“おみそ” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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なぜ今年フジロックへ?102人に聞いて感じたこと http://fujirockexpress.net/23/p_8975 Wed, 02 Aug 2023 14:22:13 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=8975 今年のフジロックで、お客さん100人に、「なぜ今年フジロックへ来たのか?」を聞く企画を行った。

それは、オルグの先輩が「フジロックに行かなくなった理由」という記事を書いたのを読み、確かになんでフジロックに行くんだろう、と考えたからだ。

オルグに入る前は、数年間フジロックに行っていた。最初のきっかけは、友人に勧められたから。
行ってみたら楽しくて、毎年宿も取らず、朝まで遊んで、そのまま雪ささの湯に入り、その辺でウトウトし、再びゲートオープンするのを待っていた。

もちろん雨もあったけど、車も宿もないので、雨具装着の上で朝までどうにか遊び倒していた。

オルグに入ってからは、毎年フジロックがとても楽しみで1年の中心になっている。毎年ものすごく疲れるけど、楽しみだ。
今年も謎の蕁麻疹と、足の甲や背中のあせもに悩まされているけれど、やっぱり行ってよかったなと思う。

なんで私はフジロックに行くのか?
なんでみんなはフジロックに行くのか?

現地で100人ほど聞いてみようと思った。
100人も集まるかなと思ったけど、102人から意見を聞けた。
会場内でお客さんに声を掛けていく方法で、それぞれの想いを伺った。

1番多いのは「そこにフジロックがあるから」「1年の中心だから」系のアンサー。
分かる、すごい分かる。
毎年の恒例になっている方々の意見だ。
出演アーティストで決めているわけでなく、毎年苗場に来るのを楽しみに、仕事や学校を頑張っているのだろう。
大自然、アート、音楽、お酒、食べ物、友人…ここに来ないと味わえない何かを求めて来ているんだろう。

次に多かったのは「特定のアーティストを見に来た」というアンサー。
見たいアーティストがはっきり決まっていて、他のアーティストも楽しんだり、あちこちを散策したりするのだろう。
日本ではなかなか見られないアーティストは、苗場で見られることは魅力だろう。

他は、「お酒を飲みに来た」や、子どもでは「すべりだいがたのしいから」というアンサーも。
すべり台が楽しいから…。か、可愛い…!思わずふふふと笑ってしまった。
「亡くなってしまった友人が、フジロックが大好きで、苗場に来るとその友人に会える気がするから」という方もいた。でも彼らは湿っぽくなく、明るく過ごしていた。なんだかジーンと来た。とても素敵だなと感じた。

色々な思いを聞き、もう理由なんて、なんだっていいんだと思ってきた。
こんな感じの返答が来ることは、なんとなく誰でも予想できるだろう。
でも現地で聞いていると、もう理由はどっちでもいいかと感じてきた。
ここに足を運び、何かしらを楽しみ、日常に帰っていく。
そしてフジロックで感じた何かを、こっそりと日常に忍ばせていく。

私が話を伺った102人は、今年の4日間延べ来場者数114,000人の0.0001%未満。
しかもこの様なインタビューに現地の道端で答えてくれる方は、たぶんある程度慣れた方。
極一部のアンサーだったけど、ほとんどの方が「え?理由?理由??理由かぁ」「なんで来たんだろう?」と、すぐには思い付かず、考え込んでいた。

来ているのに、なんで来ているのか分からない。
それがフジロックかなとも思った。

そして理由なんて、いいんだ。
来られなかった人、来なくなった人、全く興味ない人、全部を含んでフジロックは進んでいくんだな、と感じた。

取材にご協力くださった方々、心からお礼を申し上げます。また、どこかで!

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山下達郎&ジャニーズ http://fujirockexpress.net/23/p_9081 Wed, 02 Aug 2023 13:58:04 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9081 このTシャツは風刺です

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【フジロック3日目深夜周遊記】 http://fujirockexpress.net/23/p_8530 Wed, 02 Aug 2023 01:51:41 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=8530 きゃりーぱみゅぱみゅによって口火を切られた3日目の深夜。もろもろの仕事に一区切りをつけ26時頃にオアシスに繰り出すと、1日目のOVERMONOだったり2日目のTSHAROMYのサウンドが弾けていた同時間帯ほどではないけど、それでも多くの人が夜を楽しんでいるみたいだ。Rainbow cafeの店員さんが、通りがかった下町バルながおか屋の人たちと「フジローック!!」って掛け合ってたりする光景を見ると、最終日って感じがしてくるなあ、なんて少ししみじみとしてしまう。

あと3時間ほどで今年のフジロックが終わってしまう名残惜しさを感じつつも、最後まで楽しみ尽くそうとする人々の活気を感じる心地よい空気感。僕はというとオアシスに響いているレッド・マーキーのYUNG BAEのプレイと、溶け合うように聞こえてくるGAN-BAN SQUAREのTAKU INOUEのサウンドに後ろ髪を引かれつつも、パレス・オブ・ワンダーに向かう。だって今年まだパレスに行ってないもの!パレスへ向かう道すがら、ゲートでは記念撮影をする人たちの姿が。でも僕らにはまだ早い。

パレス・オブ・ワンダー編

26:20くらいにパレスに到着すると、ROOKIE A GO-GOではSPENSRのライブが盛り上がりを見せている様子で、クラブ・ミュージックの情感をファンキーなバンドサウンドに落とし込んだような演奏は、こんな夜にぴったり。「来年もまた苗場で会えたら嬉しいです」という言葉にも気概がこもっていた。

そしてたまたま友人と遭遇し、すぐ隣のパレス・アリーナで始まったのは、SAKURA CIRCUSの今年のフジロック最終公演。前夜祭でもレッドのPA前あたりからこの公演を観ていたが、目の前で見ると迫力も段違いだ。連動して回転する2つの円の内外で2人がまわるパフォーマンスは、一歩間違えれば大事故必至でハラハラドキドキが止まらない。

前夜祭でも観たDuo vitalysのバランス芸は、至近距離で見ると2人の表情がとても印象的で、一瞬でも集中を切らすと失敗するであろう緊張感が凄まじい。そして新太くんとアラン・ダヴィッドさんの足技「イカリオス」では新太コールが巻き起こり、ビシッと決めた新太くんは会心の表情。9歳にしてこのショーマンシップとプロ意識なのだ。まったくもって頭の下がる思いだ。

司会進行をしていた小深田尚恵さんが取締役を務め、我が子と親戚らを合わせて総勢約50人の大所帯サーカス一家にとって、一つ一つが人生をかけているステージ。その気概に触れて僕も自分の人生について少し考えたりもする。これぞ本物の体験とでも言いたくなる、生々しくて濃密な体験がパレスにはある。そしてそれはいたるところで同時多発的に起こっている。

ROOKIE A GO-GOに戻ると今年最後の出演者となるカラコルムの山々が登場。な、なんだ?どういう音楽だこれ?かなりカオティックなバンドサウンドに歌心も混ざり合うパフォーマンスは深まっていく夜を刺激的に彩っている。

ルーキー枠を設けるフェスティバルは数あれど、フジロックのように深夜に開催するのは珍しい。みんなベロベロに酔っていてテンションも弾けているから盛り上がりもする一方で、楽しみたいという直感のみに従って、面白そうな方にふらふら動いている人々をつかまえ続けるのは、並大抵のことではないだろうとも感じる。

ルーキーの出演者だってこのステージの出来次第で人生が変わるのかもしれないのだから、全身全霊で出せるものを余すことなく出す気迫が光っている。GEZANだって思い出野郎Aチームだってここからメインステージに駆け上がったし、おとぼけビ〜バ〜やCHAIは世界で戦っている。もちろんここで来年のメインステージを勝ち取ればそれでもう成功というほど人生は甘くないが、ここで触れたルーキー達の熱情も詰めかけた人々の記憶に残っていくはずだ。

バーカウンターのお兄さんにお酒を奢ってみんなで乾杯したり、DJで奔放に踊りふけっていたりと、自由なフィーリングが弾けているパレス・オブ・ワンダー。見かけた茶道のようなパフォーマンスは僕にはなんなのかよくわからなかったが、オフィシャル・サイトに載っているものだけがすべてではない。

至る所に設営されたさまざまなオブジェを眺めながら、僕は本当にたくさんのものを見落としていることに気づく。忙しく駆け回るライブ取材の中ではどうしてもそうなってしまう部分もあるのだが、ただライブを観るだけがフェスティバルではないのだろう。気づかないだけで、素敵なことはフジロックのいたるところにあるんだなと、しみじみと考える。

そしてクリスタル・パレス・テントに入ると、BIG WILLIE’S BURLESQUEがフロアを盛り上げている。いや、“が”ではないな。ここにいる全員が織り出すような光景は眩いばかりで、僕らもあまり自覚はしていなくとも、観るというよりこの濃密な時間を感じることをしているんだろう。

90分程度しかいなかったが、なぜあれだけ復活が待望されていたのか、なぜみんなが口々にフジロックの象徴とか本質とか言っているのか、その理由をひしひしと感じる時間だった。でもまったく堪能し切れた気がしない。今年の復活を心から嬉しく思い、来年に思いを馳せながら、再びオアシスのほうへ足を運ぶ。

オアシス編

この時間になってくると多くの飲食店も閉まり始め、店員さんも奔放な感じになっている。28時過ぎにオアシスに到着すると麺屋「極」のお兄さんが呼び込みをしていて、お客さんや隣の店の人とも気さくに言葉を交わす様子は、もう友達のような感じもある。もちろん売り上げ次第で、という話もあるはずだけど、与える側 / 与えられる側なんて垣根がなくなっていくこの感じが好きだ。

GAN-BAN SQUAREではSeihoがガンガンにフロアを煽るビートで盛り上がっている様子。アンビエントなセットも好きだけど、これもまたいい。そろそろ空が明るくなっていく。遭遇した友人とベストアクトや今年あったエピソードを話しながら、ゆらゆら揺られていた。いつだったかここでUKアンセム祭りみたいな朝を迎えたことがあったななんて、懐かしく思ったりもした。

そしてレッド・マーキーに足を運んでみるとFrancois K.の最終盤で29時終演。なはずが前方に集った人たちは歓声と拍手で次を望み、帰る気配がまったくない。「もう一曲かけれるよ」と流暢な日本語で応え、29:18頃、最後の音が鳴り止む。本当に一瞬足を運んだだけだけど、すごくいいフロアだったんだろうなということがよくわかる、ハッピーなムードが漂っていたことだけはよく覚えている。

前夜祭から4日間のさまざまな出来事を思い返しながら、道行く人々をぼんやり眺める。疲れは感じさせつつ楽しそうな様子も見て取れて、その足取りは確かだ。本当にいろんなことがあった。一年で一番歩いたし、一年で一番遊んだ。一年で一番虫に刺されたし、一年で一番疲れてる。でも一年で一番充実していたこの4日間。

今回のフジロックは僕にとって自分を見つめ直すような体験だった。来る前はあまり調子が良くなくて不安もあったけど、今はヘトヘトでもすごく気力に満ち溢れている。みんなが口々にお正月とか言うのは、楽しかったからってだけじゃないんだと思った。ここでもらった活力を胸に、心機一転で僕も明日からの日常を歩いていこう。そして来年もここに来よう。確かに残ったそんな実感を噛み締めながら、僕は帰路に着いた。

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ZOMBIE-CHANG http://fujirockexpress.net/23/p_1824 Mon, 31 Jul 2023 17:00:34 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1824 クリームソーダ、ブルーベリーバナナ http://fujirockexpress.net/23/p_7624 Sun, 30 Jul 2023 17:23:17 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7624 店名: Rainbow cafe
エリア:OASIS
メニュー:クリームソーダ(500円)、ブルーベリーバナナ(650円)
クリームソーダは、暑い中でとても染みたし、上のアイスも美味しかった。ただ、アイス用にスプーンが欲しかった。ストローだけでは厳しい。クレープは、生クリームが沢山入っていて、大満足!
★★★★★

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優しくしてくれてありがとう! http://fujirockexpress.net/23/p_7520 Sun, 30 Jul 2023 17:11:05 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7520 FUJI ROCK2日目、土曜のお昼過ぎ。
木道亭での撮影を終えた私は、急いでグリーンステージに移動していた。
ボードウォークで、申し訳ないけれど隙間を縫ってせかせかとお客さん達を追い越して歩いていた。

でも、前の方が私の存在に気付かず、追い抜かせなくなった。
「すみません」と言う勇気もなく、そもそも狭い道で追い越したら危ないし、と黙って歩いていた。

そうしたら、今私が追い抜かしたばかりのお客さんが
大きな声で「スタッフ通ります!急いでるんじゃないからな!」と言ってくれた。
ビックリする私。

ボードウォークの真ん中に、パカッと道ができた。
複数のお客さんが、左右に避けて道を作ってくれたのだ。

申し訳ない!と思いつつ「すみません、すみません、ありがとうございます」と早足で歩く。

途中、塩分タブレットを差し出してくれる方もいた。
あたかもマラソンの給水ポイント。
「頑張って」と声をかけてくれる方もいた。
カメラをたくさん体から下げて、折りたたみの踏み台も持って、空になりかけたポカリのペットボトルを手に灼熱の中を歩く私は、確かに見ていたら心配になるかもしれない。

皆さんが優しくしてくれること、気を遣ってくれることが嬉しかった。本当に。

FUJI ROCKでは、いつもお客さんに優しくしてもらっている。
塩タブレットを頂く、飲み物のペットボトルを頂く、重いカメラをいくつも持ってライブ撮影をしていると、「1つカメラ持ってようか?」と声をかけてもらったこともある。
取材班に入った初年度は、飲み物を買うために並んでいたら、1つ前に並んでいたお客さんが、ビールを急に奢ってくれた。

物を頂くだけでなく、「頑張って」「暑いから気をつけて」と本当によく声を掛けて頂く。お気持ちがありがたい。
いつもありがとうございます。感謝しています。

今年の頂き物
塩タブレット(計10個ほど)、冷えた水のペットボトル(ありがたい)、-3℃の体拭きシート(さっぱりした)、やる気(頑張っての声により)

感謝感謝です。

※写真のポカリは私物です。他が頂き物です。

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なんだ、このペットボトルの山は? http://fujirockexpress.net/23/p_7291 Sun, 30 Jul 2023 13:55:16 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7291 グリーンステージの端の方に、数メートル高く積みあがったペットボトルの山を発見。

その山の前にあるeco acTionのスタッフの方に話を伺いました。

このペットボトルは、ごみゼロステーションにてお客さんが分別したもの、との事。
ラベルがはがされ、キャップも分けられています。

分別するとリサイクルがしやすくなるよ、ということを可視化するために山にしているそうです。
お客さん参加型でできることを目指し、この形になったとのこと。

なるほど、とても分かりやすいですね。

みなさん、FUJI ROCKから帰宅しても分別を続けましょうね!

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モアファンスタッフ、見つけました! http://fujirockexpress.net/23/p_7254 Sun, 30 Jul 2023 13:42:21 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7254 法被を着て会場内を歩くモアファンスタッフを探してください、というこの企画。
あまり声を掛けられず寂しくしていたら、見つけてくれた方が!

「あの、もしかしてモアファンスタッフの方ですか?」
そうです!

引換券を渡して、フジロッカーズラウンジにてTシャツと交換。
嬉しそうにしてくれて何より。
暑くても法被を着て良かった。

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FUJI ROCKを楽しむ子ども達#9 http://fujirockexpress.net/23/p_7227 Sun, 30 Jul 2023 13:35:52 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7227 会場内でそれぞれ楽しむ子どもたち。
その自然な姿をカメラに収めた。

子どもものびのびと過ごすことができるFUJI ROCK。
暑さには十分ご注意を!

KIDS LANDにて、お菓子をほおばる子ども、メリーゴーランドに乗る子ども。
ゆったりとした時間が流れていました。

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