“古川喜隆” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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トミー富岡 http://fujirockexpress.net/23/p_1771 Sun, 30 Jul 2023 16:45:13 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1771 TRI4TH http://fujirockexpress.net/23/p_1769 Sun, 30 Jul 2023 14:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1769 LIZZO http://fujirockexpress.net/23/p_1619 Sun, 30 Jul 2023 13:39:00 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1619 大音量でLIZZOの曲を流し、すでに出来上がっている観客たち。写真を撮り合ったり合唱したり、3日間のフジロックの終了に向かう緊張感を抱きながら、今か今かと待ち望んでいるようだった。
ライブは、23分押しでスタート。「待ってました!」と言わんばかりの大歓声と拍手が巻き起こる。後ろのスクリーンに文字が映し出され、自分自身と他者に向けられた愛のメッセージと大きなハートマークが映し出される。セットの扉が左右に開けば、そこにはLIZZO!!!パワフルな歌声とともに“CUZ I LOVE YOU”から2023年GREEN STAGEの最後のショーが幕開けとなった。タータンチェックのスカートがポイントのパンキッシュなドレスを身にまとい、踊りながら圧倒的な歌のパワーを全身で浴びる。ピンクのアイシャドウもキュートに光っている。

ダンサー8人が登場し、間髪入れずに“JUICE”の演奏が始まれば、サングラスを外してすかさずダンス!この曲は自分から満ち溢れる魅力について歌っているが、高らかな声からは十分すぎるくらいに彼女の魅力が伝わってくる。
そのまま勢いを止めることなく歌われた“2 BE LOVED”で、自由に踊るダンサーたちの様子を見ていると、なんだってできてしまうような気すらしてくる。Team LIZZOの女性ダンサーはボディポジティブな面々で構成されているのだと思う。その彼女たちがキラキラと自由に踊る姿を見ていると、私たちを制限するものなんてきっと何もないと思わせてくれるようでもあった。クラブの如く観客たちはノリノリでステージを眺めながら、クラップ&ハンズで反応をしていく。楽しい!とにかく、この空間にいられることが楽しい!そう思えた瞬間だった。

「こんばんは、ニッポン!私はLIZZOです!BITCH!」という流暢な日本語での挨拶が終われば、観客から合唱の起きた“SOULMATE”。それから“Grrrls”、“BOYS”と対をなす2曲が続く。個人的には、このショーはすべての人に向けられたものだというメッセージなのだと受け取った。Jordanのギターソロもうなり、大きな歓声があがる。
“TEMPO”ではMissy Eliotからのメッセージが、“RUMORS”ではCardi Bからのテレビ電話の様子がスクリーンに映されるという大サービス!リアルタイムで映しながらLINEのようなメッセージは下から上へと流れていく。どのメッセージも優しく、ポジティブ全開の内容!LIZZOの世界には、ネガティブとかマイナス思考なんて存在しないのかも。芸の細かさにもグッとくる。

センターに置かれたスタンドマイク。“JEROME”では、ライトのつけられたスマホが、LIZZOのときに力強く、ときに優しく語り掛けるような歌声に合わせて左右にたくさんのスマホのライトが揺れる。“SPECIAL”は必ず聴きたかった一曲でしょう!ここにいる私もあなたもスペシャルで、かけがえのない存在であると、目の前で繰り広げられる歌が証明してくれる。大きな愛だ、と純粋に思う。こんなの泣いてしまう。今年のフジロックに来るまでの1年間は決して楽しいことだけではなかった。それでも私は特別で、そのままでいいのかもしれない。優しい歌声が、広いGREEN STAGEに響き渡る。
Chaka Khanのカバー“I’M EVERY WOMAN”、そして肩にプライドフラッグをかけての“EVERYBODYS GAY”が続くと、改めてLIZZOの曲は性別や人種、性的趣向などは関係なくすべての人を肯定する曲たちなのだと思わされる。誰ひとりとして寂しい思いをさせたり、仲間外れなんてしない。見る者すべてを幸福にしようとするショーを見ているとそう思わずにはいられなかった。

バンドメンバーのゴリッゴリのソロが終わればBBT(Bad Bitch Meditation)にWATER ME!深呼吸をし、ときにBITCHのセルフケアとして自分を自分で抱擁することも大切なのです。衣装チェンジをし、ピンク色の大きなリボンに包まれているような素敵なコスチューム。「まるでセーラームーンの変身シーンみたいだな」と思ったのだが、本当にそのようだ。セーラームーンが大好きなLIZZOの「ムーンプリズムパワー!メイクアップ!」の台詞には、会場もおおいに盛り上がる。

COLDPLAYのカバー”YELLOW“ではシンプルなピアノの音とともに大合唱が起きる、嬉しいプレゼントのようなひと時であった。それから、サポートメンバーと2人でフルートの美しいメロディが聴けたと思えば、”MAGIC“に”TRUTH HURTS“!バンドを携えていることもあり、音源よりもグッとロックに、ソウルフルに聞こえる。だからこそ心にグッと届くのだと思う。目で映像やダンスを堪能し、耳でパワーたっぷりの音楽を聴き、飛んで跳ねて拍手をする。ポジティブなこと以外を考える暇さえ与えられていないことに気がつく。とにかく幸せでエネルギッシュな空間に自分が含まれているのだ。
ひとりの観客の持つボードが、セーラームーンに変身した自分であると気付き、「それにサインしていい?」とLIZZO。そこから少しの時間、サイン大会が始まる。受け答えやスタッフの背中を借りながら一枚一枚に書いている様子を見ていると、なんだかこちらまでうれしい気持ちになる。この時間もLIZZOの愛に包まれた瞬間なのだと感じられた。

空高く伸びていく歌声が印象に残る“I LOVE YOU BITCH”、コーラスがアクセントとなった“GOOD AS HELL”のあとは、最後の曲“ABOUT DAMN TIME”!ああ、もう終わってしまうのか。本当に幸せで楽しい気持ちしか感じなかった1時間のステージ。LIZZOの大きな愛情を感じずにはいられなかった。会場にいる全員で大合唱をし、フルートの演奏まで再び披露してくれるという大サービス!踊り、飛び跳ね、腕を挙げ、観客もそろってこの幸福な空間を最後まで演出していく。「ありがとうございました!」とLIZZOが深くお辞儀をすれば、サポートバンドの面々がステージ前方に出てきて、最後の最後まで見ている全員を楽しませるという姿勢を貫いているようだった。

本当に素晴らしかった。言葉に言い尽くせないほど幸せな空間で、LIZZOからもらった愛で胸がいっぱいになっている自分がいる。途中、「日本でパフォーマンスをするのが夢だったの!」と語っていたが、フジロックに出てくれて本当にありがとう。今、このタイングで見ることに大きな意味のある時間だった。あの空間で感じた溢れんばかりの気持ちを思い出すだけで、強く生きていけると思う。私は私を愛して生きていけるのだと思う。LIZZOから受け取った愛情を思い出せば、なんだってできる気がする。

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NONE THE WiSER http://fujirockexpress.net/23/p_1767 Sun, 30 Jul 2023 10:50:34 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1767 never young beach http://fujirockexpress.net/23/p_1614 Sun, 30 Jul 2023 09:01:27 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1614 開演前、田舎へ行こう!が響くグリーンステージ。客の顔が巨大スクリーンに映し出され、それに気付いた人たちはカメラやスクリーンに笑顔で手を振っている。これから始まるライブを心待ちにしている様子がその表情からわかる。

午前11時、寅さんのあの有名な曲が流れ「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です……」と寅さんの声がステージに響く。まだメンバーの姿は見えない。客席からはSEに合わせた手拍子が起きる。メンバーのDr.鈴木、Ba.巽、Gt.岡田、Gt.下中、Kb.香田の順でステージに現れ、最後にVo.安部が登場。全員寅さんの恰好をしている。あの帽子、薄い茶色にチェック柄のダブルスーツ、そろいのパンツ、腹巻、中には水色のシャツ、そして首からは長く垂らしたお守り。ネバヤンの近頃のライブでは、このスタイルが定着してきたが、安部の似合いっぷりにはいつも笑ってしまう。安部は、客に見せつけるようにスーツの襟をちょいとつまみ、得意げな顔をしている。4年前に、初めてグリーンステージに出演したときの、やるぞー!というエモーショナルな雰囲気とは違い、余裕がありリラックスしているようだ。寅さんの曲が終わると同時に、安部が「おはようございます!」と叫んだ。

その声と同時に“らりらりらん”が始まる。「アハハのイヒヒで楽しくやろうよ」と客席に歌かける。本当にそうだ。2回目のグリーンステージ、皆で楽しくやろう。サビでは客席からも合唱が起きている。
曲の終わりで「ありがとう。never young beachです、よろしく!」と安部。すぐに次の曲が始まる。“哀しいことばかり”が始まり、巽が曲の冒頭でニコっとしたことが印象的。コーラスもよく響いていた。安部は『Oh Yeah』の始まりと共に「トンボの2匹目がと止まっちゃったぞ!フジロック始まってるなこれは!」と笑顔。マイクにトンボが止まるのもフジロックらしい光景だ。アルバムで聞くよりもベースとバスドラムの音がステージに響き渡り、いつもより骨太の音に聞こえる。サビ中に「あー楽しいなー!」と大きな声で言い、心の底から、このグリーンステージという大舞台を心から楽しんでいる様子が伝わってくる。途中、一度落ち着き香田のキーボードを堪能した後に再びドラムが入ってきて盛り上がるところもたまらない。「気持ちのいい日本晴れ」と歌う安部。本当にきれいな空だ。最後は感情が溢れるように「あー!」と叫んでいた。こんな大きいステージで、しかも彼らにぴったりの快晴は最高の演出だ。

そして流れるように“Hey Hey My My”が始まる。アルバムに収録されている電子音はなく、ギターとベース、ドラムを中心にがつんと始まる。テンポの良さに客席からもすぐに手が挙がる。肩車の子どもも手を振っていた。「天気がよけりゃ気持ちがいいもんだ」の歌い出しは、1曲前とつながっていて、にくいなとニヤリとした。やるじゃん安部ちゃん。リズミカルに踊るようなベースを弾きながらも、全体をしっかりと見回す巽。目に焼き付けているのかな。サビの前のコーラスも、大空に響く。声の揺れさえも、彼らが楽しんでいる証拠に思える。「元気でいておくれ」という歌詞の後の鈴木の力いっぱいのドラムが、客席へ元気を伝えているようだった。ドラムの音に合わせて客席からも歓喜の声が上がった。

そのまま鈴木のドラムが続く中、安部のマイクに2匹のトンボが止まる。「トンボ止まりすぎ!2匹は、やりすぎ!」と安部は笑う。そして「あの曲だとわかったら大きい声出したり歌ってみたり、みんなの大きい声を聞かせてくれよ。苗場に轟かせてね。」と安部が話し、“ちょっと待ってよ”のイントロが始まる。このコミカルなイントロが大好きだ。「チョット待ってよ」の歌いだしを、客席にマイクを向け歌わせた。力の抜けた歌い方が晴天に気持ちよく響く。客はそれぞれに踊り、気持ちよさそうに聞いている。曲が終わりそのままドラムのビートは続く。安部が「みんな水飲んでる?ちょっと地球暑すぎ!」と言う。本当に暑い。“毎日幸せさ”では、岡田が机のような形のスチールギターを弾き、その南国風の音が曲を盛り上げていく。“蓮は咲く”では、安部が目をつむり一言ずつをかみしめるように歌う。ふと見ると、下中も目をつむり音を一つずつ丁寧に演奏していた。ネバヤンは以前から演奏の上手さに定評があるが、その演奏に安部の優しい声が乗り本当にバランスが良い。

曲が終わり、ギターを持つ安部。ここまでマイク1本だったが、いつもの白いギターを手にして、「フジロックに帰ったので」と“帰ろう”を演奏し、フジロックに帰ってきたことを噛みしめている。「気が付けばここまで歩いてきたが」という歌詞を客席全体を見渡しながら歌っている。サビでは安部はタンバリンも手にして、リズムよく音を出していく。下中のギターが心地よく伸び、香田はキーボード2段で演奏、岡田はギターを演奏しながら楽しそうに笑っている。

MCで、安部は「4年ぶりなので体力が落ちてまして……。ステージ上で仮に僕が倒れても皆演奏を止めないで。皆で歌って最後まで行ってください。僕は救急車で運ばれながら手をグーにして挙げます。」客席から笑いが起き、ここからのさらなる盛り上がりに期待が膨らむ。そして始まった“どうでもいいけど”。「いくぞいくぞいくぞありがとうー!」と叫びギターが始まる。このギターの繰り返しが最高。「大人になりました!」と歌詞に合わせて叫ぶ安部。ドラムのダダダという音で盛り上がりは最高潮に。香田も表情豊かに弾いている。曲の後半で冒頭のギターが繰り返され、その後1トーン上がる部分が、心臓をきゅっとつかんで持ち上げていく。安部は「いくぞいくぞいくぞ!」と叫ぶ。

苗場食堂に出演した2015年。「ヤシの木フラミンゴ」という、ボツになったバンド名でシークレットのような形で、夜中の苗場食堂に出演したこともある。気付いたファンが押し寄せて、ものすごい数の客が集まった。最前列で見ていた私は、もみくちゃになりすぎて太ももがあざだらけになった。そのあざは1週間ほど消えなかった。あのステージからここまで来たんだよな。「どこまでもいくぞ!」と気持ちが一緒になる。“あまり行かない喫茶店で”では、「調子はどうですか!」と大きな声でマイク越しに叫ぶ。客席は、暑いなかでもとても楽しそうだ。“なんかさ”では、いつもよりリズミカルに聞こえる演奏で、テンポも少し早めに感じるがとても気持ちいい。ここの「平気だよって言い聞かせるけど、なんだか焦ってしまうのさ」の歌詞ではいつも涙が出てしまう。“fam fam”が始まり、下中のギターソロが炸裂。客席ぎりぎりまで前に出てギターを響かせる。巽は目をつむり噛みしめるように演奏している。

「いくぞ最後の曲!」と安部が言う。絶対にあの曲はやるはずとドキドキしてくる。安部と客が同時に「あー!」と叫んでから“明るい未来”が始まった。歓声が上がる。きた、いつも泣いてしまうこの曲。何回聞いても最高だ。4年前にもこのステージで、この曲を演奏していたなと思いだしてグッとくる。「いつまでも側にいてくれよ」の歌詞では、客席に手を伸ばし気持ちを伝えていた。そして本当のラスト“夏のドキドキ”。イントロから本当に良い。この快晴の苗場にぴったりだ。ステージの端から端まで走り回る安部。マイクに戻り歌いだす。息を切らしながら全身で歌う。コーラスの声も、ボリュームが上がる。鈴木のドラムがいつもより力強く響く。そして安部は客席の最前列の柵へ行き、そこに立つ。いっぱいに集まった客を見渡す安部。きっと今までのフジロックでの思い出も、頭によぎっているのだろう。柵に立ったまま熱唱した安部。大きな拍手と共に、最後はセキュリティースタッフに抱きかかえられステージに戻されるというオチまで完璧だった。

4年ぶりのグリーンステージ、最初にFUJI ROCKに出演し苗場食堂で演奏した2015年から8年。エモーショナルで、でも少し大人になったネバヤンのライブだった。大きな空に、気持ちの良い歌と演奏を残していった。

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GRYFFIN http://fujirockexpress.net/23/p_1616 Sun, 30 Jul 2023 08:00:23 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1616 RAZORS EDGE http://fujirockexpress.net/23/p_1763 Sat, 29 Jul 2023 15:59:58 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1763 SLOWDIVE http://fujirockexpress.net/23/p_1657 Sat, 29 Jul 2023 12:53:58 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1657 開演10分ほど前に向かうと前方の入り口が規制で入れないようで、慌てて後方から向かうもPA横くらいまで行くのが精一杯。レッド・マーキーは多くの人でごった返している。いや、わかるよ。再結成後の2014年も、22年ぶりのアルバム『Slowdive』リリース直後の2017年もレッドだったし、ここで観るスロウダイヴはもう、約束された最高みたいなもんだから。みんなそれを知っているからなのかどうなのか、5人のメンバーが登場した時にはものすごい歓声が湧き上がる。

サイケデリックな映像がスクリーンに投影される中、“Slomo”からライブはスタート。少しハスキーなニール・ハルステッド(Vo / Gt)の歌声と透明感のあるレイチェル・ゴスウェル(Vo / Gt)の歌声が溶け合うヴォーカル・ワークは健在で、重厚なギターサウンドとずっしりとしたニック・チャップリン(Ba)のベースが身体に響くあのサウンドスケープ。“Catch The Breeze”の後半ではクリスチャン・セイヴィル(Gt)のギターもガンガン歪み、粒が際立つサイモン・スコット(Dr)のドラムがこれでもかと暴れ回っていて、“Star Roving”の演奏もやたらとドライヴ感がある。まるで夢の中にいるような甘美な陶酔感に早速浸りつつも、僕は若干の違和感を覚える。

とはいえみずみずしいギターから幻惑の世界に雪崩れ込む“Crazy For You”や、ぐわんぐわんしたサウンドが恍惚へと誘う“Souvlaki Space Station”、甘美なギターが響く中でカプセルの錠剤をかたどった無数のネオンライトがスクリーンでたゆたう“Sugar For The Pill”など、音に揺られてまどろんでいるだけでも最高なサウンドは確かなもの。リズムという概念さえ空間に溶け出していくような身体のゆらめきに任せて揺れているだけで気持ちいいし、仮にこのまま寝落ちしたとしてもこの上ない幸せだろう。疲れも結構溜まってくる2日目の夜のライブは、17年のような昼過ぎよりもさらに映えているし、半屋外という環境が生み出す反響のおかげか、やはりレッド・マーキーはシューゲイズ・サウンドがよく似合う。ごった返したレッド後方からはレイチェルの髪型がSIAっぽいことくらいしか見えないが、そんなことはほとんど関係ないようなサウンドが響き渡っている。

だが続くインディー感のあるざっくりとしたサウンドが光った“Alison”あたりで、まるで睡眠時の途中覚醒のようにハッとさせられた。かつてないほどバンドサウンドがダイナミックになっている。無骨に刻むギターから暴風雨のような轟音に突入する“When the Sun Hits”だって、シューゲイズというよりむしろオルタナのような情感がある。9月リリースのアルバム『everything is alive』からの先行カット“kisses”もとてもシンプルな演奏ながらバンドのダイナミクスをこれでもかと感じたもので、最終曲“Golden Hair”も一人歌うレイチェルの歌声からゆったりと怒涛の演奏に移行し、レッド・マーキーを飛び越してどこまでも遠くへ響いていくようなバンドサウンドが鳴り渡っていた。

本当にびっくりした。僕はスロウダイヴを楽しむ作法のようなものをわかっているつもりでいたが、まだあの没入のその先があったのか。終演後にギターのフィードバックが鳴り響く中、僕はレッド後方でしばらくぽかーんと佇んでいた。前方ではずっと歓声がこだましている。その先にはまばゆくゆらめく光が見えた。

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苗場音楽突撃隊 http://fujirockexpress.net/23/p_1759 Sat, 29 Jul 2023 08:52:26 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1759