“梶原綾乃” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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OKI DUB AINU BAND http://fujirockexpress.net/23/p_1686 Mon, 31 Jul 2023 15:39:59 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1686 灼熱のフィールド・オブ・ヘブンに涼しい風を吹かせてくれたのは、OKI DUB AINU BANDだ。アイヌ民族に伝わる楽器「トンコリ」の奏者であるOKI (Vo/Tonkori)を中心としたグループで、フジロックには7年ぶりの登場だ。ステージにはHAKASE-SUN (Key)、Rekpo (Vo/Dance/Tonkori)、OKI (Vo/Tonkori)、Manaw (Tonkori/ Vo/Perc.)、奥に沼澤尚 (Dr)、中條卓 (Ba)が並ぶ。OKIとManawはアイヌの民族衣装を、Rekpoはアイヌ文様の書かれた着物を着て登場した。

まずはトンコリの音をアルペジオでゆっくり聴かせてくれると、“CITY OF ALEPPO”が始まる。どっしりとした沼澤のドラミング、エッジの効いた中條のベース。そのバンド名の通り、ダブ・ミュージックが展開されていく。OKIの奏でるトンコリは自然と共鳴して、空気や風を通すような透明感がある。「神聖な楽器」ともいわれるその不思議な魅力に早くも惹かれてしまった。“Topattumi”ではManawもトンコリを持つ。爪弾きではなくストロークするようなかたちで音が奏でられると、三味線のような強さと濁りを持つ音に変化した。コーンと抜けのよいドラム、ドープなベースライン。語り舞うようなOKIの歌声……音が止むと、そこかしこから「最高!」の声が集まった。

“KON KON”では、観客とOKIが交互に歌うことになったのだが、覚えるフレーズが長くてかなり複雑!OKIは数小節を一気に歌い上げ、こちらに「ハイ!」と簡単に投げかけてくるものだから、びっくりしつつも笑ってしまった。ぎこちなくて自信のない観客の歌ぶりだったけど、両手で丸を作ってOKサインをしてくれるOKI、なんと優しいことか。何度も何度も歌ってみるとコツは掴めて、観客とバンドの距離もぐっと近くなったと思った。

OKIの地元・旭川の遊び歌だという“ムイソー”の輪唱では、Rekpo、OKI、Manawの順に掛け声や言葉を重ねて繰り返していく。耳を済ますと、声でしか構成されていないのに、声の形をしていないあらゆる声が聞こえてきて面白い。祭りのような賑やかさに、心の底から熱い気持ちが沸き上がる。「スキーの歌」と紹介して始まった“ANKISMA KAA KA”は、雪山を滑走していくようなスピード感で爽快なスノー・ダブだった。

Rekpoもトンコリに持ち替えて、3本のトンコリで奏でられる“SAKHALIN ROCK”は、彼らの楽曲のなかでも少し毛色の異なるロック・ナンバーだ。どこかカントリー・ソングっぽさもあり、途中でジャズのような進化もするが、OKIが叫ぶ〈SAKHALIN ROCK!〉の一言は、思わず拳を上に突き上げたくなる。

オーディエンスのラブコールを受け、「滅びかけたトンコリだけど、ご先祖さまも喜んでいるよ!」と喜ぶOKI。自分のルーツを引き受け、表現を選んだOKIの思いが、この一言にあふれ出ている気がした。彼らの音楽は、この世に存在するあらゆる魂を、ありのままに肯定してくれる博愛心に満ちていた。

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赤犬 http://fujirockexpress.net/23/p_1768 Sun, 30 Jul 2023 16:21:23 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1768 楽しい時間はあっという間。今年のフジロックの本編を締めくくる大トリ・Lizzoがまもなく登場するであろう21時の苗場食堂がひときわ賑わっている。こんな時間にここにいるマニアックなフジロッカー、目の付け所がいい。16年ぶりに登場する大所帯バンド・赤犬が登場するのだ。

ただでさえこぢんまりとしたステージなのに、バンドメンバーがぎゅうぎゅうに入っていて、そこにナイト・サパーズの3人(ロビン、ヒデオ、テッペイ)が登場する。「アーユーレディ?」と会場の盛り上がりを確認すると、観客からは元気な「イエーイ!」が。そのままタカ・タカアキ(Vo)が登場、“タカアキのズンドコ節”で幕を開けた。

「アナベル・ガトーがソロモンに帰ってくるくらい久しぶりにフジロックに出た」と、いきなりガンダムネタで攻めてくると、「虫しかいないかと思った、人間のお客さんが来てくれてよかった」と話すタカ。「物販に壺とか印鑑とか用意していますんで」と笑いを誘い、ファンはもちろん初見の観客もぐいぐいと引き込んでいく。

続いて“お蝶夫人”で、一気に会場はムーディに。ドリフでおなじみの〈盆回り〉のようなにぎやかさとあわただしさが詰まっている、歌って楽しい踊れるナンバーだ。“デラノーチェ北浜”では、ナイト・サパーズがステージを降りてお客さんとチークダンスをする、というおなじみの展開があるのだが、コロナ禍を経て解禁されたようだ。ステージ上から「あの人と踊る?」「いやあの人?」なんて目線でこちらを見つめる3人。まるで逃走バラエティの「ハンター」ばりに放たれると、観客を捕まえて次から次へとダンスを踊っていく。とくにヒデオは壁ドンならぬ木ドンでお客さんを口説くような素振りをしていて、とにかくやりたい放題だ。(なお、この木はさきほどまで「邪魔だったらそこに除草剤をまいて」というブラックな時事ネタで名指しされた木である)。ナイト・サパーズにされるがままの人たちも笑ってるし、それを見ている人も笑っているという、笑顔の絶えないパフォーマンスだった。

その後も、ナイト・サパーズが白いパンツと赤はちまき姿ではしゃぐ“めんとこおけさ”、どこかピンク・レディーのあの曲っぽい“アンドロメダ大将軍”、PPPHなクラップで一緒に盛り上がる“酔わせてよ神戸”など、珠玉のナンバー勢ぞろいのステージだった。彼らと一緒に踊って歌えば、ここはもう苗場のスナック。結成30年を迎える赤犬の全力のおもてなしを受けて、最終日の夜はふけていく。

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BLACK MIDI http://fujirockexpress.net/23/p_1638 Sun, 30 Jul 2023 13:26:31 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1638 昨年のジャパン・ツアーも好評だったBLACK MIDI。音楽やプロフィールから漂う只者じゃない感じに惹かれて、興味津々でホワイトステージへ向かう。彼らを待つ数分間、周囲の空いていたスペースはものすごい勢いで埋まっていき、あっという間にぎゅうぎゅうになってしまった。

ステージは下手からキャメロン・ピクトン(Ba、Vo)、ジョーディ・グリープ(Vo、Gt)、モーガン・シンプソン(Ds)が並ぶ。ジョーディは浴衣や民族衣装、バスローブを思わせる形状の衣装をまとい、独特なオーラを放っている(それを脱ぐと、水兵のような衣装だったのだが、それも非常にかっこよかった)。“Welcome to Hell”が始まると、ソリッドなギターカッティングが炸裂し、鈍くて黒くてギラついた空間が会場を包み込む。ハードなギターとキャメロンの咆哮が重なり合う“speedway”、骨太ベースとタイトなドラミングがたくましい“sugar/tzu”など、いとも簡単に、シームレスに、次から次へとプレイされていく。

展開のめまぐるしさと、その予測不能感はライヴでよりいっそう高まる。彼らの曲は、印象的なメイン・フレーズを起点に楽曲がスタートし、いったんトーンダウンのうえ、セッションが研ぎ澄まさていく。そして最後はダンサブルなドラミングで収束……そんな筋書きもあるように感じるが、それが実際、想定通りのものなのか、インプロゼーションなのかもよくわからない。とにかく、展開、構成、リズムの鬼だと思った。

キャメロンの咆哮とジョーディの早口な歌いまわし、その対比やキャラクター性も、このバンドに緩急をつけていて、ライヴで見るとよりその差が引き立つようにも感じた。モーガンのドラムは力強く好奇心旺盛で、各パートの首に噛み付いては話さない猛獣のようだ。それでいながら、このプログレッシブな展開をスムーズに運んでいく、指揮官のようでもある。キラー・チューン“John L”は汗だくなドラミングに、うねるようなベース、ギターのメイン・フレーズは悲鳴のように鋭く甲高く、想像以上に変態的なサウンドだった。ステージ前方はもうずっと前からモッシュピットで、オーディエンスは感情のままに体をぶつけ合っていた。

はっきり言ってしまうと、すごすぎてまったく理解が追いつかない!数ある引き出しの中から一瞬でベストを引き抜き、それを世に放つスピードの速さ、あんなに重厚で個性的な世界をたった3人で作れるテクニック……思わず頭を抱えてしまった。BLACK MIDIは、耳や頭で理解するというより、魂で感じるような音楽なのだろう。

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民謡クルセイダーズ http://fujirockexpress.net/23/p_1685 Sun, 30 Jul 2023 11:39:59 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1685 最終日、カンカン照りのフィールド・オブ・ヘブン。一発目を飾るのは、民謡クルセイダーズ。日本民謡とラテンの融合を届けてくれる彼らのとっておきのエンターテイメント・ショーが始まった。サポートメンバー含め総勢12人がステージに上がると、“Tora Joe/虎女さま”からスタート。藤野“デジ”俊雄(Ba)のファンキーなベースをバックに、竹ノ子みどり(Vo, Cho)とちゃんゆか(Cho)による招き猫…いや、虎なのか?のかわいい振り付けとともに、オーディエンスは体を自由に揺らしはじめた。

“おてもやん”では、喉を揺らし、ときに語るような、竹の子の歌いっぷりが炸裂する1曲。左右のちゃんゆか、フレディ塚本(vo)は扇子を持ってはしゃぐように踊る。中盤ではIrochi(congas)がコンガを担いでステージ中央に現れ、踊り、ソロプレイを魅せるなど、大所帯だからこそのにぎやかさと楽しさが詰まったような1曲だった。

“ホーハイ節”からは、観客参加型の歌って踊れるターンがが来た。キレのあるホーン隊の音色が響きわたるなか、みんなで歌に合わせて手を挙げたり下げたりする。甲高い「ホーイホイ」という言葉の響きも面白い。MCでは、田中克海(g)の「どうでした?悪くないでしょ?」という言葉に、「最高!」と答えるオーディエンス。「こんなこと、いつまたできなくなるかわからない。だから楽しんでいこう」と“貝殻節”へ。自在に空間を動き回るベースに、甘酸っぱいサックスソロから、パッションあふれるトロンボーンソロへと移行し、それぞれ個性が立つセッションを繰り広げ、会場を湧かせた。

再び竹の子がメイン・ヴォーカルを担う“南部俵積み唄”でそのコブシを響かせると、みんな大好き“会津磐梯山”へ。この日一番の盛り上がりを見せた。パーカッションはラテンのリズムを爆発させ、オーディエンスは解き放たれたようにより大きく踊りだす。ちゃんゆかたちの振り付けを真似たり、カチャーシーのように手をくねらせたり、みんなの踊り方はそれぞれ違って自由でいい。サックス→トランペット→トロンボーンの順でソロが始まると、何巡も繰り返しセッションに磨きをかけていく。ステージの演奏とオーディエンスの踊りが一体となった景色はきれいで、「こういう光景を見たかったんだ!」と感情が爆発してしまった。

ラストの“炭坑節”では、アウトロに被せるかたちで「今夜月が出た、フジロックに出た」のようなフレーズが差し込まれ、フィナーレを迎える。まだ暑い中で見えない月を想像しながら、私達は思い思いに盆のダンスを楽しんだ。

たとえば地球の真裏で鳴らされているような音楽でも、よく聴いてみると、すぐ身近で鳴っていた民謡とどこか共通点があったりする。民謡クルセイダーズは、そんな音楽の奥深さと、ボーダレスな魅力を教えてくれるのだ。

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民謡ユニット こでらんに~ http://fujirockexpress.net/23/p_1708 Sun, 30 Jul 2023 09:05:00 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1708 昼過ぎのアバロンには、くつろいでいる人、寝転がっている人もいて、みな思い思いのフジロック最終日を過ごしている様子。民謡ユニット こでらんに〜は、先程出演した民謡クルセイダーズのフレディ塚本(Vo)によるグループ。「こでらんに~」とは福島弁で「こたえられないほどいい」「最高だな~」「たまらな~い」という意味だという。ステージには、ちゃんゆか(太鼓・おはやし)、フレディ塚本、ミカド香奈子(篠笛・おはやし)、秋山和久(津軽三味線)と4人が並ぶ。

日本の民謡を広く伝えたい思いで活動する彼らによる、とっておきの盆踊りステージが始まった。福島の“相馬盆唄”が始まると、ステージの目の前に輪ができて、人々が次第に集まっていく。みっちーと呼ばれている方(盆踊ラーさんだろうか)のレクチャーを中心にみんな見よう見まねで踊っていく。先ほどの民謡クルセイダーズでも披露した“虎女様”は、とても複雑なフリでみんながざわめく。ぎこちなくとも、最後までついていけた達成感もまた喜びだ。チョイサチョイサと独特な掛け声は耳障りがよく、私たちの「踊りたい」という欲望を刺激する。

続いてミカドによる歌唱“伊勢音頭”。伊勢から「荷物にならない土産」として全国に広がっていったというこの曲をフジロックのお土産として私たちに持たせてくれた。秋山による津軽三味線のソロプレイは、弦が震えた音とバチの打音が絡み合って力強いメロディを打ち出していく。緩急をつけながらドラマチックに速弾きするその姿に思わず息を呑んだ。

続いて、郡上八幡で今年も行われている「郡上おどり」のナンバー“かわさき”、子どもも踊りやすい“ドンパン節”、さきほど民謡クルセイダーズでも歌われた“会津磐梯山”と“炭坑節”、踊り初心者にもわかりやすい“東京音頭”など、盆踊りの定番ナンバーを次々と披露。ちゃんゆかのやわらかなおはやしに乗って響きわたる塚本の声の伸びがなんとも気持ちいい。その道の者たちが、初心者に向けてこうしてオープンに手ほどきしてくれることのありがたさよ。“苗場音頭”はなかなかみんな思い出せなかったみたいだけど、来年の前夜祭までに覚えておこうと誓った。

フジロックで日本の音楽も、海外の音楽もこれだけたくさん聴いているなら、その土地土地の民謡にも耳を向けてみると楽しいんじゃない?民謡ユニット こでらんに〜は、そんな選択肢を与えてくれたような気がした。それに、夏祭りシーズンの中、こうした楽曲たちをみんなで踊れるってだけでなんだか、こでらんに〜!なのだ。

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CENT/八木海莉 http://fujirockexpress.net/23/p_1764 Sat, 29 Jul 2023 17:43:21 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1764 本日のメインステージも終わり、日付も変わって0:40。苗場食堂ステージが見えないくらいぎゅうぎゅうになっている。みんなのお目当ては、CENTと八木海莉。まずはCENTが登場する。CENTは元BiSHのセントチヒロ・チッチによるソロプロジェクトで、この日が初ライヴ、初フェスだという。彼女のような元アイドルが、こうしてフジロックに出演するケースは極めて珍しい。フジロックに変革をもたらす、意外性のあるアクトの一つであることは間違いない。

アイドルとしてのコスチュームじゃなくて、ゆったりとしたニット服で現れたチッチに驚く。アコースティック・ギターを構え、歌い出すのは“夕焼けBabyblue”。透き通った歌声で魅せていく彼女に緊張感は全く無く、穏やかな顔をしている。つい数ヶ月前までアイドルだったけれども、もうすでにミュージシャンになっている。

一転、次の曲(新曲だろうか)では、オートチューンのかかった歌声が印象的なナンバーで、音楽性の奥行きを感じさせる。続いて「大好きなフジロックでライヴができるのを楽しみにしていました」と話し、“決心”。銀杏BOYZの峯田和伸が作曲しているという。峯田らしいストレートで甘酸っぱいロック・ナンバーだが、これはBiSHでもあり得た楽曲かもしれないな、とふと思う。だけれど表現力と解像度の高さは、BiSHを経た今の経験値なしではありえない。確かな明るさと力強さがそこにあった。

ラストはハッピーな曲なので、みんなも盛り上がってほしい、と“向日葵”を伸びやかに歌う。骨太なバックバンドに鍵盤ハーモニカで色を添えていくチッチのなんと楽しそうなことか。苗場まで駆けつけた大勢のファンに囲まれながら、近況報告と意思表明のような初ライヴが終わった。

続いては八木海莉が登場する。アクターズスクール広島出身の20歳で、2021年にデビューした新人シンガー・ソング・ライターだ。フジロックは昨年7/30に出演が予定されていたが、前日にコロナの影響でキャンセルとなってしまったという。ところどころブルーに染まった髪型は可愛らしく、こちらを見つめる凛々しい目は力強い。そして、第一声からわっと言わせるような、圧倒的歌唱力。音源ももちろん素晴らしいのだけど、生の彼女の歌声は桁違いで驚いた。

バックバンドの深いベースに負けない、芯のある確かな歌を届ける“お茶でも飲んで”、周囲のクラップを誘うダンス・ナンバー“刺激による彼ら”と続き、ラストは“さらば、私の星”。彼女が上京を決意した際の心情を綴った曲だというが、美しいファルセットとともに描かれる壮大な世界観にぐっときてしまった。〈さらば、私の星!/ここが全てなんだと思いこんでしまう〉というフレーズに、今ここで1年越しのリベンジを果たせた思いが詰まっているような気がした。

八木は過去、インタビューで「まだ私には飛び抜けた個性というものがないので、いろいろ挑戦していく中でそれを見つけられたら」と語っていたが、それを素直に言えてしまう強さに驚いてしまった。その強さと表現力を武器に、これからも自分を探していくのだろう。

約40分のステージで合計2アクトという、ショーケースのようなライブステージは実験的だ。今後、このような形で苗場食堂を飾るニューカマーたちが増えていくのだろうか。メインステージで彼女たちを見られる日を楽しみにしている。

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JATAYU http://fujirockexpress.net/23/p_1681 Sat, 29 Jul 2023 08:09:17 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1681 インドのバンドといえば、昨年出演したメタルバンド、Bloodywoodが記憶に新しいが、今年はカルナティックなフュージョンバンド・JATAYUがフジロックに来てくれた。前夜祭の彼らはちょっぴりしか見ていないけれど、親しみやすいコール&レスポンスで会場と一体になっていた様子はすぐにでもわかったから、とても楽しみにしていた。

ステージ下手から、KASHYAP JAISHANKAR(Ba)、SHYLU RAVINDRAN(Gt)、 SAHIB SINGH(Gt)が並び、中央奥に, MANU KRISHNAN(Dr,Vo)が位置につく。彼らの黒い衣装にはそれぞれ、濃オレンジ、紫、赤といった、民族衣装にも近い差し色が入っており、フィールド・オブ・ヘブンの雰囲気にぴったりだ。

“Maha”は、リード・ギターを担当するSHYLUのメロウな速弾きから始まり、ビブラートを繰り返しながら甲高いギターのうねりが作られていく。仰け反るようにして音を振り絞るその姿は勇ましくてかっこいい。観客のほとんどは、言葉の通じない人たちかもしれないが、JATAYUは音や声でコミュニケーションをとっていく、そんな姿勢のバンドらしい。観客と一緒にコール&レスポンスでメロディの練習をして、“69”へ突入する。SAHIBが手を挙げ合図すると、観客たちの「ラララララ」というコールが加わり、曲が彩られていく。たとえば3拍/2拍で進む5拍子のような、とっつきにくいリズムに参加するのはなんだか難しく思えるが、彼らの導きのおかげでうまく馴染める。変拍子でもって、彼らの大切にしている南インドのカルナーティック音楽から、ガレージ・ロック、メタル……とあらゆるチャネルを行き来する忙しさは、じつにプログレッシブで面白い。

続いて埼玉県出身のキーボーディスト、矢吹 卓が登場し、彼をフィーチャリングに迎えて発表した“No Visa Needed”を披露した。矢吹の指の運びは軽やかで、まるで息を吸って吐くかのような自然さだ。JATAYUが「アメイジング・ミュージシャン」と称える彼の音はくっきりとクリアで、変幻自在なセッションの解像度をより高めていった。

その後オーディエンスは“Moodswings”の出だしを歌うチャレンジをするが、これがなかなか歌えない!言葉が難しいんじゃなくて、入りが難しい。少しズレてしまってSAHIBとともに「あーっ!」って惜しい気持ちを声に出したり、あまりにもハズしたときは笑いが起きたり。ステージと観客とが対話して、最後の1ピースを埋める。なんて楽しいライブ体験なんだろう。ぼたぼたと水滴が落ちるときのようなMANUの大粒のドラミング、SAHIBがしゃがんでエフェクターを操作し、音をぐにゃぐにゃ混ぜる様子、KASHYAPとSHYLUの会話するようなセッションなど、各々の動きは違えど、確かなグルーヴを感じられる。メインのメロは、某インド映画みたいに、虎でも出てきたか?と思ってしまうくらい、ワイルドかつきらびやかだった。

フュージョンの中にインド的エッセンスがちらりと見える、個性的でユニークな楽曲たち。そして、オーディエンスを巻き込み一緒にコミュニケーションを試みる貪欲な姿勢。彼らの人懐っこさに触れると、まさに“No Visa Needed”と言いたくなる。このステージをきっかけに、さらにたくさんの人と仲良くなり、大きな音楽の輪を作っていってほしい。

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ASA-CHANG&巡礼 http://fujirockexpress.net/23/p_1782 Sat, 29 Jul 2023 06:31:26 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1782 朝9時40分のピラミッドガーデンに、ASA-CHANG&巡礼が立つ。他のステージはまだオープンしていない中、今日一番の早起きアクトだが、昨日パレスで遊び疲れたであろう人たちも元気に早起きしている様子。今日は昨日よりも暑いし、フジロッカーの体力を試される時間帯だけど、彼らを見たかった大勢の人々が会場に押し寄せた。

ステージ下手から後関好宏(Sax,Fl)、ASA-CHANG(Perc,Tp)、須原杏(Vio)と並び、中央にはあの謎の機械、巡礼トロニクスが鎮座する。ASA-CHANGはこちらに背を向け、静かに音を奏で始めた。“影の無いヒト”だ。後関と須原の織りなすストリングスは、レクイエムのようでもあるし、命を狙う悪魔かのようにすっと忍び寄ってくる。途切れながらも紡がれる「言葉」が私たちを静かに刺していく。

ASA-CHANGがトランペットに持ち替えると、クラムボン原田郁子の声から作られた“つぎねぷと言ってみた”へ。チョップされた声ひとつひとつはどこか表情を失っているが、こうして楽曲として構成されると、それ自体が生命として感じられるから不思議だ。

途中MCでは、ステージがまるでお盆の祭壇みたいだ、という話に。敬愛する坂本龍一さんほか、今年もあらゆる方が亡くなったことを話す。そのとき「ちょっと、やだ〜」という声が周囲から聞こえたが、あれはオーディエンスの「縁起でもない」というフォローの声だったのか、それともなんだったんだろう。ふとしたその一瞬に、ASA-CHANGの音楽性が体現されていたと思った。巡礼トロニクスには坂本龍一の声も収録されているという。

続いて“告白”を披露することを宣言すると、周囲から拍手が。映像作家・勅使河原一雅のプロフィール文章をほとんどそのまま歌詞にしたこの曲は、ライヴのアレンジで聴くと、赤ちゃんをあやす「ガラガラ」の音やラジオの音など、当時そこにあった空気が、歴史が、そのままくっきりと浮かび上がってきて妙にリアルだった。巡礼トロニクスを追うように歌う須原の歌声は儚げで、少しでも触ったら壊れてしまいそうな繊細さと切実さを感じる。壊れた機器のように繰り返される〈別れた/出合った〉という言葉が、シニカルに響く。

続いて、フジロックではおなじみだという“海峡”。私達を飲み込むような勢いの波音の中で、何かを守るように続く3人のアンサンブルが、灼熱のピラミッドガーデンに涼しさを届ける。〈抗議/人間/神様〉というワードが繰り返されるセンセーショナルなナンバー“事件”では、後関のサックスがどこかエラー音に聞こえてしまい、世界の深刻さを訴えかけられているような気がした。

最後は、昨年20周年を迎えた“花”だった。“事件”からシームレスに移行し、叫び声、心臓の音など、あらゆる気持ち悪さ、居心地の悪さが音になって露出していく。途中、BPMがぐっと上がり、ガムランのような響きを持つ。巡礼トロニクスから発せられる「声」もラップのようなビートになり、黒いテープを吐き出したVHSのように、たくさんの情報と、もうどうにもならない虚しさが横たわっていた。

晴天でハッピーなピラミッドガーデンで考える、怒りと悲しみと鎮魂。ASA-CHANG&巡礼がここで音を鳴らす意味は、そのギャップにあるのだと思う。彼らは非常にジャーナリズム性の高いバンドだと思うし、そういうところが大好きだ。ときに、音楽の「楽しい部分以外」を見つめ、そして、「楽しい」音楽へも戻ろう。

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ITACA BAND http://fujirockexpress.net/23/p_1628 Sat, 29 Jul 2023 06:20:07 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1628 昨夜、クリスタルパレステントをぎゅうぎゅうにしていたITAKA BANDが、ホワイトステージへ登場。昨日のお客さんはもちろん、昨日の様子を聞き駆けつけたオーディエンスも多いのではないだろうか。かなりの人が集まっている。

リハから温まっている灼熱のフロアに、スペインはカタルーニャ出身の5人組、サポートメンバーのホーン隊3人を従えた8人編成で現れると、“ES HOY“がスタート。Albert García(Vo)は手を広げて高らかに歌う。ラテンの要素をロックに落とし込んだカラッと明るい楽曲に、会場は早速、踊れや騒げやのお祭り騒ぎ!“TODAS NUESTRAS LUCHAS”に差し掛かると、前方のモッシュがだんだんと大きくなる。そこに、Albertの「盛り上がって〜!」という日本語での応援(?)が入って、会場のテンションはさらに加速。ホーン隊の力強さで背中を押されて、ついついモッシュピットへ……なんて人が多発。もうこのステージはITACA BANDに完全に掌握されている。ステージはとにかく暑いけれども、これは踊らずにはいられないんだ!

“ESCAPAR CONTIGO”ではゴリゴリのベースラインとラウドみある雰囲気が盛り上がりに火をつけ、フロアに巨大サークルを生み出した。“AMANECERES POR VIVIR”では、みんなでしゃがんで一斉にジャンプをした。一転、メロウで爽やかなナンバー“DE PAPEL”へ移ると、Elias Martinez(Gt)の清涼感ある旋律が横揺れを誘う。オーディエンスも彼らの音に誘われるままに、ハンズアップから、左右に腕を振る動作を行う。彼らの仕掛けるありとあらゆるイベントが楽しくてしょうがない。

中盤、“A VIVIRLO”からの流れはもうオーディエンスとITACA BANDの体力勝負みたいだった。王道をいくホーン隊のメロディ、牧歌的なリズム隊、スペインらしい情熱的な歌メロ。体をくねらせていると、「踊る準備はできてる?」からの“TEMERARIO”へ突入。彼らのエネルギーと、オーディエンスのエネルギーはまだまだ残っている!フロアにはキッズ的なリスナーも勢ぞろいしているし、その爆発力はとてつもない。終盤はウォール・オブ・デス的にフロアが開いていき、みな思い思いのエネルギーをぶつけ、“APROPA’T”の弾けるようなドラムとともに最後の大暴れ。惜しまれつつステージは終了した。

彼らがくれるテンションの器は常にフルで、そこに毎曲毎曲エネルギーを注ぎ入れてくるものだから、あふれちゃうって!と言いながらも、ついつい飲み込んでしまう。限界を常に超えてきて、こちらにも超えさせるパワフルなパーティー・タイムだった。ああ楽しかった!

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