“石角友香” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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原田郁子 http://fujirockexpress.net/23/p_1798 Sun, 30 Jul 2023 18:32:41 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1798 1日の終わり、いや、フジロック3日間の最後にピラミッドガーデンまで足を運んだ自分を褒めてやりたい。素晴らしいライブだった。本人は「寝ててもいいよ。フジロックの余韻を担当します」と笑わせていたが、序盤で俄然目が冴えてしまった。

15年ぶりにソロアルバムをリリースしたばかりとはいえ、新曲ばかり演奏する可能性は低そうだ。ならば何を?と静かに期待を込めて待っていると、冒頭の言葉である。場は完全に和む。しかし演奏が始まるといい緊張感が漂う。張らない歌唱とそれに寄り添うピアノで、原マスミの“ピアノ”、マヒトゥ・ザ・ピーポーの”Pupa“のカバーを届けてくれた。ちなみに全曲、演奏の後に曲を紹介してくれたからわかったことではあるのだけれど、オリジナルもあらためて聴いてみようと思う。

この日の昼間、木道亭でも演奏した彼女。なんとギャラが〇〇と〇〇だったことはここにきた人だけが知る秘密にしておこう。笑えるベクトルではあるので、いつか話してくれるかもしれない。

ラグタイムっぽいピアノアレンジで届けたのはおおはた雄一と作った“時がたてば”。どの曲も原田のピアニストとしてのセンスやくせがストレートに伝わる。アーティスティックな鋭さとパーソナルな近さが同居しているのもソロで、しかも爆音から離れたこの場所だからこそ。さっきまでの狂騒と地続きな感じがしない。

アコースティックギターの弾き語りも聴かせてくれるという展開には最初の「フジロックの余韻担当」というリラックスした雰囲気からは随分遠くまできた体感がある。そのスタイルで届けたのはフィッシュマンズの“新しい人”と、「うまく弾けるかわからないけど」と言いつつ始めた、クラムボンの“ある鼓動”。当然ではあるけれど、バンドスタイルとは違う温度の歌唱を聴かせた。何気なくやっているようで、すごくヒストリカル。すごい選曲である。

そしてソロ新曲からは同期も流してここまでとは違うアプローチで聴かせた“青い、森、、”。実験的ですらあるアレンジ、「会えなくなってからのこと」という歌詞にさまざまな場合が浮かんで、瞬時に自分ごとになる曲だなあと唸る。そんなことを考えていたら、曲中に七尾旅人の“サーカスナイト”の一節が織り込まれて、脳内の景色がブワッと立体的になる。

そして最後は「谷川俊太郎さんと作った曲です」と、曲紹介をして“いまここ”を披露。さまざまな人が話す“いまここ”の音声が意味を持つ曲だ。ステージ上には彼女一人だが、一人で作り上げたものではない音が鳴っている。曲の後半にrei harakamiのシグネーチャーとも言える丸い音が聴こえた。“暗やみの色”から“Intro”をサンプリングしたものだと後から知ったのだが、電子音でこれだけ個性のある音色なんてそうそうない。まったり過ごすつもりだったが、終わってみればアーティスティックですごく濃い。最後の最後に深層にタッチされた1時間。今年のフジロックに悔いなし。

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FKJ http://fujirockexpress.net/23/p_1667 Sun, 30 Jul 2023 13:50:45 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1667 甘い。甘すぎた。FKJのライブがではなくて、前の原稿をうまく切り上げられず、ほぼ開演時間に駆けつけたRED MARQUEEは入場規制なんていうのが生ぬるいぐらいの混雑っぷり。待機列に並んで10分後ほどでようやく入場。しかし全然見えない。後方から背景のビジョンとなんとなくどんな楽器が並んでいるかが分かるポジションで立ち止まると、トラックを走らせながらさまざまな楽器を手に取りルーパーで重ねていっているようだ。曲は”Risk“。重ねると言っても今年のアクトの中でもその選び抜かれた音の少なさは筆頭だろう。普通におしゃべりできるぐらいの圧のない音像だ。サウンドの構築もスタイリッシュなら、背景の映像もまたスタイリッシュ。ゆるく体を揺らす人と、FKJの行動をガン見する人のテンションの違いがすごい。

オリジナル楽曲以外にアル・グリーンのリアルタイムなリミックスなのだろうか?名曲に彼ならではのプレイで上物を加えていくのだが、リミックスだと、よりFKJのミュージシャンとしてのセンスが分かる。他にもPhoenixのリミックスなど、“ひとりでなんでもやるマン”と呼ばれるマルチプレイヤーの彼がどういうプロセスでアレンジを施していくのが眼前で繰り広げられた感じなのだ。これは面白かった。

ただ、機材トラブルが何度も起きたのは正直、かわいそうになるぐらいで、メロウなピアノに大きな歓声が上がった“Way Out”が映像もフリーズしたりして、せっかくの流れが台無しに。映像がまた美しく、ピンク色の背景にシルエットの鳥のアニメーションが舞い、ピアノの揺蕩うメロディと見事にシンクロしていたのだ。これが何度もぶった斬られるのだが、怒りを表すでもなく、何度も演奏を再開するFKJに拍手が起こる。不本意な拍手だろうが、最終的にライブを完遂してくれたことには感謝する他ない。

今回はキーボードやシンセ、ギター、ベース、サックスが並ぶセットで、コーチェラの配信で見られたようなリビングルーム風のセットではなかったが、“SMTM”と、それをリミックスするタームはどのように楽器を重ねていくのかが、ビジョンに投影され、チルな音楽にも関わらず、高い集中力で音を重ねているプロセスが見られたのは嬉しい。

ジューン・マリージーをフィーチャーした“Vibin Out”、アニメーションでMasegoが登場した“Tadow”と、彼の名前を知らしめたナンバーが続く。ピアノに向かい合ったところで、くるか?と思ったら、やはり代表曲“Ylang Ylang”だ。ギュウギュウ詰めのRED MARQUEEがそれでもウォームな空気を保ち続けたのはFKJの音楽性ゆえだろう。ただ洒脱なだけでもない、不思議なメロディを孕んだ彼のピアノのメロディの中毒性。さらにライブで演奏しているからこそ実感するピアニストとしての技量の高さ。しかしこんなにシネマティックな曲がポピュラーな人気を獲得してるという時代性たるや。2020年代のフジロックを象徴する演奏だったのではないだろうか。

続けてピアノナンバー“Sundays”で、そのメロディのオリジナリティに心酔させたあと、何も告げずに坂本龍一の“メリークリスマス・ミスター・ローレンス”を弾き始めた時の怒涛のような歓声はRED MARQUEEのキャパシティとは思えないボリューム。後ろにいたカップルは叫び、女性は涙声になっていた。教授が亡くなった際の海外の公演で予定になかったこの曲を披露したことは知っていたが、やはり今日も演奏してくれた。今回のフジロックでは他のアーティストもYMOへのオマージュをライブで表現していたようだが、ピアニストであるFKJにとって、教授はよりリスペクトを捧げる存在なのかもしれない。このカバーも今年という歴史上の地点を象徴していた。

とても親密なライブだったからこそ、遠くない未来にじっくり味わえる形のライブで来日してくれることを願ってやまない。

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SIRUP http://fujirockexpress.net/23/p_1666 Sun, 30 Jul 2023 12:34:59 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1666 15曲。1時間のフェスのセットリストで15曲。そのせいでいつも恐ろしく長くなるMCは端的にまとめられていたけれど、それでも話す方だ。Soulfexという強靭なバンドの演奏もスタイリッシュな演出も、この場にいる人を一人も取りこぼさない空間作りも(そこに含まれるユーモアも)、社会に対する真摯なプロテストも、全部諦めない上で15曲なんである。こんなアーティスト、国内外でもほとんどいないんじゃないかと思う。

EP「BLUE BLUR」のツアーを経てきたから、バンドはもう出来上がりすぎるぐらい出来上がっている。レポートを書かなきゃいけないが、今日は踊る気、楽しむ気満々なんである。Soulflexの面々が現れるとソウルショーっぽいインストセッションでスタート。そして“スピード上げて”ではRED MARQUEEにどんどん人が増えてくる様子が嬉しいのか、シビアな内容の歌詞に関わらず思わず笑顔になるSIRUP。間を置かずどんどん演奏する。抜群のハイトーンで魅了する“Superpower”、背景に巨大水槽の映像が映し出され、面白い効果を生む“Pool”。初見の人も多そうだが、ボーカルの表現力で持っていく。セクシーでロマンティックな”Overnight“では映像でクラップする場所が分かるという、速攻で参加できる演出も。ぶっといベースラインで踊らずにいられない”Maigo“と、序盤で完全にダンスフロアと化すRED MARQUEE。

「2021年のテンションを取り戻しに来てます!」と言った時点では2021年のフジロック初出演のことだと思いつつ、ここにいる人の何割にそれが伝わったかな?という印象だった。まあ、冒頭から経緯を語るのもヤボではある。まあとにかく嬉しそうなのだ。だから可能な限り演奏し、歌う。AORの洒脱を感じるファンクナンバー“Rain”で、再び豊かなボーカル表現に圧倒され、「メロウに揺れて行きませんか?」の誘い文句からのイントロに一際大きい歓声が上がった“Loop”ではそこここでサビのシンガロングが起きた。エンディングのフェイクのうまさに痺れつつ、天井を見上げるとREDにはミラーボールが6個もあることをこの時遅ればせながら知った。深夜のダンスアクト仕様はSIRUPのライブの味方でもある。

SIRUPは曲の繋ぎで説明的になることなく、ちょっと唐突なぐらい語り出す。「見た目のこと言われんのダルない?好きな格好したらええやん」。そう、大阪弁で。ルッキズムについて自分の曲として消化できている日本の男性アーティストって、ほとんどいないんじゃないだろうか。今日はこの後、LIZZOが登場することも一つの線になっている感じだ。その曲“もったいない”はとても優しく誰をも認める曲だ。人の言葉を気にしている時間も、それで傷つくあなたの気持ちももったいない、と。そこから繊細極まりないラブソング“Hopeless Romantic”に繋いだのはなんとなく男子のマインドを救っている印象があった。

「フジロック、最高ですね。2年前は厳かな感じやったから、取り戻しに来て。こんなMCする時間もなさそうなぐらいセットリスト詰め込んできたから」と、先ほどのフリを回収しつつ、盛りだくさんのセットリストの理由も話す。が、どうしても一言だけ、と「戦争反対!差別反対!そういうの全部嫌い。あ、もう一つインボイス反対!」と、一瞬キョトンとするオーディエンスに説明を加えていく。若干、力技なのだが、自分の見解を示すことを彼はやめない。初めて見た人は後で「なんか言ってたな」ぐらいでも覚えていたら大成功だと思う。

どちらかといえばスイートだったりファンキーなナンバーで踊り続けてきた流れに、Skaaiを呼び込んでの“FINE LINE”はピリッとしたアクセントになり得ていたし、Skaaiのラップがフジロックで聴けたことも感慨深い。井上惇志のソロでバッチリ、エンディングが決まった。周りを見回すと見事にさまざまなオーディエンスがほとんど立ち去らずにこのグルーヴとSIRUPチームが作る居心地の良いセーフスペースで踊り続けている。バンドアンサンブルの良さもさまざまなリスナーを吸引する理由だろう。サックスソロがスイートだった“Need You Bad”、ともにアクションできる“BE THE GROOVE”、生活感を映すリラックスしたナンバー“SWIM”と、全く飽きさせず完全にこの場をロックしていく。完全にグルーヴが出来上がったところにお待ちかね、“DO WELL”のタイトルコールで、さらにブチ上がるオーディエンス。もうどうなってるんだ?全員ファンだった?という盛り上がりようである。初めてやってみる“Right Side、Left Side”のアクションもみんな楽しそうだ。

ぱつぱつに詰め込んで、もう少しで1時間経過しようとした時、ライブという場所について「俺もそっちにおることもよくあるから」と、音楽やアートでしか癒されない何かについて、癒されている友達をリアルで見た時の感動をもとに作られた“See You Again”を最後にセット。コロナ禍でライブから足が遠ざかっていた人も、沈んだ心が浮上するライブの瞬間を徐々に体感しているはずだ。このエンディングはSIRUPのライブでもあるし、久しぶりにほとんどの制限が解除された今年のフジロックにも共振する曲だった。

PS セットリストを詰め込みすぎたせいで、時間的な黄色信号をもらいつつも集合写真を撮影して、大急ぎで去って行ったのも思いの強さの表れだったのでは。

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アトミック・カフェ 世武裕子 http://fujirockexpress.net/23/p_1707 Sun, 30 Jul 2023 07:00:02 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1707 GYPSY AVALONが元の場所に戻り、アトミックカフェ・トークが3日とも行われることに、「いつものフジロック」を感じた人は少数かもしれないがいると思う。もうすぐ世武裕子のライブが始まろうという時間になっても、この日のメイン論客、宮台真司とジョー横溝、司会の津田大介のトーク「社会とテクノロジー」は終わらない。この話を無関係ではないと思うのだが、今の社会、テクノロジーから取り残されたら命取りである。どんなに貧困に陥ってもスマホだけは堅持する時代だ。だが同時にそれは孤立も生むなあ、などと考えていたところ、トークに世武も招き入れられ、生ピアノを持ち込めない現場で、テクノロジーを駆使したセッティングで納得の行く演奏を届けることができる、それは決して半導体が不足する現実社会と断絶されたものではないという趣旨のことを話した。

彼女がアトミックカフェのトークのあと、しかもこの日のライブに登場したのは非常にいいブッキングだった。テクノロジーの話題はさらに生成AIは“作品”を作り得るのか?という話題にも及んだからだ。宮台は「AIは天才じゃなく秀才」という。大方の人に共通する認識だろう。いい意味でのバグみたいなものが今まで聴いたことも見たこともないアートを生み出すのだ。

さて、世武のステージがようやく始まる。彼女は自分のオリジナルを披露するとかプロモートするライブを今、やっていない。もちろん自身の曲もあるが、カバーも含め、その場所で感じたことを歌とピアノでアウトプットするという、営みを行っているのだ。そこにはアーティストエゴは存在せず、彼女が発した音を自分の中で転がして、何かを見つけるような体験だ。

世武の本領であるピアノインストをこの場所の空気やバイブスを反映するように弾く。そしてPeople in the Boxの“水のよう”のカバーを披露。まさに流れ、押し寄せてくる水のようなピアノに思える。松任谷由実の“やさしさに包まれたなら”は多くの人がわかるカバーだったと思うが、ピアノという楽器がオーケストラのように高音も低音も、和音もフレーズも鳴らせる楽器であることに、どこか痛快な気持ちも湧き上がった。それにしてもこの曲、日本語の歌詞の中では最高峰である。万物に意味があることをこんなに柔らかく示せる歌詞って……。

彼女の書く映画音楽のニュアンスに近いアレンジの“テルーの唄”は手嶌葵で知られるが、どこか歌い手の野生を感じる歌唱が心に響く。オリジナルも披露し、“美しいあなた”も“スカート”も原曲はエレクトロニックなアレンジだが、歌とピアノで骨格が浮き彫りになり、人生でも稀有な美しい体験がリアルに迫ってくる。自由も孤独も知った歌の主人公の高潔な魂が森に反響する。

最後の曲を前に世武は、作品は自分が物理的にこの世に存在しなくなっても残るけれど、生きている人を前に演奏することは生きているうちにしかできないことだと言う。「私の曲を聴いてください、ってライブじゃないのはここにいる人から何かを感じて歌に乗せてやる、この場にしかないものだからなんです」と。その言葉が演奏をさらに深いところで理解させたのか、家族ではあるけれど、わからないこともある、わからないまま一緒にいようという“かぞくのうた”。自分でも驚いたのだが、汗が出るように涙が出ていた。意味を理解する前にアウトプットしていた。こういう化学反応を世武は楽しんでいるのか、と妙に納得してしまった。

アーティストの意見も聞きながら、ライブにも繋いでいくこの日のアトミックカフェ。やはりここはフジロックの大事なヘソだ。

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NIKO NIKO TAN TAN http://fujirockexpress.net/23/p_1662 Sun, 30 Jul 2023 04:37:23 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1662 最終日のRED MARQUEEの一番手、NIKO NIKO TAN TANを見ようと、ゲートオープンを待つ人がそこそこいる。去年、苗場食堂で見た時はエクストリームではありつつ、そこまでフジロック出演に執着を感じなかったのだが、その後、バンドの輪郭がどんどん明確になり、音楽性で言えばKing GnuやTempalayがJ-POPにもたらしたロックとファンクの混交やサイケデリックな音処理がなされたポップナンバー好きをどんどん獲得してきた。はっきり言ってこんなに上昇志向というか、上に上がっていきたいバンドだとは去年の段階で思っていなかった。

ステージ上にはOCHANのシンセやパソコンのセットとマイクスタンド、Anabebeのドラムセットが並列。生楽器はドラムだけなのに、佇まいは強力な2DJのセットみたいに見える。そこにスティックを持った腕をぶん回すAnabebe、ハンズクラップを促しながらのOCHAN。このハイテンション&オープンマインドがもう去年と全然違う。スターターは“
胸騒ぎ“。バンド名のロゴがオレンジ色の背景に抜かれた映像を背負って、初っ端からどんどん上げていく。Anabebeのドラミングはパワフルで正確無比だが、引き締まったサウンドメイクで音が大きすぎないのも良い。チームとしてのライブの完成度がすこぶる上昇している。哀感が滲むメロがこのバンドらしさを表す”多分、あれはFly“は後半にラウドロックばりのビートを投入して飽きさせない。リズムチェンジが生音なのはやはりスリリングだ。

冒頭から煽りに煽るOCHANが感慨深そうに「バンドにとってずっと憧れてきたRED MARQUEEにたてました。一生忘れられないステージになると思います。みんなも楽しんで!」と、この場所を愛するミュージックラバーらしい謝辞を述べた。いやー、こんなに自分の思いをまっすぐ話す人だったっけ?と、こちらも感慨深くなる。

レパートリーにセンチメンタルなラブソングが多いニコタン。悲しい感情とも違うのだが、泣きながら踊るという感覚がわかる人に“琥珀”はすごく沁みると思う。届かない人の心の中を歌うのにOCHANのファルセットは抜群のハマりを見せる。センチメンタルなナンバーは次の“琥珀”につながり、ゆらゆら上がるオーディエンスの腕が共感を示す。そんな光景を見て二人とも嬉しそうだ。最高!を連発しつつ、しかしMCでは「ここは入口なんで、もっと大きなステージでやっていきますんで」と、OCHANはどこまでも強気。「ルーキーに何度も落ち続けて、路上で発泡酒片手に“フジロック出たいなー”って言ってた頃もあって。次はこのステージをイメージして書いた曲です、“Jurassic”」と曲振り。今年の夏フェスも各地に出演している彼らだが、間違いなくこの新曲はこの場に為に書き下ろされた。アーティストをそんな気にさせるのがフジロックだと思う(昨夜、Vaundyが新曲を初お披露目したのもそういうことだ)。“ドンドン・タッ!”のリズムはクイーンの“We Will Rock You”を想起させるが、Anabebeの叩くドラムはもっとプリミティヴ。大きなステージで見てみたい、ニコタンの次のフェーズだ。さらに大きなステージ、それも夜に見たくなる“Paradise”を投下。もうダンスは止まらない。

OCHANの曲作りの引き出しの多さは“同級生”の可愛げと機能的なダンスビートが融合した展開で、そこまでとちょっと違うレイヴっぽい空間を作る。なんというか電気グルーヴの“虹”みたいなニュアンスというか。そういえば彼らがVANSの[Musicians Wanted]でアジアのトップ5になった際、審査員の一人だったアンダーソン・パークが「バンドだけど二人で、レイブっぽいところも良い」と評していたのを思い出した。それはイコール音楽の自由度だと思う。

もはやちょっと動くだけでも汗が吹き出すRED MARQUEE内だが、時折風が吹き抜けていくと、最高に気持ちがいい。“パラサイト”でもうひと踊り。Drug Store Cowboyの手になるエイリアンと花が合体したようなカラフルなアニメーションも脳に来る。そう。カラフルだけど、どこかノイズだったりサイケデリックな風味があるのがニコタンだ。この世界観がどんどんブラッシュアップされて行くんだろうな、でかいステージでも見てみたいな、と、想像が捗る。

余力を残すまいと全力のライブを展開してきたOCHANはラストソングを前に「ありがとうフジロック!また来年も会いましょう!」、おいおい来年も出る気満々じゃないか(笑)。シリアスすぎない感傷をメロディに内包した“キューバ、気づき”で、宿願のRED MARQUEEをフィニッシュ。ハグする二人はなんだか一戦終了したボクサー(Anabebe)とセコンド(OCHAN)みたいで愛しい。

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Vaundy http://fujirockexpress.net/23/p_1632 Sat, 29 Jul 2023 14:26:16 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1632 入場規制がかかった2日目トリ前のWHITE STAGE。それまでのステージとは明らかに違う老若男女のバランスの良さがすごい。同じフジロックのオーディエンスなのだろうか?と一瞬驚くぐらい、たとえばサッカー競技場とかの一般社会感がある。中でも小学校高学年から中学2年生ぐらいの男子の熱狂である。彼らが人波をかき分けてでも見たいヒーローはVaundyだ。

ギチギチに人が入ったWHITE STAGEでも後ろに下がればむしろ上方のビジョンが見えるだろうとたかを括っていたら、その映像はなし。なかなかなこだわりっぷりである。怒涛のツアーを共にしてきたバンドと共にライブに臨むVaundy。ステージを囲むように設えられたライトの演出がシンプルカッコいい。そして思わせぶりな選曲は一切なし。初めて見る人も、ツアーのチケットをなかなか取れない人も大満足の高い認知度を誇るヒット曲を連発していく。“恋風邪にのせて”をスターターに、リフもののロックチューン“そんなbitterな話”、ソウルフレーバーもあるピアノポップ“Tokimeki”と、連発した序盤はどこか英国の至宝で、先日ライブ活動を終了したエルトン・ジョンにも似た強いポップ性を感じた。

最初のMCでは「Vaundyだ!みんな(パワー)残ってる?俺はまあまあきてるんだけど」と、序盤から飛ばしたからか(?)何気に「そんなに何時間もやるわけじゃないから」と暗に言ってるような感じなのだ。これは彼のスタイルの一つだと思うが、初見のオーディエンスも多いはずなのに、なんとなく受け入れられている。

ジャンル的に1テーマでキャッチーな曲作りをするVaundyのレパートリーの中でもロック色強めかな?と思っていたところにディラ・ビートっぽいネオソウル“napori”を選曲したのは嬉しい驚き。そして80年代フレーバーもある8ビートの“踊り子”、“しあわせ”とヒット曲でこの場にいる人を一人残らず鼓舞していく。さらに“不可幸力”ではタフな演奏がアリーナクラスのアクトの実力を再認識させてくれた。

1曲1曲、ドッカンドッカン、反応があるにも関わらず、お馴染みの「そんなもんかい?フジロック!」を放ち(同様に「そんなもんかい?紅白!」というのがありました)、ソリッドかつ重厚な“CHAINSAW BLOOD”、続けて“裸の勇者”を披露し、ストレートなロックのステージ色がさらに濃くなる。イーブルなギターサウンドが響き渡る“泣き地蔵”へと、サウンドに一本筋を通しつつ、誰もが知るヒット曲がこんなにあることが彼の個性だと思った。

一つの型ができてはいるが、MCで余力がだんだんなくなっていくことを発言するのも、オーディエンスが後悔しないように楽しむためのヒントなのかもしれない。再び「だいぶキテんだわ。でもみんなすごいね。朝からいてんだろ?でも、俺は出し切りたいんだわ」と、ライブが残り少ないことを示唆。余力を残させない選曲はロックでダンスな“花占い”、ダメ押しに特大級のヒット曲“怪獣の花唄”をステージの端まで出て、歌う。全身を弾ませながら歌い、ロングトーンの終わりに少しだけフラットするあのボーカルのグラマラスなニュアンス。これはVaundyの発明だし、容易に誰でも真似できるものでもない。

誰もがこれで終わりなのでは?と思ったところに「おかしいな、終わんないな」と自ら言うのも面白かったが、この場で3年ぶりのアルバムを今年リリースすることを発表し、なんの説明もなく「ここからはずっと騒いでください」とだけ言い、骨太でちょっと哀愁も含んだマイナーチューンを披露したのだ。イメージとしては90年代のUKロック。おお、これをフジロックでやりたかったということ?と、その強気っぷりに感嘆してしまった。素晴らしいお披露目の場所ではないか。そしてWHITE STAGEにたどり着いた人だけに送られたサプライズでもあり、何よりVaundyなりのフジロック愛だと思う。

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TESTSET http://fujirockexpress.net/23/p_1630 Sat, 29 Jul 2023 10:01:00 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1630 「ありがとうございます」という謝辞以外、LEO今井はMCをしなかった。

2021年は特別編成(もしくは緊急事態)のMETAFIVEとして砂原良徳とLEO今井が軸となって、高橋幸宏のライブなどでゆかりのあった(もっと言えば白根はLEO今井バンドのドラマーでもある)白根賢一、砂原とマネジャーが同じ時期があったという永井聖一で組織された急ごしらえのバンドは今や正真正銘、バンドである。オーディエンスがどんなストーリーを描こうが自由だが、自分達はアルバムもリリースしたバンドであるという無言の意志が、MCに現れていたんじゃないか。

そのアルバム『1STST』リリースタイミングでの一夜限りのライブを経てのフジロックでのステージはMETAFIVE時同様、WHITE STAGEなのがどこか因縁めいているが、音響的におそらくここが最もハマるのだ。というのも、オープニングSEの段階で凄まじくローの効いた出音で、どちらかと言えばテクノやハウス系のダンスミュージックの音場ができていたからだ。1曲目の”El Hop“も生音のドラムが入ってくるまではガムランのような音の壁が支配し、歌メロはどちらかと言えば聴き取りにくいぐらいだった。それが白根のドラムが入ると同時に、ポップミュージックの様相を呈した。そうなるとアルバムの新曲を聴き込んできたファンにはスケールアップしたWHITE STAGEでのTESTSETが120%堪能できる。コインが転がる映像がノワールな映画のように”Moneyman“を演出していく。永井聖一のギターは個人的には80年代のデヴィッド・ボウイの作品でのギター、カルロス・アロマーやロバート・フリップのセンスを感じる。

メンバー全員のバックボーンと今を繋ぐ音楽性がTESTSETの面白さだと思うのだが、ライブだとより誰がどの音を出しているのかがわかるのが醍醐味だ。生ベースが存在しないTESTSETの屋台骨は砂原のシンセベースであることは間違いない。このローの成分がオーディエンスの腰あたりを直撃する。サブスクやCDで聴いているだけでは感じえない“Japanalog”や“Carrion”の肉体性をライブで知るのだ。そしてフロントマン、LEO今井の独特な存在感はライブで増幅する。あらゆることに違和感しかないような表情で、怒りとはまた違う悲鳴のような叫びを発する様子は我々が実は蓋をしている感情なんじゃないかと思うのだ。

映像も特徴的なTESTSET。“Carrion”で鳥の群れの怖さと同時にグラフィックとしての面白さを見せたあと、鳥の視点で街を見下ろすような映像を背負う“Where You Come from”に繋ぐのも面白い。そこからTESTSETで最もオーセンティックなバンド曲と言える“Bumrush”つないだのも、このバンドの幅の広さを実現。振り幅と言えば、ある種、LEO今井のシグネーチャーとなりつつあるカウベルを思いっきり叩く様子がインダストリアル・テクノめいている“The Paramedics”はこの日のセットリストで最もテンション高く迎え入れられていた。黙々と演奏に徹する4人がたどり着いたこの日のラストナンバーは“A Natural Life”。何度もタイトルをリフレインしていると、何が自然な生活なのかわからなくなってくるというトラップが、背景の都会のビルと自然の中に屹立する断崖を交互に映し出すことで効果を上げていた。

最初はダンスフロア仕様の音作りに自然と体を動かすところから始まり、聴覚も視覚も曲が表現しようとしていることに自然と照準を合わせていくようなダイナミックな体験ができた1時間。もう前史としての特別編成のMETAFIVEについてTESTSETが語る必要はないのだ。

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d4vd http://fujirockexpress.net/23/p_1654 Sat, 29 Jul 2023 06:50:23 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1654 日中のレポートは「暑い」から始まっている感があるが、実際、水分補給が筆頭要件になるほど今年の暑さは容赦ない。屋根はあるが、RED MARQUEE内でもなるべく日陰を探して場所を決める。

にわかに日本でも知名度上昇中のd4vd。作品ではティーンエイジャーの傷つきやすい心をダークな世界観で描いているが、驚くのは彼が10代のアフロアメリカンだということだった。もちろん、フランク・オーシャン以降、インディーミュージックと共振するR&Bやヒップホップのアーティストは数多く出現したけれど、d4vdの場合、さらにシンプルなトラックでオーセンティックと呼んでいいほどメロウな作品を作ったり、インディーギターポップを作ってきたからだ。それは彼が特定のシーンに関わらず、iPhoneの音楽制作アプリでトラックを作り、歌は妹のクローゼットで録音するという、ベッドルーム、もしくはゲーマー界隈の住人だったからに他ならない。

だが、プロップスが上がって以降、というか、ファンを目の前にしたライブを積み重ねるごとに、フィジカルに重きを置いたライブをするようになったんじゃないかと思うのだ。ステージにはドラムセットとキーボード、ギター。サポートミュージシャン2名とともに、生音も存分に入ったトラックに乗せてアクトする。1曲目の“You and I”ではパンク/ハードコアのボーカリストのように動き回り、フジロックに出演したことが相当嬉しいようで、アクセントもバッチリの日本語で「行くぞ!」と煽る。この辺り、日本のアニメでそのトーンに親しんできたからかもしれない。立て続けにモダンなラウドロックテイストの“Bleed Out”では何とバク宙まで披露する身体能力の高さ。ファルセットのロングトーンがグラマラスな“Placebo Effect”と、激しいアクションで初見のオーディエンスを引き込んでいく。

序盤のトップギアから、どちらかというと本領発揮なミディアムからスローの、じわじわ迫ってくるナンバーを続けて披露していく。悲しげなアコギのアルペジオが心象を表すような“Don’t Forget About Me”、さらに内省的で、しかし彼を象徴するような“Sleep Well”と、序盤のテイストとは相当な振り幅を見せながらライブは進行。そして、海外のライブでも披露していた新曲“Rehab”では再びクランチなギターが空間を刻み、8ビートがさまざまなオーディエンスを鼓舞していく。フロアの熱気が彼に送り込まれているようで、着ていた”血飛沫柄”のシャツを脱いでオーディエンスに投げ込んだ。

1曲終わるごとに感謝を述べたり、日本に来られたことに感激を隠せなかったり、曲の説明をしたり、ライブ全体の流れや演出より、生身で今ここにいる人に対峙することを優先するようなステージ運びを見せるd4vd。その方向性もライブパフォーマンスも今後まだまだ変わっていくかもしれないポテンシャルを感じさせるものだった。

終盤も彼の持ち味である深く耽溺するような曲を連ね、ラストはd4vdの存在がクローズアップされた“Romantic Homicide”で締めくくり。当初、インスタグラムのストーリーにアップしたところ、1日で120万回再生されたこの曲がいかに同世代の心を掴んだか。失恋という、人格や人生に大きな影響を及ぼすテーマももちろんだけど、これからの彼が何を音楽の中で描いていくのか?すでに気になり始めている。

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優河 with 魔法バンド http://fujirockexpress.net/23/p_1679 Sat, 29 Jul 2023 04:37:37 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1679 昼間の猛暑で初日から思いの外、体力を削られたものの、午前中の空気は美味しい。FIELD OF HEAVENのトップを務める優河 with 魔法バンドを見るために、ボードウォークを歩く。これはフジロック期間中に必ず体験した方がいい。もっと言うと、心地良すぎてここで優河のライブを音だけ聴くのも贅沢だなあと、重い足の言い訳を考えたりしている。

太陽から逃げ場のないHEAVENに出ると、ちょうどメンバーがステージに登場。全員、白からオフホワイト、ベージュの服で揃えている。優河がフルアコを弾き、歌い始めると、タイトル通り“さざ波よ”を擬似体験しているような気分に。彼女の声は爽やかな風というより、ちょっと冷たさもある流れる水に思える。いずれにしてもこんなに自然界の事象めいた声の持ち主は稀有だ。そしてメンバーが素晴らしい。千葉広樹(Ba)、岡田拓郎(Gt)、谷口 雄(Key)、神谷洵平(Dr)という、新世代のジャズやソウル、ニューエイジなどを抜群のスキルとセンスで切り開くアーティストばかりなのだから。

そんなバンドだから、簡単に形容はできないけれど、早くも冒頭3曲だけで、ニューエイジもフォークもネオソウルも楽しんだ。必要な音を遠慮なく鳴らしながら、その耳あたりはごく優しい。ハンドマイクで心の赴くままに動きながら歌う”June“で、さらに柔らかいのに軸に強さのある声に浸る。この灼熱の中で、動かずに省エネしながら、歌と演奏に耳を澄ますことにのみ体力を使っているようなオーディエンスに親近感を覚える。そう、ひたすら音を感じたいのである。

メンバー紹介のあと、新曲を披露する旨を告げ、“遠い朝”を披露。岡田のシンセのようなギターサウンドがイマジネーションを拡張してくれる。続く“夏の窓”では神谷のマレット使いが悠久の時間を作り出し、気分はHEAVEN。これが20℃ぐらいの薄曇りなら間違いなく幸せすぎて心身共に最高のコンディションを獲得できるはず。逆にそのシチュエーションは今後体験できなくもないのだ。

エゴがなくはないのだが、優河を見ているとだんだん歌を発する楽器のように見えてきて、あながち彼女の音楽の特徴と遠くない気がしてくる。

「とっても気持ちいい森ですね」

彼女の感想はそのまま彼女の音楽に返したい。最もポピュラリティのあるレパートリー“灯火”の歌い出しのキーを間違え、「間違えた!あぶねー!」と、一瞬素を出したところすら自然で、もっとこの声と声のようなアンサンブルに浸っていたいと思った。同時に魔法バンドは“魔法”を名乗るにふさわしい、現代の秘技の使い手集団でもあった。素晴らしいライブを見られた。

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