“粂井 健太” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '21 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/21 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 02 Aug 2022 05:24:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.18 誰もが真剣に向き合い、決断を迫られた「コロナ禍のフジロック」 http://fujirockexpress.net/21/p_5816 Tue, 31 Aug 2021 08:53:35 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5816  いつも通りなら、エキスプレスの締めくくりとなるこの原稿の巻頭を飾るのは、すべての演奏が終了した会場最大のグリーン・ステージ前で、満面の笑みを浮かべるオーディエンスの写真となるはずだった。が、今年は撮影さえもしていない。例年ならば、この時間帯、巨大なスピーカーから放たれる名曲、ジョン・レノンの「Power To The People」でみんなが踊り狂うことになるのだが、それが聞こえてくることもなかった。それに代わったのはMC、スマイリー原島氏の挨拶と締めの一言「Power To The People」だけ。オーディエンスの興奮に水を差すのは承知の上で、現場が最後の最後に彼らに対して「ゆっくり静かにフェスティヴァルの幕を閉じるようにお願いしよう」と判断したからだ。

 コロナ禍でのフェスティヴァル開催という、きわめて特殊な状況の下、例年とは全く趣を異にする光景が、始まる前から様々な場所で見え隠れしていた。越後湯沢駅に向かう新幹線から会場へのシャトル・バスでも同様で、いつもなら、嬉々とした表情を浮かべて仲間とはしゃいでいるはずなのに、誰もが言葉少なに見える。彼らが互いに適度な距離を開けて整然と列に並び、苗場を目指しているのだ。今回のフジロックを開催するに当たって、参加するお客さんから、全スタッフ、関係者に伝えられていたのが感染防止ガイドライン。それを彼らが徹底して守ろうとしているのが見て取れる。

 フジロッカーにとってはおなじみの、オアシス・エリアのど真ん中に姿を見せるはずのやぐらは見当たらず、それを囲んで、地元生まれの「苗場音頭」を大音響でながしながら、みんなが輪を描いて踊る光景もなかった。それが今年のフジロック開催前夜。過去10年以上にわたって続けられてきたというのに、レッド・マーキーで、「おかえり!」と声をかけて、「ただいま」と応えるみんなの記念撮影をすることも、もちろん、なかった。本来ならば、フジロックを愛する人達が待ちに待った時間の到来に、彼らの興奮が一気に爆発するのが前夜祭の開かれる木曜日の夜。しかも、前年の開催が延期されての2年ぶりだというのに、きわめて静かな幕開けとなっていた。

 公式に「前夜祭はない」と発表されてはいたものの、唯一それを感じさせてくれたのは、直前までやるのかやらないのか全く知らされなかった花火ぐらいかもしれない。例年なら、ここで大歓声がわき起こり、否応なしに「祭り」の始まりを感じさせてくれるのだが、そんな反応は一切なかった。最初の一発が打ち上げられたとき、わずかに驚きの声が聞こえ、涙を流す人がいたという話も耳に入っている。が、誰もが夜空を飾る花火をなにやら厳かに見上げていたように思う。拍手はあったかもしれないが、シ〜ンと静まりかえった会場で、花火の音と光だけが響くという、どこかで「特殊なフジロック」を象徴するかのような光景が目の前に広がっていた。おそらく、誰もがここまでたどり着くのが簡単ではなかったことを察していたのではないだろうか。


Photo by 安江正実

 当初、ライブハウスなどからクラスターが発生したことも影響したんだろう、感染拡大を誘発する場所として、ライヴ・エンタテインメントの場所がやり玉に挙げられ、そういったものが知らない間に「不要不急」を象徴するものであるかのように語られ始めていた。数多くのライブハウスが閉店を余儀なくされ、ミュージシャンや演劇人が作品の発表の場を奪われたのみならず、照明や音響の技術者が職を失っていた。さらには大規模なコンサートからフェスティヴァルが次々と延期やキャンセルの憂き目にあう。もちろん、感染拡大は阻止しなければいけない。が、同時に、音楽のみならず文化とは生きることに必要不可欠な要素であり、それを否定することはできない。その集大成としてフェスティヴァルという文化が存在する。とりわけ、それが日本で生まれ、成長していくきっかけとなったフジロックを根絶やしてはいけないという思いが主催者、関係者、そして、フジロッカーにはあったということだろう。

 それだけではなかった。昨年、フジロックが延期を発表した頃、町内から「なんとか開催できないか」という打診があったという噂を耳にしている。その理由はフジロックで生まれる経済効果であり、それが断たれることが地元に計り知れない影響を与えることになる。それが二年も続けば壊滅的な打撃を受ける可能性も否定できない。だからこそ、地元と主催者が開催に向けた方法を模索し始めるのだ。その結果として、可能な限り徹底的な感染予防策を築き上げ、観客には不自由きわまりないがんじがらめの感染予防ガイドラインを提示することになる。しかも、本来のキャパシティのほぼ25%程度にまで規模を縮小。結果として1日の最大動員数は1.4万人弱と、一般的なスポーツ競技で日本武道館をほぼ満杯にした程度にとどまることになる。

 これで採算が取れるんだろうか? しかも、感染問題に絡んで参加に不安を感じている人達や体調がすぐれない人達へのチケット払い戻しにも対応している。加えて、チケット購入者にコンタクトをして、希望者には抗原検査キットを発送し、大多数の人たちがそれに応えていた。が、それでもまだ不安だと、目指したのは100%。必要とされる膨大な数の抗原検査キットを集めるのに東奔西走したという話が伝わっている。さらに、会場内の救護テントに加え、バックヤードには数多くの医療関係者や民間救急搬送車3台を待機。また、会場入りする前に全スタッフがPCR検査を受け、陰性であることを証明してからでないと、苗場入りできない取り決めをしていた。加えて、長期滞在するスタッフは定期的に抗原検査を繰り返す。さらに、すでに会場入りしていても、自宅の家族で濃厚接触者が報告されると速効で会場を追われ、陰性であることを証明することなく現場復帰はできなくなっていた。ちなみに、観客のみならずスタッフも全員が毎日検温チェックを受けないと、会場に入ることもできないことになっている。どこかの新聞が「厳戒態勢」という言葉を使っていたのだが、まさしくその通りだろう。


Photo by 粂井 健太

 下手をすると、今年は最もフジロックらしくないフェスティヴァルになるかもしれないという危惧があった。どこかで自由と自主性が魅力となっていたフジロックだというのに、感染対策に絡んで「がんじがらめ」のルールを守らなければいけない。しかも、コロナ禍での開催ということもあり、海外からのアーティストは皆無。会場を演出するUKチームの来日もできなかった。なにやら、フェスティヴァルと言うよりも、緑に囲まれた野外コンサートでしかないかもしれない。さらには、場内でのアルコール販売が禁止され、中心部から離れた場所にごくわずかに用意された喫煙所を除いて全面禁煙となっていた。1997年にフジロックが始まった頃から、毎回出店していた、オアシス・エリアの顔のような存在となっていたバーやお店の数々が出店をキャンセル。すでに「ここに来れば顔を合わせることができる」友人や仲間たちが参加を断念するにいたるのだ。

 誰もが苦渋の決断と選択を迫られていた。特に大都市を中心に新型コロナウイルス感染者が急増し始めると、「なんとか開催してほしい」という声と同じように、「中止すべき」という声も多くなっていった。出演を予定していたアーティストやパフォーマーに対しても、様々な声が寄せられ、参加しようとしていた個人も揺れ動いていた。その結果がなにであれ、ひとりひとりが真剣にフジロックに向き合い、判断したことに敬意を表したい。来てくれたみなさんにも、今年は来るのをやめたみなさんにも、ありがとう。中止すべきだと主張した人にも、開催すべきだと声を上げた人達にも、出演してくれたアーティストにも、出演辞退をした人達にも、ありがとう。そういった反響に感じるのは、多くの人たちにとってフジロックが大きな存在になっていること。だからこそ、真剣に向き合って、彼らが導き出した判断に最大限の敬意を表したいと思う。

 会場では感染予防ガイダンスを守ろうとするオーディエンスに圧倒されることになる。少なくとも、喫煙所やフード・テントを除いて、マスクをしていない人にはお目にかからなかった。しかも、ここで食事をしていて気付くのだ。ほとんど会話が耳に入ることはなかった。「黙食をお願いします」と書かれている注意書きを守ろうとしているのが、痛いようにわかるのだ。久々に仲間と会って握手をしたり、抱き合いたい気持ちがあっても、それを躊躇して肘や拳で挨拶。マスク越しに語り合う人はいても、大声で話す人にはお目にかからなかった。また、水分補給などでマスクを外すときも、周辺に人がいないことを確認してそうしているのが見て取れた。

 ふつうならグリーン・ステージ外にMCを置くことはなかったのだが、今回は全ステージにMCを配し、演奏が始まる前に必ずオーディエンスに呼びかけていたことがある。

「必ず鼻を隠すようにマスクをして、声は出さないでください。安全な距離を保つために地面に記されたマークを確認してください。ステージ前では水分補給用のペット・ボトルなどを除いて、飲食物を持ち込まないでください」

 MCにはそのマニュアルが渡され、毎回オーディエンスに訴えかけるように義務づけられていた。そうして飛沫や接触による感染を防ごうとしているのは言うまでもない。

 そのおかげで目撃するのは、おそらく、フェスティヴァルやライヴでは前代未聞の光景だっだ。どれほどライヴが白熱しても、ほとんど歓声が聞こえることはなく、聞こえてくるのは拍手や手拍子のみ。それでも、その想いがステージ上に伝播するんだろう。加えて、悩み抜いてここに来る決断をしたアーティストの想いがそこに重なって、誰もがとてつもない熱を感じさせるパフォーマンスを見せていた。それは数えるほどのオーディエンスしか目に入らなかったちっぽけなステージであろうと、幾分の違いもなかった。今年は、会場入りを断念した数多くの人達がYouTubeでそれを目撃することになるのだが、演奏の素晴らしさを支えていたのはこの場で生まれた、えもいわれぬエネルギーのたまものではなかっただろうか。


Photo by MITCH IKEDA


Photo by Eriko Kondo

 今年は、珍しく、チーフ・プロデューサーの日高大将が二度、グリーン・ステージに立っている。昔からフジロックを支えた二人の仲間が他界したことを告げたのが初日、そして、最後、日曜日のトリを務めた電気グルーヴの前。そこで彼がオーディエンスから感じたのは「なんとかしてフジロックを支えようとする人々の熱気だった」という。それが端的に表れていたのは彼らが感染防止ガイダンスを守り続けたことのみならず、まるで1999年の苗場で起きた奇跡の再現でもあった。すべてが幕を閉じた後、会場にはほとんどゴミが落ちていなかったという。ゴミ・ゼロ・ナビゲーションを訴えて、活動しているiPledge(アイプレッジ)が毎日、会場に落ちたゴミを拾い集めているのだが、各所に設置された収集箱を除いてほとんど仕事がなかったという嬉しい話も届いている。

 フェスティヴァルが終わった8月24日に発表された主催者からの公式声明によると、その時点で「会期中の会場においてひとりの陽性者も確認されていないこと」が伝えられている。もちろん、それで完結してはいない。「今後も、時間経過と共に情報収集に努め、その結果をあらためて皆様へご報告し、未来のフェスティヴァルにおける感染防止対策の改善につなげてまいります。」と続いている。また、振り返るには早すぎるかもしれないが、完璧を目指したすべての関係者、地元のみなさん、そして、全国から会場にやって来ることができた方々や来られなかった方々にも、批判した方々にも、ここまでたどり着けたことを感謝したいと思う。

 台風に襲われて惨憺たる状況を経験した1997年開催の第一回目から、その存続が問われる大きな試練となったのが苗場に場所を移して最初の1999年。「ロック・フェスティヴァルは危険だ」という偏見に対して、互いを思いやり、愛し合うことを行動で示すことによって、会場どころか、苗場の町からお世話になったホテルや民宿でゴミひとつ落ちていない「奇跡」を形にしていた。これが「地元と共にフェスティヴァルを育てる」という流れを生み出している。それ以降、同じように台風や記録的な豪雨といった幾多の試練を乗り越えて成長してきたとは言え、今回直面したのは前代未聞のウイルスによる危機だった。前述のように、まだまだ結論を導くには早すぎるのは十分承知の上で、関わるすべての人達が可能な限りの知恵と努力で「奇跡」を目指した今年は、フジロックの歴史を語る上で無視できない1年となったことは言うまでもないだろう。

 どこかで様々な意見や考え方の違いが音楽界で分断を引き起こしているという声も耳に入る。が、フェスティヴァルを愛する人達が、多様性を認めるのは当然であり、互いを尊敬し、受け入れて、そこからよりよい選択肢へと自らを導いていくべきだと思う。その上で、今回の経験を糧に、来年を目指したいと思うのだ。このウイルスによる影響がいつまで続くのか、誰にも予測はできないかもしれない。いつか、そんな心配をすることもなく、苗場でみんなとまみえることがある日を願って、今年のエキスプレスの幕を閉じたいと思う。

 なお、ガイダンスに則り、感染を防ぎながら取材をしなければいけないという難しい状況のなかで、動いてくれたスタッフに最大限の賛辞を贈りたい。マスクやフェイス・シールドの用意はもちろん、安全な距離を保ちながらの取材は簡単ではなかったはず。また、独自に用意周到な感染対策を生み出してラウンジを運営したスタッフにも頭が下がる。心の底から、ありがとう。

 今年動いてくれたスタッフは、以下の通りです。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/21/
フォトグラファー:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、アリモトシンヤ、安江正実、粂井健太、白井絢香、HARA MASAMI、おみそ、suguta、シガタカノブ、佐藤哲郎
ライター:丸山亮平、阿部光平、石角友香、あたそ、梶原綾乃、阿部仁知、近藤英梨子、イケダノブユキ、三浦孝文、東いずみ

■英語版(http://fujirockexpress.net/21e/
Laurier Tiernan, Jonathan Cooper, Nina Cataldo

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、obacchi、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、坂上大介(デザイン)、迫勇一

スペシャルサンクス:三ツ石哲也、若林修平、守田 昌哉、Park Baker、そして、観客を守るために奔走してくれた全スタッフ、試練を乗り越えてフェスティヴァルの素晴らしさを伝えてくれた観客のみなさん。

プロデューサー:花房浩一

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fujirockers.orgとは1997年のフジロック公式サイトから独立した、フジロックを愛する人々のコミュニティ・サイト。主催者から公式サポートを得ているが、独自取材で国内外のフェスティヴァルからその文化に関わる情報を発信。開催期間中は独自の視点で会場から全方位取材で速報を届けるフジロック・エキスプレスを運営。
http://fujirockers.org/
MerdekaTogel

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羊文学 http://fujirockexpress.net/21/p_877 Wed, 25 Aug 2021 22:50:44 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=877 2016年のルーキーからレッドマーキーへと駆け上がった羊文学。昨年メジャーデビューし加速度的に注目を集めているタイミングだけに、この3人のライブを観ようと早くから多くの人が詰めかけている。さあ、どんなライブが観られるだろうか。

Juana MolinaのSEから登場した塩塚モエカ(Vo / Gt)と河西ゆりか(Ba)のお揃いのキャミソールワンピースと、全身真っ黒のフクダヒロア(Dr)のコントラストがいきなり目を惹く羊文学の3人。冒頭の“mother”から、荒々しいギターサウンドと、どこか陰を持ちながらも力強い歌声にレッドマーキーは圧倒される。たくましく歩みを進めるようなドラムと、ルート弾きの一音一音がずっしりしたベースが支えるリズム隊。何も余計なものがないスリーピースバンドの無敵な感じ。真っ白なスクリーンが後光のように照らす3人の姿は神々しくもある。

オルタナの静と動のダイナミズムを存分に感じさせる“人間だった”に、ガレージ感のある軽やかなリズムの“ロマンス”とサウンドの幅広さを見せる中でも、際立つのは塩塚のギターが鳴らす轟音と、その中でも輪郭を失わない歌声だろう。“1999”でも世紀末のモチーフにやりきれない気持ちや焦燥感を託しながら、空間を埋め尽くすギターロックサウンド。僕は4年前に同じ場所で観たSlowdiveのライブを思い出していた。“砂漠のきみへ”では、音の嵐を貫くような塩塚のギターソロにうっとりとしてしまう。

「一番後ろの人ー!前の人ー!」と手を振る塩塚。「見てくださってるみなさんがいるからここでできてます」と丁寧にオーディエンスへの気持ちを語る彼女だが、迫真の演奏から一転して気の抜けたようにふにゃふにゃ喋るギャップは、なんだか昨日観たザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトっぽい。でも思わずヒロトに向けて突き上げたものと同じ拳をグッと握る、王道のバンドサウンドを羊文学は奏でている。

「フジロックでやれたらいいなと思ってた」と、メジャーデビューアルバム『POWERS』から立て続けに披露。スローな3分のリズムで重いグルーヴを刻む“ghost”にゆったりと揺れ、“powers”では伸びやかな歌声が響くゆったりとしたバンドが途中から加速していく展開力に思わず唸ってしまう。音源よりはるかにダイナミック。サニーデイ・サービスやサンボマスターのようないわゆるライブバンドのひとつに、羊文学も確実に名を連ねるだろう。リズムの緩急が気持ちいい“マヨイガ”では、夜とはまた違うミラーボールの光が輝き、最終日夕方のレッドマーキーは感慨に浸っていく。

「あっという間だねー」と語る塩塚だが本当にそう。3人とともに刹那的な夏の感傷にもっと浸っていたい。続く“夜を越えて”でも縦ノリをする人や横に揺れる人、塩塚の真摯な歌声にただ聞き入る人など、レッドマーキーには様々なフィーリングが混在している。度々中央で音を確かめるように向き合う3人のあの感じ。本当にいいバンドだ羊文学。

晴れやかなアルペジオと河西のコーラスが映える“あいまいでいいよ”に、ずっと気を張り続ける僕らはなんと勇気づけられたことか。もちろんルールは守るが、極端にシリアスに捉えて心がやられることも多かった昨今の日常に響くメッセージだ。最後の“祈り”でも、ざっくりしたギターストロークに乗せて不安や孤独感を歌とサウンドに昇華し切って、しめやかな余韻を残し3人は去っていった。

ステージの規模に比例するようにスケールを大きくしていく羊文学のバンドサウンド。次はホワイトステージあたりで体感したい。願わくば海外のインディーロックバンドもラインナップされた「ノーマルなフジロック」で。

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【まとめ】フジロッカーに聞いてみた「今年のフジロックについて思うこと」 http://fujirockexpress.net/21/p_5458 Tue, 24 Aug 2021 16:50:43 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5458 賛否両論ある中で開催された2021年のフジロック。

お客さん、出演者、スタッフ、それぞれの立場で様々な葛藤があったと思います。自分自身は、開催されるなら参加という意思こそブレなかったけれど、行くことに葛藤がなかったと言えば嘘になります。

今回、会場のフジロッカーに、どんな思いで参加をしたのか、参加してみてどうだったのか、率直な感想を聞いてみました。ページ下部のリンクからぜひ一読いただけると幸いです。

一人ひとりにそれぞれの思いがあるけれど、話を聞いていて共通で感じたのは、フジロックが本当に特別で大切な存在、ということです。取材の途中、フジロックを想う気持ちが伝わってきて目頭が熱くなることが何度もありました。

また、意外だったのは、お酒が大好きだけど飲まなくても楽しめることがわかった、という声が複数あったこと。それだけ、あの空間で体験できることは格別なのでは、と思います。

この状況の中、快く取材に応じてくださり、貴重な声を聞かせていただいた10名のフジロッカーの皆さま、本当にありがとうございます!

これを読んでいただいている方は、もう何度も考えているかもしれませんが、この記事がコロナ禍でのフェスについて改めて考えるきっかけになれば幸いです。

今年のフジロックについて思うこと #1

今年のフジロックについて思うこと #2

今年のフジロックについて思うこと #3

今年のフジロックについて思うこと #4

今年のフジロックについて思うこと #5

今年のフジロックについて思うこと #6

今年のフジロックについて思うこと #7

今年のフジロックについて思うこと #8

今年のフジロックについて思うこと #9

今年のフジロックについて思うこと #10

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MONO NO AWARE http://fujirockexpress.net/21/p_878 Mon, 23 Aug 2021 14:35:24 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=878 砂原良徳 http://fujirockexpress.net/21/p_881 Mon, 23 Aug 2021 13:39:30 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=881 4s4ki http://fujirockexpress.net/21/p_882 Mon, 23 Aug 2021 11:40:51 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=882 STUTS (Band set : 仰木亮彦, 岩見継吾, 吉良創太, TAIHEI) http://fujirockexpress.net/21/p_879 Mon, 23 Aug 2021 07:17:22 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=879 ヒップホップを大胆にフィーチャーした『大豆田とわ子と三人の元夫』主題歌の“Presence”が注目を集め、「松たか子も来るのか!?」なんて話題も飛び交っていたトラックメイカー / MPCプレイヤーのSTUTS。そのステージをひと目見たかった人も多いのだろう。少し疲れも見える最終日昼のレッドマーキーには多くの人が集っていた。

一瞬生音かと思うようなMPCプレイのイントロダクションで、早速存在感を示すSTUTS。“Rock The Bells”ではKMCが登場し、荒々しいラップをレッドマーキーのフロアに刻みつけていく。大歓声をサンプリングしたSEからの“Renaissance Beat”で彼が叩くMPCの打音は緩急とキレが抜群で、その姿は視覚的にも映える。生のMPCプレイってこんなにかっこいいのか!

ここでバンドの登場だ。昨年末の配信『KEEP ON’ FUJI ROCKIN II』でもところ天国で白熱のプレイを魅せてくれたSTUTSだが、“Ride”や“Summer Situation”では更に拡張されたバンドサウンドが展開されていく。曲によってウッドベースとエレキベースを巧みに使い分け重低音を鳴らす岩見継吾(Ba)と、MPCとは違うニュアンスで生音を刻む吉良創太(Dr)のリズム隊。TAIHEI(Key)のピアノも優雅な調べを奏でる贅沢なバンドセットに、フロアはみんな踊りだす。仰木亮彦(Gt)は残念ながらキャンセルとなったが、「この4人で頑張るので最後までよろしくお願いします」と呼びかけるSTUTS。たどたどしくも誠実な人柄を感じさせる言葉選びがなんとも愛らしい。

続いてはDaichi Yamamotoの登場で、クラブナイトの香りを持ち込む“Mirror”。鎮座DOPENESSの声もトラックで織り交ぜながら、しっとりとしたムードを演出するラップを繰り出していく。“Cage Birds”ではSTUTSもハンドマイクでラップを披露。「Take me, Take me, Take me Higher」とポジティヴなリリックを繰り返しながらも、チルい情感を醸し出すDaichi Yamamotoのラップもフロアを揺らす。彼はKID FRESINOのステージにも登場したが、自身の出演はない中での多数の客演なのだから尚更存在感が際立っている。本当だったらデイドリーミングに出演予定だった鎮座もそういう存在になっていただろう、なんてことを僕はぼんやりと思っていた。

TAIHEIのソロが光った“Never Been”を終えて、「バンドの皆さんに大きな拍手を!」 とSTUTSはメンバーを讃える。ギターフレーズも担うTAIHEIが仰木の不在を全部カバーしてくれていると語る彼だが、すぐさまバンドみんながカバーしてくれていると訂正。やっぱこの人好きだわ。

そして、BIMが登場した“マジックアワー”に続いて再びDaichi Yamamotoが現れ、お待ちかねの“Presence”だ!BIMの“Presence II”とDaichi Yamamotoの“Presence IV”をミックスしたスペシャルなセッションに、松たか子の歌謡のムードを持った歌声が流れる鮮やかなコントラスト。レッドマーキーは手を振り上げたりリズムに身体を委ねたり、この日1番の盛り上がりだ。「松さんの歌にも大きな拍手を!」とここにいない彼女にも敬意を示すSTUTS。ドラマのファンも初日から来ているヘッズ達も満足したことだろう。

それでもパーティーは続いていく。5lack、SUMMITに続いて今年のフジロック3回目のPUNPEEの登場で、“夏を使い果たして”をドロップ!夏を彩る甘酸っぱいサウンドに残り半日のフジロックを思いながら揺られるオーディエンスに、PUNPEEは「フジロックの最終日を使い果たしていこう」と投げかける。もうこの人はいちいちいいこと言うんだから。

そして最後はもうひとりの友達JJJもラップを繰り出した“Changes”。「1989 JJJ & STUTS」と同い年の友情を讃えながらパーティーは大団円を迎える。メンバー紹介では仰木がいるはずだった場所を指し示しSTUTSはしきりに関わる人々を讃えていたが、MPCプレイでお茶の間とヘッズを緩やかに交わらせた彼にも大きな拍手を!

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GEZAN http://fujirockexpress.net/21/p_876 Sun, 22 Aug 2021 15:42:19 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=876 GEZANのライブを観てどう感じるのか?もしかしたらずっとそれが僕の指針のようなものだったのかもしれない。僕はちゃんと生きているのか?少しはマシな人間になれているのか?2019年のホワイトステージではただただ圧倒されるばかりだった。2020年のアルバム『狂(KLUE)』は冒頭の「今ならまだ間に合う」で半年間引き返していた。大晦日の『KEEP ON FUJI ROCKIN’ II』でのライブでは、GEZANとともにはじめる2021年を強く生きていこうと決意した。GEZANにとってその日以来のライブとなったレッドマーキー。僕が感じたのは大きな優しさだった。マヒトが言った「それぞれの選択を」という言葉が今も心に刻まれている。

サウンドチェックの段階からステージ上にはかなりの人数がいて、一斉に「Twenty!Twenty One!」と発声する音の圧に思わず唖然としてしまう。僕は何を観にきたんだ?彼らのライブが一回ごとにアップデートされていくのはわかっていたことだが、早くもここで何が起こるのか全く予想ができなくなり、期待と不安が僕の心に渦巻いていた。不安。GEZANのライブは否が応でも自分自身と向き合わされてしまうからだ。

『狂(KLUE)』全編に登場する数多の声をそのまま現場で再現するようなコーラスとバンド演奏に続いて、鹿のような被り物でマヒトゥ・ザ・ピーポー(Vo / Gt)が現れた“誅犬”。マヒトは「お前らの曲だよ」と投げかける。“EXTACY”では「時には起こせよムーブメント」なんて言葉が飛び出してくる。なんでそんなところから引用してくるんだ?Dance Dance Revolutionとあわせて90年代後半から世紀末のモチーフか?なんてことを思っている間にも激情のバンドサウンドと数多の声が迫り、考えずとも身体が動いて仕方がない。

“Replicant”、“AGEHA”、“Get Up Stand Up”とさらに加速していくバンドセッション。ライティングの赤で埋め尽くされるレッドマーキー。その様は神々しくも異様でもあり、呪術や宗教の儀式のようにも感じられるが、(今日はやらなかったが)僕の頭を舞っていたのは“赤曜日”の「GEZANを殺せ」というフレーズだった。観るたびに畏怖さえも感じるGEZANのライブだが、それでも彼らは神なんかじゃなく、目の前で繰り広げられているのは一人一人の人間による協奏だ。その力強い生命力に息を呑みながらも僕は身体で応えるように踊り続ける。

“東京”で照らされる真っ白なライティングと赤のコントラスト。石原ロスカル(Dr)の荒々しい打音に、 イーグル・タカ(Gt)がかき鳴らすギターの轟音。暴動のようなバンドセッションがレッドマーキーを揺らす。ここでも、マヒトは「お前らの曲だよ」と投げかける。“翠点”で息の限り声を伸ばすコーラスの人々。人間の息は永遠には続かないが、また別の一人が声を継ぎ足すことでどこまでも伸びていく歌声に僕はわけもわからず涙してしまった。ここでステージを去るコーラスをマヒトが紹介する。Million Wish Collective。なんて希望に満ちた名前なんだろう。そしてその名前に負けない素晴らしいパフォーマンスだった。

「メンバーが1人抜けたと思ったら20人になって帰ってきました」と語るマヒト。カルロスの脱退に伴い新たに加入したヤクモア(Ba)にマイクを振ると、彼は「ロックスターになりに来ました!」と叫ぶ。ピュアで清々しい宣言にマヒトも「難波ベアーズで言っとけばよかったよ」と出自のライブハウスに思いを馳せる。「裸の付き合いしようぜ」とイーグル。今日のGEZANはなんだか親しみやすい。そして降り出した大雨の中、バンド全員がコーラスをとる姿が印象的だった“龍のにほい”。“NO GOD”でも、はじめてのステージでもまったく狼狽えずGEZANのベースを勤め上げているヤクモアの勇姿を見て、まだ10代ながら〜などという必要性はどこにもない。

そして「友達の歌」という“BODY ODD”では、さらに荒々しさを増すバンドサウンドの中、山田みどり(the hatch)やNENE(ゆるふわギャング)など6人のゲストが矢継ぎ早にマイクを取る、迫真のセッションが繰り広げられる。おそらくこの数十秒のためだけにここまで来たゲストもいるのだろう。極限まで凝縮された声の応酬に、ただただ拳を握り踊り続けたものだ。

「道具でも武器でもないなんの役にも立たないのが好きで」と音楽への想いを語るマヒト。彼は「感動でウイルスに打ち勝とう」などというフレーズの無力さや、鎮座DOPENESSや折坂悠太といったここに来れなかった(あるいは自ら行かないという選択をした)友人のことを想う。そして「感動とかで締めたいわけじゃなくて」と温かい拍手を制してまで自分自身で選択し続けることをオーディエンスに伝え、はじまったのは“DNA”。「僕らは幸せになってもいいんだよ」という言葉にはやはり感動してしまうが、それで立ち止まってはいけないんだ。

最後は再びMillion Wish Collectiveがステージに戻り“リンダ リリンダ”。荘厳な雰囲気の中、一人一人の歌う姿がスクリーンに映り、ステージ上の全員で「Whatcha gonna do?」と繰り返し僕らに投げかけ、GEZANとMillion Wish Collectiveは嵐のように去っていった。

「音楽って無力なんかな」と悩んでいたと語ったマヒト。もしかしたらそうなのかもしれない。でも以前は圧倒されるだけだった僕は、今日ここで僕ら一人一人を立ち上がらせてくれる大きな優しさと出会えたんだ。もちろんGEZANの表現の変化でもあるが、僕がそう感じられたのは少しは自分の選択ができるようになってきたからだと思っている。それはGEZANやフジロックのようなフェス、音楽に接し続けたからだと確信を持って言える。

全身全霊で踊り倒していたみんなは何を感じていたんだろう。僕にそれを知る由もないが、ここで感じたことを胸にこれからどうするかはそれぞれの選択に委ねられている。苗場の地を濡らした大雨はもうやんでいた。

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君島大空 合奏形態 http://fujirockexpress.net/21/p_880 Sun, 22 Aug 2021 02:32:25 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=880 フジロックに出演することがそんなに偉いのかはわからないが、言葉にする前にすげえ!と思ったニューカマーには苗場で再会したいと自動的に脳が反応するみたいだ。君島大空。何を言っても言った端から嘘になるような、それを瞬時に歌声やギターの爪弾きの加減でなんとか生まれたての「それ」を人に聴かせようとする姿を2018年に渋谷のライブハウスで目撃し、2019年には「すごすぎるメンバー」によるROOKIE A GO-GO出演。SIA後の牛歩に巻き込まれてその時のライブを見ることは叶わなかったが、その分、今年の出演は心底嬉しかった。

レッドの一番手は10時半開演だが、すでに大勢の人が列を作って開場を待っていた。整然と入場していく。君島自身への支持はもちろん、合奏形態のメンバーは西田修大(g)、新井和輝(b)、石若駿(drs)という、いま、日本で最も面白くもユニークなミュージシャンたち。石若は初日のくるり、KID FRESINO、millennium paradeのトリプルヘッダーだったし、新井もmillennium parade、King Gnu、西田はKID FRESINOで弾いている。なんだかこのコレクティヴのセンスは今年のフジロックの通奏低音になっていまいか。

入念なサウンドチェックを済ませ、本番に臨んだ君島はお馴染みの白シャツ。客席側から右手に君島が位置し、順番に石若、新井、西田というセンターを囲むような陣形で、呼吸を合わせていく。西田がシンセで不穏な空気を放ち、1曲目はハードな“遠視のコントラルト”。君島も西田もハードに攻めていく。エクストリームさと清さは君島の音楽では当たり前に同居する。その感覚を求めて重奏形態のライブを凝視しているようなところもある。続けて“散瞳”を演奏し、エンディングを確かめた上でものすごく長い拍手が起きた。みんな待っていたのだ。

君島がエレアコに持ち替えての“傘の中の手”では、メンバー各々が異なる拍子を叩いたり、リフを刻んだりしながら曲の世界は混ざり合うという高度なアレンジに興奮し、石若の静かな静かなリムショットに意識が自ずと集中する“きさらぎ”。知らない街で迷子になった(なろうとしている)二人のロマンチックで、でも少し戸惑ってもいるような歌詞が繊細で、刻一刻と変化する演奏は一編の映画を見るような気持ちの満足度をくれる。そのハイライトは“午後の反射光”〜“銃口”でピークを迎えた印象だ。特に“午後の反射光”の高音はファルセットじゃなく、力強い声。何か一つ突き抜けたいまの君島を見た感覚だ。

振り返ると後ろまで人が入り、しかも集中力を切らさない空間ができている。君島はさらっと「来てくれてありがとう」、そしてメンバー紹介をしてラストの“光暈(halo)”へ。ここでも楽器がほぼ身体化したメンバーはこの曲の今日のあり方を演奏しながら試行する。演奏はなぞるものではなく、その都度、更新されるものだということ。そこに賭けている4人の「生みたて」音楽。

メンバーがステージを去ってもその場からなかなか離れない人が多い、そんな濃厚な40分だった。

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下津光史(踊ってばかりの国) http://fujirockexpress.net/21/p_929 Sat, 21 Aug 2021 13:07:12 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=929