『フジロック、今年で最後なんですか?』
今年のフジロックが開催されるひと月ほど前、新潟は三条市でフジロッカーたちが集う飲み会、フジロッカーズ・バーが開催されたときのこと。地元の方々の口からそんな言葉が飛び出していた。さて、どこからそんな噂が生まれたのか… ひょっとすると、オレンジコートがなくなったことから奇妙な憶測が生まれたのかもしれない。が、振り返ってみれば、フジロックは始まったその年から、いつ幕を閉じてもおかしくはなかったと思っている。
すでに伝説となった1997年を覚えている人もいるだろう。初日の昼過ぎからか、台風の影響で始まったのが土砂降りの雨や強烈な風。加えて、山間部の野外フェスティヴァルには不十分な軽装でやってきた人が多かった。ずぶ濡れになった人や疲労困憊した人たちが本部に逃げ込んで、あるいは、担ぎ込まれて、まるで野戦病院のようになっていたのがその内部。挙げ句の果てにキャンセルされたのが翌2日目だった。
当時、公式サイトに設置されていたBBS、”Let’s Get Together Board”は無数のクレームで溢れかえり、脅迫じみた書き込みも少なくはなかった。当然のように、好意的なメディアはほぼ皆無。あの時、フジロックを続けられると考えた人はほとんどいなかった。逆に、『叩くべき』対象とされてしまったのかもしれない。翌98年に都内で開催されたときの大手メディアによる『デマ報道』は、その極めつきといっていいだろう。なにせ『熱中症でバタバタと1000人が倒れた』物語がねつ造され、『無謀野外ロック』と書かれているのだ。
その発想の根底に見え隠れしていたのはアナクロな偏見だった。『ロックは危険』で『反社会的』というイメージを盲信し、オーディエンスを自己管理もできない『群れ』と規定する。だからこそ、がんじがらめの『管理』を正論として、それを押しつけようとしていたのだ。が、フェスティヴァルという文化は人間の「個」を否定するような発想とは対極にある。いわば、そういった管理主義に対抗するものなのだ。プロデューサー、日高氏いわくフジロックは「コマーシャルなものとオルタナティヴなものの綱わたり」。それを踏まえた上で進化していったのではないだろうか。
その進化や、あるいは変化が明らかな形を見せたのが、会場を苗場に移した99年だろう。特に、フェスティヴァルのイメージを変えたのは、今でも語りぐさになっている会場の美しさだった。といっても、それは山や川といった自然に囲まれた環境ではなく、全てのライヴが終えてもほとんどゴミも落ちてはいなかったという奇跡のような光景。あの時、苗場に集まった人々のなかに共通していた『フジロックを失いたくない』という想いが、それを生みだしていた。
そんなプロセスを経て、フジロックへの評価が高まっていく。そして、そこに続くように野外でのライヴを中心とした数多くの、いわゆる夏フェスが生まれていった。といっても、それが『当たり前のイヴェント』となった頃からだろうか、話題として取り上げられるのが豪華なラインナップに終始することになる。今年もフジロックが幕を下ろしていち早く姿を見せたマスメディアのレポートはヘッドライナーのライヴレポ。彼らにとってフジロックは数ある夏フェスのひとつでしかないんだろう。会場の隅々で生まれるドラマや奇跡にスポットが当てられることはほとんどなくなっていた。
が、フジロック・エキスプレスが追いかけ続けたのは、フジロックを創りだしている全てだった。大小さまざまなステージで演奏するミュージシャンはもとより、裏方さんから『祭』を演出するアーティストや作品の数々。それは草むらや茂みのなかから顔を出しているバニーや、川のせせらぎからこちらを見ている岩を使ったアート、ゴンちゃんでもあった。あるいは、暗くなると輝きを見せるボードウォークや緑のトンネルを演出する幻想的なオブジェの数々。そして、なによりも、世界中から苗場に集まってくる人々だ。彼らこそがこの祭りを『祭』たらしめている要なのだ。
思い思いのコスチュームに決めている人たちもいれば、フェイス・ペインティングで彩りを与えている人たちもいっぱい。ステージのなくなったオレンジコートでサッカーやフットサルをしている人もいれば、どこかで突然ライヴが始まることもある。何が起きるのか見当もつかない。それぞれが思い思いに『祭』を生みだしていた。今年は、ボードウォーク改修で出てきた廃材を使って焚き火をしようという呼びかけに多くの人が集まってくれたのが嬉しかった。火を灯してから炎が見えるまで費やしたのは小一時間。そのとき、手助けしてくれたみんなから沸き起こった歓声はそんな『祭』を象徴していたように思う。
今年、苗場までやってきてくれたスタッフは約50名。加えて、日頃の取材活動やこの日の準備のために動き回ってくれたスタッフも数多い。さまざまな媒体で活躍しているプロの写真家やライター、あるいはデザイナーを中心に、彼らがありとあらゆる角度からフジロックの全貌を伝えてくれたのがフジロック・エキスプレス。手前味噌ながら、ここに溢れるみなさんの笑顔を見ながら、とてつもなく『平和』な時間が生まれていたことを感じることができる。
さて、そんな『平和』がこれからも続いていくのかどうか?それはみなさんの手にかかっている。『風営法』のおかげでフジロックのみならず、野外フェスティヴァルの開催が難しくなるのではないか… という憶測がネットを賑わしたのもつい先日。これがどう転んでいくのが、未知数だ。また、きな臭い政治の動きが戦後70年続いた『戦争できない国』を変えようとしているものご存知だろう。ここ数年の動きを見ていると、まるで忌野清志郎が予言した世界が目の前に迫っているような感覚に陥るのだ。
「地震のあとには戦争がやってくる。 軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。」
来年も今年と同じように、平和で幸せなフジロックが姿を見せてくれるかどうか… それは全て未来を創る私たちに委ねられている。ガチガチに管理された野外イヴェントとするのか、ジョー・ストラマーが残してくれた言葉のように『年に一度でいい。生きているってのがどんなことかを実感する』ものとなるのか、するのか… それを決めるのは私たちなのだ。
————————————————————————————–
fujirockers.orgを構成しているのはフジロックを愛するボランティアの集まり。苗場にやってくるみなさんと同じように、この『祭』を創っている仲間です。今年、さまざまな局面で動いてくれたスタッフは以下の通りです。
日本語版(https://fujirockexpress.net/15/)
写真家:森リョータ、古川喜隆、アリモトシンヤ、北村勇祐、平川啓子、小西泰央、熊沢 泉、mamiko miyakoshi、佐俣美幸、宗川真巳、JulenPhoto、安江正実、鈴木 悠太郎、粂井健太、MITCH IKEDA、サイトウマサヒロ、Natsumi Arakawa
ライター:池田信之、西野タイキ、名塚麻貴、菊入加奈子、松坂愛、小川泰明、大山貴弘、石角友香、三浦孝文、東いずみ、山本希海、あたそ、Paula、近藤英梨子、阿部光平
英語版(https://fujirockexpress.net/15e/)
Lisa Wallin, Dave Frazier, James Mallion, Patrick St. Michel, Matt Evans, Park Baker, Laura Cooper
更新およびフジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、湯澤厚士、関根教史、藤原大和、小幡朋子 、横須賀智美、宮崎萌香、迫勇一、大関麻依、坂上大介
ウェブデザイン・プログラム開発:三ツ石哲也、平沼寛生、宮崎萌香、山下実則、坂上大介
プロデューサー:花房浩一
スペシャルサンクス:高木悠允、永縄貴士、藤井大輔、鵜飼亮次、千葉原宏美、森空、高橋 舞日、丸岡直佳、丸山亮平、前田博史、代田小百合、吉川邦子、若林修平、岡村直昭、梶原綾乃、志賀崇伸、永田夏来、船橋岳大、及川季節