“白井絢香” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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BAD HOP http://fujirockexpress.net/23/p_1618 Tue, 01 Aug 2023 19:37:05 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1618 YUKIが多幸感溢れるライブをグリーン・ステージへ届けてからの、BAD HOP。その温度差に風邪をひきそうになるが、この多種多様さもフジロックの面白さ。BAD HOPは、今回出演のキャンセルが発表されたルイス・キャパルディの代打として抜擢。日本のヒップホップ・シーンからグリーン・ステージに立つグループが選ばれたこともそうだが、先日BAD HOPが解散(!)を発表したニュースを追いかけるようにフジロックへの出演が決定したことも大きな話題となった。

すっかり暗くなった19時のグリーン・ステージ。重低音のSEが流れ、BAD HOPのライブでは見たことのないバンド・セットのシルエット、ステージ・バックには「WARNING」の文字。会場に期待と緊張感が張り詰めているのが分かる。

ステージ上に、8人のMCが姿を現すと歓声ととも上がる爆炎と狼煙。生々しい重低音が鳴り響いたかと思うと、1曲目から“Kawasaki Drift”だ! 地元・川崎での日々と過酷な現状を描き、彼らの知名度を押し上げたその曲で一気に会場のボルテージが上がる。轟音の壁のような、気合いの入りまくったバンド・サウンドにのっけからシビれてしまった。強烈すぎるパンチライン「川崎区で有名になりたきゃ人殺すかラッパーになるかだ!!!」とT-Pablowが声を張り上げれば、集まった大観衆の手が自然と上がるのだった。

BAD HOPは、高校生RAP選手権の優勝経験を持つT-PablowとYZERRという双子の兄弟を中心に、幼なじみのTiji Jojo、Benjazzy、Yellow Pato、G-k.i.d、Bark、東京都出身のVingoの8人で構成されたヒップホップ・グループだ。彼らはどこのレーベルにも所属せず自主レーベルを立ち上げ、作品作りから物販までセルフ・プロデュースで活動。2014年の活動開始から2018年4月にZepp Tokyoでの単独公演、2018年11月には日本武道館でのワンマン、2019年12月には新作リリース記念に川崎駅前でゲリラ・ライブ、2020年3月には横浜アリーナにてワンマン・ライブを行う予定だったが、コロナ禍での中止を受けて1億円の負債を覚悟で無観客でのライブを決行し、その様子をYouTubeで無料配信するなどヒップホップ・アーティストとして数々の伝説を作ってきた。

そんな中でのグループの解散発表は、大きな衝撃とともに受け止められた。曲を出せばヒップホップ・チャートを席巻し、チケットを売り出せば即ソールドアウト。ヒップホップのコアなファンから一般的な音楽リスナーまで幅広く人気を獲得し、プロップスは常に上がり続けているこのタイミングでの決断。ファンのみならず、音楽業界でも解散を惜しむ声は多い。今夜のフジロックでのライブもまた、彼らの伝説の1ページとなることはすでに間違いないだろう。

そして、この日、観客にさらなる驚きと熱狂を与えたのが、BAD HOPの音楽を支えるバック・バンドのメンバーだ。ライブ前にBAD HOPのSNSで告知されていたが、グループとして初のバンド・セットでフジロックに臨むことにした彼ら。そのステージ上には、RIZEから金子ノブアキ(Dr)とKenKen(B)、the HIATUSからmasasucks(G)と伊澤一葉(Key)の4人が並んだ。フジロッカーにはお馴染のメンバーだが、2000〜2010年代と日本のロック・シーン、ストリート・シーンを支えてきた豪華メンバーがガッチリとライブの脇を固める布陣。BAD HOPにとって、これが最初にして最後のフジロック出演となり、その舞台としてグリーン・ステージが用意されたのだ。今日の日にかけるメンバーの並々ならぬ意気込みを感じざるを得ない。

続く“Friends”でも分厚くラウドなバンド・サウンドに熱いフロウを流し込み、魅せる。KenKenのベースからはクラブでの箱鳴りのようなとんでもない重低音が弾き出されていた。そこには、ギリギリで現代を生きる若者たちのためのヒップホップと、1990〜2000年代のオルタナティブ・ロックの流れを組む轟音が融合して、1つの新しい生命体として、最高のミクスチャー・ロック・バンドが爆誕しており、その魂のこもったライムと音圧の塊に酔いしれたフジロッカーは多かったのではないだろうか。サウンド・プロダクトは、そこらのライブ・バンドを蹴散らす重さと厚みだ。こういうゴリゴリ系のバンドが観たかったという自分も胸アツ、ご飯三杯はイケる気分になった。それほどまでに、BAD HOPとラウドなバンド・セットは抜群の相性だったのだ。

「いくぞ、いくぞ、いくぞ」と“BATMAN”では、Benjazzy、Bark、Vingoと次々に重いドスのあるフロウをぶつけ、“No Melody”のアウトロではMCの熱量に応えるようにチョーキングの効いたmasasucksのギター・ソロが闇夜に轟いた。闘争心を爆発させるようにYZERRやG-k.i.dらがラップする“Round One”、続く“2018”でも気合いの入ったヘヴィなバンド・サウンドに明らかにMC陣の熱量も上がり、荒々しい化学反応が起こっていることが見て取れた。

「What’s up Fuji Rock? 調子はどうですか!?」と、T-Pablowは熱の上がったグリーン・ステージの聴衆へ語りかける。「知らない人もいると思うんですど、改めて自己紹介させてもらいます。俺らBAD HOPって言います。今日はよろしくお願いいたします」と話せば、待ってました!とばかりに歓声が上がった。客席前方では年齢層の若いキッズや、親子でファンという人々が多くいるように見えた。繁華街で見かけるようないわゆる“ギャル”たちをグリーン・ステージでちらほら見かけたことも新鮮だった。「フジロック、俺たち全員でハイランドへ行こうぜ」とTiji Jojoが声を発すれば、“High Land”へ。大きな歓声が上がり、叩き込むフロウとパンキッシュな演奏で会場をブチ上げた。

BAD HOPの曲は、とことんリアルなアンダー・グラウンドでの生を描くリリックでありながら、そのメロディや曲の構造は多くの人の耳に届くようにオーバー・グラウンドを目指していると感じる。彼らがグリーン・ステージを全うせんとする覚悟と風格は、初出演ながらすでに十分備わっていた。

彼らのライブでは合唱が起こる“Ocean view”ではYZERRやYellow Patoらのフロウで観客は身体を揺らした。メンバーはきっと「誰も邪魔できないOcean view」をステージから見ていたのだろう。「DiorのKicks 横の女の指にCartier Ring」とヒップホップ的なワードセンスが光るリリックと耳に残るフロウで人気のアンセム“Foreign”では、グリーンの光に照らされ、バンド・サウンドでさらにタイトにカッコよく曲が仕上がっていた。

「みんな基本的には幼馴染でやってるんですよ」とT-Pablow。「僕、双子で5分違いなんですよ」とYZERRとの関係性を改めて話し、「他のメンバーも生まれる前のベッドの病室から一緒、半分は保育園も一緒で。ガキのころからみんなクソみたいな環境で育ってきて、俺らも地元のやつらも本当に貧しい環境で育ってきて、そんな中で幼馴染だけでまだやれていることって奇跡だと思っています」と初めてBAD HOPのライブを観る観客にも知ってもらえるよう、彼らの歩みを丁寧に伝え、その真摯さにフジロッカーは声援で応えた。

T-Pablowは「苦労自慢とか不幸自慢とかするつもりないんですけど、少しでも、1人でも多くの人に勇気を与えられたり、この、本当に大好きなヒップホップっていうカルチャーがもっともっと日本で浸透することを心から願っています」と力強く話した。ヒット・チャートの大半をヒップホップの曲が埋め尽くすこともある世界の音楽シーンと比べて、日本でのヒップホップ・シーンがまだまだ小さいのは確か。一呼吸置いて「もう一度言います。自分たちはこの日本でヒップホップをもっともっとデカくするため本気で頑張っています」と、ヒップホップへの想いをアツくグリーン・ステージの観衆へ宣言するのだった。日本でヒップホップ広げるためにやっていますというYZERRと同様に、その想いは自主レーベルを起こして活動してきた彼らと嘘偽りなくリンクする。ヒップホップがもっと日本でオーバー・グラウンドな存在になるようにと願い、BAD HOPは走ってきた。

「ここに立たせてくれたフジロックの皆さんありがとうございます。最後まで全力で行くんで応援よろしくお願いします!」と、さらにKAWASAKIのエンジンは唸りを上げて、“待”っていたぜェ!! この“瞬間(とき)”をよォ!!とばかりに「次のステージへ」と歌う“Back Stage”に。ギターのリフとDjのスクラッチが情緒を揺さぶった“CALLIN’”では「生き残ったやつらでParty」と決意のライム。“Rusty knife”の最後には「人の噂かよ、今日も。自分のこと話せー!」と叫ぶ。過酷な経験も現代社会の中で若者の置かれた状況も、彼らへ集まるヘイトまでも生皮を剥がすように痛烈に吐き出す。SNSでの誹謗中傷や悲しいニュースが多い中で作った曲があるとMCしたあと、“Suicide”でのギターの美しいアルペジオ、キーボードのメロディが鳴ると大歓声が上がった。Tiji Jojoの切なる歌声が会場を包み込んでいった。

出演キャンセルになったミュージシャンの代役として、「フジロックのスタッフみんなが満場一致で“BAD HOPがいいんじゃないか”となってくださったみたいで本当に嬉しいです。BAD HOPが解散を発表したタイミングでこうやってフジロックに出られるのも、音楽の神様がいるんじゃないかなって本当に思っています」と、T-Pablowは喜んでみせた。「さっきYZERRとも話していたんですけど、人生今まで何にも打ち込んだことがなくて初めて音楽、このヒップホップと出会って、すべて人生変わって、これにかけてきました。ずっとずっと川崎という港町で夢を見ていました」とMCすると、「今日は娘たちも観に来ているぜ! (娘たちに)見てますか!」と“Bayside Dream”に入り、これには涙腺崩壊。

“これ以外”を披露し終えると「初めて全国流通のアルバムを出して、インディーズのレーベルなんで自分たちでCDを詰めながらお客さん発送してたりとかしてて、このステージに立てて、この景色を観られて本当にやってきてよかったなと思いました」と当時を振り返りつつ、グリーン・ステージからの景色をメンバー全員でもう一度胸に焼き付けているようだった。

「(俺たちは)これから先もずっと毎日のように一緒にいるんで、これからは一人ひとりがちゃんと違うステージヘ進めるように解散を発表して、まだ最後のライブ場所は決まっていないんですけど、もし今日ライブ観て良かったなと思ってくれるお客さんいたら、最後のライブも遊びに来てください」と解散理由についても少し触れつつ、穏やかにT-Pablowは語った。

最後は、10月に発売予定のラスト・アルバムに収録される“Champion Road”。美しくも緊張感のあるピアノの音色から始まると、ビートを上げ、炎は上がり、ステージ上の全員でフロウを叩き込んでもう超ロック。いや超ヒップホップ。大歓声に包まれた中、メンバーは観客席に手を振り、KenKenはベースを高らかに掲げ、金子ノブアキは一礼し、ステージを去っていった。

ライブ中、何度も奇跡という言葉を繰り返し、実際に奇跡を起こし続けてきたBAD HOP。BAD HOPというグループ名は“悪いヒップホップ”ではなく、日本でいうところの野球のイレギュラー・バウンド(和製英語)に由来している。強靭なバンド・サウンドを見事乗りこなし、彼らがフジロックのグリーン・ステージで魅せた“BAD HOP”が、日本のヒップホップ・シーンにとってまた大きな奇跡へと繋がってくれることを願ってやまない。

<Set list>
1. Kawasaki Drift
2. Friends
3. BATMAN
4. No Melody
5. Round One
6. 2018
7. Chop Stick
8. High Land
9. Ocean view
10. Foreign
11. Back Stage
12. CALLIN’
13. Rusty knife
14. Suicide
15. Bayside Dream
16. Hood Gospel
17. これ以外
18. Champion Road

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SUGEE&The SPACE TRIBE http://fujirockexpress.net/23/p_1770 Sun, 30 Jul 2023 16:23:38 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1770 赤犬 http://fujirockexpress.net/23/p_1768 Sun, 30 Jul 2023 16:21:23 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1768 楽しい時間はあっという間。今年のフジロックの本編を締めくくる大トリ・Lizzoがまもなく登場するであろう21時の苗場食堂がひときわ賑わっている。こんな時間にここにいるマニアックなフジロッカー、目の付け所がいい。16年ぶりに登場する大所帯バンド・赤犬が登場するのだ。

ただでさえこぢんまりとしたステージなのに、バンドメンバーがぎゅうぎゅうに入っていて、そこにナイト・サパーズの3人(ロビン、ヒデオ、テッペイ)が登場する。「アーユーレディ?」と会場の盛り上がりを確認すると、観客からは元気な「イエーイ!」が。そのままタカ・タカアキ(Vo)が登場、“タカアキのズンドコ節”で幕を開けた。

「アナベル・ガトーがソロモンに帰ってくるくらい久しぶりにフジロックに出た」と、いきなりガンダムネタで攻めてくると、「虫しかいないかと思った、人間のお客さんが来てくれてよかった」と話すタカ。「物販に壺とか印鑑とか用意していますんで」と笑いを誘い、ファンはもちろん初見の観客もぐいぐいと引き込んでいく。

続いて“お蝶夫人”で、一気に会場はムーディに。ドリフでおなじみの〈盆回り〉のようなにぎやかさとあわただしさが詰まっている、歌って楽しい踊れるナンバーだ。“デラノーチェ北浜”では、ナイト・サパーズがステージを降りてお客さんとチークダンスをする、というおなじみの展開があるのだが、コロナ禍を経て解禁されたようだ。ステージ上から「あの人と踊る?」「いやあの人?」なんて目線でこちらを見つめる3人。まるで逃走バラエティの「ハンター」ばりに放たれると、観客を捕まえて次から次へとダンスを踊っていく。とくにヒデオは壁ドンならぬ木ドンでお客さんを口説くような素振りをしていて、とにかくやりたい放題だ。(なお、この木はさきほどまで「邪魔だったらそこに除草剤をまいて」というブラックな時事ネタで名指しされた木である)。ナイト・サパーズにされるがままの人たちも笑ってるし、それを見ている人も笑っているという、笑顔の絶えないパフォーマンスだった。

その後も、ナイト・サパーズが白いパンツと赤はちまき姿ではしゃぐ“めんとこおけさ”、どこかピンク・レディーのあの曲っぽい“アンドロメダ大将軍”、PPPHなクラップで一緒に盛り上がる“酔わせてよ神戸”など、珠玉のナンバー勢ぞろいのステージだった。彼らと一緒に踊って歌えば、ここはもう苗場のスナック。結成30年を迎える赤犬の全力のおもてなしを受けて、最終日の夜はふけていく。

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原田郁子 http://fujirockexpress.net/23/p_6888 Sun, 30 Jul 2023 09:41:54 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6888 TEA YOUNG DAY http://fujirockexpress.net/23/p_1809 Sun, 30 Jul 2023 09:38:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1809 TAICHI KAWAHIRA http://fujirockexpress.net/23/p_1810 Sun, 30 Jul 2023 09:36:21 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1810 DJ HI-C (Kireek) http://fujirockexpress.net/23/p_1811 Sun, 30 Jul 2023 09:31:45 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1811 BRYAN BURTON-LEWIS http://fujirockexpress.net/23/p_1812 Sun, 30 Jul 2023 09:28:44 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1812 CENT/八木海莉 http://fujirockexpress.net/23/p_1764 Sat, 29 Jul 2023 17:43:21 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1764 本日のメインステージも終わり、日付も変わって0:40。苗場食堂ステージが見えないくらいぎゅうぎゅうになっている。みんなのお目当ては、CENTと八木海莉。まずはCENTが登場する。CENTは元BiSHのセントチヒロ・チッチによるソロプロジェクトで、この日が初ライヴ、初フェスだという。彼女のような元アイドルが、こうしてフジロックに出演するケースは極めて珍しい。フジロックに変革をもたらす、意外性のあるアクトの一つであることは間違いない。

アイドルとしてのコスチュームじゃなくて、ゆったりとしたニット服で現れたチッチに驚く。アコースティック・ギターを構え、歌い出すのは“夕焼けBabyblue”。透き通った歌声で魅せていく彼女に緊張感は全く無く、穏やかな顔をしている。つい数ヶ月前までアイドルだったけれども、もうすでにミュージシャンになっている。

一転、次の曲(新曲だろうか)では、オートチューンのかかった歌声が印象的なナンバーで、音楽性の奥行きを感じさせる。続いて「大好きなフジロックでライヴができるのを楽しみにしていました」と話し、“決心”。銀杏BOYZの峯田和伸が作曲しているという。峯田らしいストレートで甘酸っぱいロック・ナンバーだが、これはBiSHでもあり得た楽曲かもしれないな、とふと思う。だけれど表現力と解像度の高さは、BiSHを経た今の経験値なしではありえない。確かな明るさと力強さがそこにあった。

ラストはハッピーな曲なので、みんなも盛り上がってほしい、と“向日葵”を伸びやかに歌う。骨太なバックバンドに鍵盤ハーモニカで色を添えていくチッチのなんと楽しそうなことか。苗場まで駆けつけた大勢のファンに囲まれながら、近況報告と意思表明のような初ライヴが終わった。

続いては八木海莉が登場する。アクターズスクール広島出身の20歳で、2021年にデビューした新人シンガー・ソング・ライターだ。フジロックは昨年7/30に出演が予定されていたが、前日にコロナの影響でキャンセルとなってしまったという。ところどころブルーに染まった髪型は可愛らしく、こちらを見つめる凛々しい目は力強い。そして、第一声からわっと言わせるような、圧倒的歌唱力。音源ももちろん素晴らしいのだけど、生の彼女の歌声は桁違いで驚いた。

バックバンドの深いベースに負けない、芯のある確かな歌を届ける“お茶でも飲んで”、周囲のクラップを誘うダンス・ナンバー“刺激による彼ら”と続き、ラストは“さらば、私の星”。彼女が上京を決意した際の心情を綴った曲だというが、美しいファルセットとともに描かれる壮大な世界観にぐっときてしまった。〈さらば、私の星!/ここが全てなんだと思いこんでしまう〉というフレーズに、今ここで1年越しのリベンジを果たせた思いが詰まっているような気がした。

八木は過去、インタビューで「まだ私には飛び抜けた個性というものがないので、いろいろ挑戦していく中でそれを見つけられたら」と語っていたが、それを素直に言えてしまう強さに驚いてしまった。その強さと表現力を武器に、これからも自分を探していくのだろう。

約40分のステージで合計2アクトという、ショーケースのようなライブステージは実験的だ。今後、このような形で苗場食堂を飾るニューカマーたちが増えていくのだろうか。メインステージで彼女たちを見られる日を楽しみにしている。

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