“名塚麻貴” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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知ればより美味しいフェスごはん http://fujirockexpress.net/23/p_9108 Wed, 02 Aug 2023 15:18:44 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9108 今年のフジロックではおいしいフェスごはんを堪能できましたか?私は2年連続アヴァロンの牛すじビリヤニを食べ逃し、悔しい思いをしております。もう売り切れって言われたけどワンチャンいける可能性を信じて並んでいたお姉さんは無事に買えたのかな。

フジロックは仲間と行っても一人で行っても、音楽を聴かずに川で遊んでも、ドラゴンドラに乗ってソフトクリームを食べてもOK!なのが良いところだと思っています(私は自由を求めて会場でNintendo Switchをやってみたりもしました。来年は誰かと対戦したい)。

どんなに過ごし方が違っても大抵の人は会場で食事をします。物価上昇も影響してジワジワ値上がりするフェスごはん、せっかくなら美味しく食べたい。それなら店の思いを知ればより美味しくなるのでは?!という考えのもと、限られた数ではありますが現役出店者と元出店者の方々にインタビューをさせてもらいました。この記事を読んでくれている食いしん坊の皆様へ、改めてご紹介します。

[元出店者の方々]

伝説の場外の飲み屋横丁、カドヤの店主 愛一郎さん

実は一年目が大失敗だったという話から、ぶっちゃけなんで出店やめちゃったんですか?という話までお聞きしました。エキスプレスではカドヤ初出店じからインタビューをしているのですが、いつもニコニコしていてお名前の通り愛とパワーのある人だなと思います。

去年までオアシスにあったビッグケーキから、バー部門 松田さん、カフェ部門 梶谷さん

好きなお店だったので贔屓してます、2人にお話を聞かせてもらいました。それぞれバラバラにお伺いしたのに2人とも店長のワタルさんについて語られていて、信頼できる仲間がいるからこそお店を回せるんだなという印象を受けました。あとは日高さんの鶴の一声ってすごいな〜というエピソードもあります。

[現役出店者の方々]

東京都内まで船で24時間かかる小笠原から来ている30’sさん

そんじょそこらのソーセージを売っているところ天国のお店って実はすごい長旅を経て会場に来てるんですよ。どうやって食材を準備してるの?スタッフも全員はるばるやってくるの?という話を聞いております。ところ天国の各店舗が良い関係性を築いているのも素敵です。

窯と薪で焼くピザの店、ピットーレの伊佐男さん

野外フェスでは規格外なのでは?というくらい本格的なピザのお店。イランで仕事してから北イタリアに行ってピザの勉強をし、現在はバリ島に住んでいる…とこれだけでも盛りだくさんなピット―レの代表取締役、伊佐男さんにお話を聞きました。修行時のお話や、ピザ窯やらお店やらどうやって準備しているのかのお話をお伺いしています。

以上、飲食店・元飲食店の方のインタビューの紹介でした。写真はフジロック終了の次の日に行ったピットーレの岩原本店での様子、会場で食べられるものじゃなくてゴメン!生野菜最高!エキスプレススタッフが自腹で買ったご飯の忖度なしのレポート、フジメシュランも来年何食べようかな〜と考えながらご覧あれ。
今年もごちそうさまでした!

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タイ焼きそば http://fujirockexpress.net/23/p_8302 Sun, 30 Jul 2023 19:30:30 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=8302 店名:アジア屋台メシ spice
エリア:YELLOW CLIFF
メニュー:タイ焼きそば(800円)

最終日に仕事を終えてパレスに寄った午前4時半、YELLOW CLIFFでは商品売切れのためか閉めている店もチラホラ。そんな中大声で呼び込みをしていたお店を発見!タイの焼きそばってどんな感じ?ソース焼きそばの麺みたいなやつかな?と思って注文したら会計スタッフさんが調理担当に「パッタイ入ります〜」と言ってて、食べる前にネタバレしました。そう、タイ焼きそばはパッタイです。

できたて熱々ではなかったのが残念ですが、朝方の空腹タイムに食べるにちょうど良い優しい味と具材でした。

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フジロックでスプラトゥーンできるか試してみた http://fujirockexpress.net/23/p_7386 Sun, 30 Jul 2023 15:45:52 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7386 フジロック期間中は仕事のお休みを取って苗場に来ている社会人の方々も多いかと思います。せっかくの休み、自然の中で思いっきり楽しみたいですよね。何をしようかな〜。よし!そうだ!ゲームをしよう!!大自然の中でビールを飲んだらいつもより美味しく感じるように、ゲームだって大自然の中プレイするといつもより楽しいのでは…?!ついでにテザリングでゲームがどこまでできるかの検証をしてみることにしました。

まずはプレイする場所の選定が必要です。私の携帯キャリアはdocomoなのですが、オレンジカフェの一番奥で5Gの表示がありました。5Gならいけるかもということで、緑の上に腰をおろして任天堂の優秀なポータブルゲーム機、Nintendo Switchを取り出します。オンライン対戦ができたら面白いかなと思ったのでソフトはスプラトゥーン3をチョイスしました。あの人何してるんだろうという周りの目は気にしてはいけません。

結果、スマホではネットワークに繋がりもしませんでした!テザリングのネットワークを選んだ時点でわりとすぐエラーになって弾かれてしまいました。ここに飛んでいる5Gとは一体何なのか…。その後試しにポケットWi-Fiで繋いでみたところすんなり繋がって無事に一戦することができました(バイトのWave2でゼンメツ…)。ちなみに場所が悪いのだろうかと思ってグリーンとホワイトの間でもう一度テザリングを試みましたがやはりエラーで繋がりませんでした。ゲームしたい人はポケットWi-Fiを持ってこよう!

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トリニータ http://fujirockexpress.net/23/p_6575 Sun, 30 Jul 2023 14:18:58 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6575 店名:30’s
エリア:ところ天国
メニュー:トリニータ(1100円)

3日目の昼過ぎに通りかかったら看板メニューの「そんじょそこらのソーセージ」はすでに昨日で完売してしまったとのこと。売り切れが早くて残念でしたが、このトリニータがありました。トマトベースの優しい味のスープに、ゴロッとしたジャガイモと温玉、パスタが入っています。炭水化物でかさ増しされているようなメニューだとがっかりしてしまうのですが、このトリニータは具材のバランスが完璧でした。温玉を崩してパスタに絡めるとさらに優しい味になって疲れた体が癒されました!

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フォー http://fujirockexpress.net/23/p_8451 Sun, 30 Jul 2023 13:32:52 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=8451 店名:たかお食堂
エリア:OASIS
メニュー:フォー(1100円)

日曜日の夜、LIZZOが終わった瞬間に汁物が食べたくなってダッシュでオアシスへ。終わった直後で辿り着けるならまだほぼ混んでいません。肉肉しいものを受け付けなくなってくる日曜日、このフォーに使われているお肉はひき肉なので疲れた胃にも優しいです。他のスタッフによると売り切れていた時もあったそう。量・具材のバランスともに今求めてたもの!という感じで満たされました。

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小笠原よりフジロック初参加 http://fujirockexpress.net/23/p_7211 Sun, 30 Jul 2023 13:30:55 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7211 ところ天国の30’sの出店手伝いで小笠原の父島からやってきた忠さん。ファンクラブに入るほどの矢沢永吉ファンだそうですが、出店手伝いの話がきまったあとに永ちゃんの出演が決まって周りからは「持ってる!」と言われたそう。出店の合間を縫って永ちゃんのライブは最前列で見ることができたそうで、聴きたかった曲も聞けて大満足だったようです。
あと少し、出店作業頑張ってください!

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カレーを食べにきたよ http://fujirockexpress.net/23/p_7181 Sun, 30 Jul 2023 13:21:26 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7181 元同じ職場でフジロックベテランと初参加という組み合わせのおふたり。音楽の趣味はまったく同じというわけではないそうですが、お互いが好きなものはお互いにいいなと思ったりするそう。

アヴァロンのビリヤニとハイジのカレーをそれぞれ並んでいたら、ビリヤニの方はすでに列に並んでいる人までで売り切れてしまったとのことで、おふたりとも並んでハイジカレーを買っていました。今年は奥側のお店のメニューが売り切れるの例年より早かったですよね。ご飯タイムにお話聞かせていただきありがとうございました!

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元出店者インタビュー:ビッグケーキ梶谷さん http://fujirockexpress.net/23/p_8269 Sun, 30 Jul 2023 12:47:51 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=8269 我々の胃袋を支えてくれるフジロックの飲食店の中から、ここは!と思う店舗のお店の方にお話を聞くインタビュー企画。元出店者でフジロックに遊びに来ている人は何を思っているのか、長年出店していてどんなことがあったのかを、去年までオアシスにあったビッグケーキで働いていた梶谷さんにお話を聞きました。岡山から毎年車で大きなエスプレッソマシンを運び、十数年美味しいコーヒーを淹れてくれていた方です。

※同じく元ビッグケーキのバー担当、松田さんのインタビューはこちら

初出店のときのことを教えてください
2009年に初めて出店したときは、ファミレスにあるコーヒーサーバーみたいなものを持って行きました。それでその年に会場をぐるっと回ったら、豆から液体にするまでのプロセスがちゃんとしているコーヒーを出してる店が僕の目からはわからなくて。エスプレッソマシンを持っていったら絶対お客さんが喜んでくれるなっていう感覚がありました。そこから色々と情報仕入れてお店と同じクオリティのものが出せると思ったときは嬉しかったのを覚えています。やっていることは小さいけど、チャレンジングだなってワクワクしましたね。

出店していて大変だったことはありますか?
エスプレッソマシンが壊れたことです。ある年の金曜日、開店前まで動作確認はOKだったんですけど、お客さんが来る30分前にテイスティングしようとしたらマシンからバキって音がしたんですよ。水と蒸気がプシュー!って出て動かかなくなったときには、その時用意してた豆80kgがゴミに見えましたね(笑)。それで、どうせ壊れてるんだったらなにやっても一緒だろうと思って色んなパーツを組み替えたりつなぎ直したり…あれこれやってたら何かが外れて水がブシュー!ってなって直って。ハイタッチ!イエー!でしたね。お客さんが来る前に直ったので良かったです。翌年エスプレッソマシンは買い替えましたね(笑)。

高級品であるエスプレッソマシンを持ってきていたのは当時ビックケーキだけだったんじゃないかなと記憶してます
実をはエスプレッソマシンって動かすのに別で動力を借りないといけないんですよ。3日間で10万円くらいかかりますが、美味しいコーヒーを出そうとしたらやっぱりそれを借りないとダメなので毎年レンタル代を払ってました。そしたらその話を聞いた日高さんが「コーヒーを淹れるだけのために電気代10万かかるってどういうことだ。コードの一本くらい引っ張ってこい!」て言ってくれて。その一言で翌年から動力を借りなくて良くなりましたね。

今年は出店されていませんが、どのように過ごしていますか?
昼まで宿で寝て、ご飯に行ったり温泉に行ったりしています。今日は塩沢にある邪宗門って喫茶店に行きました。そこでコーヒー飲んで、チーズケーキ食べて夕方パレスに来ました。ずっと出店していたのでフジロックで今まで遊んでないんですよ。

今後出店するつもりはないのですか?
そうですね。でも何かあれば前向きに考えますが、前みたいにエスプレッソマシンを操ってお店に立つというのとは変わるでしょうね。あとは(ビッグケーキ店長の)ワタル君を通してじゃないと話は進めないと思います。フジロックに行くのは大切かもしれないんですけど、僕の中では誰と行くかが大切でしたね。

コロナで当たり前のフジロックが当たり前じゃなくなって、明日陽が昇るのと同じくらい当たり前にフジロックに行く予定だったのが、ちょっと狂って。今は長い長い青春が終わったような感じです。今後出店がないのはちょっと残念だなとは思いますけど、やり残した感はないですね。すべてが納得できてるかっていったら違いますけど、でも概ね良しですね。

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元出店者インタビュー:カドヤ店主 愛一郎さん http://fujirockexpress.net/23/p_7536 Sun, 30 Jul 2023 10:55:49 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=7536 我々の胃袋を支えてくれるフジロックの飲食店方にお話を聞くインタビュー企画。現役出店者から聞けないぶっちゃけ話も元出店者の方からなら聞けるのでは?ということで今回お話を聞いたのは、5年ほど前まで場外にあった飲み屋横丁、カドヤの店主の愛ちゃんこと愛一郎さんにお話を聞きました。

カドヤ初出店で記憶に残ってることはありますか?
10年前に出店が決まったときに周りから色んな話を聞いたんですよ。フジロックに出店したら儲かるよとか、常に売り続けないといけないとか。そういう話を全部鵜呑みにして、ポカリとか何十ケースも用意したんですけど、実際やってみたら全然そんなことなくて。他のイベントの出店に比べたら過酷な環境だし勝手も全然わからないし、在庫の山を抱えて大失敗でした(笑)。いやぁ、本当にやりすぎましたね。一年目はすごい絶望感で帰りました(笑)。

それでも次の年にまた応募したのはどうしてですか?
次の年は、やりたかった形があったので応募したんですよ。一年目のダメージも引きずってたんですけど、さらに規模が大きくなるから、これで失敗したら終わりだくらいの気持ちでやりました。受かったことが嬉しくもあり、恐くもありましたけど、あの感じになったんで良かったですね。
カドヤは常に人が集まる人気店に

二年目のカドヤは木造の骨組みで、飲み屋横丁の雰囲気がありましたよね
その当時ってどのイベント行ってもその作りはダメって言われたんですよ。でもフジロックは決まりの中だったら何でもやっていいというようなことを言ってくれたので、思いっきり作ったのがあのカドヤでしたね。でもあの形は散々やったので次もしフジロックでやるなら違う形でやりたいんですよね。

フジロックにまた出店可能性があるっていうことですね!
出たいと思ってるからまだこうやってフジロックに来てるっていうのもあります。でもコロナで実店舗の方も一回ガタガタになって…出店ができるようになるには時間はかかると思うんですけど、また出たいなという気持ちを込めてフジロックには来てますね。

そもそも出店を辞めた理由は何だったんでしょうか?
出店を辞めたのは、落ちたからです(笑)。でもそうこうしている間にコロナが始まって、イベントへの出店自体を全体的に止めてる感じです。ここでまたフジロック出店をすぐ再開する気もまだあんまりなくて。全部のお店がちゃんと回ってスタッフもいて、また良いチームが作れたら来たいなと思います。


店舗情報

八雲食堂
〒603-8225 京都市北区 紫野 南舟岡町73-18
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※立ち飲みカドヤは現在お休み中とのこと。お隣の八雲食堂へGO!

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