露。梅津和時がブロウするシャープなサックスのソロも絶妙な味わい深い音を披露している。最後の梅津とチャボの掛け合いは涙ちょちょ切れものだ。ラストは「田舎へ行こうー」の一言で締めくくった。

 ROUTE 17 Rock”n”Roll ORCHESTRAのバンマスの池畑 潤二が叩き出すビートが続く中すべての出演者が順に登場し、「皆さーん!最後にもう一曲!日本の有名なロックンロール!」と甲本ヒロトが叫び、”上を向いて歩こう”を全員で合唱。「幸せは雲の上に」のところで、感極まって涙が流れてしまった。豪華な面子がもうこれでもかと楽しそうに次々にソロで繋いでいく。これだよ、これがロックンロール!割れんばかりの拍手の中、歓喜のステージが完了した。ステージが暗転し、画面に映し出されたのはフジロック出演時の映像”雨上がりの夜空に”。本当にキヨシローはここにみんなと一緒にいたんだね!

 キヨシローの音楽と言葉、魂は今もフジロックに、苗場の地に、我々フジロッカーたちの心に生き続けている。東日本大震災に新型コロナ…言いたいことがどんどん言えなくなってきている時代にキヨシローが残したものの重みが年々増していっているように感じられてならない。今、大切なのは互いへの「愛し合っているかい?」からはじまるコール&レスポンスだ!

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Joe’s Garage Naeba presents “芸術衝突” http://fujirockexpress.net/21/p_5534 Sun, 22 Aug 2021 10:55:01 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5534  最終日の昼下がり、フジロックの期間中に場外のスワロー苗場ロッジで開催されていた【Joe’s Garage Naeba presents “芸術衝突”】というジョー・ストラマー展に立ち寄った。2019年にもお邪魔したジョーの魂が宿る場所だ。Joe’s Garageの創作者であり展示会の主催者である太田哲二さんとは前回以上にゆっくり会話をする機会を得た。

 実は、ジョー本人がスワロー苗場ロッジに何度もビールを買いにきていたという話(ビール1ガロンを1万円で売って、それに味をしめたジョーが何度も足を運んでいたそうだ。その時の写真が残されている)、パンク雑誌 『Punk Rock Issue Bollocks』を中心に撮影している写真家、菊池茂夫が切り取ったジョーの写真と、太田さん秘蔵の菊池フォトTを併設展示したり、Joe’s Garageのイメージを描いたイラストレーターのGarbageWhichBurnsのイラストや、 勝手にしやがれのリーダー、武藤昭平がボールペンで描いたジョーのポートレートを展示したりと(プリントしたものとは思えないほどリアルな質感だった)、まさしく芸術衝突”状態。右側のガレージの中だけではなく、中央の階段から左側の壁まで自由にジョーが存在する世界を表現していた。

 今回のフジロックでは、コロナの影響でスマッシュUKの面々が参加していないこともあって(大好きなパレス・オブ・ワンダーがないのはさすがに寂しい)、客足が鈍いとのこと。ジョーが日高大将とグラストンバリー・フェスティヴァルで会い、出演者としてではなく、キャンプの仕方をお客さんに見てもらって、フェスティヴァルの楽しみ方を教えたい、一緒に遊びたいという理由で初年度から毎年のように来ていた。音楽を聴かずに旗をひたすら作ったり、会場内でふらふら飲んで歩いてる様子を目撃した人も多いのではないだろうか。フジロックが単なる音楽フェスに終わらなかったのは、ジョーの貢献によるところが大きいと思う。今もそれが語り継がれているのだから。

 太田さんからはGarbageWhichBurnsが手掛けたジョーのイラストが描かれたJoe’s Garageの特製バッチをいただいたり、スワロー苗場ロッジのオーナーのジュンさんにはメキシコ料理(エンチラーダなど。美味!)をふるまっていただいたりと、本当によくしていただいた(本当にありがとうございました!)。

 来年もきっとJoe’s Garageにジョーの魂が降りてきて、フジロック開催の無事を祈っていることだろう。

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私が見たフジロック(Day 2)from スタッフM http://fujirockexpress.net/21/p_4812 Sun, 22 Aug 2021 09:35:40 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=4812 私が2日目に観たライヴは、個人的な諸事情により、取材したヘブンでの光風&GREEN MASSIVEと、元ちとせをスペシャルゲストとして迎えたスカフレイムスの2本のみ。残念なところはもちろんあるが、人生では色々なことが起きる。欲しくないことだって起きる。このコロナ禍だってそうだ。起きたことに合わせてダンスし、そこから楽しんでいくしかない。ということで、家族や仲間たちの目も借りて、彼らから得た話を盛り込みながら、二日目を振り返っていきたい。

 私の母がこの日のベストアクトだと言っていたSIRUP。グリーンステージから流れてきた心地よいR&B/ソウルが素晴らしく、前情報がまったくない状態だったがその音と歌声に誘われてそのままラストまで観てしまったそうだ。彼は、フジロック開催の直前に「フジロック出演にあたって ご一読頂ければ幸いです!」とフジロック出演に対する考えを真っ直ぐな言葉とともに表明していた。今年のフジロックでは多くのアーティストたちがステージ上で自分たちなりの考えを示していたが、その流れのきっかけを作ったのが彼だと感じている。ステージでは、立場的に弱者の人たちに対する想いなど、彼自身が日々感じていること、実際に行動していることを音楽を通して語り、先の表明のラストにある「大変な世の中ですが、皆様ぜひご自分を大切にしてください」、自分を大切にすることが、他人を大切にすることにつながるということ、その本物の言葉が胸に響きめちゃめちゃ感動したとの感想を母は語ってくれた。

 Corneliusのキャンセルにより、急遽出演が決定したKen Yokoyama。期間中に場外のスワロー苗場ロッジで開催された【Joe’s Garage Naeba presents “芸術衝突”】というジョー・ストラマー展に立ち寄った際に、横山健がステージ上で語ったという激アツな内容を聴いた。「どうしたらいいか分からない時、僕は心のジョー・ストラマーに聞くんです。だけど今回ばかりはジョーもどうしたらいいか分からないって。でも、ステージに上がったらブチかませ。できるだけ激しくな!」と。熱い、熱すぎる!ジョー・ストラマーはご存じの通り、フジロックを愛し、日本にフェスティヴァルの楽しみ方を文化を教えてくれた、フジロックに欠かせない存在であり精神だ。彼の心の中のジョーが言う通り、正しい答えなんてないのだろう。自分で考え、自分なりの答えを出し、行動を選択していくしかないのだろう。この話には本当に力づけられたし、勇気づけられた。

 そして、この日のグリーンステージのトリを務めたのがKing Gnu。こちらは我が弟から話を聞いた。バンドの鬼気迫る演奏も凄かったが、井口理の歌、特に”The hole”での祈りのような感極まる表現に圧倒されたとのこと。「すごくおこがましいかもしれないけど、少しでも明日を笑顔で生きられる力になれたらいいなと。そういう思いで立てたらいいなという気持ちで今日ここに立っています」と涙ながらに想いを伝え、場が感動に包まれたそうだ。バンドの創始者でリーダーの常田大希も「正解は誰にもわからないけれど、家族や仲間のことを考えて行動することがコロナに打ち勝ったり、より良い未来につながる」と自信の考えを表明した。

 今回のフジロックでは、上記に限らず多くのアーティストが自分なりの見解や考えを示している。コロナ禍に起因した現象であることは間違いないが、良い傾向ではないだろうか。自分が思うこと、感じることを表して、その上で選択し行動していく。選択した自分の責任にもとづいて。アーティストによる自由な表現や、苦悩も含んだ彼らなりの考えを我々日本全国のフジロッカーが聞いたのだ。これは大きなことだ。フジロックはただの音楽フェスティヴァルではない。その後の価値観、そして人生をもまったく変えてしまうような可能性に満ちた場であることをあらためて感じた次第だ。

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We’ll meet again ~Shinya Arimoto & qucecke Exhibition~ http://fujirockexpress.net/21/p_5544 Sun, 22 Aug 2021 07:15:11 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5544  フジロック最終日の夕方、感染防止対策目的で、今年に限り最奥地に移設されたNGOヴィレッジを目指していた。仲間の写真家のアリモトシンヤが、イラストレーターのqucecke(くせっけ)とともに、フジロックの森プロジェクト協力のもと、エキシビションを開催するのだ。

 着いてみると、残念ながらアリモトもquceckeもいない。間が悪かったかなと気にしつつ、本エキシビションは、昨年フジロックが開催される予定だった8/21から三日間に渡ってアリモトが撮影した会場風景の写真の上にイラストレーターのquceckeが絵を描きミックスしたもの。あたかも昨年にフジロックが開催されていたかのような作品を作りたいということで、約1年をかけて作品が完成し、今年のフジロックの現場で展示されている。色んなところを通ってここに漕ぎつけたことを承認し、ただ「おめでとう!」と言いたい。

 本エキシビションのタイトルは『We’ll meet again』。ジョニー・キャッシュの生前最後のアルバム『AMERICAN VI:THE MAN COMES AROUND』のラストを飾っていたのが”We’ll meet again”だ。味わい深く暖かみのある歌声が胸に響く、シンプルなカントリーチューン。この曲はイギリスの歌手・女優ベラ・リンが主演した同名のミュージカル映画の主題歌のカバーで、当時(1943年)、第二次世界大戦において従軍した兵士への想いを歌って、戦時下の人たちに将来の希望を与えたとして有名だ。愛しい人を想い、生きて、再び逢おうという、いち庶民の気持ちを表した歌詞に心を打たれたのだろう。このコロナ禍という全世界での辛い境遇は、当時に似たところがあるのかもしれない。この苦境をともに乗り越え、希望を持って生きてゆこう、そして愛するフジロックで、ここ苗場で、また会いましょうという想いが込められたタイトルだ。

 実際の展示物もじっくり見せてもらった。フレームはボードウォークの廃材を使って制作されており、想像していたよりも全然大きかった。作品だけではなく、Tシャツもバッチもポストカードもある。ぜひ、2021年のこのまたとないフジロック、想いをシェアしにぜひお立ち寄りいただけると幸いだ。

 そして、朗報がある。本エキシビションは、この後、大阪と東京を巡り、秋のボードウォークのタイミングで、苗場食堂で展示される予定になっている。ぜひ遊びにきてほしい。では、皆さん来年もこの苗場の地で!

Info.
FUJIROCKERS FOREST PRESENTS Shinya Arimoto & qucecke Exhibition 『Well’ Meet Again』
・FUJI ROCK FESTIVAL 2021.08.20(金)/21(土)/22(日)@ NGO VILLAGE フジロックの森プロジェクトブースにて
 イベントページ:https://fb.me/e/2j28O1u1f

・大阪 会場:big cake 住所:大阪府大阪市西区南堀江4-9-36ジョエロ堀江1F 2021.9.4(土)‐13(月)11:30-24:00 *展示期間中のみ、9/8(水)休業日
 イベントページ:https://fb.me/e/yVKoFiqq

・東京 会場:K.WEST 住所:東京都新宿区矢来町122番地B1(メトロ東西線 神楽坂駅)2021.9.18(土)-27(月)15:00-23:00
 イベントページ:https://fb.me/e/4df3ujZLo

・新潟 会場:苗場食堂 住所:新潟県南魚沼郡湯沢町三国 Boardwalk Camp vol.67 *日程はSNSでお知らせします。

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STAP Sigh Boys http://fujirockexpress.net/21/p_954 Sun, 22 Aug 2021 05:18:15 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=954  今回の出演アーティストをブラウズしていて強烈に目に留まったのが、本アーティストのSTAP Sigh Boys。インド風の女装?アイルランド?そして高円寺在住?プロフィールを読んでもよくわからない。これは目撃するしかないと、新人アーティストの登竜門的ステージのROOKIE A GO-GOへと急いだ。

 例年は場外エリアだったが今年は場内で、苗場食堂ステージが昼間の時間にROOKIE A GO-GOとなる。以前はDJテントのブルーギャラクシーがあった辺りだ。長椅子が備え付けられ、間隔を空けて座るよう注意書きが施されている。ステージが完了次第、毎回消毒を徹底していて、ここでも主催者の絶対に感染者を出さないという覚悟が見て取れた。

 開演前からかなりの席が埋まっていて、注目度の高さがうかがえる。開演時間になると、突飛な音が飛び交う中、四方に黄色の立ち入り禁止のテープが貼られた緑のシートで全身が覆い隠された状態で登場。バックバンドを務める3ピースバンドのNeruQooNeluは白衣姿と、この出で立ちに興味をそそられたのか、前方の席を確保しに移動するオーディエンスが散見された。顔を少し出して歌っていたが、途中でシートをはがすと、両肩に肩を組みあっているように見えるキャップをかぶった人形2体が現れた。「基本的に初めてのライヴですから、めちゃくちゃ緊張してます!」という中で、みんなで肩を組んで僕の音楽を楽しんでほしいと気持ちが伝わってきたし、曲の最後に大歓声の音を入れたりして、この環境下でも最大限盛り上げようとする創作している様子には好感しかなかった。

 基本は、面白いサンプル音を入れ込みながらのベースが先導するファンキーなインディーロックだ。NeruQooNeluのKajiが出力するベース音は腰にビンビン来る。座って静かに観ていても身体の揺れを止めることができない。6週間前にはバンド形態としてのSTAP Sigh Boysは存在しなかったとのことで、「本当に本当に助けられた」と感謝の意を表していた。Black Flagを思わせるエキセントリックに疾走するハードコアチューンもB級感たっぷりで大好きだ。

 ラストの”You Could Be Love”でバンドが生み出す渾身のグルーヴの中、カズーを吹き鳴らしまくって爽快に完了。拍手が続く中、何とも恥ずかしそうにステージを後にした。初めてにして、フジロックという大舞台でのライヴは、可能性にあふれていた。ここをきっかけに、STAP Sigh Boys流の面白い表現をどんどん磨いて、出して爆発させていってほしい。彼の今後の一手に大期待だ。

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THE SKA FLAMES plus Special Guest 元ちとせ http://fujirockexpress.net/21/p_892 Sat, 21 Aug 2021 18:14:36 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=892  フィールド・オブ・ヘブン(以下ヘブン)での歓喜のステージで魅せてくれた光風&GREEN MASSIVEのステージ完了後、フジロック会場全域をぶ厚い雨雲が覆い、今年のフジロックで一番の豪雨に見舞われることになった。

 ここヘブンに登場するのは、日本にスカという音楽、文化を根付かせた立役者たるバンド、THE SKA FLAMES。今回は鹿児島県奄美大島の歌姫、元ちとせとのコラボステージということもあってか、雨が降りしきる中、サウンドチェックの段階から多くのオーディエンスがステージ前に集まってくる。

 3サックス、トランペット、トロンボーンのホーン隊、ベース、ドラム、パーカッションとキーボードのリズムセクション隊と、2ギターの総勢11名が一斉に音を出力し、賑やかしな”屋仁川ブルース”(やんごぶるーす)からスタート。即スカダンスで反応するオーディエンスも最高だが、何より最高なのはバンドメンバーたちの嬉しくてしょうがない!様があふれ出ている笑顔だ。幸せを感じるのはこういう瞬間。フジロックではこんな瞬間に何度も立ち会うことができる。本当に大切な場と時間だ。

 浴衣姿の伊勢浩和が暖かい歌声で歌い上げる”Everytime I Wanna Think About You”で、ホーン隊の全員とギターの宮崎研二を紹介し、それぞれが必殺のソロパート繰り広げる。トロピカルな南国風の音満載の”I’ll Close My Eyes”に呼応するかのように雨脚が弱まっていく。「フジロック、雨あがったぜー!」と嬉しそうに叫ぶ伊勢。集まったオーディエンスを気遣うからこその喜びの表現だ。

 1stアルバム『Ska FEVER』をプロデュースした、ギャズ・メイオールの名物イベント、「Gaz’s Rockin’ Blues」の40周年を祝し、ザ・スカタライツの曲”Reburial”を披露。間違いなく本セットのハイライトのひとつ。音が一丸となって全身に浴びせにくるオーセンティックスカ然としたバンドアンサンブルがたまらない。これにのれないやつなんているのか?いるわけがない。フロアのあちこちにスカダンスの嵐が吹き荒れたのだから。やはりフジロックとスカはベストマッチとしか言いようがない。ザ・スカタライツにリコ・ロドリゲス、東京スカパラダイスオーケストラなどなど錚々たる面子がここでスカを表現してきた。苗場の地にその極上のバックビートが染み込んでいるからなのではないかとすら感じられるほどスカが自然に響き渡るのだ。

 故郷の奄美大島を想って作られた”奄美ワルツ”から”Uncyaba”へ。間奏部で満を持して元ちとせが登場。めちゃめちゃ楽しそうに、ずっと笑顔で身体をホップさせ揺らせている。特に次の”ワダツミの木”のこぶしは凄いの一言。完全に圧倒されてしまった。発声の緩急と音程の上げ下げの細やかなことと言ったら!一体どうやったらあんな節回しが可能なのか…。たった2曲だったが、歌姫元ちとせの本領を十分に堪能した。

「来年も開催できるよう、みんなで頑張っていきましょう!」と”Rip Van Winkle”から”Tokyo Shot”のキラーチューン2連発で、スカという生でこそ活きる音楽の楽しさ、素晴らしさ、そして愛を表現しきってステージを後にした。

 やっぱりリアルなライヴは最高だ。演者とオーディエンスの生のコミュニケーションで奇跡の場を創る。これは何ものにも代え難い、生きている証のようなものだ。そして、握手やハグをして楽しさや喜びを表現し合いたい。そんな、かつての当たり前に戻るにはもう少し時間がかかるかもしれない。幸運にもフジロックの現場で、最高なライヴを体験した我々は、何をするのか?少なくとも頑張っている誰かを誹謗中傷したりすることではないだろう。スカフレイムスのライヴでみんなで創り出したあの空間、グッドヴァイブスを分かち合い、人と、生きるこの世界と関わっていきたいよね。

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光風&GREEN MASSIVE http://fujirockexpress.net/21/p_893 Sat, 21 Aug 2021 06:31:18 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=893  フジロック2021、2日目。昨日に続き、空は晴れ渡り、うだるような暑さだ。ここは、フィールド・オブ・ヘブン(以下ヘブン)。通常はハンドメイドなヒッピー文化を感じさせるお店が立ち並んでいるのだが、今年は一切ない。少し寂しく感じるが、ここに漂う自由でピースフルな空気感はやはり唯一無二。ステージで使用する電力はバイオディーゼル発電でまかなわれ、CO2排出量削減に取り組んでいて、フジロックが掲げる「自然との共生」を体現しているステージと言えるだろう。

 暑い昼下がりのヘブンに登場するのは、浜田光風(以下光風)率いるルーツロックレゲエバンドの光風&GREEN MASSIVEだ。これから、この天気の下、ここヘブンでレゲエを堪能するのだ。何て最高なんだろう。ステージ前方に風が心地よく吹き込む中、バンドメンバーが登場し、ゆったりとステージが開始。光風が”You rock so, you rock so. You skank so, skank so”とボブ・マーリー・アンド・ザ・ウェイラーズの”Lively Up Yourself”を思わせるフレーズを投げかけ場の熱をのっけから上げていく。軽快なスカナンバー”我解放”が飛び出すと、フロアの熱が一気に上がって、思い思いにダンスしている。みんなマーキングされた位置でしっかり距離をとりつつ楽しんでいる。制限やルールがある中でこそ、自ら前のめりに生み出して存分に楽しむのがフジロッカーだ。

 目頭を熱くさせるメロディの”十六夜月”と、まさしく今、この瞬間にぴったりの”八月”の絶妙な流れ。光風の心に響くような暖かい歌声に染み入ってしまう。

「声は出せないんでしょ。じゃあ手拍子で!」とオーディエンスとしばしのセッションタイムへ。「いいですね!これがグッドヴァイブスというんですよ!」と満を持して投下されたファンキーチューンの”Mosquito”。止まらない手拍子の心地の良いリズムが会場一帯にこだまする。間奏部からのギター、ベースのソロパート、ラスタマン節満載のトースティングの流れで、光風が権力に向かって中指を突き立てて、グルーヴの渦に叩き込んで締めくくった。

「声を出さなくてもみなさんのバイブスが伝わるよ!最高のバイブスをありがとう!」と”愛すべきこの世界”で、オーディエンスから贈られる止まらない拍手と、これぞヘブン!な笑顔あふれる最高にピースフルな雰囲気の中、ステージを後にした。

 フジロックのようなフェスティヴァルに限らず、あらゆる「表現」という世界が窮地に立たされている。今日ここで、彼らのステージを観て、あらためて自由な表現を止めてはいけないと強く感じた。こんなにも笑顔でいっぱいの平和な世界だ。たった今、できることは何か?演じ手たちも、その愛好家たちも、表現の土台をサポートする人たちもみんなで、今日ヘブンで創った「グッドヴァイブス」の可能性を探って前に進んでいくしかないのだ。

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私が見たフジロック(Day 1)from スタッフM http://fujirockexpress.net/21/p_3877 Sat, 21 Aug 2021 04:41:18 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=3877  約2年ぶりのフジロック。コロナ禍という驚異に直面し、感染防止のための新たな制約や制限を設け、感染者を絶対に出さない!そしてフジロックを続けていく!という主催者の強い想いと覚悟の基、開催された。
 
 私が住んでいる大阪や、京都、兵庫在住の関西のフジロッカー仲間も今回は参加を断念する選択をした人も多い。いつも通りに参加を選択した人も多い。私は参加を選択した。フジロックは2017年から両親と弟、妻の家族全員で参加する大切な家族行事になっている。これは私がはじめたことだし、昨年延期になって残念がっている両親の姿を見た時に開催されるのであれば参加と最初から決めていた。両親は齢70手前ということもあり、互いの距離をどれくらい取るかや、食事中は会話をしないなど、家族内でのルールを定めて対応できる限りの細心の対策をとった上での参加だ。

 そんなところから参加している私だが、初日のライヴの足取りをお伝えしつつ、今年ならではの感想を中心にお伝えしていきたい。

 まず、最初に観たアーティストはピラミッド・ガーデンでのRickie-G。苗場の山々に囲まれ、快晴の空の下で堪能する歌声、音楽愛あふれるパワフルなメッセージと奏でられる音楽、それはそれは最高としか言いようがなかった。
その後向かったのが、ドラゴンドラに乗って向かったデイ・ドリーミング。これまで何年もフジロックに参加してきたが、唯一行っていないエリアがここ。昨年秋のボードウォークキャンプで初めてドラゴンドラに乗って山頂に行ったことや( http://fujirockers.org/?p=16225 )、友人の写真家のみやちとーる氏から激オシされていたエリアということもあって、午前中から早々に向かった。

 晴天のドラゴンドラから一望する一面の緑が拡がる絶景はやはり素晴らしく、家族も大絶賛。山頂では、広がる高原を歩いたり、レストランアルムとステージ前方を自由に行き来しながらDJ TASAKAやDJ Yorgurtが繰り出すビートを味わった。11年ぶりのライヴだったというスケボーキングには楽しませてもらった。ケミカル・ブラザーズの”Galvanaize”のサンプルや懐かしの”TOKIO LV”では心の中で「just get on the bus, get on the bus」と連呼させてもらった。Tシャツは売っちゃいけないと言われたとのことで先着15枚ということでステージから外に出て来て配りはじめるというサービスっぷり。MCで示していたが「屋外だから大丈夫!」という彼らなりの意思に基づく行動だ。

 ここで先述のみやちとーる氏とばったり遭遇したが、ドラゴンドラから降りてすぐのところがほぼ何もないということを聞かされた。本来は、アコースティック中心の音楽も繰り広げられ、愉快な動物たちがいて(数匹見かけたが)、大縄跳びをしたり、大人も子供も仲間たちと触れ合い楽しむ夢のような空間とのことだ。今年はフジロックを次に繋いでいくための、感染対策が優先の場だ。その夢の空間を堪能しにまた戻ってくることを誓って戻りのドラゴンドラに乗り込んだ。

 山麓駅に戻って来たら、THE BAWDIESのゴキゲンなロックンロールが響いてきたのでレッドマーキーに向かった。高校3年の時からバンドメンバーと一緒にフジロックにお客として参加していて、その後ルーキーステージ、グリーンステージ、レッドマーキーとバンドの成長とともにフジロックがある、感謝の想いが爆発していた。「フジロックで音楽を好きになった人たちがどれだけいると思ってんですか!?深くフジロックを愛して繋いでいきましょう!」とROY。暑苦しいまでのフジロック愛だ。そしてその気持ちはものすごくよく分かる。

 夜は特別編成のMETAFIVE(砂原良徳×LEO今井)の良音に酔いしれ(さすがは音響一番のホワイトステージ!)、ラストはVaundyの力強い未来への可能性いっぱいの表現を浴び、爽快な感動とともに締めくくらせてもらった。

 過去があって、今があり、先の未来がある。フジロックは、苗場のこの唯一無二の空間はこれまで関わってきたすべての人たち、そしてたった今、ここいる人たち、ここにはいないがそれぞれのところからフジロックを愛し、サポートし続けている人たちとともに創られてきたのだ。ついつい高まって大声を上げてしまったオーディエンスへの愛からの注意などを含め、お互いをリスペクトし思いやる姿勢は至るところで感じられた。残り二日間の無事の完了を願うばかりである。

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