“リン(YLC Photograpghy)” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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G.LOVE & DONAVON FRANKENREITER http://fujirockexpress.net/23/p_1689 Mon, 31 Jul 2023 16:04:02 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1689 フジロック’23最終日、現在19時前。ここはフィールド・オブ・ヘブン(以下ヘブン)。日がとっぷり暮れ、ミラーボールが幻想的に場にきらめきを与えはじめる。終わりが近づいているからこそ、今フジロックの現場にいることの尊さを感じるのだ。

これからヘブンに登場するのは、初出演の2000年来計5度のフジロック出演歴を持つG. LOVE(以下G.)と、過去3回出演し13年ぶりに苗場の地を踏むDONAVON FRANKENREITER(以下ドノヴァン)によるスペシャルユニットだ。開演前にMCのジョージ・ウィリアムズも語っていた通り、二人の名が発表された瞬間にヘブンに出演するだろうと容易に予想できた。彼らが奏でるルーツ・ミュージック母体の音楽や、自由なヴァイブスはヘブンが間違いなくベストな舞台。この貴重な機会を目撃するべく多くの人が集結している。

ステージに登場するや否やいなたくブルーズ・ハープをいなたく、そして豪快に鳴らすG.。「調子はどうだ、フジロック!?」と“SoulBQue”からステージの幕が上がった。のっけからG.十八番、ブルーズとヒップホップを融合した「ラグモップ」を惜しみなく繰り広げる。G.とドノヴァンが向かい合い互いにフレーズを生み出し合うギター合戦の展開がライヴならではのダイレクトで生々しい熱をビンビンに放出!

続くはドノヴァンの“Whatchu Know”。G.がハーモニカをとり、ドノヴァンが暖かみのあるの歌声を披露し場をほっこりさせる。ラストはバンドが暑苦しくロッキンなグルーヴを創り出して熱く締めくくった。“Move By Yourself”、“Rodeo Clowns”、“Heading Home”、“Rainbow”とドノヴァンからG.の順で交互にお互いの楽曲を一緒に随所にセッションを入れ自由自在に繰り広げていく。バックで二人を支えるベーシストのMATT GRUNDY (以下マット)とドラマーのCHUCK TREECE (以下チャック)も最高だ。気心の知れた4人が互いに敬意を持ちつつ楽しそうに演奏している。バンドのムードに呼応するかのように、フロアは誰もが本当に気持ち良さそうにダンス。歓声を上げ、まったく知らない人同士ながら乾杯し、お酒を振る舞い合ったりしている。まさしくヘブンな光景がここにあるのだ。

ウクレレのような軽快なフレーズとともにはじまる“Free”。たった今のピースフルなヴァイブスの中でこの曲が披露されるという、ぴったりの展開があるだろうか。みんなで歌い心地よく揺れる。至福の極みだ。G.が吹き上げるハープの音色、随所で刻まれる太いギターのフレーズ、すべてが完璧にはまっている。

さぁ、ここからはブルーズ天国のはじまり。冒頭で楽しくコール&レスポンスをして“Guitar Man”がスタート。土臭いデルタ・ブルーズな雰囲気がたまらない。またしてもG.とドノヴァンの凄まじいギターバトルが飛び出す。本曲を締めても熱収まらぬとばかりにブルージー極まりないフレーズをプレイするG.。そのまま“Baby’s Got Sauce”に突入した。中盤でチャックが歌う展開は本セットならでは。お次はドノヴァンペンによるブルーズナンバー“Them Blues”へ。マットが巧みにハープを吹く中、G.とドノヴァンがタイトにギターを刻み絡み合う。G.によるスライドギターが更にブルーズ沼の深淵へと誘うのだ。

チャックのドラムソロから繋がる“Cold Beverage”。G.とマットがダブルハープを披露し、重たさが加わった今の音で至福の本セットも終盤に向けて駆け抜けていく。ラストは“It Don’t Matter”。ドノヴァンの優しい声が最高に気持ちいい。チャックのドラムソロあり、G.によるギターソロあり、ハープをロングブロウする見せ場も見せつつ、最後はみんなで何度もサビパート大合唱し約1時間強のステージを完走した。メンバー全員が揃ってステージ前に立ち、幾度もお辞儀。タオルやドラムのバチ、本日披露した曲のセットリストなどなど…提供できるものはすべてフロアに放出してステージを後にした。

G.とドノヴァンというフジロックを愛する者たちによる、フジロックを愛する者たちに向けた極上のライヴ。今宵、ここヘブンは愛と自由と音楽で満ちあふれていた。

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NEAL FRANCIS http://fujirockexpress.net/23/p_1688 Mon, 31 Jul 2023 16:02:56 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1688 フジロック’23、早くも最終日。夕方に差し掛かり、今年も着実に終わりに近づいている。寂しさが増していく時間帯の中、フィールド・オブ・ヘブン(以下ヘブン)へと向かう。今回の出演陣の中でも最も楽しみにしていた注目株の一人がこれからヘブンに登場する。アメリカはシカゴから遥々やってきたNEAL FRANCIS(以下ニール)だ。今回の取材で、初のヘブン出演アーティストとなるのが彼だ。

ヘブンに到着して、やっぱり私はここが好きなんだとあらためて実感。立ち並ぶお店が少し減ってしまったのが残念だが、ピースフルなヴァイブスが空間全体に広がっているのだ。それは、もちろんヘブン出演陣の音楽によるところも大きいのだが、フジロックではをヘブンを根城としている住人が大勢いる。その人たちによるラヴ&ピースで自由な会話こそが、この雰囲気を創り上げていると思っている。そして、ヘブンを愛する人たちが集うライヴは、めちゃくちゃ盛り上がるのだ。

ニールはコロナ禍のためキャンセルとなった2020年のフジロックに出演予定だった。なので、ようやく実現した念願の初来日にして初演となるのが本ライヴになるのだ。音楽は彼が影響を受けたアーティストを確認すれば自ずと分かろうというもの。アラン・トゥーサン、Dr.ジョン、レオン・ラッセル、ザ・バンド…ヘブンという場がドンピシャということがここからうかがえるだろう。過去にこれらアーティスト・バンドたちが繋がりのある先達たちが出演しているのだから。

開演時刻に今年亡くなった高橋幸宏氏と坂本龍一氏追悼の意を込めてと思われるYMOの“RYDEEN”がSEとして流れる中、ギター、ベース、ドラムを務めるメンバーが登場した。全員が上下赤のアディダスのジャージ姿(まさかYMOの赤い人民服を模しているわけじゃないよな?)。ニールが様々な花と鳥(鶴?)が描かれたスーツに身を包んでいて、長めの髪とともにヒッピーのような装いでステージに姿を見せた。1発目はニールがキーボードで弾き語りはじまる“Say Your Prayers”。大好きなのが、中盤以降に転調し盛り上げるパートだ。踊り、飛び跳ねるしかチョイスはないグルーヴがたまらない。ギターも畳みかけるようにソロをかましグルーヴに輪をかけていく。

「私の名前はニールです。ありがとうございます!」と日本語でとても流暢に挨拶をするニール。昨晩のキャロライン・ポラチェックといい、初来日を前に日本語を覚えコミュニケーションを取ろうと準備をしてきているアーティストが多い印象だ。愛とリスペクトが感じられ、こんなアーティストを大好きになってしまったのは私だけではないだろう。

続く“Change”も疾走感をもって転調し、終盤に向けてニールと3名のバンドが一体となって創り出す怒涛のセッションにオーディエンスは大盛り上がりだ。これぞヘブングルーヴ。みんな大好きだよね。そのままファンキーになだれ込んでくる“She’s A Winner”。原曲を壊し、まったく異質なファンクネスを即興で曲調も展開もどんどん変え、自由に表現している。絶妙なタイミングでドラムのソロを入れてきたりとバンドのスキルの高さはもちろんのこと、結束力の高さも相当なものだ。これだからライヴはやめられない。

ニールがキーボードをリズミカルに叩きはじまった”Very Fine”。「フー!」とのかけ声を契機に深く黒いグルーヴが渦を巻いていく。それにしても、ニールとバンドは何て楽しそうに演奏するのだろう。こちらも呼応してどんどん楽しくなってくる。バンドとオーディエンスの間のあるべきコミュニケーションがここに存在しているのだ。

「シカゴから遥々やってきたよ。フジロックに呼んでくれてありがとう!」と別のキーボードに移り、軽快にかついなたく引き倒す。そして、Can’t Stop the Rain”へ。はい、最高!60s~70sのヴィンテージなロック好きを唸らせるこのリフ、メロディに展開。中盤のセッションはまるでミーターズだ。バンド渾身一体の演奏力、オーディエンスとの一体感、そして楽しさ、間違いなく本セットのハイライトと断言して間違いないだろう。

流麗でグルーヴイーなキーボードの調べが入ってきて“Alameda Apartments”を発進。間奏部で息の合ったバンドによるセッションが飛び出だすと、頭を振り乱すニールの軽快なソロが乗ってくるんだ。こんなのもうひたすらに踊るしかないだろ!

入りと中盤のジャジーなセッションが圧巻だった“BNYLV”、往年のプログレッシブロックの雰囲気でキーボードとギターのソロパートが秀逸だった“Sentimental Garbage”を締めくくり、本来は予定されていなかったであろう“She’s A Winner”をアレンジを一新して再演。時間が残されている限り演奏し、集まってくれたオーディエンスを楽しませようとする心意気が感じられ、涙が出そうになってしまった。そして、高いミュージシャンシップを持つ彼らだからこそできる芸当だ。

彼らが生み出す音をいつまででも浴びていたくなるような至福の1時間だった。まだまだライヴで体験したい楽曲がたくさんある(“This Time”とかさぁ!)。ぜひとも単独公演ツアーで再来日を果たしてほしい!

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ÁSGEIR http://fujirockexpress.net/23/p_1690 Mon, 31 Jul 2023 16:02:16 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1690 それは、幻想的な終幕の始まりだった。

フジロック2023最終日、その最後の夜。闇夜の森で、ヘッドライナーのライブは“Higher”から始まった。アウスゲイルはキーボードを弾きながら、夜空に響きわたる柔らかな声で高らかに歌った。青く照らされた光の中、イントロはポップなのにどこか切ない音色の“Borderland”が奏でられると、タイトなドラムが物語を走らせていく。アウスゲイルの後ろにはギター、キーボード(またはベース)、ドラムのプレイヤーが並び、静かな夜のグルーヴを高めていた。

“いつも通り”のフジロックを3日間全力でやり切った2023年の苗場に、「How are you doing?」と、アウスゲイルは6年振りに帰ってきた。過去2回はいずれもホワイト・ステージでのライブ。今回は、皆さんお待ちかねのフィールド・オブ・ヘブンで大トリというわけだ。大きいステージでのライブも最高だが、アイルランドの透き通った空気を感じさせる旋律と彼の優美な歌声を、静寂の森の中で楽しめるのはベストなのではないだろうかとつい考えてしまう。最終日の深い時間にもかかわらず、同じようなことを考えたフジロッカーたちが最後の夜を最後まで楽しむために続々とこの奥地に集まっていた。

アウスゲイルは、アイスランド出身のシンガー・ソングライター。ほとんどの楽器を自らプレイでき、フォークトロニカ(フォーク+エレクトロニカ)のスターだ。2022年に、4枚目のアルバム『Time On My Hands』をリリース。コロナ禍の中、自身を見つめ直すことをテーマとして、繊細に構築されたフォーク・ポップ作品となっており、今回のライブは6年振りとあって、最新アルバムを含む新しいアウスゲイルが観られるのではと期待は高まっていた。3日目のラスト、最奥地のヘブンで彼のライブを堪能するなんて、こんな贅沢な時間があるだろうか。

アウスゲイルは続いて、“Dreaming”をプレイ。シンセサイザーが幻想的な空間を描き、タイトなドラムがときに激しく感情を盛り上げる。“Summer Guest”では、カントリー・ミュージックのような心地よい音楽をギターでつま弾き、観衆を笑顔にさせた。“Peð”は寂しさが募り、夢の終わりのようなメロディだが、ドラム・ビートの高まりとともピアニカに近いような掠れたシンセのロング・トーンが心地よい音色を生み出していた。アウスゲイルによるシンセサイザーの音のこだわりを存分に味わうというのも、実りのある音楽体験になりそうだ。

演奏が終わり、アウスゲイルは「Thank you」と観客たちへ静かに話しかけた。ライブを通して、彼はほとんどMCをせず、淡々と曲をプレイしていくが、それが森の闇と相まって没入感を高めてくれた。

フォークトロニカは、荘厳なエレクトロニカと美しい音色のアコースティックなサウンドが重なり、屋内でゆっくり聴く音楽として、北欧の音楽シーンで人気のあるジャンルだ。インストゥルメンタル色が濃く、内省的なその電子音楽は厳かで落ち着いた曲調が多いので、夜のヘブンのような自分と向き合える場所で聴くにはピッタリだ。

メロウな名曲“Waiting Room”では、アウスゲイルはスポットライトを浴びて、ギターを弾き、そのメロディの良さに観客は酔いしれた。“Lazy Giants”はアーバンなサウンドに、どこか80年代を思わせるシンセサイザーの響きが特徴的でテンションが上がる。一度聴いたら耳に残るそのフレーズは、観衆からもひときわ大きな歓声が上がっていた。

“Vibrating Walls”の音が鳴れば、フィールド・オブ・ヘブンの闇に揺れるフジロッカーたちは身体を揺らすスピードを静かに速めた。この曲は、インディー・ポップ・バンドのスーパーオーガニズムによるリミックスVer.がYouTubeに公開されて話題にもなった。低音のリズムが効いていて、夜更けとともに身体を包み込むような感覚に襲われる。

アウルゲイルの曲は荘厳なエレクトリカだけではなく、高揚感のあるメロディとドライブするドラムが爽快な“King and Cross”や、開放感のある「higher and higher」のフレーズが美しい“Snowblind”など、気持ちを直接押し上げてくれる曲も多い。“Snowblind”の後半ではセッションは激しさを増し、その熱量を上げ、低音強めのシンセサイザーの音色も美しかった。

最後は「Last one tonight」とアウスゲイルが終演が近いことを伝え、“Torrent”で美しい音色を奏でて締めた。大歓声に包まれるフィールド・オブ・ヘブン。あっという間だったが、実に彼は計19曲もたっぷり演奏してくれていた。雄大な自然に溶け込むかのようにメロディに浸り切り、どおりで夢心地だったわけだ。しかし、会場のフジロッカーたちは、彼の甘美な音像世界とフジロックの夜をまだ終わらせたくないと、ステージに向かって拍手を続けた。

すると、「Thank you」とギターを持ってアウルゲイルが1人で再登場! 割れんばかりの拍手がヘブンに響いた。アンコールで1曲と、彼はギターのチューニングを終えると、美しく優しいアルペジオをつま弾き、まだ眠れぬフジロッカーたちへの子守り歌のように静かに、そして柔らかく歌い上げ、ヘブン最後の夜は幕を下ろすのだった。

アウスゲイルの澄みわたった音像は、闇夜の森で疲れた身体を静かに癒し、英気を与えてくれる極上のライブ体験となった。また来年もフィールド・オブ・ヘブンでこんな体感がしたいと思わされてしまうのだった。

いやぁしかし、こんな奥行きと深みのあるライブはぜひ寒いシーズンにも観たいし、秋冬あたりに、アウスゲイルと日本のsleepy.abで北国対バンなんてのも良いかもしれない。ともに荘厳な自然を感じさせる音像で相性がいいはずなどと勝手な妄想を膨らませつつ、こうして激闘だったフジロック2023の3日間は終幕し(まだまだ朝まで他のステージではライブはあるものの)、幻想的なシンセサイザーの残響音とともにホワイト・ステージは静かに眠りについた。

<Set list>
1. Higher
2. Borderland
3. Dreaming
4. Lifandi vatnið
5. Summer Guest
6. Like I Am
7. Peð
8. Waiting Room
9. Head in the Snow
10. Lazy Giants
11. Youth
12. Breathe
13. Vibrating Walls
14. King and Cross
15. Snowblind
16. Going Home
17. Bury The Moon
18. Until Daybreak
19. Torrent

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OKI DUB AINU BAND http://fujirockexpress.net/23/p_1686 Mon, 31 Jul 2023 15:39:59 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1686 灼熱のフィールド・オブ・ヘブンに涼しい風を吹かせてくれたのは、OKI DUB AINU BANDだ。アイヌ民族に伝わる楽器「トンコリ」の奏者であるOKI (Vo/Tonkori)を中心としたグループで、フジロックには7年ぶりの登場だ。ステージにはHAKASE-SUN (Key)、Rekpo (Vo/Dance/Tonkori)、OKI (Vo/Tonkori)、Manaw (Tonkori/ Vo/Perc.)、奥に沼澤尚 (Dr)、中條卓 (Ba)が並ぶ。OKIとManawはアイヌの民族衣装を、Rekpoはアイヌ文様の書かれた着物を着て登場した。

まずはトンコリの音をアルペジオでゆっくり聴かせてくれると、“CITY OF ALEPPO”が始まる。どっしりとした沼澤のドラミング、エッジの効いた中條のベース。そのバンド名の通り、ダブ・ミュージックが展開されていく。OKIの奏でるトンコリは自然と共鳴して、空気や風を通すような透明感がある。「神聖な楽器」ともいわれるその不思議な魅力に早くも惹かれてしまった。“Topattumi”ではManawもトンコリを持つ。爪弾きではなくストロークするようなかたちで音が奏でられると、三味線のような強さと濁りを持つ音に変化した。コーンと抜けのよいドラム、ドープなベースライン。語り舞うようなOKIの歌声……音が止むと、そこかしこから「最高!」の声が集まった。

“KON KON”では、観客とOKIが交互に歌うことになったのだが、覚えるフレーズが長くてかなり複雑!OKIは数小節を一気に歌い上げ、こちらに「ハイ!」と簡単に投げかけてくるものだから、びっくりしつつも笑ってしまった。ぎこちなくて自信のない観客の歌ぶりだったけど、両手で丸を作ってOKサインをしてくれるOKI、なんと優しいことか。何度も何度も歌ってみるとコツは掴めて、観客とバンドの距離もぐっと近くなったと思った。

OKIの地元・旭川の遊び歌だという“ムイソー”の輪唱では、Rekpo、OKI、Manawの順に掛け声や言葉を重ねて繰り返していく。耳を済ますと、声でしか構成されていないのに、声の形をしていないあらゆる声が聞こえてきて面白い。祭りのような賑やかさに、心の底から熱い気持ちが沸き上がる。「スキーの歌」と紹介して始まった“ANKISMA KAA KA”は、雪山を滑走していくようなスピード感で爽快なスノー・ダブだった。

Rekpoもトンコリに持ち替えて、3本のトンコリで奏でられる“SAKHALIN ROCK”は、彼らの楽曲のなかでも少し毛色の異なるロック・ナンバーだ。どこかカントリー・ソングっぽさもあり、途中でジャズのような進化もするが、OKIが叫ぶ〈SAKHALIN ROCK!〉の一言は、思わず拳を上に突き上げたくなる。

オーディエンスのラブコールを受け、「滅びかけたトンコリだけど、ご先祖さまも喜んでいるよ!」と喜ぶOKI。自分のルーツを引き受け、表現を選んだOKIの思いが、この一言にあふれ出ている気がした。彼らの音楽は、この世に存在するあらゆる魂を、ありのままに肯定してくれる博愛心に満ちていた。

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民謡クルセイダーズ http://fujirockexpress.net/23/p_1685 Sun, 30 Jul 2023 11:39:59 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1685 最終日、カンカン照りのフィールド・オブ・ヘブン。一発目を飾るのは、民謡クルセイダーズ。日本民謡とラテンの融合を届けてくれる彼らのとっておきのエンターテイメント・ショーが始まった。サポートメンバー含め総勢12人がステージに上がると、“Tora Joe/虎女さま”からスタート。藤野“デジ”俊雄(Ba)のファンキーなベースをバックに、竹ノ子みどり(Vo, Cho)とちゃんゆか(Cho)による招き猫…いや、虎なのか?のかわいい振り付けとともに、オーディエンスは体を自由に揺らしはじめた。

“おてもやん”では、喉を揺らし、ときに語るような、竹の子の歌いっぷりが炸裂する1曲。左右のちゃんゆか、フレディ塚本(vo)は扇子を持ってはしゃぐように踊る。中盤ではIrochi(congas)がコンガを担いでステージ中央に現れ、踊り、ソロプレイを魅せるなど、大所帯だからこそのにぎやかさと楽しさが詰まったような1曲だった。

“ホーハイ節”からは、観客参加型の歌って踊れるターンがが来た。キレのあるホーン隊の音色が響きわたるなか、みんなで歌に合わせて手を挙げたり下げたりする。甲高い「ホーイホイ」という言葉の響きも面白い。MCでは、田中克海(g)の「どうでした?悪くないでしょ?」という言葉に、「最高!」と答えるオーディエンス。「こんなこと、いつまたできなくなるかわからない。だから楽しんでいこう」と“貝殻節”へ。自在に空間を動き回るベースに、甘酸っぱいサックスソロから、パッションあふれるトロンボーンソロへと移行し、それぞれ個性が立つセッションを繰り広げ、会場を湧かせた。

再び竹の子がメイン・ヴォーカルを担う“南部俵積み唄”でそのコブシを響かせると、みんな大好き“会津磐梯山”へ。この日一番の盛り上がりを見せた。パーカッションはラテンのリズムを爆発させ、オーディエンスは解き放たれたようにより大きく踊りだす。ちゃんゆかたちの振り付けを真似たり、カチャーシーのように手をくねらせたり、みんなの踊り方はそれぞれ違って自由でいい。サックス→トランペット→トロンボーンの順でソロが始まると、何巡も繰り返しセッションに磨きをかけていく。ステージの演奏とオーディエンスの踊りが一体となった景色はきれいで、「こういう光景を見たかったんだ!」と感情が爆発してしまった。

ラストの“炭坑節”では、アウトロに被せるかたちで「今夜月が出た、フジロックに出た」のようなフレーズが差し込まれ、フィナーレを迎える。まだ暑い中で見えない月を想像しながら、私達は思い思いに盆のダンスを楽しんだ。

たとえば地球の真裏で鳴らされているような音楽でも、よく聴いてみると、すぐ身近で鳴っていた民謡とどこか共通点があったりする。民謡クルセイダーズは、そんな音楽の奥深さと、ボーダレスな魅力を教えてくれるのだ。

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ROTH BART BARON http://fujirockexpress.net/23/p_1687 Sun, 30 Jul 2023 11:12:08 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1687 最終日15時過ぎのフィールド・オブ・ヘヴン。ここには今年初めて訪れたが、やはりわざわざ一番奥地のステージを選んで集まった人々が織りなす独特の雰囲気が好きだ。そして彼らはそんな空気にぴったりだと思っていたので、ずっとずっとここで会えることを待ち望んでいた。多分似たようなことを思っていた人は多いんじゃないだろうか。ROTH BART BARONの7年振りのフジロックのステージが幕を開ける。

まずは最新アルバムの表題曲“HOWL”からライブはスタート。ボン・イヴェールのようなインディー・フォークのニュアンスを巧みに取り入れながら、7人編成のバンドが織りなす力強いアンサンブルは、生命の胎動といったような躍動感をまとっている。ドライヴ感溢れる“春の嵐”や、西池達也(Key)のシンセと工藤明(Dr)のキックに合わせて手拍子が巻き起こった“K i n g”でも、3拍子でも4拍子でも好きなように揺れていればフィットする、各々の身体のリズムを呼び覚ますような懐の深いバンドサウンドが、ヘヴンのフィールドに鳴り響いている。

“霓と虹”が終わったあたりで、照りつけはじめる太陽。そして“赤と青”で三船雅也(Vo / Gt)がゆらめくように歌う「赤と青 その手を繋いだなら どんな色だって 作れるはずなんだよ」というフレーズに僕は早くも目を潤ませてしまう。ROTH BART BARONのライブを観るたびに感じることなのだが、三船が歌う言葉には、例えば(でもそれができないのはなぜ?)といったような憂いのトーンが感じられて、この世界が、あるいは僕らや三船自身がどれほど残酷で醜いのかを暴きだし、心の奥底の触れないでいたい部分にあっさりと触れてくる。何か見透かされたような気持ちにもなってしまう。

それでも彼の歌は、「僕はここにいるんだ、ここにいていいんだ」と誰もが感じるような肯定感に満ち溢れている。コロナ禍でアイナ・ジ・エンドとのユニットA_oの楽曲にも何度も勇気付けられた“BLUE SOULS”も、ROTH BART BARONのアルバムアレンジがヘヴンによく似合い、ただただ手を振り上げ喜びに身体を震わせる僕らがいる。残酷さや醜さから一切目を逸らさないからこそ、彼の歌う希望の言葉がスッと胸を打つのだろう。

そして「10年分の想いを込めて歌います」と語り、初期の代表曲のひとつ“化け物山と合唱団”を演奏するROTH BART BARON。神戸のライブでLPを買ったなあなんて思い出も浮かんできたものだが、バンドの躍動感は当時よりも飛躍的に進化しているようで、ザック・クロクサル(Ba)の堅実なベースに乗せて、優河 with 魔法バンドnever young beachのステージにも出演した岡田拓郎(Gt)のジョニー・グリーンウッドを思わせる荒々しいギターが生み出した混迷の後、三船の歌声が空に抜けていくのには感極まってしまったものだ。

アンプのジーっという音が聞こえるほどの静寂ごと奏でているような情感があった“糸の惑星”に続いて、岡田のギターと竹内悠馬(Tp)のトランペットや大田垣正信(Tb)のトロンボーンの絡み合いが冴え渡った“Ubugoe”と、どんどんと深みを増していくフィールド・オブ・ヘヴンの空気感。代表曲となった“極彩 | I G L (S)”や“けもののなまえ”では、感極まったように思い思いに手を振り上げて踊る僕らの姿がそこにはあった。三船も「この景色が本当に美しいよ」と言っていた、それぞれの心と身体が織りなす極彩色の光景。どこかから湧き上がった「最高!」という歓声に、さも当たり前のように「あなたたちが最高なんじゃないですか」と応える三船の姿にも心からグッときたものだ。

思えばフジロッカーズ・オルグ主宰の花房浩一が、グラストンベリー・フェスティバルを語った記事や3日前の前夜祭でも「フェスティバルはみんなでつくるもの」「生きているって実感する場所」といったことを話していたが、ROTH BART BARONのライブを体感しながら、そのことがスッとつながったような気持ちになった。最後の“鳳と凰”で三船が僕らのもとまで降りてきて巻き起こったシンガロングは、7人のバンドメンバーだけではなく、ここにいるすべての人が主人公なのだと讃え合うような喜びに満ちている。惜しみない拍手が鳴り渡った終演後にも、僕は輝いているみんなの表情をしばらく見渡していた。居合わせてくれたすべての人に心からありがとうと言いたい。僕らは確かに今日ここにいたのだ。

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MOROHA http://fujirockexpress.net/23/p_1789 Sun, 30 Jul 2023 04:11:29 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1789 キャンドルの灯が優しく光る、0時前のPyramid Garden。周りは寝静まり、ゆったりとした雰囲気。2日目のトリ。後方まで満員。後ろのカーテンから、UK、アフロの順にステージに登場し、「MOROHAと申します!よろしくどうぞ!」というアフロの大声で、会場にはピリッとした緊張感が走る。

アコースティックギターの強気なイントロが流れたと思えば、“チャンプロード”。ひとつひとつの魂が込められた言葉たち、大きな身振り手振り、掛け合いのようなギターの音が目も耳も奪う。特にMOROHAの2人にとってはフジロックの出演は特別なものなのだと思う。深夜だからとか、Pyramid Gardenだからとか、そういうことは一切関係ない。1時間1本勝負。目の前の私たちに向かって、本気でぶつかり、何かを訴えかけようとするのがわかる。
しんみりとしたギターのサウンドから始まる“革命”。この曲を聴くと、自分の人生でも何か大きなことが起こるんじゃないかといつも思わされる。言葉のままの意味が心にダイレクトに届くアフロの強すぎる言葉たち。人生は上手くいかないことばかりで、失敗のほうが多いのだと思う。だからこそ、響く。自分みたいな人間でも何かできるんじゃないか。今より明るい場所に導いてくれるような熱気が、あのステージの上にはあった。

前回のPyramid Garden出演後、Twitterでエゴサーチをしたら「うるさかった」「眠れなくなった」という苦情ばかりだったという。ささやかな笑いが起きたと思えば、「キャンプサイトの皆さん、おはようございます!!!!!」と今までで一番の大声で挨拶をするアフロの姿には笑ってしまう。今回も絶対に苦情の嵐になってしまうじゃないか!(笑)
“俺のがヤバイ”では、フジロックのこのステージに合わせた歌詞に変えて雄叫びをあげる様子には、歓声が上がる。そのあとは、“勝ち負けじゃないと思える所まで俺は勝ちにこだわるよ”、“tomorrow”が続く。泥臭いな、と思う。暑苦しいな、とも思う。だからこそ、すべてが突き刺さる。抑揚のつけられたひとつひとつの言葉を絶対に聞き逃したくない。息をのむのを忘れてしまうほど、ステージの2人を見入ってしまう。後ろから男性がアフロを後ろからぎゅっと抱きしめるシーンもあったが……あれは誰だったのだろう。

どうしても切り離せない家族との苦い記憶を描いた歌詞を温かいメロディに乗せた“ネクター”、ライブができないコロナ禍で感じた葛藤を謳った“主題歌”は、6月にリリースされたばかりの新アルバムからの2曲。経過していく時間に比例して身振り手振りがどんどん大きくなっていくアフロ。身体を目いっぱいに使い、全身全霊だからこそ遠くから眺める観客たちにも伝わる。最後のMCでは、「どんだけすごくない奴かもわかって欲しい」「俺たちがどんな人間なのか見てやってください」と言っていた。かっこつけず、自分に近い距離の感情を歌うからこそ、魅了され、心を鷲掴みにされるのだ。

悔しくて眠れない夜を描いた“夜に数えて”のあとは。“エリザベス”と、“六文銭”。すべての力を振り絞って最後まで、細部まで気を抜かず、駆け抜けるようにギターをかき鳴らし、歌い終える。MOROHAのステージはいつも優しく背中を押してくれる。あと1日経てばフジロックも終わって再び日常に戻っていく。それでも何かできるかもしれない。才能なんて、何度失敗したって関係ないのかもしれない。私だって頑張らないと。いつもそんな風に思わされる。Pyramid Gardenは温かな拍手に包まれていた。

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COPPE http://fujirockexpress.net/23/p_1788 Sat, 29 Jul 2023 17:04:31 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1788 DJ ZAMIANG http://fujirockexpress.net/23/p_1787 Sat, 29 Jul 2023 14:18:47 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1787