“石角友香” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '21 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/21 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 02 Aug 2022 05:24:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.18 誰もが真剣に向き合い、決断を迫られた「コロナ禍のフジロック」 http://fujirockexpress.net/21/p_5816 Tue, 31 Aug 2021 08:53:35 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5816  いつも通りなら、エキスプレスの締めくくりとなるこの原稿の巻頭を飾るのは、すべての演奏が終了した会場最大のグリーン・ステージ前で、満面の笑みを浮かべるオーディエンスの写真となるはずだった。が、今年は撮影さえもしていない。例年ならば、この時間帯、巨大なスピーカーから放たれる名曲、ジョン・レノンの「Power To The People」でみんなが踊り狂うことになるのだが、それが聞こえてくることもなかった。それに代わったのはMC、スマイリー原島氏の挨拶と締めの一言「Power To The People」だけ。オーディエンスの興奮に水を差すのは承知の上で、現場が最後の最後に彼らに対して「ゆっくり静かにフェスティヴァルの幕を閉じるようにお願いしよう」と判断したからだ。

 コロナ禍でのフェスティヴァル開催という、きわめて特殊な状況の下、例年とは全く趣を異にする光景が、始まる前から様々な場所で見え隠れしていた。越後湯沢駅に向かう新幹線から会場へのシャトル・バスでも同様で、いつもなら、嬉々とした表情を浮かべて仲間とはしゃいでいるはずなのに、誰もが言葉少なに見える。彼らが互いに適度な距離を開けて整然と列に並び、苗場を目指しているのだ。今回のフジロックを開催するに当たって、参加するお客さんから、全スタッフ、関係者に伝えられていたのが感染防止ガイドライン。それを彼らが徹底して守ろうとしているのが見て取れる。

 フジロッカーにとってはおなじみの、オアシス・エリアのど真ん中に姿を見せるはずのやぐらは見当たらず、それを囲んで、地元生まれの「苗場音頭」を大音響でながしながら、みんなが輪を描いて踊る光景もなかった。それが今年のフジロック開催前夜。過去10年以上にわたって続けられてきたというのに、レッド・マーキーで、「おかえり!」と声をかけて、「ただいま」と応えるみんなの記念撮影をすることも、もちろん、なかった。本来ならば、フジロックを愛する人達が待ちに待った時間の到来に、彼らの興奮が一気に爆発するのが前夜祭の開かれる木曜日の夜。しかも、前年の開催が延期されての2年ぶりだというのに、きわめて静かな幕開けとなっていた。

 公式に「前夜祭はない」と発表されてはいたものの、唯一それを感じさせてくれたのは、直前までやるのかやらないのか全く知らされなかった花火ぐらいかもしれない。例年なら、ここで大歓声がわき起こり、否応なしに「祭り」の始まりを感じさせてくれるのだが、そんな反応は一切なかった。最初の一発が打ち上げられたとき、わずかに驚きの声が聞こえ、涙を流す人がいたという話も耳に入っている。が、誰もが夜空を飾る花火をなにやら厳かに見上げていたように思う。拍手はあったかもしれないが、シ〜ンと静まりかえった会場で、花火の音と光だけが響くという、どこかで「特殊なフジロック」を象徴するかのような光景が目の前に広がっていた。おそらく、誰もがここまでたどり着くのが簡単ではなかったことを察していたのではないだろうか。


Photo by 安江正実

 当初、ライブハウスなどからクラスターが発生したことも影響したんだろう、感染拡大を誘発する場所として、ライヴ・エンタテインメントの場所がやり玉に挙げられ、そういったものが知らない間に「不要不急」を象徴するものであるかのように語られ始めていた。数多くのライブハウスが閉店を余儀なくされ、ミュージシャンや演劇人が作品の発表の場を奪われたのみならず、照明や音響の技術者が職を失っていた。さらには大規模なコンサートからフェスティヴァルが次々と延期やキャンセルの憂き目にあう。もちろん、感染拡大は阻止しなければいけない。が、同時に、音楽のみならず文化とは生きることに必要不可欠な要素であり、それを否定することはできない。その集大成としてフェスティヴァルという文化が存在する。とりわけ、それが日本で生まれ、成長していくきっかけとなったフジロックを根絶やしてはいけないという思いが主催者、関係者、そして、フジロッカーにはあったということだろう。

 それだけではなかった。昨年、フジロックが延期を発表した頃、町内から「なんとか開催できないか」という打診があったという噂を耳にしている。その理由はフジロックで生まれる経済効果であり、それが断たれることが地元に計り知れない影響を与えることになる。それが二年も続けば壊滅的な打撃を受ける可能性も否定できない。だからこそ、地元と主催者が開催に向けた方法を模索し始めるのだ。その結果として、可能な限り徹底的な感染予防策を築き上げ、観客には不自由きわまりないがんじがらめの感染予防ガイドラインを提示することになる。しかも、本来のキャパシティのほぼ25%程度にまで規模を縮小。結果として1日の最大動員数は1.4万人弱と、一般的なスポーツ競技で日本武道館をほぼ満杯にした程度にとどまることになる。

 これで採算が取れるんだろうか? しかも、感染問題に絡んで参加に不安を感じている人達や体調がすぐれない人達へのチケット払い戻しにも対応している。加えて、チケット購入者にコンタクトをして、希望者には抗原検査キットを発送し、大多数の人たちがそれに応えていた。が、それでもまだ不安だと、目指したのは100%。必要とされる膨大な数の抗原検査キットを集めるのに東奔西走したという話が伝わっている。さらに、会場内の救護テントに加え、バックヤードには数多くの医療関係者や民間救急搬送車3台を待機。また、会場入りする前に全スタッフがPCR検査を受け、陰性であることを証明してからでないと、苗場入りできない取り決めをしていた。加えて、長期滞在するスタッフは定期的に抗原検査を繰り返す。さらに、すでに会場入りしていても、自宅の家族で濃厚接触者が報告されると速効で会場を追われ、陰性であることを証明することなく現場復帰はできなくなっていた。ちなみに、観客のみならずスタッフも全員が毎日検温チェックを受けないと、会場に入ることもできないことになっている。どこかの新聞が「厳戒態勢」という言葉を使っていたのだが、まさしくその通りだろう。


Photo by 粂井 健太

 下手をすると、今年は最もフジロックらしくないフェスティヴァルになるかもしれないという危惧があった。どこかで自由と自主性が魅力となっていたフジロックだというのに、感染対策に絡んで「がんじがらめ」のルールを守らなければいけない。しかも、コロナ禍での開催ということもあり、海外からのアーティストは皆無。会場を演出するUKチームの来日もできなかった。なにやら、フェスティヴァルと言うよりも、緑に囲まれた野外コンサートでしかないかもしれない。さらには、場内でのアルコール販売が禁止され、中心部から離れた場所にごくわずかに用意された喫煙所を除いて全面禁煙となっていた。1997年にフジロックが始まった頃から、毎回出店していた、オアシス・エリアの顔のような存在となっていたバーやお店の数々が出店をキャンセル。すでに「ここに来れば顔を合わせることができる」友人や仲間たちが参加を断念するにいたるのだ。

 誰もが苦渋の決断と選択を迫られていた。特に大都市を中心に新型コロナウイルス感染者が急増し始めると、「なんとか開催してほしい」という声と同じように、「中止すべき」という声も多くなっていった。出演を予定していたアーティストやパフォーマーに対しても、様々な声が寄せられ、参加しようとしていた個人も揺れ動いていた。その結果がなにであれ、ひとりひとりが真剣にフジロックに向き合い、判断したことに敬意を表したい。来てくれたみなさんにも、今年は来るのをやめたみなさんにも、ありがとう。中止すべきだと主張した人にも、開催すべきだと声を上げた人達にも、出演してくれたアーティストにも、出演辞退をした人達にも、ありがとう。そういった反響に感じるのは、多くの人たちにとってフジロックが大きな存在になっていること。だからこそ、真剣に向き合って、彼らが導き出した判断に最大限の敬意を表したいと思う。

 会場では感染予防ガイダンスを守ろうとするオーディエンスに圧倒されることになる。少なくとも、喫煙所やフード・テントを除いて、マスクをしていない人にはお目にかからなかった。しかも、ここで食事をしていて気付くのだ。ほとんど会話が耳に入ることはなかった。「黙食をお願いします」と書かれている注意書きを守ろうとしているのが、痛いようにわかるのだ。久々に仲間と会って握手をしたり、抱き合いたい気持ちがあっても、それを躊躇して肘や拳で挨拶。マスク越しに語り合う人はいても、大声で話す人にはお目にかからなかった。また、水分補給などでマスクを外すときも、周辺に人がいないことを確認してそうしているのが見て取れた。

 ふつうならグリーン・ステージ外にMCを置くことはなかったのだが、今回は全ステージにMCを配し、演奏が始まる前に必ずオーディエンスに呼びかけていたことがある。

「必ず鼻を隠すようにマスクをして、声は出さないでください。安全な距離を保つために地面に記されたマークを確認してください。ステージ前では水分補給用のペット・ボトルなどを除いて、飲食物を持ち込まないでください」

 MCにはそのマニュアルが渡され、毎回オーディエンスに訴えかけるように義務づけられていた。そうして飛沫や接触による感染を防ごうとしているのは言うまでもない。

 そのおかげで目撃するのは、おそらく、フェスティヴァルやライヴでは前代未聞の光景だっだ。どれほどライヴが白熱しても、ほとんど歓声が聞こえることはなく、聞こえてくるのは拍手や手拍子のみ。それでも、その想いがステージ上に伝播するんだろう。加えて、悩み抜いてここに来る決断をしたアーティストの想いがそこに重なって、誰もがとてつもない熱を感じさせるパフォーマンスを見せていた。それは数えるほどのオーディエンスしか目に入らなかったちっぽけなステージであろうと、幾分の違いもなかった。今年は、会場入りを断念した数多くの人達がYouTubeでそれを目撃することになるのだが、演奏の素晴らしさを支えていたのはこの場で生まれた、えもいわれぬエネルギーのたまものではなかっただろうか。


Photo by MITCH IKEDA


Photo by Eriko Kondo

 今年は、珍しく、チーフ・プロデューサーの日高大将が二度、グリーン・ステージに立っている。昔からフジロックを支えた二人の仲間が他界したことを告げたのが初日、そして、最後、日曜日のトリを務めた電気グルーヴの前。そこで彼がオーディエンスから感じたのは「なんとかしてフジロックを支えようとする人々の熱気だった」という。それが端的に表れていたのは彼らが感染防止ガイダンスを守り続けたことのみならず、まるで1999年の苗場で起きた奇跡の再現でもあった。すべてが幕を閉じた後、会場にはほとんどゴミが落ちていなかったという。ゴミ・ゼロ・ナビゲーションを訴えて、活動しているiPledge(アイプレッジ)が毎日、会場に落ちたゴミを拾い集めているのだが、各所に設置された収集箱を除いてほとんど仕事がなかったという嬉しい話も届いている。

 フェスティヴァルが終わった8月24日に発表された主催者からの公式声明によると、その時点で「会期中の会場においてひとりの陽性者も確認されていないこと」が伝えられている。もちろん、それで完結してはいない。「今後も、時間経過と共に情報収集に努め、その結果をあらためて皆様へご報告し、未来のフェスティヴァルにおける感染防止対策の改善につなげてまいります。」と続いている。また、振り返るには早すぎるかもしれないが、完璧を目指したすべての関係者、地元のみなさん、そして、全国から会場にやって来ることができた方々や来られなかった方々にも、批判した方々にも、ここまでたどり着けたことを感謝したいと思う。

 台風に襲われて惨憺たる状況を経験した1997年開催の第一回目から、その存続が問われる大きな試練となったのが苗場に場所を移して最初の1999年。「ロック・フェスティヴァルは危険だ」という偏見に対して、互いを思いやり、愛し合うことを行動で示すことによって、会場どころか、苗場の町からお世話になったホテルや民宿でゴミひとつ落ちていない「奇跡」を形にしていた。これが「地元と共にフェスティヴァルを育てる」という流れを生み出している。それ以降、同じように台風や記録的な豪雨といった幾多の試練を乗り越えて成長してきたとは言え、今回直面したのは前代未聞のウイルスによる危機だった。前述のように、まだまだ結論を導くには早すぎるのは十分承知の上で、関わるすべての人達が可能な限りの知恵と努力で「奇跡」を目指した今年は、フジロックの歴史を語る上で無視できない1年となったことは言うまでもないだろう。

 どこかで様々な意見や考え方の違いが音楽界で分断を引き起こしているという声も耳に入る。が、フェスティヴァルを愛する人達が、多様性を認めるのは当然であり、互いを尊敬し、受け入れて、そこからよりよい選択肢へと自らを導いていくべきだと思う。その上で、今回の経験を糧に、来年を目指したいと思うのだ。このウイルスによる影響がいつまで続くのか、誰にも予測はできないかもしれない。いつか、そんな心配をすることもなく、苗場でみんなとまみえることがある日を願って、今年のエキスプレスの幕を閉じたいと思う。

 なお、ガイダンスに則り、感染を防ぎながら取材をしなければいけないという難しい状況のなかで、動いてくれたスタッフに最大限の賛辞を贈りたい。マスクやフェイス・シールドの用意はもちろん、安全な距離を保ちながらの取材は簡単ではなかったはず。また、独自に用意周到な感染対策を生み出してラウンジを運営したスタッフにも頭が下がる。心の底から、ありがとう。

 今年動いてくれたスタッフは、以下の通りです。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/21/
フォトグラファー:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、アリモトシンヤ、安江正実、粂井健太、白井絢香、HARA MASAMI、おみそ、suguta、シガタカノブ、佐藤哲郎
ライター:丸山亮平、阿部光平、石角友香、あたそ、梶原綾乃、阿部仁知、近藤英梨子、イケダノブユキ、三浦孝文、東いずみ

■英語版(http://fujirockexpress.net/21e/
Laurier Tiernan, Jonathan Cooper, Nina Cataldo

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、obacchi、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、坂上大介(デザイン)、迫勇一

スペシャルサンクス:三ツ石哲也、若林修平、守田 昌哉、Park Baker、そして、観客を守るために奔走してくれた全スタッフ、試練を乗り越えてフェスティヴァルの素晴らしさを伝えてくれた観客のみなさん。

プロデューサー:花房浩一

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fujirockers.orgとは1997年のフジロック公式サイトから独立した、フジロックを愛する人々のコミュニティ・サイト。主催者から公式サポートを得ているが、独自取材で国内外のフェスティヴァルからその文化に関わる情報を発信。開催期間中は独自の視点で会場から全方位取材で速報を届けるフジロック・エキスプレスを運営。
http://fujirockers.org/
MerdekaTogel

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平沢進+会人(EJIN) http://fujirockexpress.net/21/p_852 Sun, 22 Aug 2021 16:40:51 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=852 前回、2019年にレッドマーキーに登場した平沢進のアクトへの尋常じゃない反応で、P-MODELや初期ソロにしかなじみのない自分のような人間は驚きを禁じ得なかったのだが、今年のホワイトステージの大トリを見ようと集合している人々は初期からのコアファンもアニメ『ベルセルク』きっかけのファンもいずれにしても「平沢師匠的な言語」を恐ろしく知っている。否、それが平沢に関する会話やSNS上の文章のデフォルトである。一朝一夕に身につくものでもないので、飽くまでも音楽ライブ、それもテクノロジーを駆使したそれとして、前のめり気味に参加した。

にわか雨とフェス最終日ということで、スタッフがメインのケーブルを確認している。命綱である。映像も前回より規模を拡大しているだろう。そんなことを思っていると会人SSHO、会人TAZZと、サポートドラムのユージ・レルレ・カワグチが位置につく。今回は生ドラムが加わったことがライブを大いにドライヴさせている。

平沢の歌唱はオペラのような感覚を残し、特徴的な自らの声を重ねた同期だろうか、コーラスが統率をイメージさせる。ニューウェーヴ時代からシンセサイザーの進化とともに、オリジナリティも更新してきた彼は、今やステージセットごとテクノロジーの権化、という言葉が悪ければ、ステージのシステムそのものと表現が不可分なアートになっている。シアトリカルでもあるが、レーザーを指揮者のごときアクションで操り、遠隔でテスラコイルを作動させ、音を発する。そのちょっと大げさでもあるアクションやコンセプトも含めて、平沢進というトータルアートだ。とかなんとかいうこと自体がコアファンには「承前」と一刀両断されかねないが、40年以上、自らの音楽の帝国を構築してきた凄みと実像に魅了されるのだ。マッド・サイエンティストとか呼ばれる人物は映画でしか見たことないでしょ?という意味で。

全体的に統率感が強く出た勇壮な楽曲が多い中で、新作『BEACON』のタイトルチューンのメロディの突き抜け方や、”消えるTOPIA”の汎アジア的なメロディラインや、独特の譜割りは遠くR&B/ヒップホップのコブシにも通じるものを感じずにはいられない。勇壮なメロディとはまた異なる、東アジア、そして日本の根源的にあったであろうメロデイに前向きなものを感じたのだ。それにしても平沢のメロディはなぜ尽きないのだろう。1時間半の歌唱も素晴らしいが、新たに生み出されるメロディには驚く。

そして平沢は独特なギタリストでもある。エレクトロニクスが多用されても、どこかエグみのあるギターサウンドは平沢の声同様、他の表現者のDNAにはないかもしれない。そのギターを華麗にプレイしながら、動きも華麗だ。彼のステージングを見ていると、ミュージシャン以前に自分はいかなる人間なのか、いかなる人間でありたいのか。それをここまで突き詰めた人物の表現が、近年の意思を視覚化したようなステージなのかもしれない。

1時間半、平沢帝国の驚きの音楽性と世界観に歓喜したオーディエンスはまるで帝国の構成員の役割を楽しんでいるようだった。この、完全には演劇的とは言えない独特のショーをどう名付けたらいいのかわからない。年齢のことをいうのはあまり好きではないが、齢67にして何度目かのキャリアハイを迎えている彼の、他の世代に迎合しないクリエイティビティには感服する他なかった。

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上原ひろみ ザ・ピアノ・クインテット http://fujirockexpress.net/21/p_896 Sun, 22 Aug 2021 14:38:27 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=896 直前に強めの雨が降り、生ピアノはもちろん、弦楽器は無事なんだろうか?といらぬ心配をしてしまったけれど、これまでも過酷な野外の環境であるフジロックに出演してきた上原ひろみに対してそれは杞憂だった。

個人的に昨年、彼女がライブハウスの火を消さないためにブルーノート東京で連続公演を決意したとき、いま見るべきはこのライブだと直感し、熾烈なチケット争奪戦の末、最初のソロ・ピアノ・シリーズを見ることができた。何か生身の人間が鳴らす音楽の可能性を上原の演奏で浴びまくりたいと思ったのだ。

そして今回のピアノ+弦楽四重奏という編成はそのシリーズ「SAVE LIVE MUSIC」の2020年末から2021年始にかけて初披露された新日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターである西江辰郎を中心とするカルテットとのプロジェクト。目下、9月のニューアルバム『SILVER LINING SUITE』から”Ribera Del Duero”のみ配信されているが、なんと今晩のプログラムはアルバムに先駆けて、新曲をほぼ演奏してくれるという、スペシャリテもスペシャリテな内容だったのだ。

西江辰郎(1st violin)、ビルマン聡平(2nd violin)、中恵菜(viola)、向井航(cello)がチューニングを終えたところに、真っ赤なドレスにゴールドのスニーカーの上原がささっと登場し、すぐプレイが始まる。チェロがコントラバス的な役割をしているのもユニークだし、なんと言ってもピアノと弦の掛け合いはジャムバンドかマスロックだ。歓声を上げられないのが残念だが、スリル満点。

超絶技巧だけがすごいわけじゃなく、ピアノと弦楽四重奏の作編曲をしたことが、まずなかなかないと思うのだ。映画音楽ならありえるのかもしれないが、ライブで演奏されてこそ活きる抜き差しの多彩さが彼女の妙味。いま、ヘブンにいる人が初めて聴く曲ばかりだが、演奏で引きずり込まれて、立ち尽くす人、揺れる人、自分なりにリズムをとって踊る人、さまざまだ。また、上原のソロが最高潮に盛り上がってくると、ジャズに詳しいオーディエンスだけじゃないはずなのに、自然と拍手が起こる。ジャズやクラシック・コンサートのルールなんてわからなくても、思うまま反応することはできる。

終盤に1曲だけ、ソロ曲の”Kaleidoscope”をプレイし、そのパワーに圧倒される場面も。弦楽の演奏者も演奏に聴き入り、弓で賛辞を送る、あの光景も見られたのだった。

ラストに”Ribera Del Duero”を配したのはソロ・パートの見せ場があるからだろうか。アンサンブルも素晴らしいが、ひとりひとりの演奏にも鳥肌が立つ。山の中でピアノと弦楽四重奏の演奏会、しかも夜にスタンディングで楽しめるなんて、生涯でもうないかもしれない。

音楽を止めないと、様々なアーティストが言う。その方法論やスタイルは人の数だけあるだろう。だが、上原ひろみのように自分が先陣を切って、実際に音楽を止めないために動く人は稀だと思う。俯瞰で見ると、フジロックに出演したのみならず、この挑戦は痕跡と呼べるものだが、逡巡や過程を知らせることなく、ただ彼女の音楽はそこにあった。

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TENDRE http://fujirockexpress.net/21/p_856 Sun, 22 Aug 2021 07:03:00 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=856 サウンドチェックの段階から真剣な会話はもちろん、お互いを褒め合ったり、笑いも起きるのがTENDREバンドのいいところ。そのムードはライブが終わる頃、自分も心がけたいと思うに至る。理由は後述する。

パラッと小雨が降ったものの、本番開始とともに止むのはTENDRE(河原太朗)のフジロック愛ゆえか。小西遼(CRCK/LCKS、Sax)のサックスが心を溶かすイントロから、”LIFE”でスタート。Aメロの途中、大きな声で「ただいま、フジロック!」という言葉は音楽ファン、アーティスト、そのどちらの気持も含まれている印象だ。しかし、明らかにここにいるオーディエンスの気持ちも乗せて、引き受けている。なんだか太朗さんが大きく見える。パーカッションにギャラクシー松井を迎えたバンドはグルーヴも多彩になり、メンバー間のリラックスしつつの真剣な演奏にさらに厚みを加えている。“DISCOVERY”のようなちょっと後ろノリな曲では特に。

序盤で早速、新曲“PARADISE”を披露。TENDREもAAAMYYY(Syn)もエレキギターを持ち、ファンクを基調とした曲に新しいニュアンスを加える。ハードなギターを聴かせたからか、曲が終わると「つってね。面白かった」と、感想を発するのはステージが大きくなっても変わらない。次の曲に移ろうとしたところ、キーボードの端っこにトンボが留まっている。「ちょっと待って、トンボ」と言い、飛び去ってから“DRAMA“を始めたのだ。苗場のいろいろを楽しむことが、フジロックのライブをリスナーにも忘れがたいものにする。ゆるく踊れるムードが移動している人の足を止めていく。

数曲演奏したところで、折りたたんだ紙を取り出したTENDREは「ちゃんと喋ろうと思って手紙を書いてきました」と、「音楽を愛する皆さん」という書き出しで、ここにいる人、配信を見ている人、来ないことを選択した人、出演できなくなってしまったアーティスト、出演を辞退したアーティスト、そして何より地域の皆さんにおつかれさまです、と挨拶。そして「選んでくれてありがとう」と。ここに立っていることの意味をこの先、何十年も忘れずにいたいです、と話した。文化や音楽を守るために必要なのは話し合うことだと言い、ここ最近の思いが詰め込まれたニューアルバムから、誰もがその話し合いの一人であるという意味の“PIECE”を披露。この場所が大事な人にとって、彼の真剣な態度は1ミリも茶化せるものではなかった。昨日のSIRUPにせよ、TENDREにせよ、誰のどんな意見にもその人の理由があるだろう、そんな想像力に基づいているから、冷静で温かい。

マルチプレーヤーから、自分の考えを歌うシンガーソングライター的な表現者の道を選んでから3年強。その理由が音や言葉、ステージングに明確に現れた日として、この日はしっかり記憶しようと思う。

人気曲“hanashi”のイントロからクラップが起こるような自然なムードが出来上がり、メンバーもTENDREの音楽のファンであることが演奏からわかる。今年のフジロックは様々なバンドを掛け持ちしてるミュージシャンが多いが、このバンドも松浦大樹(Dr/She Her Her Hers、LUCKY TAPES、奇妙礼太郎)、小西遼(CRCK/LCKS、Sax)、高木祥太(BREIMEN/Ba)、AAAMYYYという布陣。連日のステージで存在感を見せる彼らが、もっともオープンにオーディエンスに向けて参加を促している、TENDREの音楽が為せる技なのだろう。

ラストは2018年のジプシーアヴァロン、2019年のレッドマーキーでも選曲した“RIDE”で、ハンズアップした手が大きく波打つぐらい、その場にいるオーディエンスを魅了しつくしたのだった。大事なことはステージであろうと、手紙に書く。そんな太朗さんを真似して不要な照れや逃げをやめたいとも思ったのだ。真面目な話。

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君島大空 合奏形態 http://fujirockexpress.net/21/p_880 Sun, 22 Aug 2021 02:32:25 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=880 フジロックに出演することがそんなに偉いのかはわからないが、言葉にする前にすげえ!と思ったニューカマーには苗場で再会したいと自動的に脳が反応するみたいだ。君島大空。何を言っても言った端から嘘になるような、それを瞬時に歌声やギターの爪弾きの加減でなんとか生まれたての「それ」を人に聴かせようとする姿を2018年に渋谷のライブハウスで目撃し、2019年には「すごすぎるメンバー」によるROOKIE A GO-GO出演。SIA後の牛歩に巻き込まれてその時のライブを見ることは叶わなかったが、その分、今年の出演は心底嬉しかった。

レッドの一番手は10時半開演だが、すでに大勢の人が列を作って開場を待っていた。整然と入場していく。君島自身への支持はもちろん、合奏形態のメンバーは西田修大(g)、新井和輝(b)、石若駿(drs)という、いま、日本で最も面白くもユニークなミュージシャンたち。石若は初日のくるり、KID FRESINO、millennium paradeのトリプルヘッダーだったし、新井もmillennium parade、King Gnu、西田はKID FRESINOで弾いている。なんだかこのコレクティヴのセンスは今年のフジロックの通奏低音になっていまいか。

入念なサウンドチェックを済ませ、本番に臨んだ君島はお馴染みの白シャツ。客席側から右手に君島が位置し、順番に石若、新井、西田というセンターを囲むような陣形で、呼吸を合わせていく。西田がシンセで不穏な空気を放ち、1曲目はハードな“遠視のコントラルト”。君島も西田もハードに攻めていく。エクストリームさと清さは君島の音楽では当たり前に同居する。その感覚を求めて重奏形態のライブを凝視しているようなところもある。続けて“散瞳”を演奏し、エンディングを確かめた上でものすごく長い拍手が起きた。みんな待っていたのだ。

君島がエレアコに持ち替えての“傘の中の手”では、メンバー各々が異なる拍子を叩いたり、リフを刻んだりしながら曲の世界は混ざり合うという高度なアレンジに興奮し、石若の静かな静かなリムショットに意識が自ずと集中する“きさらぎ”。知らない街で迷子になった(なろうとしている)二人のロマンチックで、でも少し戸惑ってもいるような歌詞が繊細で、刻一刻と変化する演奏は一編の映画を見るような気持ちの満足度をくれる。そのハイライトは“午後の反射光”〜“銃口”でピークを迎えた印象だ。特に“午後の反射光”の高音はファルセットじゃなく、力強い声。何か一つ突き抜けたいまの君島を見た感覚だ。

振り返ると後ろまで人が入り、しかも集中力を切らさない空間ができている。君島はさらっと「来てくれてありがとう」、そしてメンバー紹介をしてラストの“光暈(halo)”へ。ここでも楽器がほぼ身体化したメンバーはこの曲の今日のあり方を演奏しながら試行する。演奏はなぞるものではなく、その都度、更新されるものだということ。そこに賭けている4人の「生みたて」音楽。

メンバーがステージを去ってもその場からなかなか離れない人が多い、そんな濃厚な40分だった。

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AAAMYYY http://fujirockexpress.net/21/p_942 Sat, 21 Aug 2021 15:52:17 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=942 初日のヘヴンでも大いに新しいファンを獲得したTempalay。2日目はつい先日、ソロ・ニューアルバム『Annihilation』をリリースしたばかりのAAAMYYYがリニューアルした苗場食堂のステージに登場した。のだが、早々に入場規制がかかり、枠の外から鑑賞するはめに……。まぁいまの彼女の人気や注目度から言えば少し手狭だったかもしれない。

バンドのときとはまた違うデザインの白い衣装で現れた彼女。サウンドチェックの段階から声が聞こえていたTENDRE(Key)はもちろん、ステージ上にはODD FOOT WORKSのTondenhey(Gt)や昨夜、TempalayをサポートしていたBREIMENの高木祥太(Ba)の姿も見える。今年のフジロックの一端を担う面々だ。後のMCでわかったのだがDJ Yohji Igarashiも参加していた。

これまで以上にグッとダークさと儚さを兼ね備え、パーソナルな部分も打ち出した新作直後のステージとあって、スペースに入りきれなかった人も間隔をあけつつと遠巻きに見ている。苗場食堂という決して大きなボリュームじゃない出音が繊細なAAAMYYYのボーカルにはフィットしている。1曲目の“Leeloo“を歌い終えた段階で、遠慮がちに「よろしくお願いします〜」と挨拶。そこにすかさずレゲエホーンのサンプリング音源だろうか。ミスマッチだが、場が和む。

照れつつ、ラップ的な表現も取り入れた“Takes Time“、ダークなUKのインディロックっぽさがギターサウンドで際立た“Fiction”など、グッと内面に寄ったテーマとアレンジ。これはニューウェーヴ好きにも、というかニュー・オーダー好きにもきっと刺さりそう。短いステージながら、なんとサプライズで昼間、グリーンのステージを見事に盛り上げたSIRUPが“不思議“の途中から登場。意表を突く展開に静かに湧く苗場食堂。

ソロ新作についてのMCは遠さと、サウンドクラッシュで聞き取れなかったのだが、ソロにより意欲的であることは伝わってきた。ラストには彼女の死生観が反映された“Afterlife“を披露。ヨーロッパ的なメロディやシンセの音色が少しゴスな印象もある曲だ。重いテーマでも、率直で決して情念ぽく聴こえないのがAAAMYYYがいま、同性のファンを多く獲得している理由のように思う。

M.I.A.の明確な物言いや表現が好きだというAAAMYYYには共通するものを感じるし、他には例えば必然的な意味でのダークさや浮遊感という意味でラナ・デル・レイなんかにも共通項がありそう。この時代のシンガーソングライターでもあり、クリエーターでもある彼女の最新型をいち早く見ることができたのは幸運だった。

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ROVO http://fujirockexpress.net/21/p_889 Sat, 21 Aug 2021 14:29:49 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=889 フジロックの常連でもあり、昨年から単独の野外公演「ハイライフ八ヶ岳」を多摩あきがわのキャンプ場で開催するなど、いち早くパンデミック時代のライブのあり方を模索し、同時に築き上げてきたROVO。自由に踊り自由に振る舞うライブをアップデートせざるを得なかった彼らの動向は多くのミュージシャンにとって、新しいライブのあり方やマナー(勝井祐二は「新しいクオリティ」と呼ぶ)を具体的に参照し、リスペクトも集めてきた。

知見やライブ現場での皮膚感覚を積み重ねてきた2021年夏現在のROVOがフジロックに帰ってくる。主にコアなバンドのファンやフジロックで楽しむROVOのダイナミズムを知っているオーディエンスが多いように感じた。ただし、開演当初はグリーンのKing Gnu、ホワイトではNUMBER GIRLという、身体がいくつあっても足りない振り分けである。馴染みのオーディエンスを前にライブは勝井の「自分たちで新しいルールを作るフジロックだと思っています」と最近では恒例になったメッセージから、1曲目は“SPICA”。 益子樹(Syn)のシンセに芳垣安洋(Dr/Per)、岡部洋一(Dr/Per)のツインドラムが鋭く切り込み、原田仁(Ba)のローが地面を揺らすと、チルっていたオーディエンスにスイッチが入る。ステージの照明は暗く、わずかにプロジェクション・マッピングが演出に使われているぐらいのヘブンの暗闇で人々が蠢き、そしてどろどろの地面が匂う。五感すべてが開放されるとはこういうことなのだ。

静かに始まり物語を変遷しつつ、肉体も変身していくようなROVOの楽曲をヘブンで体感する贅沢はここに集まる人は知っているのだろう。ただただ、マスク越しにしか苗場の空気を吸い込めないのはつくづく残念だ。細胞に新鮮な空気と音を供給したいのだ。これはむしろノンアルだからこそ感じたことかもしれない。

“AXETO”、“SUKHNA”と生き物めいた展開を見せる曲が続き(どの曲もそうだが)、山本精一(G)の多彩なフレーズが楽しめる“ARCA”へ。優しい単音から、メタルのクランチなニュアンスに近い音もジャムバンド的なソロもある。ギター・ソロかと思えば勝井のエレクトリック・バイオリンが重層的に空間を広げる。セルフネームの新作『ROVO』収録の“SAI”は牧歌的な側面もあり、バンドの新しい方向性を示した楽曲。そう。この曲でマスクが恨めしくなったのだった。

1時間半という、ワンマンライブに匹敵するセットリストの最後は初期の代表曲“CISCO!”だった。遠巻きに眺めていたけれど、ツインドラムの熱量が上がる様はやはりしっかり見たい。前方にはおのおの自分の踊り方でROVOの宇宙を楽しんでいる人ばかり。ソーシャル・ディスタンスも踊るにはちょうどいい塩梅なのである。気がつけば随分、人が流れてきていた。初めてROVOに出会った人がいますように。

一時、勝井さんはMCをしないバンドがしゃべるようになった理由がライブの注意喚起だなんて不思議だと話していらしたが、それも徐々に浸透。一歩先に切り拓いてきた道はこの日のヘブンにももちろん通じていた。

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envy http://fujirockexpress.net/21/p_848 Sat, 21 Aug 2021 08:49:35 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=848 つい先程まで太陽を避けていたというのに、15時半ごろからいきなり雲行きが怪しくなり、グリーンからホワイトへの道は突然のどしゃ降りを避ける人たちが木々の下に隠れている。それでも「ええい、ままよ!」とホワイトのenvyに向かうと、奇跡なのかなんなのか開演時間の頃にはほぼ雨がやんだ。見上げると雲がすごいスピードで動いていた。

フジロックには10年ぶりの出演となったenvy。前回はMOGWAI終わりでレッドマーキーに走った人もいたかもしれない。豪雨をものともしないオーディエンスを迎えたのは心にしみる言葉。それらが背景に映し出される。勘違いも甚だしいのだが、妙にすっきりした気持ちで清冽な言葉を噛みしめる。そこに黒づくめの男たちがまず5人。Manabu Nakagawa(Ba)、Nobukata Kawai(Gu)、y0shi(Gu)、Yoshimitsu Taki(Gu)、Hiroki Watanabe(Dr)が楽器を持ち、そこにTestuya Fukagawa(Vo/Key)が走り込んできて、手を合わせお辞儀する。“Footsteps in the Distance”がスターターだ。トリプルギターのオーケストレーションはまるで生きるための凱歌のように響き渡る。すさまじい音量のシューゲイズサウンドなのだがどこまでも澄んでいる。ショーの半ばで気づいたが、透明な轟音はノンアルでも飛べる。まして雨で冷えた身体は動かしていないといつまでも湿っぽい。

それにしても総勢6人の男たちが解き放たれた獣のように演奏する様は、どこか神輿のない祭りのようでもある。いや、神輿は自らが鳴らしている音そのものなのかもしれない。海外ツアー経験も多いenvyだが、こうしたプリミティヴな反応を引き起こす重奏は言葉を超えている。そのうえでFukagawaの瑞々しいリリシズムを理解できると、なおenvyの世界を知ることができるのだ。実際、彼の言葉がこの暴れまくる重奏の羅針盤になっているように見えた。特にFukagawaがフロアタムを叩いて、メンバーもステージの中央に集まってくる場面などはまさに祭りだ。トリプルギターにベース、ドラム、時々シンセも加わるというのに、印象は原初の祭り。

後半には昨年リリースの新作『The Fallen Crimson』収録の“Rhythm”をコラボレーションしたアチコを迎えてのパフォーマンスも。歌というより、彼女も身体の中から出る音という印象の強く澄んだ声を披露。女性ボーカルとポストロックやシューゲイズサウンドの相性の良さはこれまでもtoeなどで数多く体験してきたが、この二組の組み合わせも言葉の意味を凌駕するエネルギーにただただ浸されていた。心地よい。

ステージ上は汗だくの熱演なのだが、出る音は荒涼とした寒い土地の風のよう。ラストの“Farewell to Words”が、雨でグッと冷えたホワイトステージの空気とリンクして、真夏に稀有な経験をすることができた。何度も書いてしまうが、男6人が暴れまわるステージも出音が最高であることが視覚のインパクトとともに、彼らが何をそこに出現させようとしているのかが明確に伝わることになったのだと思う。集中力の高い、名演だった。

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SIRUP http://fujirockexpress.net/21/p_831 Sat, 21 Aug 2021 05:59:17 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=831 終盤のMCでSIRUPは「フジロックのグリーンステージにR&Bやソウルを自分なりに表現している日本人アーティストが立つのは多分初めてじゃないか」と、自負心と気概を見せていたが、個人的には遅すぎるぐらいでは?という気持ちが先立った。スケール感や知名度こそ違うけれど、コロナ禍じゃなければシルク・ソニックがフジロックにラインナップされててもおかしくないよね?と思うわけである。アンダーソン・パークだってグリーンのステージに立ったわけだし。

R&Bやネオソウル、ヒップホップのアーティストはもっと多くてもいいと感じる自分のような音楽ファンかつフジロック好きにはこの機会にSIRUPの美声と根拠のちゃんとある愛情表現が多くの人の目に触れるのは単純に嬉しかった。しかも6人体制のフルバンドでの登場である。生音のアンサンブルとスキル、SIRUPの歌をともに歌うような演奏に、単なるサポートの枠を超えた関係値を見た。

当意即妙なバンドアンサンブルで歌に寄り添いつつ、アゲていくデビュー曲“Synapse”などを序盤に配置し、歌の確かさにグリーンの後方で寝そべっている人もビジョンぐらいは見るようになる。SIRUPは「音楽が好きなら、音楽で見知らぬ同士が一つになれる感覚は知っているはず、泳ぎましょう」と“SWIM”を披露。驚異的な高音のロングトーンも上手くても刺さらない人のそれと違って、上手いと言語化する感想の前に心臓が掴まれて、同時に癒やされている。ロングトーンの締め方が上品なのだ。歌に人柄を見て、次第に前方エリアにも人が集まる。フェスキッズ風の男子が首でリズムを取りながら歩いている。そんなちょっとした新しい光景が可視化されるのがフェスティバルの醍醐味だし、大好きな場面だ。

車のCMにも起用された“Do Well”では座っていたカップルも立ち上がって踊る。そうして少しずつSIRUPの周囲に仲間が増えていく感じ、というのは妄想がすぎるだろうか。

終盤、彼はコロナ禍のみならず、ここ数年、しんどい思いを抱えながら生きてきたという。彼の希望は「誰しもが守られる社会」であり、その思いが端的に表出したのが新作『cure』であり、現実世界でも弱い立場にある人が生きやすい施策に携わったり、外国人への偏見とも闘っている。そういう背景がある彼がお互いを思い合おうと歌うと、どんな言葉よりストンと自分の中に落ちるものだ。祈りのようでもあるし、ただ思っているだけではだめだとも言われているような“Thinkin about us”はいつでも思い出したい曲になった。

いいことをするのはクールだ。いやもっと言えばいいことをするのは当たり前だといえるぐらいがクールなのかもしれない。温かくて、いつでも誰でも入ってくることができるフレキシブルな音楽、それがR&Bやソウル、ヒップホップのDNAからSIRUPが受け継いだものだと思う。この日、グリーンステージのフィールドで挙げられた手がいつかつながりますように。

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tricot http://fujirockexpress.net/21/p_851 Sat, 21 Aug 2021 03:03:32 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=851 小雨かと思えば灼熱の太陽が照りつけたり、昼間のホワイトステージは過酷だ。過酷なステージの口火を切るのはフジロックには9年ぶりの登場となるtricot。当時のエキスプレスのレポートによると、前回はGYPSY AVALONのトリ。まだ「舐められてたまるか」精神と、「このリズムで踊れるか?」という挑発的な姿勢だったようだ。自分自身、ライブハウスで2014年ごろから見始めたのだが、演奏に自信をつけて楽しむようになっていくに従って、楽曲のバリエーションも多彩に。大人になったというより、アーティストとして自然体でいられるようになったのだろう。

まずキダモティフォ(Gt/Cho)が登場し、開始の狼煙のようにフレーズを決め、中嶋イッキュウ(Gt/Vo)、ヒロミ・ヒロヒロ(Ba/Cho)、吉田雄介(Dr)もステージに現れる。全員、白い衣装で特筆すべきは中嶋の金髪のポンパドール風のヘアスタイル。グエン・ステファニーのようなオーラを纏っている。昨夜のTempalayも白い衣装だったが、2バンドともすごく似合っているし、フェスの礼装のようで美しい。緩急、剛柔、テンポチェンジを特徴とするtricot。ライブはそのスタイルを確かなものにした2013年のアルバム『T H E』から“pool side “ “POOL”と続ける。躍動するキダとヒロミとは対象的に中嶋はフィールドを見据えるように淡々と歌う。高音のロングトーンに感情が乗っていく。

アーバンな大人のポップスのようなメロディを持つ“右脳左脳”や“秘密”では中嶋はハンドマイクで情感豊かに歌う。この激しさと儚さのアンビバレンスや両義性は演奏に落とし込まれ、どんなにマイナーの16ビートっぽい曲でもキダの切り込むようなリフと轟音が、tricotのシグネーチャーのように曲のどこかで存在感を示す。そう言えばキダの手の甲には「甲」とマジックで描かれ(いつもなのかもしれない)、背景の映像にはメンバーの特徴を一人に集約した人物のイラストが映し出されていた。

いまの状況に偶然にもハマる〈世界がどうなっているとか/誰が悪いとか/そんなことより話したいことがあるわ〉と歌う人気曲“Potage”がしみる。中嶋が9年ぶりに念願のフジロックのステージに立てたことを感謝し、今日が嫌な日じゃなく、未来に続いていく日になればいいという意味の言葉を発した。尖っていた頃とは違うタフさを様々なバンドに感じるのも今年のフジロックの特徴だ。

キダの美学が冴え渡る、一つの磨き上げたリフで潔くエンディングを締める姿そのもの、それに息を合わせる3人。自分の鳴らす音が巻き起こす魔法と、それに開放されているオーディエンス、そしてそれを受け取り開放されるメンバー。バンドという美しい共同体をまぶたに焼き付けた。

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