“小林弘輔” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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きゃりーぱみゅぱみゅ http://fujirockexpress.net/23/p_1668 Mon, 31 Jul 2023 21:46:56 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1668 グリーン・ステージではリゾが愛の溢れるパフォーマンスを披露し、ついに前夜祭から4日間を過ごしたフジロック’23も終わりが近づいている。今年は暑くて暑くて仕方がなかったし、むしろちょっとくらい雨降ってくれよという感じだったが、ひとまず無事に過ごせてよかった。みんな本当にありがとう。

なんて言うのはまだ早い。今年は夜通し朝まで楽しみたい。パレスにも行きたいしGAN-BAN SQUAREも気になる。まだ食べてないご飯も色々ある。フジロックへの出演は少し異色な感じはするが、そんなこれから迎える最終日深夜へのワクワクとソワソワに最高にぴったりな気がするし、ある意味では僕が今年最も期待していたきゃりーぱみゅぱみゅ(以下、きゃりー)が、もう少しで登場する。23時定刻の5分前くらいにレッド・マーキーに入るとすでに人でごった返していて、何とかPA横くらいにたどり着いた。

そんなタイミングで前の方から突如きゃりーコールが始まり、レッド全体に即座に伝播した時はもう面白すぎて笑ってしまった。そしてDJと4人のダンサーに続いてついに登場したきゃりー。当然のように大歓声が巻き起こる中、開幕は「きゃりー!きゃりー!」と連呼する“DE.BA.YA.SHI.2021”。あ、さっきのコールはそういうことか。最初に叫んだあんた、相当気合い入ったファンじゃんか。

とか思いつつ、「ファッションモンスター!」と歌う入りで一瞬勘違いさせるニクいことをしてくる“CANDY WAVE”で、お祭りをキックオフ。めちゃくちゃ速いBPMのエレクトロ・ポップサウンドに早速ブチ上がるレッド・マーキー。

“どどんぱ”ではかなり重いビートがレッドを揺らす中、きゃりーの歌に合わせて「どんち どんち どどんち どんち ちきどん」の文字がポップにフラッシュするスクリーン。こんなのもう疲れも相まってテンションもバグってくる。

そして“原宿いやほい”でもきゃりーとダンサーを真似るように手を挙げて「ほい!ほい!」とレッドのみんなが叫んでいる。いや、誇張じゃなく本当に見渡す限りみんな手を挙げて叫んでいる。ものすごい数のエネルギーがステージの方向に向かって飛んでいっている。こんなに一体感のあるレッドなんて見たことがないよ!

ステージのダンスが映える“一心同体”に続いて、ピンクの扇子(でいいのかな?お姫様が持ってそうなやつ)を持ち出した“パーフェクトおねぃさん”。このあたりはサウンドは少し抑えめになって、みんなピンクなのもあってCHAIのライブとも感覚が似てるところがあるなーなんて考える余裕もあった。

それから少しビートが重い“PON PON PON”ではみんなでぽんぽんぽんするわけだし、「みんな!忍者って知ってる?Do you know Ninja?」と投げかけた“にんじゃりばんばん”や、カラフルなスクリーンが映える“CANDY CANDY”でも、レッドのみんなは見よう見まねで振りを真似まくってる。僕の前にいたお姉さんは振りがキレッキレで、それもまたテンションが上がるってもんだ。

終盤ではスローな入りから徐々に加速していく“つけまつける”や一際歓声があがった“もったいないとらんど”など、さらに勢いを増すヒットチューンの連発体制。ここで「デビュー12年目にして初フジロック、音楽で心を一つにできたことが本当に嬉しいです」と語り、「フジロックまた出てもいいですか?」にはもちろん大歓声!そして「私史上一番“ロック”な曲」の“ファッションモンスター”で、まったくとどまることのないきゃりーのステージは最後まで一直線に駆け抜けていった。もう45分たったの?早すぎでしょ。

ミックスがとても巧みだったからか、ずっと踊ってたのにまったくもってノーストレス。後で知ったことだが、この日のノンストップDJミックスは、中田ヤスタカが特別に作り上げたオリジナルミックスだそう。さすが世界のヤスタカ。そしてそのミックスを200%くらいに引き出すきゃりーを存分に堪能させてもらった。サマー・ソニックなどで何度か観ていたきゃりーのステージだが、最終日深夜のテンションも相まって受け取る感触はまったく違っていて、これはコーチェラやプリマヴェーラで世界を虜にするのも納得の、ポップの極致みたいな時間がここにはあった。

僕は「音楽で心を一つに」という言葉がかなり印象に残っていて、これほどの一体感を体験すると、これこそが最強のラブ&ピースなんじゃないかと思えてくる。タイムテーブル発表の時点ではそれほど意識しなかったが、リゾから続く流れもかなり絶妙だ。やっぱり実際に体験しなきゃわからないんだよなあ。踊りに踊ったレッドのみんなが、これから始まる深夜に解き放たれていく口火を切った、最高に刺激的なパフォーマンスだった。来年も来てよ!

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THE BLESSED MADONNA http://fujirockexpress.net/23/p_1671 Mon, 31 Jul 2023 12:18:40 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1671 Francois K. http://fujirockexpress.net/23/p_1672 Sun, 30 Jul 2023 19:50:34 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1672 Seiho http://fujirockexpress.net/23/p_1826 Sun, 30 Jul 2023 19:45:44 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1826 TAKU INOUE http://fujirockexpress.net/23/p_1825 Sun, 30 Jul 2023 19:32:07 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1825 YUNG BAE http://fujirockexpress.net/23/p_1670 Sun, 30 Jul 2023 18:18:25 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1670 膝と足が徐々に死んでくるフジロック最終日の深夜1時。朝まで残っている人が例年よりも多い印象を受けるが、ここRED MARQUEEのYUNG BUEで体力の限界を超えるまで踊り尽くして2023年のフジロックを後にした方も多いのではないだろうか。明日から普通に働く人もきっといるんだろうな。しかし、問答無用!明日の予定なんてどこかに吹っ飛んでしまうほど、踊り狂ってしまった!

GINGER ROOTの昭和歌謡番組のようなライブが終われば、ほとんど転換もなしに耳にガツンとくる爆音がステージから鳴る。YUNG BAEだ。まずは、“Welcome To the Disco”。アニメ・セーラームーンのレトロなコラージュされたMVには見覚えがある方もいるのではないだろうか?Future Funkといえば、セーラームーン!という印象も強くありはするけれど……。Air Powerの同曲をがっつりとサンプリングし、わかりやすいディスコブレイクが容赦なく躍らせに来る。この分かりやすさがうれしい。これだよ、これ!そう思いながら、身体が自然に揺れる。

それから、“I Can Tell”、“Party In ME”と、スクリーンにはチープで中毒性の高い映像を流しつつも、クラップ&ハンズを起こし、飛び跳ね、音楽と身体が溶け合っていく。
YUNG BAEといえば、音源としてはかなり爽やかにまとめている印象が強い。ここ最近は特にそのように思うが、実際に蓋を開ければ重低音はゴリッゴリ、ここはクラブかと勘違いしそうなほどRED MAQUEEをぶち上げていく。だって、アルバムのジャケットとか見ました?こんな殺傷能力高い音出すなんて思わないじゃん!日本のアニメや80年代シティポップを好きだからこそ、この光景を見るまで、「彼、オタクなんだろうな……。」とか思っていてすみません。容赦なく煽るし、会場のあげ方もまあ~上手い!こんな爆音の前では、先ほどまで感じていた眠気も疲労もすぐに吹き飛んでしまう。

Megan Thee Stallionの“Sweetest Pie”やVillage Peopleの“Y.M.C.A.”が突然流れ、観客全員でお決まりのポーズ!なぜこの曲!?と思わなくはないが、楽しかったらそれでOK!自身の楽曲“Bad Boy”から“Wonder”へのナチュラルな流れには思わずうなる。“Must Be Love”では、音楽が突然止まるというハプニングに見舞われたものの、マイクを使って喋りながら対応。慣れたものですよ。まったく焦りを見せない姿も場数を踏んでいるからこそなのかもしれない。

“Disco Body Parts”や“Fight Me Demons”では、ステージを降り、観客たちとともに飛び跳ね、騒ぎ、声をあげる姿はどこまでも盛り上げ上手!途中、やっぱり登場したセーラームーンの映像にも思わずうれしくなる。これぞ、Future Funk最前線!もう身体はヘロヘロのボロボロ。体力のすべてを絞り取られてしまった。深夜の時間に汗だくになるまで踊り尽くすなんて思ってもいなかった……!

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Timephazer+ (Daigo Sakuragi “D.A.N.”) http://fujirockexpress.net/23/p_1823 Sun, 30 Jul 2023 17:37:28 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1823 GINGER ROOT http://fujirockexpress.net/23/p_1669 Sun, 30 Jul 2023 16:48:45 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1669 背後のスクリーンに夜景のアニメーションと「姜根」の2文字が浮かび上がると、観客たちからは大きな歓声が上がる。最終日のLIZZOも終わっちゃいましたね。でも夜はまだこれから!0時のRED MAQUEEはエネルギーに満ちている。

まずは、“City Slicker”。ポップでリラックスできるサウンドは深夜がよく似合う。キャメロンのシャウトもバッチリ決まる。GINGER ROOTのメンバー構成はちょっと不思議。演奏をする3人が登場したと思えば、カメラマンがステージ上を駆け回りながらそれぞれのメンバーを撮影している。どうやらこのカメラマンも今日のメンバーらしい(と、いうか彼が一番ステージ上を動き回り、かなり大変そうに見えた)。背後には80年代歌謡曲番組の演奏シーンを模したレトロな映像がリアルタイムで流される。オーバーなカメラワークは、確かに“日本のテレビ番組あるある”なネタとして記憶に残っている。初登場でありながら、掴みはバッチリ。すでにニヤっとしてしまう演出の連続である。

“Entertainment”では、赤い受話器をマイクにし、通話時のこもった声が聴こえる。ピアノのサウンドにうっとりしつつも、ときにソウルフルな野太いベースがうなり、ドラムのアレンジも光る。演奏後は、なんとステージ上に肩パットゴリゴリの昭和節全開のマネージャー(役)の女性が出てきて、キャメロンに架空の清涼飲料水『ジンジャーフレッシュ』の宣伝を迫る。コントとでもいうべきか、今までのフジロックではなかなか見られなかった光景かもしれない。温度差のある2人の掛け合いには、大きな笑いが起きる。
これまた80年代を彷彿とされる架空のニュース番組でGINGER ROOTが行方不明になり捜索されている報道がスクリーンに流れたあと、すぐ目の前で本人が“Holy Hell”でピアニカを平然と演奏している場面はシュール過ぎて思わず笑いがこみ上げ、“Juban District”では中森明菜の“スローモーション”を披露!観客からは合唱が起きるが、「みんな、助けて!」というキャメロン。歌詞が飛んでしまったようで、皆が微笑みながら合唱のボリュームを上げていく。

“Loneliness”では、なんと日本のトップアイドル・竹口希美子に扮したアマイワナが登場し、キュートな歌声を披露!本当に昭和歌謡番組に出演中のアイドルがすぐそこにいるみたい!ミラーボールが輝けば、大きな歓声があがる。キラキラとしたにキャメロンのシャウトが会場のボルテージを更にあげた“Nisemono”、MVでお馴染みのアニメーションがスクリーンに映し出された“Everything’s Alright”と会場はノリノリ。身体が自然に揺れ、気持ちがいい。「カバーをやります!」というMCを合図に、GINGER ROOTらしいローファイポップな解釈を引き継いだままの“東風”、TIGHTEN UP”、“RYDEEN”、“君に、胸キュン。”とYMOのカヴァー祭り!!!これはうれしい!

最後となった“Loretta”では昭和風のマネージャーに扮した女性がサックスを弾く姿におったまげ、“Weather”での「I!!!!」というコール&レスポンスと最後の最後まで驚きと可笑しさと楽しさが続く。カメラマンがステージを離れ、観客たちの様子を映した様子も、本当に歌謡番組みたい。ずっと笑いっぱなし、ニヤッとしてしまう。日本人の誰しもがどこか懐かしさを感じずにはいられないユニークな時間だった。

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菊地成孔(新音楽制作工房) http://fujirockexpress.net/23/p_1726 Sat, 29 Jul 2023 21:43:43 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1726