“阿部仁知” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '21 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/21 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 02 Aug 2022 05:24:20 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.18 誰もが真剣に向き合い、決断を迫られた「コロナ禍のフジロック」 http://fujirockexpress.net/21/p_5816 Tue, 31 Aug 2021 08:53:35 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=5816  いつも通りなら、エキスプレスの締めくくりとなるこの原稿の巻頭を飾るのは、すべての演奏が終了した会場最大のグリーン・ステージ前で、満面の笑みを浮かべるオーディエンスの写真となるはずだった。が、今年は撮影さえもしていない。例年ならば、この時間帯、巨大なスピーカーから放たれる名曲、ジョン・レノンの「Power To The People」でみんなが踊り狂うことになるのだが、それが聞こえてくることもなかった。それに代わったのはMC、スマイリー原島氏の挨拶と締めの一言「Power To The People」だけ。オーディエンスの興奮に水を差すのは承知の上で、現場が最後の最後に彼らに対して「ゆっくり静かにフェスティヴァルの幕を閉じるようにお願いしよう」と判断したからだ。

 コロナ禍でのフェスティヴァル開催という、きわめて特殊な状況の下、例年とは全く趣を異にする光景が、始まる前から様々な場所で見え隠れしていた。越後湯沢駅に向かう新幹線から会場へのシャトル・バスでも同様で、いつもなら、嬉々とした表情を浮かべて仲間とはしゃいでいるはずなのに、誰もが言葉少なに見える。彼らが互いに適度な距離を開けて整然と列に並び、苗場を目指しているのだ。今回のフジロックを開催するに当たって、参加するお客さんから、全スタッフ、関係者に伝えられていたのが感染防止ガイドライン。それを彼らが徹底して守ろうとしているのが見て取れる。

 フジロッカーにとってはおなじみの、オアシス・エリアのど真ん中に姿を見せるはずのやぐらは見当たらず、それを囲んで、地元生まれの「苗場音頭」を大音響でながしながら、みんなが輪を描いて踊る光景もなかった。それが今年のフジロック開催前夜。過去10年以上にわたって続けられてきたというのに、レッド・マーキーで、「おかえり!」と声をかけて、「ただいま」と応えるみんなの記念撮影をすることも、もちろん、なかった。本来ならば、フジロックを愛する人達が待ちに待った時間の到来に、彼らの興奮が一気に爆発するのが前夜祭の開かれる木曜日の夜。しかも、前年の開催が延期されての2年ぶりだというのに、きわめて静かな幕開けとなっていた。

 公式に「前夜祭はない」と発表されてはいたものの、唯一それを感じさせてくれたのは、直前までやるのかやらないのか全く知らされなかった花火ぐらいかもしれない。例年なら、ここで大歓声がわき起こり、否応なしに「祭り」の始まりを感じさせてくれるのだが、そんな反応は一切なかった。最初の一発が打ち上げられたとき、わずかに驚きの声が聞こえ、涙を流す人がいたという話も耳に入っている。が、誰もが夜空を飾る花火をなにやら厳かに見上げていたように思う。拍手はあったかもしれないが、シ〜ンと静まりかえった会場で、花火の音と光だけが響くという、どこかで「特殊なフジロック」を象徴するかのような光景が目の前に広がっていた。おそらく、誰もがここまでたどり着くのが簡単ではなかったことを察していたのではないだろうか。


Photo by 安江正実

 当初、ライブハウスなどからクラスターが発生したことも影響したんだろう、感染拡大を誘発する場所として、ライヴ・エンタテインメントの場所がやり玉に挙げられ、そういったものが知らない間に「不要不急」を象徴するものであるかのように語られ始めていた。数多くのライブハウスが閉店を余儀なくされ、ミュージシャンや演劇人が作品の発表の場を奪われたのみならず、照明や音響の技術者が職を失っていた。さらには大規模なコンサートからフェスティヴァルが次々と延期やキャンセルの憂き目にあう。もちろん、感染拡大は阻止しなければいけない。が、同時に、音楽のみならず文化とは生きることに必要不可欠な要素であり、それを否定することはできない。その集大成としてフェスティヴァルという文化が存在する。とりわけ、それが日本で生まれ、成長していくきっかけとなったフジロックを根絶やしてはいけないという思いが主催者、関係者、そして、フジロッカーにはあったということだろう。

 それだけではなかった。昨年、フジロックが延期を発表した頃、町内から「なんとか開催できないか」という打診があったという噂を耳にしている。その理由はフジロックで生まれる経済効果であり、それが断たれることが地元に計り知れない影響を与えることになる。それが二年も続けば壊滅的な打撃を受ける可能性も否定できない。だからこそ、地元と主催者が開催に向けた方法を模索し始めるのだ。その結果として、可能な限り徹底的な感染予防策を築き上げ、観客には不自由きわまりないがんじがらめの感染予防ガイドラインを提示することになる。しかも、本来のキャパシティのほぼ25%程度にまで規模を縮小。結果として1日の最大動員数は1.4万人弱と、一般的なスポーツ競技で日本武道館をほぼ満杯にした程度にとどまることになる。

 これで採算が取れるんだろうか? しかも、感染問題に絡んで参加に不安を感じている人達や体調がすぐれない人達へのチケット払い戻しにも対応している。加えて、チケット購入者にコンタクトをして、希望者には抗原検査キットを発送し、大多数の人たちがそれに応えていた。が、それでもまだ不安だと、目指したのは100%。必要とされる膨大な数の抗原検査キットを集めるのに東奔西走したという話が伝わっている。さらに、会場内の救護テントに加え、バックヤードには数多くの医療関係者や民間救急搬送車3台を待機。また、会場入りする前に全スタッフがPCR検査を受け、陰性であることを証明してからでないと、苗場入りできない取り決めをしていた。加えて、長期滞在するスタッフは定期的に抗原検査を繰り返す。さらに、すでに会場入りしていても、自宅の家族で濃厚接触者が報告されると速効で会場を追われ、陰性であることを証明することなく現場復帰はできなくなっていた。ちなみに、観客のみならずスタッフも全員が毎日検温チェックを受けないと、会場に入ることもできないことになっている。どこかの新聞が「厳戒態勢」という言葉を使っていたのだが、まさしくその通りだろう。


Photo by 粂井 健太

 下手をすると、今年は最もフジロックらしくないフェスティヴァルになるかもしれないという危惧があった。どこかで自由と自主性が魅力となっていたフジロックだというのに、感染対策に絡んで「がんじがらめ」のルールを守らなければいけない。しかも、コロナ禍での開催ということもあり、海外からのアーティストは皆無。会場を演出するUKチームの来日もできなかった。なにやら、フェスティヴァルと言うよりも、緑に囲まれた野外コンサートでしかないかもしれない。さらには、場内でのアルコール販売が禁止され、中心部から離れた場所にごくわずかに用意された喫煙所を除いて全面禁煙となっていた。1997年にフジロックが始まった頃から、毎回出店していた、オアシス・エリアの顔のような存在となっていたバーやお店の数々が出店をキャンセル。すでに「ここに来れば顔を合わせることができる」友人や仲間たちが参加を断念するにいたるのだ。

 誰もが苦渋の決断と選択を迫られていた。特に大都市を中心に新型コロナウイルス感染者が急増し始めると、「なんとか開催してほしい」という声と同じように、「中止すべき」という声も多くなっていった。出演を予定していたアーティストやパフォーマーに対しても、様々な声が寄せられ、参加しようとしていた個人も揺れ動いていた。その結果がなにであれ、ひとりひとりが真剣にフジロックに向き合い、判断したことに敬意を表したい。来てくれたみなさんにも、今年は来るのをやめたみなさんにも、ありがとう。中止すべきだと主張した人にも、開催すべきだと声を上げた人達にも、出演してくれたアーティストにも、出演辞退をした人達にも、ありがとう。そういった反響に感じるのは、多くの人たちにとってフジロックが大きな存在になっていること。だからこそ、真剣に向き合って、彼らが導き出した判断に最大限の敬意を表したいと思う。

 会場では感染予防ガイダンスを守ろうとするオーディエンスに圧倒されることになる。少なくとも、喫煙所やフード・テントを除いて、マスクをしていない人にはお目にかからなかった。しかも、ここで食事をしていて気付くのだ。ほとんど会話が耳に入ることはなかった。「黙食をお願いします」と書かれている注意書きを守ろうとしているのが、痛いようにわかるのだ。久々に仲間と会って握手をしたり、抱き合いたい気持ちがあっても、それを躊躇して肘や拳で挨拶。マスク越しに語り合う人はいても、大声で話す人にはお目にかからなかった。また、水分補給などでマスクを外すときも、周辺に人がいないことを確認してそうしているのが見て取れた。

 ふつうならグリーン・ステージ外にMCを置くことはなかったのだが、今回は全ステージにMCを配し、演奏が始まる前に必ずオーディエンスに呼びかけていたことがある。

「必ず鼻を隠すようにマスクをして、声は出さないでください。安全な距離を保つために地面に記されたマークを確認してください。ステージ前では水分補給用のペット・ボトルなどを除いて、飲食物を持ち込まないでください」

 MCにはそのマニュアルが渡され、毎回オーディエンスに訴えかけるように義務づけられていた。そうして飛沫や接触による感染を防ごうとしているのは言うまでもない。

 そのおかげで目撃するのは、おそらく、フェスティヴァルやライヴでは前代未聞の光景だっだ。どれほどライヴが白熱しても、ほとんど歓声が聞こえることはなく、聞こえてくるのは拍手や手拍子のみ。それでも、その想いがステージ上に伝播するんだろう。加えて、悩み抜いてここに来る決断をしたアーティストの想いがそこに重なって、誰もがとてつもない熱を感じさせるパフォーマンスを見せていた。それは数えるほどのオーディエンスしか目に入らなかったちっぽけなステージであろうと、幾分の違いもなかった。今年は、会場入りを断念した数多くの人達がYouTubeでそれを目撃することになるのだが、演奏の素晴らしさを支えていたのはこの場で生まれた、えもいわれぬエネルギーのたまものではなかっただろうか。


Photo by MITCH IKEDA


Photo by Eriko Kondo

 今年は、珍しく、チーフ・プロデューサーの日高大将が二度、グリーン・ステージに立っている。昔からフジロックを支えた二人の仲間が他界したことを告げたのが初日、そして、最後、日曜日のトリを務めた電気グルーヴの前。そこで彼がオーディエンスから感じたのは「なんとかしてフジロックを支えようとする人々の熱気だった」という。それが端的に表れていたのは彼らが感染防止ガイダンスを守り続けたことのみならず、まるで1999年の苗場で起きた奇跡の再現でもあった。すべてが幕を閉じた後、会場にはほとんどゴミが落ちていなかったという。ゴミ・ゼロ・ナビゲーションを訴えて、活動しているiPledge(アイプレッジ)が毎日、会場に落ちたゴミを拾い集めているのだが、各所に設置された収集箱を除いてほとんど仕事がなかったという嬉しい話も届いている。

 フェスティヴァルが終わった8月24日に発表された主催者からの公式声明によると、その時点で「会期中の会場においてひとりの陽性者も確認されていないこと」が伝えられている。もちろん、それで完結してはいない。「今後も、時間経過と共に情報収集に努め、その結果をあらためて皆様へご報告し、未来のフェスティヴァルにおける感染防止対策の改善につなげてまいります。」と続いている。また、振り返るには早すぎるかもしれないが、完璧を目指したすべての関係者、地元のみなさん、そして、全国から会場にやって来ることができた方々や来られなかった方々にも、批判した方々にも、ここまでたどり着けたことを感謝したいと思う。

 台風に襲われて惨憺たる状況を経験した1997年開催の第一回目から、その存続が問われる大きな試練となったのが苗場に場所を移して最初の1999年。「ロック・フェスティヴァルは危険だ」という偏見に対して、互いを思いやり、愛し合うことを行動で示すことによって、会場どころか、苗場の町からお世話になったホテルや民宿でゴミひとつ落ちていない「奇跡」を形にしていた。これが「地元と共にフェスティヴァルを育てる」という流れを生み出している。それ以降、同じように台風や記録的な豪雨といった幾多の試練を乗り越えて成長してきたとは言え、今回直面したのは前代未聞のウイルスによる危機だった。前述のように、まだまだ結論を導くには早すぎるのは十分承知の上で、関わるすべての人達が可能な限りの知恵と努力で「奇跡」を目指した今年は、フジロックの歴史を語る上で無視できない1年となったことは言うまでもないだろう。

 どこかで様々な意見や考え方の違いが音楽界で分断を引き起こしているという声も耳に入る。が、フェスティヴァルを愛する人達が、多様性を認めるのは当然であり、互いを尊敬し、受け入れて、そこからよりよい選択肢へと自らを導いていくべきだと思う。その上で、今回の経験を糧に、来年を目指したいと思うのだ。このウイルスによる影響がいつまで続くのか、誰にも予測はできないかもしれない。いつか、そんな心配をすることもなく、苗場でみんなとまみえることがある日を願って、今年のエキスプレスの幕を閉じたいと思う。

 なお、ガイダンスに則り、感染を防ぎながら取材をしなければいけないという難しい状況のなかで、動いてくれたスタッフに最大限の賛辞を贈りたい。マスクやフェイス・シールドの用意はもちろん、安全な距離を保ちながらの取材は簡単ではなかったはず。また、独自に用意周到な感染対策を生み出してラウンジを運営したスタッフにも頭が下がる。心の底から、ありがとう。

 今年動いてくれたスタッフは、以下の通りです。

■日本語版(http://fujirockexpress.net/21/
フォトグラファー:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、アリモトシンヤ、安江正実、粂井健太、白井絢香、HARA MASAMI、おみそ、suguta、シガタカノブ、佐藤哲郎
ライター:丸山亮平、阿部光平、石角友香、あたそ、梶原綾乃、阿部仁知、近藤英梨子、イケダノブユキ、三浦孝文、東いずみ

■英語版(http://fujirockexpress.net/21e/
Laurier Tiernan, Jonathan Cooper, Nina Cataldo

フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、obacchi、藤原大和

ウェブサイト制作&更新:平沼寛生(プログラム開発)、坂上大介(デザイン)、迫勇一

スペシャルサンクス:三ツ石哲也、若林修平、守田 昌哉、Park Baker、そして、観客を守るために奔走してくれた全スタッフ、試練を乗り越えてフェスティヴァルの素晴らしさを伝えてくれた観客のみなさん。

プロデューサー:花房浩一

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fujirockers.orgとは1997年のフジロック公式サイトから独立した、フジロックを愛する人々のコミュニティ・サイト。主催者から公式サポートを得ているが、独自取材で国内外のフェスティヴァルからその文化に関わる情報を発信。開催期間中は独自の視点で会場から全方位取材で速報を届けるフジロック・エキスプレスを運営。
http://fujirockers.org/
MerdekaTogel

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羊文学 http://fujirockexpress.net/21/p_877 Wed, 25 Aug 2021 22:50:44 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=877 2016年のルーキーからレッドマーキーへと駆け上がった羊文学。昨年メジャーデビューし加速度的に注目を集めているタイミングだけに、この3人のライブを観ようと早くから多くの人が詰めかけている。さあ、どんなライブが観られるだろうか。

Juana MolinaのSEから登場した塩塚モエカ(Vo / Gt)と河西ゆりか(Ba)のお揃いのキャミソールワンピースと、全身真っ黒のフクダヒロア(Dr)のコントラストがいきなり目を惹く羊文学の3人。冒頭の“mother”から、荒々しいギターサウンドと、どこか陰を持ちながらも力強い歌声にレッドマーキーは圧倒される。たくましく歩みを進めるようなドラムと、ルート弾きの一音一音がずっしりしたベースが支えるリズム隊。何も余計なものがないスリーピースバンドの無敵な感じ。真っ白なスクリーンが後光のように照らす3人の姿は神々しくもある。

オルタナの静と動のダイナミズムを存分に感じさせる“人間だった”に、ガレージ感のある軽やかなリズムの“ロマンス”とサウンドの幅広さを見せる中でも、際立つのは塩塚のギターが鳴らす轟音と、その中でも輪郭を失わない歌声だろう。“1999”でも世紀末のモチーフにやりきれない気持ちや焦燥感を託しながら、空間を埋め尽くすギターロックサウンド。僕は4年前に同じ場所で観たSlowdiveのライブを思い出していた。“砂漠のきみへ”では、音の嵐を貫くような塩塚のギターソロにうっとりとしてしまう。

「一番後ろの人ー!前の人ー!」と手を振る塩塚。「見てくださってるみなさんがいるからここでできてます」と丁寧にオーディエンスへの気持ちを語る彼女だが、迫真の演奏から一転して気の抜けたようにふにゃふにゃ喋るギャップは、なんだか昨日観たザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトっぽい。でも思わずヒロトに向けて突き上げたものと同じ拳をグッと握る、王道のバンドサウンドを羊文学は奏でている。

「フジロックでやれたらいいなと思ってた」と、メジャーデビューアルバム『POWERS』から立て続けに披露。スローな3分のリズムで重いグルーヴを刻む“ghost”にゆったりと揺れ、“powers”では伸びやかな歌声が響くゆったりとしたバンドが途中から加速していく展開力に思わず唸ってしまう。音源よりはるかにダイナミック。サニーデイ・サービスやサンボマスターのようないわゆるライブバンドのひとつに、羊文学も確実に名を連ねるだろう。リズムの緩急が気持ちいい“マヨイガ”では、夜とはまた違うミラーボールの光が輝き、最終日夕方のレッドマーキーは感慨に浸っていく。

「あっという間だねー」と語る塩塚だが本当にそう。3人とともに刹那的な夏の感傷にもっと浸っていたい。続く“夜を越えて”でも縦ノリをする人や横に揺れる人、塩塚の真摯な歌声にただ聞き入る人など、レッドマーキーには様々なフィーリングが混在している。度々中央で音を確かめるように向き合う3人のあの感じ。本当にいいバンドだ羊文学。

晴れやかなアルペジオと河西のコーラスが映える“あいまいでいいよ”に、ずっと気を張り続ける僕らはなんと勇気づけられたことか。もちろんルールは守るが、極端にシリアスに捉えて心がやられることも多かった昨今の日常に響くメッセージだ。最後の“祈り”でも、ざっくりしたギターストロークに乗せて不安や孤独感を歌とサウンドに昇華し切って、しめやかな余韻を残し3人は去っていった。

ステージの規模に比例するようにスケールを大きくしていく羊文学のバンドサウンド。次はホワイトステージあたりで体感したい。願わくば海外のインディーロックバンドもラインナップされた「ノーマルなフジロック」で。

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STUTS (Band set : 仰木亮彦, 岩見継吾, 吉良創太, TAIHEI) http://fujirockexpress.net/21/p_879 Mon, 23 Aug 2021 07:17:22 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=879 ヒップホップを大胆にフィーチャーした『大豆田とわ子と三人の元夫』主題歌の“Presence”が注目を集め、「松たか子も来るのか!?」なんて話題も飛び交っていたトラックメイカー / MPCプレイヤーのSTUTS。そのステージをひと目見たかった人も多いのだろう。少し疲れも見える最終日昼のレッドマーキーには多くの人が集っていた。

一瞬生音かと思うようなMPCプレイのイントロダクションで、早速存在感を示すSTUTS。“Rock The Bells”ではKMCが登場し、荒々しいラップをレッドマーキーのフロアに刻みつけていく。大歓声をサンプリングしたSEからの“Renaissance Beat”で彼が叩くMPCの打音は緩急とキレが抜群で、その姿は視覚的にも映える。生のMPCプレイってこんなにかっこいいのか!

ここでバンドの登場だ。昨年末の配信『KEEP ON’ FUJI ROCKIN II』でもところ天国で白熱のプレイを魅せてくれたSTUTSだが、“Ride”や“Summer Situation”では更に拡張されたバンドサウンドが展開されていく。曲によってウッドベースとエレキベースを巧みに使い分け重低音を鳴らす岩見継吾(Ba)と、MPCとは違うニュアンスで生音を刻む吉良創太(Dr)のリズム隊。TAIHEI(Key)のピアノも優雅な調べを奏でる贅沢なバンドセットに、フロアはみんな踊りだす。仰木亮彦(Gt)は残念ながらキャンセルとなったが、「この4人で頑張るので最後までよろしくお願いします」と呼びかけるSTUTS。たどたどしくも誠実な人柄を感じさせる言葉選びがなんとも愛らしい。

続いてはDaichi Yamamotoの登場で、クラブナイトの香りを持ち込む“Mirror”。鎮座DOPENESSの声もトラックで織り交ぜながら、しっとりとしたムードを演出するラップを繰り出していく。“Cage Birds”ではSTUTSもハンドマイクでラップを披露。「Take me, Take me, Take me Higher」とポジティヴなリリックを繰り返しながらも、チルい情感を醸し出すDaichi Yamamotoのラップもフロアを揺らす。彼はKID FRESINOのステージにも登場したが、自身の出演はない中での多数の客演なのだから尚更存在感が際立っている。本当だったらデイドリーミングに出演予定だった鎮座もそういう存在になっていただろう、なんてことを僕はぼんやりと思っていた。

TAIHEIのソロが光った“Never Been”を終えて、「バンドの皆さんに大きな拍手を!」 とSTUTSはメンバーを讃える。ギターフレーズも担うTAIHEIが仰木の不在を全部カバーしてくれていると語る彼だが、すぐさまバンドみんながカバーしてくれていると訂正。やっぱこの人好きだわ。

そして、BIMが登場した“マジックアワー”に続いて再びDaichi Yamamotoが現れ、お待ちかねの“Presence”だ!BIMの“Presence II”とDaichi Yamamotoの“Presence IV”をミックスしたスペシャルなセッションに、松たか子の歌謡のムードを持った歌声が流れる鮮やかなコントラスト。レッドマーキーは手を振り上げたりリズムに身体を委ねたり、この日1番の盛り上がりだ。「松さんの歌にも大きな拍手を!」とここにいない彼女にも敬意を示すSTUTS。ドラマのファンも初日から来ているヘッズ達も満足したことだろう。

それでもパーティーは続いていく。5lack、SUMMITに続いて今年のフジロック3回目のPUNPEEの登場で、“夏を使い果たして”をドロップ!夏を彩る甘酸っぱいサウンドに残り半日のフジロックを思いながら揺られるオーディエンスに、PUNPEEは「フジロックの最終日を使い果たしていこう」と投げかける。もうこの人はいちいちいいこと言うんだから。

そして最後はもうひとりの友達JJJもラップを繰り出した“Changes”。「1989 JJJ & STUTS」と同い年の友情を讃えながらパーティーは大団円を迎える。メンバー紹介では仰木がいるはずだった場所を指し示しSTUTSはしきりに関わる人々を讃えていたが、MPCプレイでお茶の間とヘッズを緩やかに交わらせた彼にも大きな拍手を!

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曽我部恵一 http://fujirockexpress.net/21/p_931 Mon, 23 Aug 2021 03:48:15 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=931 なんとかたどり着いたフジロック最終日。ピラミッドガーデンで過ごす人々にも疲れが見て取れる。ただでさえ楽ではないフジロックの日々に加えて、常時マスク着用で常に気を張って過ごしているのだから、それも無理はない。それでもみんな彼を待っている。2日目のレッドマーキー、サニーデイ・サービスで素晴らしいパフォーマンスを披露した曽我部恵一が、弾き語りで登場だ。

出演するにせよしないにせよ、ミュージシャンが自身のスタンスを示すことを半ば迫られたような今年のフジロックで、僕が特に気になっていたのは「曽我部恵一は何を思うんだろう」ということ。でも彼はただ淡々と弾き語るだけだった。考えてみれば当たり前だ。いつだって歌ひとつで、今この瞬間をクリティカルに描き出してきたのが曽我部恵一なのだから。

ざっくりしたストロークでアコギを鳴らす“キラキラ!”で幸福を紡いでいく中でも、随所で声を張り上げる曽我部。ブリッジの「いつだってだれも分かっちゃいないんだ」でシャウトする様に、僕ははやくもうるっとしてしまう。どこか「自分だけは特別」という感覚が拭い去れない自身への自嘲や疎外感。集った人々もみな椅子に座りながら、じっくりと彼の歌に耳を澄ませている。

今月50歳になるという彼の生まれた年のことを歌った“サマー’71”に、柔らかく指弾く“少年の日の夏”。そこには在りし日へのノスタルジーが感じられたが、今僕らが思う「在りし日」とはコロナ禍以前のことに他ならないだろう。当たり前に思っていたものが失われ、フジロックだって従来のかたちではない。そんな僕らの思い出の中の光景と彼の少年時代の情感が、歌を通して緩やかに交わりあっていく。

長女が生まれた時に作った曲という“おとなになんかならないで”では、昨日のサニーデイ・サービスでTwitterトレンド1位になったスクリーンショットを20歳になった彼女に送り、「よかったじゃん」と返ってくるなんて微笑ましいエピソードを交えながら、おおらかな表情で言葉を紡いでいく。大人になるにつれて僕らが失ってしまった無垢な心。ピラミッドガーデンの聴衆たちは軽く身体を揺らしながら聞き入っている。

いつも歌ったら自分がパワーをもらえるという“バカばっかり”で一転して荒々しく弾き語る曽我部恵一は、あらゆる続柄や肩書の名を挙げ、みんなバカばっかりと叫ぶ。だが真っ先にバカと歌う対象は「僕」。その分断の危うさに胸を痛めながらも、自分を守るためにほとんど無意識に敵/味方を区別しながら今日も生きている僕のことだ。ハッとさせられてしまう。それでも人は誰しも間違える。画一的な正しさに振り回されてしまうような昨今の空気の中で、曽我部の歌はなんと芯を射抜くことだろうか。

などと評論めいたことを書いているが、曽我部恵一は明快な主張やメッセージなど何も発していない。僕が勝手に感じ取っているだけだ。しかし彼の歌には聴く人の想像を喚起する余白と強度があり、ここに集った人の数だけそれぞれ感じることがあったはずだ。目をつぶって浸ったり手でリズムを刻んでみたり、みんな何を思っているんだろうか。

そんなピラミッドガーデンで曽我部が繰り出したのが“満員電車は走る”。「もう一日だって待てやしないんだ」「あなたの心が壊れてしまいそうなとき 音楽は流れているかい?」「誰も正しくはない 誰も間違っていない」。聞き入っているうちに僕は涙がとまらなくなってしまった。何度聴いたかわからない彼がずっと歌ってきた歌だ。この状況のために用意した言葉などではない。でも素晴らしい歌はいつだって時代を越えて今この瞬間のために鳴り響いているんだ。

日が照ってきたピラミッドガーデンで「ずっと恋をしていましょう!」と、“シモーヌ”、“LOVE-SICK”で曽我部は高らかに愛を歌う。「みんな残念ながら恋の病の陽性です」と投げかける彼だが、この状況でわざわざここに集まった僕らのフジロックへの気持ちもそうだろう。愛ゆえに見失ってしまうことへの自覚も滲ませながら、それでも「EVERYTHING’S GONNA BE ALL RIGHT」と繰り返す曽我部恵一。指使いや声色の機微、表情ひとつとってもすべてが生き生きとしている。

「今までで一番いい日になるでしょう」と“春の嵐”を朗らかに爪弾き、最後は遠く帰る場所を想う“おかえり”。何も特別なことはなく、いつものように歌いギターを弾いた曽我部恵一は、最後にそっと「おかえり」とつぶやいた。

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電気グルーヴ http://fujirockexpress.net/21/p_833 Sun, 22 Aug 2021 18:25:03 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=833 会場でどれだけ彼らのTシャツを見たことだろう。 2016年のグリーンステージで20周年のクロージングを飾って以来のフジロックとなった電気グルーヴ。僕にとって彼らは、「フェスに行ったらいる人達」だった。洋楽邦楽の区分を問わず様々なフェスに出演し、会場で「お、電気やってるやん!」くらいのノリで観たり観なかったりする。彼らが当たり前のようにいる安心感。熱心なファンはもとより、そんな距離に電気グルーヴがいたフジロッカーも多いのではないだろうか。それだけに2020年のラインナップからキャンセルとなり音源が販売停止になったことはとてもショックだったし、石野卓球とピエール瀧の帰還を待ち望んでいたフジロッカーの数は計り知れない。

SIAが流れる21:30過ぎのグリーンステージ。大将こと日高正博氏が登場し、この「特別なフジロック」に集ったフジロッカーを労う。「3年振りのギグ、最高のエンターテイナーを大きな拍手で迎えてください。世界に誇れる日本のアーティストです!電気グルーヴ!」と紹介し、ついに電気グルーヴの登場だ!注目のセットははじめから“Set You Free”。昨年の配信『KEEP ON FUJI ROCKIN’』で発表された曲から再びフジロックの歩みをはじめるのはなんとも感慨深い。 続く“人間大統領”では「吉田サトシ大統領!agraph牛尾大統領!」とサポートの2人を紹介し、祝祭の準備は万端だ。

無造作に設置された3つのキューブ状の物体に、色鮮やかな様々なモチーフが映るステージセット。ヘッドライナーだけに、いつもの電気グルーヴのステージとは一味違っている。“Shangri-La”では集った人々が手を振り上げ早速盛り上がりを見せるグリーンステージ。卓球は「恥ずかしながら帰ってまいりました!」と瀧と肩を組み、オーディエンスはあたたかい拍手で迎える。この瞬間をどれだけ心待ちにしていたか。続く“Missing Beatz”では5年振りのフジロックに顔見せをするように、卓球と瀧はステージを歩き回る。

ずっしりとしたビートは“モノノケダンス”だ!数時間前にここでMISIAのサポートも務めた吉田サトシもロックバンドさながらのギターを炸裂させ、ダンスミュージックにアクセントを加えている。エレクトロのグルーヴ全開の“Shame”の「罪無き者にも裁きを!」なんて自虐で言ってんのかと思ったものだが、これが成り立つのは瀧だからだよな。“B.B.E.”では苗場の森に投影するレーザーもガンガン出てきて、パーティーはさらに賑やかになっていく。

卓球がホイッスルを吹き鳴らす“Shameful”では瀧が身振り手振りで鼓舞し、スペーシーなサウンドと映像が光る“Fallin’ Down”ではみんな手をあげて手拍子。瀧も卓球もただただ奔放に楽しんでる。そしてみーんな踊ってる。いや、ぼーっとしてる人も寝てる人もいるが、あらゆる過ごし方が折り混ざるのがグリーンステージの懐の深さだし、そんな中で鳴り響くダンスミュージックのなんとあたたかいことか。瀧ははしきりに前方のオーディエンスを指差しサムズアップ。ああ、たまんねえ。この2人にハーモニーとかいうのもバカバカしいが、瀧と卓球が歌声を重ねる“Upside Down”もグッときたし、炎の映像が映える“MAN HUMAN”は瀧を見せつける時間。微動だにしない男の後ろで抜群に踊れるサウンドが流れているのも奇妙なものだが、こういう可笑しさも電気グルーヴだ。

終盤の“Flashback Disco (is Back!)”でさらに盛り上がるグリーンステージ。みんな喜びを爆発させてるなあ。瀧の頭の上に構えたマイクに向けてカンカンならす卓球、そして2人はハイタッチ!なんなんだこのオッサン達最高じゃないか。そして“N.O.”でまたグリーンステージを埋め尽くす、波のような手、手、手!正しさを求められ続ける世の中、2人のダメな大人はなんとかっこよく見えることだろう。それでもちゃんとソーシャルディスタンスなんだから、ここまで残ったフジロッカーの気合も凄いものだ。

「日本の若者のすべてがここに集まっています」なんて流れてくる“レアクティオーン”。そんなのえらいこっちゃという感じだが、聞いたところによるとYouTubeでもかなりの人が観ていたらしいじゃないか。そしてここグリーンステージではじめて電気グルーヴを体験した人も多かっただろうが、きっと「私ってこんな楽しみ方ができたんだ」なんて新たな自分に出会えたことだろう。そうだよ、これが電気グルーヴだ。

最後は「フッジッサーン!」がみんなの心を駆け巡る“富士山(Techno Disco Fujisan)”で、アンコールもなく一気に駆け抜けていった電気グルーヴ。あっという間だったな。あえて大袈裟に伝説というほどの感動的な演出があったわけでもなく、ただただエンターテイメントをまっとうした電気グルーヴだが、その一挙手一投足から愛を感じたものだ。

踊りたかった曲はまだまだたくさんあるけどそれはまたの機会。2019年の朝方の一番最後に“虹”が流れたあの奇跡のような時間を、ここからまた来年以降の「ノーマルなフジロック」で目指していこう。2人とともにまたそんな夢を描いていける喜びを誰もが心から実感する、今年のフジロックを象徴するような祝祭がここにはあったのだ。改めて最後に、フジロックにおかえり電気グルーヴ!

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GEZAN http://fujirockexpress.net/21/p_876 Sun, 22 Aug 2021 15:42:19 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=876 GEZANのライブを観てどう感じるのか?もしかしたらずっとそれが僕の指針のようなものだったのかもしれない。僕はちゃんと生きているのか?少しはマシな人間になれているのか?2019年のホワイトステージではただただ圧倒されるばかりだった。2020年のアルバム『狂(KLUE)』は冒頭の「今ならまだ間に合う」で半年間引き返していた。大晦日の『KEEP ON FUJI ROCKIN’ II』でのライブでは、GEZANとともにはじめる2021年を強く生きていこうと決意した。GEZANにとってその日以来のライブとなったレッドマーキー。僕が感じたのは大きな優しさだった。マヒトが言った「それぞれの選択を」という言葉が今も心に刻まれている。

サウンドチェックの段階からステージ上にはかなりの人数がいて、一斉に「Twenty!Twenty One!」と発声する音の圧に思わず唖然としてしまう。僕は何を観にきたんだ?彼らのライブが一回ごとにアップデートされていくのはわかっていたことだが、早くもここで何が起こるのか全く予想ができなくなり、期待と不安が僕の心に渦巻いていた。不安。GEZANのライブは否が応でも自分自身と向き合わされてしまうからだ。

『狂(KLUE)』全編に登場する数多の声をそのまま現場で再現するようなコーラスとバンド演奏に続いて、鹿のような被り物でマヒトゥ・ザ・ピーポー(Vo / Gt)が現れた“誅犬”。マヒトは「お前らの曲だよ」と投げかける。“EXTACY”では「時には起こせよムーブメント」なんて言葉が飛び出してくる。なんでそんなところから引用してくるんだ?Dance Dance Revolutionとあわせて90年代後半から世紀末のモチーフか?なんてことを思っている間にも激情のバンドサウンドと数多の声が迫り、考えずとも身体が動いて仕方がない。

“Replicant”、“AGEHA”、“Get Up Stand Up”とさらに加速していくバンドセッション。ライティングの赤で埋め尽くされるレッドマーキー。その様は神々しくも異様でもあり、呪術や宗教の儀式のようにも感じられるが、(今日はやらなかったが)僕の頭を舞っていたのは“赤曜日”の「GEZANを殺せ」というフレーズだった。観るたびに畏怖さえも感じるGEZANのライブだが、それでも彼らは神なんかじゃなく、目の前で繰り広げられているのは一人一人の人間による協奏だ。その力強い生命力に息を呑みながらも僕は身体で応えるように踊り続ける。

“東京”で照らされる真っ白なライティングと赤のコントラスト。石原ロスカル(Dr)の荒々しい打音に、 イーグル・タカ(Gt)がかき鳴らすギターの轟音。暴動のようなバンドセッションがレッドマーキーを揺らす。ここでも、マヒトは「お前らの曲だよ」と投げかける。“翠点”で息の限り声を伸ばすコーラスの人々。人間の息は永遠には続かないが、また別の一人が声を継ぎ足すことでどこまでも伸びていく歌声に僕はわけもわからず涙してしまった。ここでステージを去るコーラスをマヒトが紹介する。Million Wish Collective。なんて希望に満ちた名前なんだろう。そしてその名前に負けない素晴らしいパフォーマンスだった。

「メンバーが1人抜けたと思ったら20人になって帰ってきました」と語るマヒト。カルロスの脱退に伴い新たに加入したヤクモア(Ba)にマイクを振ると、彼は「ロックスターになりに来ました!」と叫ぶ。ピュアで清々しい宣言にマヒトも「難波ベアーズで言っとけばよかったよ」と出自のライブハウスに思いを馳せる。「裸の付き合いしようぜ」とイーグル。今日のGEZANはなんだか親しみやすい。そして降り出した大雨の中、バンド全員がコーラスをとる姿が印象的だった“龍のにほい”。“NO GOD”でも、はじめてのステージでもまったく狼狽えずGEZANのベースを勤め上げているヤクモアの勇姿を見て、まだ10代ながら〜などという必要性はどこにもない。

そして「友達の歌」という“BODY ODD”では、さらに荒々しさを増すバンドサウンドの中、山田みどり(the hatch)やNENE(ゆるふわギャング)など6人のゲストが矢継ぎ早にマイクを取る、迫真のセッションが繰り広げられる。おそらくこの数十秒のためだけにここまで来たゲストもいるのだろう。極限まで凝縮された声の応酬に、ただただ拳を握り踊り続けたものだ。

「道具でも武器でもないなんの役にも立たないのが好きで」と音楽への想いを語るマヒト。彼は「感動でウイルスに打ち勝とう」などというフレーズの無力さや、鎮座DOPENESSや折坂悠太といったここに来れなかった(あるいは自ら行かないという選択をした)友人のことを想う。そして「感動とかで締めたいわけじゃなくて」と温かい拍手を制してまで自分自身で選択し続けることをオーディエンスに伝え、はじまったのは“DNA”。「僕らは幸せになってもいいんだよ」という言葉にはやはり感動してしまうが、それで立ち止まってはいけないんだ。

最後は再びMillion Wish Collectiveがステージに戻り“リンダ リリンダ”。荘厳な雰囲気の中、一人一人の歌う姿がスクリーンに映り、ステージ上の全員で「Whatcha gonna do?」と繰り返し僕らに投げかけ、GEZANとMillion Wish Collectiveは嵐のように去っていった。

「音楽って無力なんかな」と悩んでいたと語ったマヒト。もしかしたらそうなのかもしれない。でも以前は圧倒されるだけだった僕は、今日ここで僕ら一人一人を立ち上がらせてくれる大きな優しさと出会えたんだ。もちろんGEZANの表現の変化でもあるが、僕がそう感じられたのは少しは自分の選択ができるようになってきたからだと思っている。それはGEZANやフジロックのようなフェス、音楽に接し続けたからだと確信を持って言える。

全身全霊で踊り倒していたみんなは何を感じていたんだろう。僕にそれを知る由もないが、ここで感じたことを胸にこれからどうするかはそれぞれの選択に委ねられている。苗場の地を濡らした大雨はもうやんでいた。

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ザ・クロマニヨンズ http://fujirockexpress.net/21/p_829 Sun, 22 Aug 2021 08:29:20 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=829 2016年のレッドマーキー以来5年振り、グリーンステージは2014年以来の出演。ザ・クロマニヨンズのパフォーマンスに、僕は「ヒロトだけはいつまでもヒロトだなあ」なんて感じたものだ。何も語らなくたって、ヒロトがヘラヘラしてるのを見るだけですごく安心するんだよ。ザ・クロマニヨンズは、「最高!」以上の感想を述べるのも野暮なんじゃないかと思うほどの、どこまでも前のめりなロックンロールをグリーンステージに刻みつけた。

開幕からいきなり“ナンバーワン野郎!”、“生きる”といった代表曲や、最新シングル“暴動チャイル(BO CHILE)”を連発して全身全開!ブルースハープを吹き鳴らしステージを奔放に動き回る甲本ヒロト(Vo)と、淡々とギターを掻き鳴らしながらもその佇まいだけで様になるマーシーこと真島昌利(Gt)の姿に僕らはただ魅了される。ヒロトとマーシーなんてレジェンドというべきロックンローラーなのに、はじめてアンプでギターを鳴らしたようなピュアな喜びが満ち溢れている。とにかく前に一直線のリズムを支える小林勝(B)と桐田勝治(Dr)も揃った4人のバンドサウンドは、無敵としか表現しようがない。

“エイトビート”に“突撃ロック”、「楽しい夏の思い出にしてください」と語りカラッとしたギターストロークが映える“グリセリン・クイーン”など、MCもほどほどに突き進むザ・クロマニヨンズ。1曲1曲「次は“ペテン師ロック”だー!」みたいに紹介していくのもまた気分があがる。THE BLUE HEARTSよりも↑THE HIGH-LOWS↓よりも更にソリッドで、余計な装飾もややこしい理屈もすべて削ぎ落としたバンドサウンド。例えば「グリセリン・クイーン」の言葉の意味など考えるのも野暮だろう。

それでも甲本ヒロトが希代の詩人なことは疑いようもない。だって「エイトビート」なんて簡素な言葉だけで聴衆を泣かせるやつなんて他にどこにいるんだ?「どん底だから あがるだけ」と繰り返す“どん底”だってそう言える根拠なんて別にないが、ヒロトの歌を聞いていると不思議とそう思えてくる。活動15周年を迎えた彼らのロックンロールには更に磨きがかかっているじゃないか。

今日は最高!今日は最高!最後は初期の代表曲“ギリギリガガンガン”と“タリホー”で、熱い魂を苗場の大地に叩き込む。そして「我々がザ・クロマニヨンズだー!」とマスコットのUMA・高橋ヨシオがスクリーンをジャックし、“クロマニヨン・ストンプ” で最後まで全身全霊で駆け抜けたザ・クロマニヨンズ。この一瞬にどれだけのめり込めるか。ロックンロールの衝動をグリーンステージに昇華させきった4人の姿に、僕らは確かな勇気をもらったのだ。

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サンボマスター http://fujirockexpress.net/21/p_830 Sun, 22 Aug 2021 01:27:25 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=830 サンボマスターが4年振りのグリーンステージに登場!昨年夏の配信『KEEP ON FUJI ROCKIN’ 』の画面を飛び越してくるような熱情に当てられた時から、この日を心待ちにしていたフジロッカーも多かったに違いない。彼らはその大きな期待をさらに越えてくる熱いパフォーマンスを見せてくれた。

初っ端から「ミラクル起こすって心に決めろ!ルール守ってかかってこい!」と叫ぶ“ミラクルをキミとおこしたいんです”では、「優勝しにきたんだ!サンボマスターは観にきたおめえら全員に金メダルかけにきたんだ!」と僕らを力の限り鼓舞していく。そう、ミラクルってのはたまたま起こるものじゃなくて自分の手で起こすものなんだ。

そして「このコロナ禍でもおめえらクソだったことなんて一回もないんだよ!そのことを忘れないで!」と“忘れないで 忘れないで”を叩き込む山口隆(唄とギター)の語りは、歌ごとそのまま僕らの心にダイレクトに響いていく。そんな彼の「唄」を全身に浴びながら僕は中央の少し小高いあたりで観ていたが、モニターどころか肉眼で遠くに見える姿を眺めていても、至近距離で語りかけるような言葉にグリーンステージは鷲掴みだ!

最高潮のまま「踊りまくっていただきましょうか!」と“青春狂騒曲”になだれ込んでいく。骨太なビートで下支えする近藤洋一(ベースとコーラス)と木内泰史(ドラムスとコーラス)、そして恍惚のギターソロを炸裂する山口のスリーピースが醸し出す、これしかないってバンドサウンド。グリーンステージを見渡しても身体で喜びを表現する前方の人々から、後方で椅子に座りながら手を振る人まで、周りに気を遣いながらもみんなが今しかないこの青春を謳歌している。

「全員優勝!全員優勝!」と叫ぶ山口。トラックのビートに乗せてラップを刻んでいく“その景色を”に、「差別と暴力と分断にラブアンドピースで対抗するんだ!」と想いを乗せる“世界はそれを愛と呼ぶんだぜ”と、どんどん熱くなっていくグリーンステージ。もちろんここに集った僕らは声を出してはいけない。でも誰もが心の中で「愛と平和」を叫んでいたことは、ここにいたみんなが感じたはずだ。

人々の手が波のように揺れる“孤独とランデブー”。なんて美しい光景だろうか。ひとりひとりの魂はそれぞれ独立していても、僕らはこんな風に喜びを分かち合えるんだ。「YouTubeで観てる君も!」と、本当はここに集いたかった日本中のフジロッカーに向けて投げかける山口。サンボマスターの気持ちが画面越しのみんなにも伝わってることは、ここに居る僕らにもありありとわかる圧巻の熱量だ。

10年前の東日本大震災や昨今のコロナ禍で傷つき亡くなった人々に想いを馳せる山口。初日の猪苗代湖ズでもステージに立った彼は、故郷の方言でぽつぽつと語る。その表情には割り切れるわけのない悲しみが宿るが、それでも今ここにいる人に生きててくれてありがとうと伝える“ラブソング”。エレキギターのしんみりとした弾き語りからベース、ドラムと厚みを増していき、声を枯らしながら叫ぶ山口の歌声が苗場の森にこだましている。

“輝きだして走っていく”で突然の大雨に降られるグリーンステージ。まったく読めない山の天気はこれぞフジロックというところだが、ちょうど山口が歌っていた「負けないで キミの心 輝いていて」は、さらなる試練の中今日と明日を過ごしていくフジロッカーへのエールのように感じたものだ。そして、“できっこないを やらなくちゃ”で山口が力の限り歌う勇気と覚悟に呼応するように、突き上げる一人一人の拳。青臭いだろうか。現実はそう甘くないだろうか。それはそうかもしれない。でも周りを気遣いながらも自らの意思で立ち上がるフジロッカーたちが創り上げる光景に僕が感涙してしまったことは、誇張でもエクスキューズでもない紛れもない本心だ。

最後の“花束”では近藤が苗場食堂やSUMMER SONIC、ROCK IN JAPAN FESTIVALの会場へと移動する「LIVE配信」を織り交ぜながら、数々のフェスに想いを馳せ、唄の花束を捧げるサンボマスター(LIVEじゃないだろなんて言うのは野暮ってもんだ)。キャンプサイトのテントの中からはMAN WITH A MISSIONのKamikaze Boyが顔を出し力強い応援が加わる中、ステージに戻って3人が掲げたのは京都大作戦、ARABAKI ROCK FEST.、RISING SUN ROCK FESTIVALのタオル。この時SUPERSONICのTシャツを着ていた僕は来月の無事を祈ったものだが、今年失われてしまったフェスの数々に集うはずだったミュージシャンや音楽関係者、そしてフェスを愛する人々への力強いメッセージがグリーンステージを通して全国に流れていた。

最後の最後まで誰一人置き去りにしない魂のロックンロールで一人一人の心を勇気で満たしたサンボマスター。グリーンステージを後にする僕も、より一層気をつけながらフジロックをたくましく過ごしていこうと決意を新たにしたものだ。僕らなら絶対にできる。そう強く信じながら。

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DENIMS http://fujirockexpress.net/21/p_871 Sat, 21 Aug 2021 17:42:21 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=871 Mega Shinnosukeに続いて踊りたい僕らを待っていたのは、関西インディーシーンを代表するバンドのひとつとなったDENIMS。今年から新メンバーの土井徳人(Ba)を加え、さとうもかとのコラボレーションなど活動の幅を広げる彼らのパフォーマンスを観ようと、レッドマーキーには多くの人が詰めかけた。前身のバンドのAWAYOKUBAとしてルーキーで出演した2011年から10年、苗場食堂に出演した2016年から5年という節目の年のレッドマーキーのステージは、彼らにとっても思い出深いものとなっただろう。

Sly & the Family StoneのファンキーなSEに乗せて登場した彼らは、このステージで音を合わせる喜びを噛みしめるように“Crybaby”、“Goobye Boredom”と立て続けに披露。岡本悠亮(Gt)のキャッチーなギターリフが映える軽やかなダンスロックに身を委ねていると自然と身体が動き出す。一転してストイックなビートを刻む最新リリースの“RAGE”は、バンドサウンドの広がりを感じたものだ。

「ルーキーから10年かかってレッドマーキーに立てました」と感慨を語る釜中健伍(Vo / Gt)。続く“fools”でも、ずっと追ってきた人もはじめて観る人も自由なフィーリングを交錯させる姿がなんとも愛おしい。主催イベント『ODD SAFARI』のTシャツを着たファンが手を振りあげていたのが印象的だった。そして「自分自身を認めて愛して先に進んでいこうという決意の曲」と語る“I’m”やワルツ調の“虹がかかれば”では、ピアノを弾き語る釜中。リズムピアノと哀愁のギターが映える楽曲にオーディエンスは聞き入っている。

「昨日はゆっくり寝てDENIMSに備えてくれたことでしょう」なんて語る岡本の軽口も微笑ましい。レッドマーキーで観たザ・クロマニヨンズの思い出や、フジロックに向けてギターをローンで買ったことなど、このステージにかける想いが伝わってくる。「バンドの未来もフジロックみたいな野外フェスの未来もまだまだ明るいということを伝えたい」と語るのは、同様にローンでギターを買ったという釜中。バンドみんなでコーラスを歌った“そばにいてほしい”には、ここに集まった人々にとってライブハウスやバンドたち、フジロックがどれだけ大切かを共有するようなアンセムが鳴り響く。

そして「5年前の再現してくれますか?飛沫飛ばさへんようにやるので俺らとステップ踏んでくれますか?」と投げかけ“DAME NA OTONA”を繰り出すDENIMS。メンバーとともに左右にステップを踏む、なんだか可笑しくなっちゃうようなノリもDENIMSらしいが、“INCREDIBLE”の畳み掛ける釜中のヴォーカルや、ワウを効かせたギターが生み出すグルーヴも彼らの持ち味だ。縦ノリも横にグラインドするノリも混在する懐の深いバンドサウンドに身を委ねて、レッドマーキーは解放感に浸る。代表曲の“わかってるでしょ”で最後まで踊りきったレッドマーキー。新加入の土井も随所で存在感を示し、新生DENIMSの次のステージがはやくも楽しみになるライブだった。

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Dachambo http://fujirockexpress.net/21/p_890 Sat, 21 Aug 2021 12:03:45 +0000 http://fujirockexpress.net/21/?p=890 日も暮れてライトが幻想的な雰囲気を醸し出す19時過ぎのフィールドオブヘヴンにはDachamboが登場。2014年以来7年振りのフジロックで、過去5回のバンド出演はすべてヘヴンだというのだから、中には「ヘヴンのDachamboは間違いない」ということを体験しているフジロッカーもきっといるのだろう。初日のピラミッドガーデンに続いての出演となったAO YOUNG(Gt / Vo)が「フジロック楽しんでいこう!俺たちがDachamboだ!」とヘヴンに投げかけ、音楽の旅のはじまりだ。

この地までたどり着いた喜びを噛み締めながら、音だけで徹底的にヘヴンを煽っていく“stoned monkey”から、シームレスに移行する“never ever breaking down”。EIJI(Ba / Cho)とYAO(Dr / Per / Cho)がどっしりと構えるビートが下支えする中、AO YOUNGが軽快にギターを掻き鳴らし、OMI(Didgeridoo / Cho)もフリーキーにディジュリドゥを振り回す。そして、サイケデリックな音像を創り出すHATA(Machine / Motivation)のシンセに、エレクトリックなビートメイク。かたやフィジカル全開で奏でる4人と電子が煌めくHATAのサウンドが混ざり合って、まるで一つの生命のように迫りくる演奏に圧倒されながらも、ヘヴンに集った人々の身体がじりじりと開放されていく。

ギターの音が出なくなるトラブルもなんのその。それさえも演出かのようにグルーヴを深めていくDachamboの面々。スキャットで呼応するAO YOUNGは「でも音楽は鳴り止みませんよ」と叫び、この場で曲が完成していく様は、まさに“never ever breaking down”じゃないか。「しっかり準備をしてもこうなるのがDachambo」とEIJIと軽口を交わすAO YOUNG。結成20周年を迎える彼らのパフォーマンスは、スリリングだけどとてもアットホームな空気が流れている。

「音出たー!!」と待ってましたとばかりにギターを掻き鳴らす“can not biz”では、フロントの3人が身振り手振りを交えながら輪唱のように声を重ねていく様が印象的だ。声も楽器として奏でるジャムセッションは、さらに自由なフィーリングをヘヴンに創り上げていく。2005年にはじめてここに来た時から歌っているという“サルビア・オリビア”では手拍子とかすかなシンセの中、荘厳な雰囲気で延々と「サルビア」「オリビア」を繰り返す間のセクションに混迷のジャムセッションを挟み込む。どんだけいろんなフィーリングが飛び出してくるんだよフィールドオブヘヴン!

最後の“ピカデリア”ではジリジリと育ってきたグルーヴが頂点に達し、気づいたら一心不乱に踊っているオーディエンスたち。それでもちゃんとソーシャルディスタンスを保ちながら自分の踊りに没頭している光景のなんと美しいことか。知らなかった自分を掘り起こすような音楽体験をもたらしてくれたDachamboに最後はみんな惜しみない拍手をおくるが、これはDachamboだけじゃなくて、同じ時をともにした人々と自分自身を讃える拍手だ。そんなことを感じながらヘヴンの余韻にしばらく浸っていた。

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