“平川啓子” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '21 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/21 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 02 Aug 2022 05:24:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.18 誰もが真剣に向き合い、決断を迫られた「コロナ禍のフジロック」 http://fujirockexpress.net/21/p_5816 Tue, 31 Aug 2021 08:53:35 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5816  いつも通りなら、エキスプレスの締めくくりとなるこの原稿の巻頭を飾るのは、すべての演奏が終了した会場最大のグリーン・ステージ前で、満面の笑みを浮かべるオーディエンスの写真となるはずだった。が、今年は撮影さえもしていない。例年ならば、この時間帯、巨大なスピーカーから放たれる名曲、ジョン・レノンの「Power To The People」でみんなが踊り狂うことになるのだが、それが聞こえてくることもなかった。それに代わったのはMC、スマイリー原島氏の挨拶と締めの一言「Power To The People」だけ。オーディエンスの興奮に水を差すのは承知の上で、現場が最後の最後に彼らに対して「ゆっくり静かにフェスティヴァルの幕を閉じるようにお願いしよう」と判断したからだ。

 コロナ禍でのフェスティヴァル開催という、きわめて特殊な状況の下、例年とは全く趣を異にする光景が、始まる前から様々な場所で見え隠れしていた。越後湯沢駅に向かう新幹線から会場へのシャトル・バスでも同様で、いつもなら、嬉々とした表情を浮かべて仲間とはしゃいでいるはずなのに、誰もが言葉少なに見える。彼らが互いに適度な距離を開けて整然と列に並び、苗場を目指しているのだ。今回のフジロックを開催するに当たって、参加するお客さんから、全スタッフ、関係者に伝えられていたのが感染防止ガイドライン。それを彼らが徹底して守ろうとしているのが見て取れる。

 フジロッカーにとってはおなじみの、オアシス・エリアのど真ん中に姿を見せるはずのやぐらは見当たらず、それを囲んで、地元生まれの「苗場音頭」を大音響でながしながら、みんなが輪を描いて踊る光景もなかった。それが今年のフジロック開催前夜。過去10年以上にわたって続けられてきたというのに、レッド・マーキーで、「おかえり!」と声をかけて、「ただいま」と応えるみんなの記念撮影をすることも、もちろん、なかった。本来ならば、フジロックを愛する人達が待ちに待った時間の到来に、彼らの興奮が一気に爆発するのが前夜祭の開かれる木曜日の夜。しかも、前年の開催が延期されての2年ぶりだというのに、きわめて静かな幕開けとなっていた。

 公式に「前夜祭はない」と発表されてはいたものの、唯一それを感じさせてくれたのは、直前までやるのかやらないのか全く知らされなかった花火ぐらいかもしれない。例年なら、ここで大歓声がわき起こり、否応なしに「祭り」の始まりを感じさせてくれるのだが、そんな反応は一切なかった。最初の一発が打ち上げられたとき、わずかに驚きの声が聞こえ、涙を流す人がいたという話も耳に入っている。が、誰もが夜空を飾る花火をなにやら厳かに見上げていたように思う。拍手はあったかもしれないが、シ〜ンと静まりかえった会場で、花火の音と光だけが響くという、どこかで「特殊なフジロック」を象徴するかのような光景が目の前に広がっていた。おそらく、誰もがここまでたどり着くのが簡単ではなかったことを察していたのではないだろうか。


Photo by 安江正実

 当初、ライブハウスなどからクラスターが発生したことも影響したんだろう、感染拡大を誘発する場所として、ライヴ・エンタテインメントの場所がやり玉に挙げられ、そういったものが知らない間に「不要不急」を象徴するものであるかのように語られ始めていた。数多くのライブハウスが閉店を余儀なくされ、ミュージシャンや演劇人が作品の発表の場を奪われたのみならず、照明や音響の技術者が職を失っていた。さらには大規模なコンサートからフェスティヴァルが次々と延期やキャンセルの憂き目にあう。もちろん、感染拡大は阻止しなければいけない。が、同時に、音楽のみならず文化とは生きることに必要不可欠な要素であり、それを否定することはできない。その集大成としてフェスティヴァルという文化が存在する。とりわけ、それが日本で生まれ、成長していくきっかけとなったフジロックを根絶やしてはいけないという思いが主催者、関係者、そして、フジロッカーにはあったということだろう。

 それだけではなかった。昨年、フジロックが延期を発表した頃、町内から「なんとか開催できないか」という打診があったという噂を耳にしている。その理由はフジロックで生まれる経済効果であり、それが断たれることが地元に計り知れない影響を与えることになる。それが二年も続けば壊滅的な打撃を受ける可能性も否定できない。だからこそ、地元と主催者が開催に向けた方法を模索し始めるのだ。その結果として、可能な限り徹底的な感染予防策を築き上げ、観客には不自由きわまりないがんじがらめの感染予防ガイドラインを提示することになる。しかも、本来のキャパシティのほぼ25%程度にまで規模を縮小。結果として1日の最大動員数は1.4万人弱と、一般的なスポーツ競技で日本武道館をほぼ満杯にした程度にとどまることになる。

 これで採算が取れるんだろうか? しかも、感染問題に絡んで参加に不安を感じている人達や体調がすぐれない人達へのチケット払い戻しにも対応している。加えて、チケット購入者にコンタクトをして、希望者には抗原検査キットを発送し、大多数の人たちがそれに応えていた。が、それでもまだ不安だと、目指したのは100%。必要とされる膨大な数の抗原検査キットを集めるのに東奔西走したという話が伝わっている。さらに、会場内の救護テントに加え、バックヤードには数多くの医療関係者や民間救急搬送車3台を待機。また、会場入りする前に全スタッフがPCR検査を受け、陰性であることを証明してからでないと、苗場入りできない取り決めをしていた。加えて、長期滞在するスタッフは定期的に抗原検査を繰り返す。さらに、すでに会場入りしていても、自宅の家族で濃厚接触者が報告されると速効で会場を追われ、陰性であることを証明することなく現場復帰はできなくなっていた。ちなみに、観客のみならずスタッフも全員が毎日検温チェックを受けないと、会場に入ることもできないことになっている。どこかの新聞が「厳戒態勢」という言葉を使っていたのだが、まさしくその通りだろう。


Photo by 粂井 健太

 下手をすると、今年は最もフジロックらしくないフェスティヴァルになるかもしれないという危惧があった。どこかで自由と自主性が魅力となっていたフジロックだというのに、感染対策に絡んで「がんじがらめ」のルールを守らなければいけない。しかも、コロナ禍での開催ということもあり、海外からのアーティストは皆無。会場を演出するUKチームの来日もできなかった。なにやら、フェスティヴァルと言うよりも、緑に囲まれた野外コンサートでしかないかもしれない。さらには、場内でのアルコール販売が禁止され、中心部から離れた場所にごくわずかに用意された喫煙所を除いて全面禁煙となっていた。1997年にフジロックが始まった頃から、毎回出店していた、オアシス・エリアの顔のような存在となっていたバーやお店の数々が出店をキャンセル。すでに「ここに来れば顔を合わせることができる」友人や仲間たちが参加を断念するにいたるのだ。

 誰もが苦渋の決断と選択を迫られていた。特に大都市を中心に新型コロナウイルス感染者が急増し始めると、「なんとか開催してほしい」という声と同じように、「中止すべき」という声も多くなっていった。出演を予定していたアーティストやパフォーマーに対しても、様々な声が寄せられ、参加しようとしていた個人も揺れ動いていた。その結果がなにであれ、ひとりひとりが真剣にフジロックに向き合い、判断したことに敬意を表したい。来てくれたみなさんにも、今年は来るのをやめたみなさんにも、ありがとう。中止すべきだと主張した人にも、開催すべきだと声を上げた人達にも、出演してくれたアーティストにも、出演辞退をした人達にも、ありがとう。そういった反響に感じるのは、多くの人たちにとってフジロックが大きな存在になっていること。だからこそ、真剣に向き合って、彼らが導き出した判断に最大限の敬意を表したいと思う。

 会場では感染予防ガイダンスを守ろうとするオーディエンスに圧倒されることになる。少なくとも、喫煙所やフード・テントを除いて、マスクをしていない人にはお目にかからなかった。しかも、ここで食事をしていて気付くのだ。ほとんど会話が耳に入ることはなかった。「黙食をお願いします」と書かれている注意書きを守ろうとしているのが、痛いようにわかるのだ。久々に仲間と会って握手をしたり、抱き合いたい気持ちがあっても、それを躊躇して肘や拳で挨拶。マスク越しに語り合う人はいても、大声で話す人にはお目にかからなかった。また、水分補給などでマスクを外すときも、周辺に人がいないことを確認してそうしているのが見て取れた。

 ふつうならグリーン・ステージ外にMCを置くことはなかったのだが、今回は全ステージにMCを配し、演奏が始まる前に必ずオーディエンスに呼びかけていたことがある。

「必ず鼻を隠すようにマスクをして、声は出さないでください。安全な距離を保つために地面に記されたマークを確認してください。ステージ前では水分補給用のペット・ボトルなどを除いて、飲食物を持ち込まないでください」

 MCにはそのマニュアルが渡され、毎回オーディエンスに訴えかけるように義務づけられていた。そうして飛沫や接触による感染を防ごうとしているのは言うまでもない。

 そのおかげで目撃するのは、おそらく、フェスティヴァルやライヴでは前代未聞の光景だっだ。どれほどライヴが白熱しても、ほとんど歓声が聞こえることはなく、聞こえてくるのは拍手や手拍子のみ。それでも、その想いがステージ上に伝播するんだろう。加えて、悩み抜いてここに来る決断をしたアーティストの想いがそこに重なって、誰もがとてつもない熱を感じさせるパフォーマンスを見せていた。それは数えるほどのオーディエンスしか目に入らなかったちっぽけなステージであろうと、幾分の違いもなかった。今年は、会場入りを断念した数多くの人達がYouTubeでそれを目撃することになるのだが、演奏の素晴らしさを支えていたのはこの場で生まれた、えもいわれぬエネルギーのたまものではなかっただろうか。


Photo by MITCH IKEDA


Photo by Eriko Kondo

 今年は、珍しく、チーフ・プロデューサーの日高大将が二度、グリーン・ステージに立っている。昔からフジロックを支えた二人の仲間が他界したことを告げたのが初日、そして、最後、日曜日のトリを務めた電気グルーヴの前。そこで彼がオーディエンスから感じたのは「なんとかしてフジロックを支えようとする人々の熱気だった」という。それが端的に表れていたのは彼らが感染防止ガイダンスを守り続けたことのみならず、まるで1999年の苗場で起きた奇跡の再現でもあった。すべてが幕を閉じた後、会場にはほとんどゴミが落ちていなかったという。ゴミ・ゼロ・ナビゲーションを訴えて、活動しているiPledge(アイプレッジ)が毎日、会場に落ちたゴミを拾い集めているのだが、各所に設置された収集箱を除いてほとんど仕事がなかったという嬉しい話も届いている。

 フェスティヴァルが終わった8月24日に発表された主催者からの公式声明によると、その時点で「会期中の会場においてひとりの陽性者も確認されていないこと」が伝えられている。もちろん、それで完結してはいない。「今後も、時間経過と共に情報収集に努め、その結果をあらためて皆様へご報告し、未来のフェスティヴァルにおける感染防止対策の改善につなげてまいります。」と続いている。また、振り返るには早すぎるかもしれないが、完璧を目指したすべての関係者、地元のみなさん、そして、全国から会場にやって来ることができた方々や来られなかった方々にも、批判した方々にも、ここまでたどり着けたことを感謝したいと思う。

 台風に襲われて惨憺たる状況を経験した1997年開催の第一回目から、その存続が問われる大きな試練となったのが苗場に場所を移して最初の1999年。「ロック・フェスティヴァルは危険だ」という偏見に対して、互いを思いやり、愛し合うことを行動で示すことによって、会場どころか、苗場の町からお世話になったホテルや民宿でゴミひとつ落ちていない「奇跡」を形にしていた。これが「地元と共にフェスティヴァルを育てる」という流れを生み出している。それ以降、同じように台風や記録的な豪雨といった幾多の試練を乗り越えて成長してきたとは言え、今回直面したのは前代未聞のウイルスによる危機だった。前述のように、まだまだ結論を導くには早すぎるのは十分承知の上で、関わるすべての人達が可能な限りの知恵と努力で「奇跡」を目指した今年は、フジロックの歴史を語る上で無視できない1年となったことは言うまでもないだろう。

 どこかで様々な意見や考え方の違いが音楽界で分断を引き起こしているという声も耳に入る。が、フェスティヴァルを愛する人達が、多様性を認めるのは当然であり、互いを尊敬し、受け入れて、そこからよりよい選択肢へと自らを導いていくべきだと思う。その上で、今回の経験を糧に、来年を目指したいと思うのだ。このウイルスによる影響がいつまで続くのか、誰にも予測はできないかもしれない。いつか、そんな心配をすることもなく、苗場でみんなとまみえることがある日を願って、今年のエキスプレスの幕を閉じたいと思う。

 なお、ガイダンスに則り、感染を防ぎながら取材をしなければいけないという難しい状況のなかで、動いてくれたスタッフに最大限の賛辞を贈りたい。マスクやフェイス・シールドの用意はもちろん、安全な距離を保ちながらの取材は簡単ではなかったはず。また、独自に用意周到な感染対策を生み出してラウンジを運営したスタッフにも頭が下がる。心の底から、ありがとう。

 今年動いてくれたスタッフは、以下の通りです。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/21/
フォトグラファー:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、アリモトシンヤ、安江正実、粂井健太、白井絢香、HARA MASAMI、おみそ、suguta、シガタカノブ、佐藤哲郎
ライター:丸山亮平、阿部光平、石角友香、あたそ、梶原綾乃、阿部仁知、近藤英梨子、イケダノブユキ、三浦孝文、東いずみ

■英語版(http://fujirockexpress.net/21e/
Laurier Tiernan, Jonathan Cooper, Nina Cataldo

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、obacchi、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、坂上大介(デザイン)、迫勇一

スペシャルサンクス:三ツ石哲也、若林修平、守田 昌哉、Park Baker、そして、観客を守るために奔走してくれた全スタッフ、試練を乗り越えてフェスティヴァルの素晴らしさを伝えてくれた観客のみなさん。

プロデューサー:花房浩一

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fujirockers.orgとは1997年のフジロック公式サイトから独立した、フジロックを愛する人々のコミュニティ・サイト。主催者から公式サポートを得ているが、独自取材で国内外のフェスティヴァルからその文化に関わる情報を発信。開催期間中は独自の視点で会場から全方位取材で速報を届けるフジロック・エキスプレスを運営。
http://fujirockers.org/
MerdekaTogel

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The Birthday http://fujirockexpress.net/21/p_846 Tue, 24 Aug 2021 08:49:05 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=846 MONOEYES http://fujirockexpress.net/21/p_847 Tue, 24 Aug 2021 05:24:12 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=847 THA BLUE HERB http://fujirockexpress.net/21/p_854 Mon, 23 Aug 2021 08:33:04 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=854 THA BLUE HERBのライブに行くときは、いつも緊張してしまう。ただ遊びに行くだけの客が緊張するというはおかしな話なのだけど、どうにも肩に力が入ってしまうのだ。

最終日のホワイトステージ。THA BLUE HERBの出番は17:10から。上空は雲に覆われ、いつ雨が降ってきてもおかしくない状況だった。ステージ前方は比較的空いていたが、THA BLUE HERBの古いツアーTシャツを着ている人が目立つ。

開演時間になると、MCのILL-BOSSTINO(以下BOSS)がSEもなく無音でステージに現れた。それを迎えるオーディエンスの拍手を制し、「お控えなすってフジロック。from北海道、札幌、ススキノの路上。THA BLUE HERBと発します!」と口上を述べると、DJ DYEが流すビートと共に彼らにとって4年ぶり6度目のフジロックが幕を開ける。

のっけから鋭い言葉でラップを重ねていくBOSSは、同じ時間帯に別のステージに出演するミュージシャンたちの名前をあげて、「MISIA?GEZAN?上等。俺等も俺等で、ここで奇跡を見ようぜ!」とホワイトステージに集まった観客を巻き込んでいく。その姿は「煽っていくのがラッパーっしょ」という“I PAY BACK”のリリックを体現するかのようだ。

徐々に熱を帯びてきたフロアに投下されたのは、最新アルバム『THA BLUE HERB』に収録された“THE BEST IS YET TO COME”。曲のなかで歌われる「いつでもできる。いつかやろう。あぁ、それな。それ俺にもあったけど、マジで今やらないと、きっとやんないよ」というリリックが頭から離れなくなった。マイクから放たれた言葉が自分の日常に踏み込んできて、見て見ぬふりをしていた後ろめさをグサリとえぐる。

BOSSの言葉はどんなに大きな会場でも、どんなにたくさんの観客の中にいたとしても、1対1で対峙するような圧力で迫ってくる。まるでサシの勝負だ。だから、見てる側も気が抜けないし、自然と肩に力が入る。そうして気づけば、観客それぞれがライブの当事者になっていくのだ。ふと周りを見渡してみると、ステージ前には大勢の人が集まっていた。

盛大にリバーブがかけられた音響で「宇宙の1ミリが地球の一生、地球の一生の1ミリが人間の一生、人間の一生の1ミリが2021年8月22日、2021年8月22日の1ミリが……この瞬間」という言葉が会場に放たれる。その言葉が頭の中で振動し続け、さっきまで自分の日常を巡っていた意識が一気にホワイトステージへと引き戻された。

自分の意識が音楽によって飛ばされていたことを、はっきりと認識できるという不思議な体験。THA BLUE HERBのライブでは、こういうことがよく起きる。

「音楽は衣食住の次 暮らしが成り立たなかったら真っ先にクビ 我々いろいろと試されまくり」という歌詞で音楽が立たされている現状を切り取った“2020”を歌い終えると、ここまで一気に突き進んできたライブが一旦止まる。そして、コロナ禍でのフジロックに対する想いをBOSSが次のように語った。

「この3日間が、その(分断が)加速するきっかけになるんだったら、俺は違うと思うんですよ。その動きが終わるきっかけになってほしいって。俺は思うんです」

その上で、YouTube配信が行われているカメラに向かって、音楽の仕事を続けていく人たちに対する補償の必要性を訴る。

BOSSがカメラに向かって話す場面といえば、2012年のフジロックを思い出す人も多いだろう。東日本大震災後のフジロック、奇しくも同じホワイトステージでBOSSは政治家に対して「大切な仕事を与えられたんだと、いい加減、気づいてもらえることを祈るばかりだよ。皆、忙しい生活の真っ只中を働いたり、子ども育てたり、親介護したり、なんとか生き抜いてんだよ。君のカッコいい仕事っぷりってのを見せてくれる時間はまだなの?」と強い口調で問いかけ、最後に中指を立てたのだ。

しかし、今回は「1年半みんなギリギリ我慢して、それでこんな大きいの(フジロック)やって、いろんな意見飛び交ってて、そこで何が残るかって言ったら、そういう仕組みを作ろうとかっていう人いないですかね。先生方で。本当に。お願いします。考えて欲しいと思います、補償をする仕組み」と、政治家に向けて真摯に語りかけ、最後はキャップを脱いで頭を下げた。

静まり返った会場に盛大な拍手が巻き起こる。誰も声を発することはできないが、鳴り止まない拍手に目一杯の賛同が込められていることは、その場にいた誰もが感じていたはずだ。

MCを挟んでからの後半戦は、ぐいぐいとギアが上がっていく。“AME NI MO MAKEZ”、“MOTIVATION”、“LOSER AND STILL CHAMPION”と、しっかり意識を持って食らいついていかないとふるい落とされてしまいそうな、言葉の弾幕。再びMISIAとGEZANの名前をあげ、「あの人たちも、きっとうまく楽しませるさ。どっちもパッと出じゃねえ、もちろん。泥をすすって上がってきたんだろうしよ。なら、同じっしょ」とリスペクトを表すなど、粋なラップでオーディエンスを沸かせた。

「そこがどこだろうと一緒だぜ。足の間が宇宙の中心よ。そこから未来が見えてるかい?」というMCから、“未来は俺等の手の中”に突入する。まだまだ息つく暇はない。目の前の風景を切り取るように「音の間で出会った俺等は土砂降りなんかじゃ帰らない。増えることはあっても、もう減らない」と歌詞を変え、会場のボルテージを上げていく。2003年にリリースされた曲だが、BOSSのリリックが持つリアリティは何ひとつ失われていない。むしろ不安定な時代だからこそ、真実味を伴って響いてくると強く感じた。

数十分前には想像もしていなかったような高みに達したホワイトステージ。そこに“AND AGAIN”のイントロが流れると、THA BLUE HERBのライブが後半に見せる独特な別れの雰囲気が漂う。パンパンになるまで詰め込まれた札幌訛りの日本語が、優しいビートにのって頭の中を走馬灯のように流れていった。

ホワイトステージに来たときにまだ明るかった空は、気づけばすっかり夕闇に沈んでいた。たった60分のライブだったが、雨が降ったり止んだり、意識がいろんなところに飛ばされたりして、ものすごくたくさんのことが起きたような感覚がある。

その場から1歩も動いていないのに、無数の言葉に導かれて意識の海を旅するような、これぞTHA BLUE HERBという至高のライブだった。

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NUMBER GIRL http://fujirockexpress.net/21/p_845 Mon, 23 Aug 2021 03:28:23 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=845 中学2年生の少女に伝えたい。ナンバーガールは復活すると。いま思えば、ライヴハウスで『サッポロOMOIDE IN MY HEAD状態』の上映会が開催されたときに、再生機が故障して“URBAN GUITAR SAYONARA”から先が再生できないことがあった。スタッフが何度かチャレンジしてみたけど、どうしても止まっちゃってその先に行けない。そんなとき「本当の『その先』に行くには、どうしたらいいのかなあ……」なんてぼんやり思っていたことを思い出す(無事に再生できたんだけれども)。それくらい再結成への壁は高くて、ありえないものだと思っていたから。

でも今日は違う。かじりつくように何度も再生したあの2001年。あの続きが、続きが!目の前に広がっている。私は「リアルで彼らを追えなかった悔しさで生きている」タイプの人間で、今こんな文章を書いているんだけれども、ここにきてまさか、その悔しさが成仏することになるとは。でも、リアルタイムで追ってきた人たちの喜びといったら、たまらないだろうな。ライジングサンでの公演中止はとても辛かったけれども、彼らの歴史に「20年ぶりのフジロック」という1ページが加わるから、今日は記念すべき日だ。本当によかった。

21時の空。天気は、豪雨じゃなくて、ちょうどよく曇り。願わくばグリーンステージだったのだけれど、あのホワイトステージの音響で聴く彼らも贅沢だろう。おなじみの「福岡市博多区からやって参りました、NUMBER GIRLです」の挨拶から、“タッチ”が始まる。ジャリジャリと尖ったテレキャスターが熱を帯びて、向井秀徳(Gt,Vo)が深い深いシャウトをすると、気づいたらここはフジロックだった!
そのまま“ZEGEN VS UNDERCOVER”へ。ただでさえバッキバキな中尾憲太郎47才(Ba)のプレイ、今日はよりいっそう締まっていてゾクゾクする。「鉄のような鋭い風が吹いていく、そんな季節。また、やって、くるんだろうか」と向井のMCから“鉄風 鋭くなって”へ。ああ、ここでもイントロのベースに刺されて死ぬ。声をあげたくて仕方がない観客たちが、一気に感情を爆発させていた。

「今週のスポットライト、第836748位、ナムアミダブツだ!」なんて小ネタから始まる(語呂合わせじゃないんかい!)“NUM-AMI-DABUTZ”。田渕ひさ子(Gt)によるイントロのアルペジオは粒が揃えられていて、音の断面がなんともクリアだ。ベース以外のすべての音という音が自由に暴れまくるこの曲だが、今回はかなり淡々と暴れている。今日にかける彼らの本気ぶりが伝わってくるし、20年経っても変わらない強靭なグルーヴに圧倒された。この曲だけでもずいぶん化けているなと思うが、もっと驚いたのは、「あの名前を呼べ!あの子はいつかの透明少女」で始まった“透明少女”。イントロ明けからのアヒト・イナザワ(Dr)のドラミングがどことなくサーフロックなテイストを潜ませていて、よりいっそう夏を感じる仕上がりになっていた。

“MANGA SICK”の荒削りなイントロは、いつ聴いても脳天を直撃。ドラムに合わせて入れられる跳ねるようなバッキングで、さらに踊れる気がする。そして、“U-REI”では、弦が引きちぎれるくらいのセッションが繰り広げられる。ぶよんぶよんにファットな低音、声を震わせおどろおどろしく歌う向井。怪談話をしているときのような、冷たーい空気が流れていて、背筋が凍るのを感じた。続いて、日比谷野音の配信で解禁された新曲“排水管”。まさか彼らの新作が聴けるとは。ナンバーガールであってナンバーガールじゃないような新しさ、でもZAZENBOYSではないのは確か。そんな絶妙なところを行く新機軸に酔いしれた。

そのあとも、“TATTOOあり”と“水色革命”などおなじみのナンバーを2021年の解像度でもって繰り広げ、終盤はさらに加速。「ドラムス・アヒトイナザワ」から“OMOIDE IN MY HEAD”だ。2001年の夏の日には一番最初にプレイされた、彼らを象徴する曲。あのこもったドラムは夏の湿気を帯びていて、やっぱりこの音本物なんだよな、としみじみ感動してしまった。そして最後の“I don’t know”では、ギター、ベース、ドラムすべての音がものすごい熱量でかき鳴らされ、観客を大いに圧倒した。ワンマンライブ級の90分で、最後の最後まで、カラッカラになるまでエネルギーを使い果たした彼ら。その衝撃波を全身で受け止めてしまった私達はただ立ち尽くすしかなかったし、完全に打ちのめされてしまった。

20年を経て、今を生きている音がする。進化も続けている。再結成したバンドは数あれど、その後に待ち受ける壁というのはなかなか高いものだ。そんな壁を彼らはいとも簡単にパスしていて、平然とした顔で次の壁を登り始めているんだ……アンコール“IGGY POP FAN CLUB”を聞きながら、私はそんなことをぼんやり考えていた。2021年8月21日。ナンバーガールの歴史の目撃者であることを誇りに、私も前に歩み出していきたいと思う。

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平沢進+会人(EJIN) http://fujirockexpress.net/21/p_852 Sun, 22 Aug 2021 16:40:51 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=852 前回、2019年にレッドマーキーに登場した平沢進のアクトへの尋常じゃない反応で、P-MODELや初期ソロにしかなじみのない自分のような人間は驚きを禁じ得なかったのだが、今年のホワイトステージの大トリを見ようと集合している人々は初期からのコアファンもアニメ『ベルセルク』きっかけのファンもいずれにしても「平沢師匠的な言語」を恐ろしく知っている。否、それが平沢に関する会話やSNS上の文章のデフォルトである。一朝一夕に身につくものでもないので、飽くまでも音楽ライブ、それもテクノロジーを駆使したそれとして、前のめり気味に参加した。

にわか雨とフェス最終日ということで、スタッフがメインのケーブルを確認している。命綱である。映像も前回より規模を拡大しているだろう。そんなことを思っていると会人SSHO、会人TAZZと、サポートドラムのユージ・レルレ・カワグチが位置につく。今回は生ドラムが加わったことがライブを大いにドライヴさせている。

平沢の歌唱はオペラのような感覚を残し、特徴的な自らの声を重ねた同期だろうか、コーラスが統率をイメージさせる。ニューウェーヴ時代からシンセサイザーの進化とともに、オリジナリティも更新してきた彼は、今やステージセットごとテクノロジーの権化、という言葉が悪ければ、ステージのシステムそのものと表現が不可分なアートになっている。シアトリカルでもあるが、レーザーを指揮者のごときアクションで操り、遠隔でテスラコイルを作動させ、音を発する。そのちょっと大げさでもあるアクションやコンセプトも含めて、平沢進というトータルアートだ。とかなんとかいうこと自体がコアファンには「承前」と一刀両断されかねないが、40年以上、自らの音楽の帝国を構築してきた凄みと実像に魅了されるのだ。マッド・サイエンティストとか呼ばれる人物は映画でしか見たことないでしょ?という意味で。

全体的に統率感が強く出た勇壮な楽曲が多い中で、新作『BEACON』のタイトルチューンのメロディの突き抜け方や、”消えるTOPIA”の汎アジア的なメロディラインや、独特の譜割りは遠くR&B/ヒップホップのコブシにも通じるものを感じずにはいられない。勇壮なメロディとはまた異なる、東アジア、そして日本の根源的にあったであろうメロデイに前向きなものを感じたのだ。それにしても平沢のメロディはなぜ尽きないのだろう。1時間半の歌唱も素晴らしいが、新たに生み出されるメロディには驚く。

そして平沢は独特なギタリストでもある。エレクトロニクスが多用されても、どこかエグみのあるギターサウンドは平沢の声同様、他の表現者のDNAにはないかもしれない。そのギターを華麗にプレイしながら、動きも華麗だ。彼のステージングを見ていると、ミュージシャン以前に自分はいかなる人間なのか、いかなる人間でありたいのか。それをここまで突き詰めた人物の表現が、近年の意思を視覚化したようなステージなのかもしれない。

1時間半、平沢帝国の驚きの音楽性と世界観に歓喜したオーディエンスはまるで帝国の構成員の役割を楽しんでいるようだった。この、完全には演劇的とは言えない独特のショーをどう名付けたらいいのかわからない。年齢のことをいうのはあまり好きではないが、齢67にして何度目かのキャリアハイを迎えている彼の、他の世代に迎合しないクリエイティビティには感服する他なかった。

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FINALBY( ) – EY∃(BOREDOMS) x COSMIC LAB x TAIKI NIIMI x KANTA HORIO http://fujirockexpress.net/21/p_853 Sun, 22 Aug 2021 12:40:55 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=853 FINALBY ( ) はフジロック史上最も異質なステージだった。ステージ中央には円筒形で上部が半球になっている塔があり、その左に大きな円錐形のコーン(工事現場にあるような形だけど、非常に大きい)が置かれている。

PAの後ろからステージ背後へレーザーが照射されていて、レーザーもさまざまな模様を作ったりする。ステージ上に設置されているモニターには、加工された映像が映しだされていて、それがおそらくインターネット配信の映像と同じだと思われる。

なお、それらとは関係なく、向こうの山々が光っていたのだけど、それは雷光なのだろう。自然現象である。

19時10分にライヴは始まった。電子ノイズみたいな音が断続的に鳴り、塔やコーンがそれに合わせて光る。しばらくすると塔の上が開き、コーン(工事現場にあるような一般的な大きさ)を持ったEY∃が現れて、コーンを振り回す。コーンはLEDライトが仕込まれているのだろうか、青白く光り、またEY∃が振り回すことでノイズが発生するような作りになっているみたいだ。

コーンを持ったままEY∃はステージ前方にでてきてコーンを振り回す。勢い余ってコーンがステージから落ちたりもしたけど、戻されてコーンの振り回しが続く。EY∃の姿にカメラマンが密着し、ずっと撮影をしている。ステージは薄暗いのでよく分からないけど、EY∃の姿の映像を加工し、それをステージ上のスクリーンに映しだされる。

コーンを回転するものに取り付けて、コーンを回転させ、多少ビートみたいに規則的なものになる。EY∃は塔の上からでてきて叫ぶ。そして塔自体がテルミンぽくなっているようで手を当てたり、かざしたりしてテルミンのような音をだす。

もうひとつ同じくらいのコーンも回転する機械に取り付けて2つの回転しているコーンの間でEY∃が叫ぶ。

大きなコーンも横に倒して回転させ、EY∃は2つの小さい方のコーンを左右に持って5分くらい自らぐるぐると回る。踊れそうなビートにはなっていて、ノイズは放出され、レーザーは照射され、そのカオスの中で約50分のステージは終わった。EY∃はマイクなしで「ありがとうございます」と感謝を述べて去っていった。ステージ背後のスクリーンにはエンドロールみたいに関わった人たちのクレジットが映しだされていた。

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TENDRE http://fujirockexpress.net/21/p_856 Sun, 22 Aug 2021 07:03:00 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=856 サウンドチェックの段階から真剣な会話はもちろん、お互いを褒め合ったり、笑いも起きるのがTENDREバンドのいいところ。そのムードはライブが終わる頃、自分も心がけたいと思うに至る。理由は後述する。

パラッと小雨が降ったものの、本番開始とともに止むのはTENDRE(河原太朗)のフジロック愛ゆえか。小西遼(CRCK/LCKS、Sax)のサックスが心を溶かすイントロから、”LIFE”でスタート。Aメロの途中、大きな声で「ただいま、フジロック!」という言葉は音楽ファン、アーティスト、そのどちらの気持も含まれている印象だ。しかし、明らかにここにいるオーディエンスの気持ちも乗せて、引き受けている。なんだか太朗さんが大きく見える。パーカッションにギャラクシー松井を迎えたバンドはグルーヴも多彩になり、メンバー間のリラックスしつつの真剣な演奏にさらに厚みを加えている。“DISCOVERY”のようなちょっと後ろノリな曲では特に。

序盤で早速、新曲“PARADISE”を披露。TENDREもAAAMYYY(Syn)もエレキギターを持ち、ファンクを基調とした曲に新しいニュアンスを加える。ハードなギターを聴かせたからか、曲が終わると「つってね。面白かった」と、感想を発するのはステージが大きくなっても変わらない。次の曲に移ろうとしたところ、キーボードの端っこにトンボが留まっている。「ちょっと待って、トンボ」と言い、飛び去ってから“DRAMA“を始めたのだ。苗場のいろいろを楽しむことが、フジロックのライブをリスナーにも忘れがたいものにする。ゆるく踊れるムードが移動している人の足を止めていく。

数曲演奏したところで、折りたたんだ紙を取り出したTENDREは「ちゃんと喋ろうと思って手紙を書いてきました」と、「音楽を愛する皆さん」という書き出しで、ここにいる人、配信を見ている人、来ないことを選択した人、出演できなくなってしまったアーティスト、出演を辞退したアーティスト、そして何より地域の皆さんにおつかれさまです、と挨拶。そして「選んでくれてありがとう」と。ここに立っていることの意味をこの先、何十年も忘れずにいたいです、と話した。文化や音楽を守るために必要なのは話し合うことだと言い、ここ最近の思いが詰め込まれたニューアルバムから、誰もがその話し合いの一人であるという意味の“PIECE”を披露。この場所が大事な人にとって、彼の真剣な態度は1ミリも茶化せるものではなかった。昨日のSIRUPにせよ、TENDREにせよ、誰のどんな意見にもその人の理由があるだろう、そんな想像力に基づいているから、冷静で温かい。

マルチプレーヤーから、自分の考えを歌うシンガーソングライター的な表現者の道を選んでから3年強。その理由が音や言葉、ステージングに明確に現れた日として、この日はしっかり記憶しようと思う。

人気曲“hanashi”のイントロからクラップが起こるような自然なムードが出来上がり、メンバーもTENDREの音楽のファンであることが演奏からわかる。今年のフジロックは様々なバンドを掛け持ちしてるミュージシャンが多いが、このバンドも松浦大樹(Dr/She Her Her Hers、LUCKY TAPES、奇妙礼太郎)、小西遼(CRCK/LCKS、Sax)、高木祥太(BREIMEN/Ba)、AAAMYYYという布陣。連日のステージで存在感を見せる彼らが、もっともオープンにオーディエンスに向けて参加を促している、TENDREの音楽が為せる技なのだろう。

ラストは2018年のジプシーアヴァロン、2019年のレッドマーキーでも選曲した“RIDE”で、ハンズアップした手が大きく波打つぐらい、その場にいるオーディエンスを魅了しつくしたのだった。大事なことはステージであろうと、手紙に書く。そんな太朗さんを真似して不要な照れや逃げをやめたいとも思ったのだ。真面目な話。

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yonawo http://fujirockexpress.net/21/p_857 Sun, 22 Aug 2021 06:29:04 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=857 秋山黄色 http://fujirockexpress.net/21/p_858 Sun, 22 Aug 2021 04:22:40 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=858 早いものでフジロックも最終日。“Opening”が流れると、トップバッターを務める秋山黄色が、テレキャスターを片手にステージの中央へと駆けていく。

1曲目は、“Caffeine”。思っていた以上に暑苦しいバンドサウンドというか、きちんとロックど真ん中であることが感じられる。のちのMCでも語られることになるが、以前からフジロックへの出演を目標の一つにしていた秋山。一音一音に感情が込められ、かき鳴らされるギターの音。もちろん、WHITE STAGEには初見の人はいたとは思うが、掴みは完璧!J-POPらしさを含んだ親しみやすさにサビの裏声も爽やかに響く。
「フジロック!!よろしくお願いします!!」という気合いばっちりの挨拶のあとの“アイデンティティ”では、クリアな声にキャッチーなギターのフレーズが耳に残る。音源を聴くとシンセを活用したデジタルな音にクールな印象を抱くが、ライブで聴くこの曲は秋山の感情がまず押し出されるというか、時折聴けるシャウトやなりふり構わずギターをかき鳴らす彼の姿には、クールな印象なんてほど遠く、力強くエネルギッシュないで立ちであった。そのがむしゃらな様子が何より熱くてかっこよくて、彼の音楽への姿勢を示すようであった。

「いまだに実感がわかないままここに立てています」というファンへの感謝を口にし、ギターサウンドが印象的であり、会場全体を大きく揺らした“Bottoms call”に、シンセやパッドとともに変化していくリズムが楽しめる“ホットバニラ・ホットケーキ”。

「フジロックが開催できて本当にうれしいです」「音楽に費やしたお金や時間、僕はかなり早い段階で就活だって諦めていたし、僕には音楽しかないんです。ライブに行く時間とか楽しい気持ちとか、ストラップをかけた瞬間とか、そういう思い出を必要なかったなんて言えません」「音楽はなくならないし続くし、俺が続けるし、来年もフジロックにまた出ます!」と、音楽が好きで好きでたまらなかった栃木出身のひとりの少年が、フジロックのWHITE STAGEに立つまでの過程を勝手に想像し、勝手にこちらまで泣きそうになってしまう。音楽だけではなくて、言葉のひとつをとっても人の心を動かしてしまう力があるのだろう。

クラップ&ハンズが起き、ステージの前方に乗り出してギターを弾く秋山の姿が強く記憶に残る“とうこうのはて”では「皆さんのおかげで借金は少し減りました」という嬉しい報告には笑いそうになる。
最後の“やさぐれカイドー”に前には、「本当は言いたくないんだけど…」と前置きをしたあと、秋山の豆知識として、この曲を3~4年前のROOKIE A GO-GOのオーディションに送り、音源審査に落とされたことを話してくれた。つまり、この曲はセンスを持ち合わせていなかった当時のフジロックへの怒りと皮肉が込められた曲でもあるのだろう。ある意味で復讐の1曲なのだ。四つ打ちのドラムに雄々しいコーラス、地面を蹴りつけ、感情の赴くままにギターをかき鳴らし、時にはステージに倒れ込んで、この日までにため込んださまざまな喜怒哀楽・エネルギーをこの場所にすべて置いていく。

初登場にしてはできすぎたくらいのステージだったように思う。来年こそは、ビールを片手に自由に楽しめるいつものフジロックのなか、アグレッシブに歌い、感情をむき出してギターを弾く秋山黄色が見てみたい。

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