“紙吉音吉” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '23 | フジロック会場から最新レポートをお届け http://fujirockexpress.net/23 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Fri, 18 Aug 2023 09:33:43 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.9.23 帰ってきた大将…… みんな、それを待っていた。 http://fujirockexpress.net/23/p_9601 Mon, 14 Aug 2023 03:03:36 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=9601  たまたま見た記事に使われていた「完全復活したフジロック」という見出しに目を疑った。どこが? これを書いたのは、フジロックの一部しか知らない人か? あるいは、これが「忖度」ってヤツか? 興行的な側面を見れば、確かに近いものはあるかもしれないし、コロナのことなんぞ気にかけることもなく、やっと普通に遊べるようにはなっていたけど、「完全」はないだろう。もちろん、4年越しに復活したパレス・オヴ・ワンダーが、「らしさ」を垣間見せてくれたのはある。あれは生粋のフジロッカーにはめちゃくちゃ嬉しかった。が、「完全復活」という言葉を使うには無理がある。奥地に姿を見せていたカフェ・ドゥ・パリもなければ、音楽好きにはたまらない魅力となっていたブルー・ギャラクシーもない。ワールド・レストランがあった場所は、ただの空き地だ。開幕前と言えば、フジロックを生み出した、我々が大将と呼ぶ日高氏の影はきわめて希薄で、メディアではなにやら「過去の人」のようにされてはいなかったか。

 が、フジロックは日本のロック界を揺り動かし、変革し続ける希代のプロデューサー、日高正博氏そのものであり、その業績が結晶となったものと思っている。その原型といってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルをUKのグラストンバリー・フェスティヴァルの影響の下にぶち上げたのは、今から40年ほど前。あの頃から旧態依然とした音楽業界に風穴を開け、激震を与え続けているのが彼であり、その集大成がフジロックなのだ。

 彼が率いるスマッシュという会社が立ち上がったのは、そのしばらく前のこと。まず彼が着手したのは、国内でレコードも発売されていないようなアーティストの招聘だった。それまでの海外アーティストの来日といえば、圧倒的なレコード・セールスを記録し、誰でも知っているスターばかり。ところが、彼が着目したのはひと癖もふた癖もあるアーティストだった。名義こそスマッシュではなかったかもしれないが、最初に招聘したのはジョージ・サラグッドとデストロイヤーズではなかったか。当時、このアーティストの存在を知っている人は多くはなかったはずだが、一連のライヴが大好評を博している。しかも、会場となったのは、海外からのアーティストが使うことはほとんどなかった小さなライヴハウス。それも画期的だった。その後も、インディ系ロックからアンダーグランドのパンク、レゲエやワールド・ミュージックにいたるまで、ジャンルにとらわれることなく、なによりも彼が信じる才能やシーンを日本に紹介することを最優先して動いていた。

 同時に、座席付きの会場がコンサートの定番となっていたことに疑問を抱いた彼は、ボクシングやプロレスで知られる後楽園ホールに着目。なんとホールの中にステージを設営して、スタンディング・スタイルのライヴを企画していくのだ。ちょっと座席を立っただけで警備員に止められたり、会場から追い出されるのが常識だった時代に、「好きに踊りなよ」というライヴの場を提供したのは画期的だった。といっても、インフラが整っているコンサート・ホールとは違って、ステージから音響に照明まで全てを用意しなければいけない。当然、金がかかる。金儲けが目的の興業屋だったら、こんなことをするわけがない。それはフジロックでも同じこと。なにもない場所に全てを作り出すことで、どれほどの経費がかかるか? 杭を一本打つにも資材やその輸送費に人件費が必要となるのだ。

 それでも、オーディエンスにとって自由に音楽を楽しむことができるライヴがどれほど嬉しかったか? この時、UKレゲエのアスワドやUSで衝撃を与えていたヒップホップ、ビースティ・ボーイズをここで体験した人達にはわかったはず。これこそが音楽の魅力を、そしてその背景をも伝えてくれるライヴの場なんだと。しかも、当時、ライヴが始まる前のコンサート・ホールといえばシ~ンと静まりかえっているのが普通だったのに、ここでは出演するアーティストに絡んだ音楽が大音響で鳴らされている。それまで当然のように幅をきかせていた「音楽鑑賞会」と呼ばれていたコンサートとは全く違った空気が流れていた。思い起こせば、スタンディングが当然の場として、先駆けとなる渋谷クアトロが生まれたのは1988年。後楽園ホールで幾度もライヴが開催された後なのだ。

 実は、DJやクラブの動きに関しても、大きな役割を果たしていたのが大将だった。黎明期のクラブ・シーンを語るときに欠かせない桑原茂一氏率いるクラブ・キングと一緒に海外からDJを招聘したのは1986年。フジロックでもおなじみのギャズ・メイオールと、当時、ロンドンのダンス・ジャズ・シーンで脚光を浴びていたポール・マーフィーを来日させている。さらには、ユニークなダンス・スタイルでマンチェスターから躍り出たダンス・トゥループ、ジャズ・デフェクターズも招聘。会場となった原宿ラフォーレでは深夜になっても行列ができるほどの反響を生み出していた。

 さらに91年にはアシッド・ジャズからUKジャズを牽引したメディア、Stright No Chaserと共同でクラブ・イヴェントを企画。Kyoto Jazz Massiveとモンド・グロッソが初めて東京に進出し、U.F.O.とDJ Krushが一堂に会して、UKジャズをリードしていたスティーヴ・ウイリアムソンのバンドThat Fuss Was Usと、しばらく後に世界的ヒットを生み出すDJユニット、US3を迎えてた大規模なパーティも実現させている。4000人超を集めてオールナイトで繰り広げられたこれが、日本のクラブ・シーンを一気に活性化させるのだ。

 そういった大将の業績を集約するように始まったのがフジロックだった。誰もが「無謀だ」、あるいは、「これでスマッシュも倒産だろ」と口にしたのが1997年の第一回を前にした頃。ものの見事に台風にやられて、2日目をキャンセルせざるを得なくなったのを「ざま見ろ」と口にした業界人も多かった。加えて、会場に来ることもなく「観客を管理する柵も作っていない」と批判をぶつけてきたのが大手メディア。「ロック・フェスティヴァルに来る人間は無知で粗野な人種だ」とでも決めつけているんだろう、そんな「常識」との闘いがこの時から始まっていったのだ。

 その最前線にいたのが大将であり、奇抜とも思えるアイデアを次々と現実にしてフジロックを成長させてきたのも彼だった。いうまでもなく、周辺にいたスタッフはたいへんな思いをしたに違いない。なにせ彼に「常識」は通用しない。が、それがフジロックを他のなにものにも比較することができないユニークなフェスティヴァルとしてきたのだ。会場外にステージを作って、奇妙奇天烈なサーカス・オヴ・ホーラーズを招聘したのは2000年。翌年には、同じ場所に、出演者でもないジョー・ストラマーとハッピー・マンデーのベズを中心としたマンチェスター軍団から、後にスターになる娘、リリーを伴った俳優のキース・アレンらを呼び寄せて、フリーキーな遊び場を作っていた。さらに、翌年になると、UKのアート&パフォーマンス軍団、Mutoid Waste Companyをリードするジョー・ラッシュがここにパレス・オヴ・ワンダーと呼ばれる空間を生み出している。その延長線にあったのが、オレンジコートの奥地に生まれたカフェ・ドゥ・パリやストーン・サークル。フジロックを単なる野外コンサートではなく、どこかで奇想天外で別世界のような祭りに仕上げていったのは間違いなく大将だった。

「俺たちにはそんな大将が必要なんだ」という想いを形にしたのが、3年前に初めて彼の写真を使って我々が発表した「Wanted」のTシャツだった。元ネタは1981年に発表されたピーター・トッシュのアルバム・カバー。下敷きとなっているのはマカロニ・ウェスタンや西部劇と呼ばれるアメリカ映画でよく見かける指名手配書だ。賞金額と「Dead or Alive」(生け捕りでも死体でも)という言葉がセットになっていて、人相書きを元に、賞金稼ぎがその首を狙うというもの。今もこんなのが生きているのかどうか知らないが、ピーター・トッシュはこのジャケットで「俺は危険なアーティスト」というイメージを打ち出したかったんだと察する。

 一方で、日高大将をネタに僕らが作ったヴァージョンには全く違った意味が込められていた。賞金の代わりに並べたのは「9041」という数字。囚人番号にも見えたこれは彼が大好きな言葉、クレイジーをもじった番号で、「Not Dead But Alive」としたのは、「生きていてもらわないと困る」からに他ならない。コロナ禍できわめて厳しい状態に直面しているフジロックが生き残るのみならず、本来の姿に戻ってさらに深化(進化)させるのに、必要不可欠なのは元気に走り回る日高大将。と、そんな想いを込めていた。

 最低限の取材経費を主催者から受け取っても、独立性を保つためにも、日常活動に関しては一銭のギャラも受け取らないボランティアで構成されるのがfujirockers.org。というので、その始まりから、活動資金作りのために様々なアイデアを絞り出している。そのひとつが、Tシャツなどの物販で生まれる収益。その歴史でかつてないほど好評だったのがこの作品で、以前とは比較にならないほどの売り上げを生み出していた。おそらく、この結果が生まれたのは、会場にやって来るフジロッカーズも同じような「想い」を共有していたからだろう。

感染防止のためにがんじがらめのルールに縛られながら、「なんとかフジロックを支えたい」という思いが際立った2021年にこれを作っていた。規模を縮小しなければいけないという流れの中で、集まった人達の数は史上最低。恒例となっている前夜祭での集合写真も撮影できなかったし、なにやらもの悲しかったのが花火大会。さらには、「声を上げるな」というので、ライヴでの歓声もないという、きわめて異様な光景が広がっていた年だ。それでも、出演者関係者のみならず、集まってきた参加者から「なんとかフジロックを守りたい」という思いがひしひしと伝わってきたのをよく覚えている。それは、現場に来ることを選ばなかった人達からも同じように感じていた。

 そして、「いつものフジロック」を謳って開催された去年も、現場ではぴりぴりした空気が漂っていた。なんとか恒例の前夜祭での集合写真は撮影できたものの、あの時、「みなさん、マスクを付けてください」と、この奇妙な時代を象徴する記録を残そうとしたことを覚えている方もいると思う。オレンジカフェのテントで食事をしようとしても、テーブルを仕切る透明の板の上には大きく「黙食」と書かれていて、久々に会った仲間との会話さえはばかられる。確かにライヴは行われたけれど、なにか釈然としないものを感じていた。グリーン・ステージの最後のバンドが演奏を終えて、いつもなら、祭りの終わりをみんなで共有する時間があったはずなのに、それもなかった。当然のように、オーディエンスの集合写真を撮ることもなく、静かに幕を閉じていった。

 それよりもなにより、フジロックでしか体験できない時間や空間を感じることがほとんどなかったのが昨年。それを象徴していたのがパレス・オヴ・ワンダーの不在だった。なにやら、フジロックからフェスティヴァルの要素がすっぽり抜け落ちて、ただの野外コンサートになっていたような感覚を持った人も多かったのではないだろうか。この時、フジロッカーズ・ラウンジでは「Where Is “Wonder”?」という写真展を開催している。「どこに『驚き』があるの?」とここで問いかけていたのは、パレスに絡んだことだけではなかった。かつてジョー・ストラマーが口にしたように、「年にたったの3日間でもいい。生きているってどういうことかを感じさせるのがフェスティヴァル」だとしたら、それがどこにあるのか? そんな疑問を感じざるを得なかったのだ。

 もちろん、パレス・オヴ・ワンダーの主力部隊がUKからやって来るスタッフだというのは、多くの人が知っている。コロナの影響で彼らの来日が難しいというのは百も承知で、同じく、大幅な縮小での開催を余儀なくされたという、経済的な打撃が後を引いているのは理解できる。が、その上で「いつものフジロック」を謳うのは「違うだろ!」という声が多数派をしめていた。

 さらに、以前なら、ジープに乗って会場を動き回っていた大将の姿を見かけることはほとんどなかった。そうやって会場に集まっていた人達と会話を交わしたりと、いつもフジロッカーに最も近いところにいたのが大将。1997年の第1回が始まる以前から、Let’s Get Togetherと名付けた公式サイトの掲示板経由で、オフ会にまで顔を出して、彼は日本で初めて継続的に開催することを目論んでいたフジロックのお客さんたちと繋がろうとしていた。その掲示板が独立するような形でfujirockers.orgが生まれた後も、「なにかをやりたい」と集まってきたスタッフと幾度となくミーティングをしたり、インタヴューの場を設けてくれたり……。それが終わると、みんなを引き連れて居酒屋に出かけて四方山話となるのだ。フジロックが成長するにつれて、そういった機会は少なくなっていくのだが、それでもフジロックを愛する普通の人達の声に彼はいつも耳を傾けていた。

 我々フジロッカーの想いは、「Wanted」のTシャツに集約されていた。大将が最前線に戻ってきて欲しい。だからこそ、昨年も「Mad Masa」のTシャツを制作。そして、今年は、彼が復活させた「苗場音頭」と忌野清志郎と作り出した「田舎へ行こう」のシングル盤を作り出すことでその重要性を訴えようとしていた。常識ではあり得ないだろう。レコード会社でもない、フジロックを愛する人達のコミュニティ・サイトを運営するfujirockers.orgがレコードを発売するという、前代未聞のプロジェクトだ。そのアイデアを彼に伝えると、二つ返事で「じゃ、事務所につないでやるよ」と動いてくれたのだ。

 そのプロモーションで動き回るなか、フジロックが生み出した「故郷」を認識することになる。「ずっと都会生まれで都会育ちの人にとって、苗場が毎年帰ってくる田舎のようなものになっていったんです」と語ってくれたのは、7月頭の苗場ボードウォークで語り合ったフジロッカーだった。なにやら故郷に帰る人達のアンセムのような響きを持つのが「田舎へ行こう」であり、彼らを暖かく受け入れて迎えてくれるのが「苗場音頭」。フジロックは野外コンサートを遙かに超えて、年に一度「生きている」ことを祝福する故郷の祭りとなっていることを思い知らせてくれるのだ。

 そのフジロックに危機が訪れていた。コロナの影響で思い通りに開催できなかったことから負債が累積。と、そんな噂が駆け巡っていた。予算も縮小しなければいけないし、今年がうまく行かなかったら、来年はない……。毎年のように「来年はないかもしれない」という危機感は持っていたんだが、それがいよいよ現実になるのかもしれない。噂の域を出てはいないというものの、想像してみればいい。もしもフジロックが開催されなかったら……。まるで故郷をなくしたような気分に陥るのだ。

 しかも、当初は予算の関係で不可能だと思われていたのがパレス・オヴ・ワンダーの復活。突き詰めていけば、コロナの影響によるダメージで、なによりも実現しなければいけないのはコンサートであって、それ以外のものは「無駄」だという発想が支配的になっていたからだ。それでも必死に食い下がったのが、UKチームのボスから東京のスタッフ。彼らがなんとか復活させたいと必死に動いていた。実を言えば、ほとんどの関係者が、守ろうとしたのはフジロックという「フェスティヴァル」であり、その象徴がここにあった。

ひょっとすると、それこそがフジロッカーズをつなぎ止めたのかもしれない。メインのステージでの演奏が終わると、行き場所がなかったのが昨年。が、今年は違った。様々なオブジェが姿を見せ、サーカスまでもが繰り広げられる。まるで映画のセットのようなその空間に浮かび上がる木造テント、クリスタル・パレスは健在だった。4年間も放置されたことで、かなりの修復が必要だったらしいが、今年もユニークなバンドの数々とDJたちが至福の時間を生み出していた。特に嬉しかったのは、その箱バンのような存在だったビッグ・ウイリーが戻ってきたこと。いつも通り、ちょいとセクシーなダンサーたちと極上のエンタテイメントを提供してくれた。

 残念ながら、ダブルAサイドで復刻した7インチのアナログ・シングルを生むきっかけとなったブルー・ギャラクシーの復活を願う声は主催者には届かなかった。まずはJim’s Vinyl Nasiumとして生まれ、それが成長して新たな名前を付けられたここで蒔かれた「音楽を楽しむ」という種を各地に持ち帰った人達が育てたのがフジロッカーズ・バー。もちろん、DJバーの土壌はすでに存在したし、ジャズ喫茶やクラブの文化も背景にはある。その全てが複雑に絡みながら、発展してきたことは言うに及ばない。が、ここから生まれたフジロッカーズ・バーというイヴェントが日本全国の様々な町で企画され、音楽を楽しむ場として定着しつつあることも見逃せないのだ。

 そんな仲間に手をさしのべてくれたのが会場外でジョー・ストラマーの遺産を守り続けるJoe’s Garageだった。「いいですよ、ここを使ってくれたら」とフジロッカーズ・バーでDJを続ける仲間たちがここに集まっていた。彼らはチケットを買ってフジロックにやって来たお客さんでもある。その彼らに「めちゃくちゃ楽しい」と言わしめたここは、UKチームのたまり場でもあり、ここでも祭りの文化が花開いていた。

 そして、なによりも嬉しかったのはフジロッカーズが「帰ってきてくれ!」と願い続けてきた大将の姿が、今年はあちこちで目に入ったことだろう。しかも、どん吉パークではいきなりステージを作って、苗場音楽突撃隊のライヴを実現させている。と思ったら、最後の朝、月曜日の早朝のクリスタル・パレスでは、ビッグ・ウイリーのバーレスクが演奏を終えたっていうのに、ステージに姿を見せた彼が言うのだ。

「もっともっと聞きたいだろ!」

 と、オーディエンスに呼びかけてアンコールをせがんでいた。へとへとになっているバンドも大将に言われたら、断れない。というので、予定外の演奏が始まっていた。なにが起こるのか、予想もできないハプニングが待ち受けているのもフジロック。それを動かしているひとりが、言うまでもなく大将なのだ。

 いつもなら、全てが終わった後、入場ゲートに「See You」と来年の告知がされるのだが、今年は昨年同様日付が記されてはいなかった。さて、本当に来年のフジロックはあるんだろうか? きっと、あるんだろうと信じたいのはやまやまだが、どこかで「まさか..……」という疑念も振り払うことができない。

 いずれにせよ、ここ数年、ずっと頭に浮かぶのは、パレス・オヴ・ワンダー、生みの親のひとり、Mutoid Waste Companyのヘッド、ジョー・ラッシュがインタヴューで残してくれた言葉。

「フェスティヴァルってのはね、ただ口をぽかんと開けて、(チケットの金を払ったんだからと、それに見合う)なにかを受け取るだけの場じゃないんだよ。自らその一部となるってことだと思うんだ」

 おそらく、fujirockers.orgのスタッフもそんな人達の集まりだろうし、会場の外でJoe’s Garageを生み出した仲間も同じだろう。苗場音頭のために浴衣を持ってきたり、コスプレで遊んだり、あるいは、お客さんなのにレコードを持ってきてDJをしたり、どこかで誰かが演奏を始めたりってのも、自らフェスティヴァルを作り出すってことなんだろう。そんな人達がいる限り、フジロックは「終わらない」と思えるんだが、どんなものだろう。もし、開催が危ういというなら、大騒ぎをして主催者を動かしてやろうじゃないかとも思う。

 さて、好天続き……というよりは、炎天下に襲われたのが今年のフジロック。まだまだ完全復活には時間が必要かもしれないが、それでもフジロックでしかない貴重な時間や体験を生み出す、フジロック本来の魅力を伝え続けてくれたのは、以下のスタッフ。ありがとう。こよなくフジロックを、そして、フジロック的なものを愛するあなたたちは、間違いなく「フジロック」を作り、支える仲間です。

 また、赤字で当然のレコード再発プロジェクトを支えて協力してくれたスタッフ、フジロッカーズ・バーの仲間のみなさん、ありがとう。まだまだ売らないと元が取れないというのでここで、もう一度大宣伝です。契約の関係上、レコード屋さんでは買うことができないことになっているこのシングル、忌野清志郎の「田舎へ行こう! Going Up The Country」と円山京子の「苗場音頭」をカップリングして、両A面としているこのレコードはこちらで購入可能です。これを買って、fujirockers.orgを支えていただければ幸いです。
https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp

FUJIROCK EXPRESS’23 スタッフクレジット

■日本語版
あたそ、阿部光平、阿部仁知、イケダノブユキ、ミッチイケダ、石角友香、井上勝也、岡部智子、おみそ、梶原綾乃、紙吉音吉、粂井健太、小亀秀子、古川喜隆、小林弘輔、Eriko Kondo、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津 大地、近澤幸司、名塚麻貴、ノグチアキヒロ、馬場雄介(Beyond the Lenz)、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田俊太郎、三浦孝文、森リョータ、安江正実、吉川邦子、リン(YLC Photograpghy)

■E-Team
カール美伽、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズ・ラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■TikTok
磯部颯希

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也、若林修平、東いずみ、Nina Cataldo、卜部里枝、takuro watanabe、Chie、竹下高志、西野太生輝

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fujirockers.orgは1997年のフジロック公式サイトから派生した、フジロックを愛する人々によるコミュニティ・サイトです。主催者からのサポートは得ていますが、完全に独立した存在として、国内外のフェスティヴァル文化を紹介。開催期間中も独自の視点で会場内外のできことを速報でレポートするフジロック・エキスプレスを運営していますが、これは公式サイトではありません。写真、文章などの著作権は撮影者、執筆者にあり、無断使用は固くお断りいたします。また、文責は執筆者にあり、その見解は独自のものであることを明言しておきます。

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昔のフジロックに満足していた自分が10年ぶりに復帰した理由、そして感じたこと http://fujirockexpress.net/23/p_8785 Wed, 02 Aug 2023 14:30:25 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=8785 「今年エキスプレスのテコ入れをしたいのですが、近澤さん手伝ってもらえません?」

エキスプレススタッフの紙吉音吉(カレー好き) さんから突然こんな感じのLINEをもらったのが今年5月の頭のことでした。

「あ〜…、久々に行くのも楽しそうっすね〜…」

その場は濁しつつも、数日後に決心するまで、内心行くのはとても悩んでいました。

今年エキスプレスのスタッフに復帰となると実に10年ぶりぐらいではなかろうか。
確か前回、エキスプレスのスタッフと苗プリのホテルで朝、伸びたカップラーメンすすりながら、のんがまだ能年玲奈と名乗っていた頃の「あまちゃん」観てた記憶がある。

まず10年のブランクと体力の衰えを想像しビビりつつ、本心を言うと、自分は日常からそれほど音楽自体には夢中ではなく、結局2023年もステージ前で3曲以上曲を聞いたのはアラニス・モリセットぐらい。
他のエキスプレスのスタッフが音楽談義で盛り上がると全くついて行けないレベルだったり。
「音楽は酸素と一緒」なんてレベルの人だと、それは何をおいてでもフジロックには参加すべきだと思うけど、自分にはそれほどの魅力的要素とはならなかったりする。

なにより躊躇していた理由というのが、一旦自分のエキスプレススタッフとしての役目は2013年で終えていたと感じていたから。
2010年から参加し、前回よりも良いものを伝えようと工夫し、2013年で自らこの場でできる限界を感じてしまっていたんですね。
生真面目な性格かつもったいない病の罹患者なもので、2013年の終盤にはもうレポートマシーンと化していて、楽しむことより血眼でエキスプレスに記事をアップするのが最優先になっていました。

先ほどフジロックでさほど音楽を重視していないと自己紹介をしましたが、自分がこの偉大なフェスに魅力を感じていたのはそれ以外が主で、空気感や空気、人やそこで起きる物事が大好きだったのです。ただそんな好きなものも「レポートしなければいけないもの」や「ノルマ」の様に感じてしまうと、いつの間にか心から楽しめなくなってしまったのです。

自分の楽しみを犠牲にして、他の人の楽しさを伝えることなんて、本来あまり褒められたことじゃないかなと。
しかもモアファンなんていうカテゴリの記事担当なのに。
そう、少しだけ、気づけばフジロックでお腹がいっぱいになっていました。

また、2013年最後にまとめ記事なんて投稿してしまったのが一番キッカケだったかもしれない。ここで一旦一区切りがついてしまった感があったんです。

さて、そんな自分が今年参加を決心した理由はなんだろうか。まず考え方を変えてみました。
「何ができるか」じゃなくて「何をやりたいか」 古いエキスプレススタッフ内では自分は美女撮ってた人と認識されてるフシすらあるけど、当時と同じことをそのままやるのが令和のフジロックエキスプレスとして「どうかなー?」というのは、昭和脳の自分でもちょっと思うのです。
じゃあ他に何をやりたい?何を伝えたい? そう探っていると、オルグのインスタのリールがあまり動いていないことに気づいたんです。

「あ、ショート動画で現場レポートやれば楽しそう、楽しんでもらえそう」

自分の中のFUJIROCK EXPRESS 2023開幕の瞬間でした。

さて、昭和のおっさんの自分語りはこの辺にして、今年のまとめとして自分が投稿した記事の一部を紹介します。

前夜祭のゲートオープンの様子
前夜祭
花火
フジロッカーズオルグのボスの挨拶
YAZAWAの後
初日の個人的MVP
1日目まとめ
グリーンステージの様子
ボードウォークを歩く
2日目まとめ
シャボンの少年
楽しんでいる人のスナップ
焚き火
ピラミッドガーデン
Power to the people
3日目のまとめ

基本的には、取材や撮影をした直後、あまり時間をおかずに投稿するように努力しました。写真や文章とはまた少し違った臨場感を少しでも味わっていただけたなら、何より。

AI の発達により画像も動画も無限に生成できる時代になるとは、それこそ10年前には想像することすらできなかったのですが、リアルの現場にはリアルの魅力があるものだとは昔から思っているし、人間が生み出すものを人間が伝える、そうして繋がるにはフジロックという場はとても大事だし面白いと感じているのです。
「フジロックに来ている人はリアルを楽しみに来ているんだよな」というのは明らかで、なら、自分はなんらかの事情で苗場に来られない人に、どれだけ楽める情報を提供できるのか、それを楽しもうと思いました。

表現方法こそ少し変えましたが、現場に向かい、カメラを構え「そうだ、フジロックはこんなに楽しかったんだよ」と自分自身の中で、2013年以来に大事なことを思い出すこともできました。

そして全日の取材を終え、フジロック自体に感じたこと。

それはもう
暑かった!
そして
暑かった!!
ついでに
暑かった!!!
ということ。

これは参加した誰もが思ったことだと思うのですが、雨よりも晴れが良いに決まってるとはいえ、いくらなんでも太陽さん今年はパワフル過ぎたんじゃないですかね。

実はエキスプレススタッフとしての参加は10年ぶりなのですが、実際は2016年に別件でフジロックには来ていました。
そして、その7年前と比べての感想なんですが「(暑さを除けば)相変わらず、楽しい」という至って普通の感想です。

ゲート前で待つ人達の希望に満ちつつもちょっと落ち着かない表情も、オアシスエリアの砂塵舞うなかで友達と語らいながら食べる食べ物の美味しさも、グリーンステージの緑の広大さとそれを埋め尽くす人々も、キッズランドに響く子供の笑い声とそれを聴いて微笑む親御さんの笑顔も、ところ天国前で川に足を突っ込んだ瞬間の「生き返る〜」って感じの表情も、ボードウォークを踏みしめる木の鈍い音も、フィールドオブヘブンの「あ、フェスですね」って感じのゆるさも、常にチルい感じのピラミッドガーデン周辺も、ここには書き切れないその他のいろんな場所も、ほんと「相変わらず」でした。

さて、この「相変わらず」というのが今年は非常に重要で…。

私は昨年、そして一昨年の様子を直には知りません。噂に聞いた程度です。
確認のためにそれぞれにも参加していた今年のスタッフに聞いてみたのですが、みんな「以前の姿に戻ってほんと良かった」とか「感無量」と嬉しそうに語ってくれました。

なるほど。

6年前の姿と変わらない(むしろあの頃より来場者多いんじゃ?) と自分が感じられたことが、どれほど大事なことか。

変わっていないんじゃない、「取り戻した」んですね。

フジロックに限らずエンタメ業界が大打撃を受けてきたこの数年で失ったものを取り戻すべく、数多くの人が行った努力の成果を、僕は数日間かけて目の当たりにしていたのです。

さきほど「2013年でやれることはやった」などと満足気に偉そうなことを言いましたが、この2023年の現場のレポートを以前と同じ気持ちでやれたのはそれ自体がすごいことで、その「みんなで取り戻した努力の結晶」をレポートとして残せたことを、終わった今では、誇りに思います。
自分の中のフジロックを10年前で終わらせなくて本当に良かった。

2024年に開催が決定したという速報も行ったのですが、それに対する反響も多かったように思います。

みんな不安だったのでしょう。
けどきっと来年も大丈夫。
みんなで乗り越えてこられたんだから。

少なくとも私は今年の会場を巡り、レポートに向かい、カメラを向け、そう感じました。

けど、次はもう少し涼しいといいなあ…。

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いいちこチャレンジって知ってる? http://fujirockexpress.net/23/p_6953 Sun, 30 Jul 2023 11:07:12 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6953 オアシスのいいちこブース。飲み干したコップを持ち込むと、いいちこチャレンジができるよ!
10秒からスタートして、11.15秒をストップウォッチで止めるというもの。
試しに取材クルーでチャレンジしてみたんだけど、3人やって全滅。
すると後ろからファミリーに話しかけられた。見ると、息子さんのヒロトくんはすでに景品のいいちこ前かけを身に纏った状態。
さっき、11.15秒出したんですよ。だって。すごいじゃないか、少年。でも世の中にはまぐれってのがあってな、
なんて、思っていたら、その場で11.15秒を叩き出す始末。
す、、すごいじゃないか、ヒロト、、、く、、ん。
家族に話しをきくと、生粋のフジロッカーとのことで、旦那さんはもう20回目。奥様と二人では6回目だそう。
ヒロトくんは、お母さんのお腹にいるときから、ずっと皆勤なんだって。初めては生後半年だとか。
す、、すごいじゃないか、ヒロト、、、さ、、ん。

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YUKIちゃんありがと〜〜! http://fujirockexpress.net/23/p_6903 Sun, 30 Jul 2023 10:04:45 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6903 グリーンステージ夕方。天使降臨。ヒット曲満載のYUKIちゃんのステージだ。JOYではハッピーオーラがグリーンステージ一体を包み込む。もう老若男女問わずみんな虜だよ!

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やっとフジロッカーになれました http://fujirockexpress.net/23/p_6624 Sun, 30 Jul 2023 06:57:57 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6624 フルスペックのフジロック。これは、初日の朝、グリーンステージが始まる前の恒例のMCで原島さんが言った言葉だ。この言葉に僕は震えた。フジロックがいよいよ戻ってくるぞ、と。
個人的に、僕は今年のフジロックを最後のつもりで迎えていた。それくらいここ数年、ときめきを忘れていたのだ。どうしてフジロックに行き続けているのだろう。そんな自問自答を重ねて、この問題が解決できないのであれば、もう僕はフジロックから足を洗おうと思った。今年の取材では、どうしてあなたはフジロックに来ているの? と聞いて回っている。ある人は帰省と言い、ある人は慣習と言う。でもそうさせる理由ってなんだろう。この三日間、それを探し歩いた。
その答えってあると思いますか? みんなどう思う? 行きたいから行くってだけなんじゃないか。ほんと、単純にそれだけなんじゃないの? って三日目にして思っている。理由なんてない。そこにフジロックがあるから行く。よく登山家が、あなたは何で山に登るのですか? という問いに、そこに山があるから、っていうじゃない。それ。理屈じゃない。
その境地に至ったのは、フェスティバルライフの編集長、津田昌太朗くんと話したのが大きい。会場の端から端まで、インスタライブをしながら練り歩いたのだが、彼は今でも目をキラキラさせて会場内を歩く。
「どうしてそうなの?」
と聞けば、
「だって普通に楽しいじゃないですか」
と答える。
「飽きたらやめようかなって思っているんですけど、全然飽きないんですよね」
この言葉が自分の心をグルグル回った。お前はフジロックに何を求めているんだ。何を勝手に期待しているんだ。フジロックは、ただそこに毎年あって、分け隔てなく全員を迎え入れる。そこで何を感じて、何を楽しむかはお前次第だろうと。
すごい境地ですよね。自分で今書いていても、気持ち悪いなって思う。信者ってこういうことなんだろうな。でも、実際そう思ったのだから、嘘じゃない。
今年、フジロックの好きなところを探したんです。道を歩いて、いろんなお店のごはん食べて、景色を見て、多彩な音楽を聞いて、お客さんの声を聞いて、いろんなレポートを書いて。そのどれもが好きだった。ああ、俺フジロック好きだわって思った。ここにくるのに理由なんてない。好きだからくる、ただそれだけだったんだ。
と、気がついたわけです。なんかやっとフジロッカーになれた気がします。ちょっと血迷っちゃったけど、フジロッカーのみなさん引き続きよろしくお願いします。
写真は僕が一番好きな夜のヘブンとします。 #ヘブン好きと繋がりたい

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ヘブンを彩るアート http://fujirockexpress.net/23/p_6457 Sun, 30 Jul 2023 03:56:32 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6457 フィールドオブヘブンにはライブペイントで、毎日1作品ずつ描き続けるクルーがいる。その名もGRAVITY FREE。その日の出演するアーティストからインスピレーションを受け、毎日ヘッドライナーまでに描きあげている。昼間に行けば、描いている様子が見られるので、ヘブンに行ったら覗いてみよう!

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深夜のパレス。復活を祝う! http://fujirockexpress.net/23/p_6454 Sun, 30 Jul 2023 03:51:38 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6454 今年のフジロックはなんと言ってもパレスオブワンダーの復活の話を無くしては語れない。朝の3時だというのに、たくさん人がサーカスを見たり、ルーキーを見たり、パレステントで踊っていた。この光景が見れることの嬉しさよ。パレスが戻ってきたんだな。戻ってきたんだな!!!!

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タイ焼きそばと生春巻き http://fujirockexpress.net/23/p_6440 Sun, 30 Jul 2023 03:44:49 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=6440 オアシスが混んでいるなら、いっそイエロークリフに足を伸ばしてみよう。それが功を奏せば、サクッとごはんが食べられるかも。そして今回選んだのは、アジア屋台メシのタイ焼きそば(パッタイ)と生春巻き。お店の前を通ったら、ナンプラーの良い匂いが鼻をくすぐりました。

店名:アジア屋台メシ spice
エリア:イエロークリフ
メニュー:タイ焼きそば(800円)・生春巻き(400円)

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CORY WONG http://fujirockexpress.net/23/p_1684 Sat, 29 Jul 2023 16:06:18 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1684 バウンディが入場規制だと!? さてはエルレガーデンから観客が雪崩れ込んだな。そして真裏では、フーファイターズか。これはゆったり踊りながらコリーウォンを楽しむことができそうだな。そんなことを思いながら、混雑を避けるため、裏の動線を歩いて、オレンジカフェへと向かった。20:50、オレンジカフェに到着し、ヘブンに向かう坂を上った。そこに広がる光景は、たくさんの人がコリーの登場を待つ姿だった。

昼間コリーにインタビューしたときに、
「今夜のアクト楽しみにしているね!」
「僕もすごく楽しみだよ!」
と気合い満々だったコリー。お客さんが少なかったらちょっとかわいそうだな、なんて思っていた僕はバカだな。そして、たくさんのお客さんがそこにいることに、やっぱこっちくるよね! なんて、嬉しい気持ちになっている自分もいた。

そしてオンタイム。颯爽と登場したコリー。ホーンセクション含む、総勢9名にもなるバンドメンバーが所定の位置につくと、1曲目は“Flyers Direct”だ。『The Power Station Tour Live』の1曲目にも収録されているこの曲。ドラムのハイハットによるカウントに続き、一気に全員が同じリフで入る。ブレイクののち、コリーの軽快なカッティングが炸裂するナンバーだ。こんな始まり方をされれば、どうしたって体は動き始める。前方でスタンバイしていたお客さんは、水を得た魚のように跳ね出し、後方で座っていたお客さんは、尻を叩かれたように前に乗り出してきた。

こんなファンクを聞けたのはいつぶりだろう。ニューマスターサウンズだったかな。それとも怒涛の2セット、3時間ライブをやったレタスだったか。いやいや遠い昔、オレンジコートで見たタワーオブパワーか。とにかく、フジロックで踊りに踊った記憶がどんどん蘇ってくる。ああ、戻ってきた。僕のフジロックの記憶がどんどん戻ってくる。ここ数年、何かが足りなかったんだよな。でも何が足りないか忘れるところだった。これだよ、この感じ。この場所を選んだ人たちだけが、共感できるこの感じ。ヘブンに帰ってきたんだ。

バンドの演奏はと言えば、もう完璧に完成されている。打ち込みか? というくらいに、リズムの縦のラインが完璧に揃っているのだ。どんなに変拍子をしようが、変なリズムのリフをユニゾンでかまそうが全くズレないのだ。どれだけ練習すれば、ここまで揃えることができるんだろう。不思議。それでいて、全員がダンスを踊りながら、コリーなんて、飄々と笑いながらこなすんだから。
中盤で演奏された“Lunchtime”では、日本の友人のギタリスト、Reiを呼び込んだ。凄まじいメンバー同士のセッションにReiもソロを合わせ存在感を示す。コリーとReiは、去年発表されたReiのアルバム『QUILT』で共演している。(BPMという曲。コリーのエッセンスが感じられるからぜひ聞いてみて)

コリーのことを少し調べると、レッチリやフーファイターズ、ウィーザーの影響を受けたとある。このうち2組は今年のフジロックに出演している。そんなバンドと肩を並べ、フジロックで共演だなんて、なんか運命を感じるじゃないか。
これと言ったMCもなく、怒涛に1時間以上が経過。後半に差し掛かる前、“Meditation”では、これまでとは打って変わり、アンビエントなテイストの曲を披露。今思えば、小休止のようなタイミングだった。続く“Smokeshow”ではミドルテンポで、ゆっくりとお客さんを戻していく。曲はどんどん盛り上がっていき、コリーが「あと二曲だよ」と言うころには、観客のボルテージは、始まりのころのように戻っていた。そのままアンコールまで、怒涛のバカテクファンクを見せつけられ、お客さんは音が鳴り止むそのときまで、踊らされたってわけ。

コリーはインタビューで、インストゥルメンタルの楽曲について、僕がどんな考えで作った曲であろうと、あなたが感じたことが正解だと言っていた。今日はどうだっただろう。きっと、みんなが見た景色は一緒だったんじゃないだろうか。ヘブンのあの一体感。懐かしい気持ちになったのは、僕だけじゃないはずだ。

さて、オフィシャルからもらったセットリストを下記に載せておきます。これでプレイリストを作ってまた思い出に浸りましょう。

-set list-

Flyers Direct
St Paul
The Grid Generation
Bluebird
Let’s Go
Massive
Cory Wong
Separado
Lunchtime
Meditation
Smokeshow
Cosmic Sans
Welcome 2 Mpls
Flamingo
Assassin
Dean Town

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Saucy Dog http://fujirockexpress.net/23/p_1656 Sat, 29 Jul 2023 10:56:26 +0000 http://fujirockexpress.net/23/?p=1656 炎天下の苗場。話によれば、10年ぶりの暑さだとか。昨日のこの時間には雨が恵みのように少し降ったのだが、本日は今のところ終始快晴。嬉しい悲鳴でもあるのだが、こうも暑いと体力の残りが気になってくる。

レッドマーキーに到着したのは、ライブが始まる10分前。すでに会場の8割を埋めるほどの観客が集まっている。ステージ上では、ほのかにBGMが流れ、すでにサウシードッグの優しい雰囲気を醸し出しているようだった。まだ時間になっていないのに、照明が少し暗転しただけで、歓声が上がってしまうほど、会場は期待感に満ち溢れていた。そしてオンタイム。ついにメンバーが登場。ひとりひとりステージの中央に出てきて、深々とおじぎをする。その度に、観客は大きな歓声で出迎えたのだった。
ドラムセットの周りにメンバーが集まり、掛け声をかけていよいよスタート。1曲目には、ニューアルバム『バットリアリー』の中から“そんだけ”が選ばれた。ミディアムテンポのラブソング。透き通った石原の声がゆっくりと染み渡るように、レッドマーキーを包んでいく。それに応えるように手で拍を打つ観客。小さなこどもたちも両親と一緒に踊っている。とても幸せな空間ができつつある。

過酷なフジロック。そんなイメージがどこかに行ってしまいそうになる。レッドマーキーの中は熱気がこもるはずなのに、爽やかな風がスーッと流れたような、そんな感覚。石原の声にはそんな透明感がある。1曲演奏し終わると、「楽しんでね〜!」と叫び、立て続けに“シーグラス”、“雀ノ欠伸”と演奏した。

MCではドラムの、せとゆいかがマイクをとる。「初めまして。ここに来るまでとても不安だったけれど、みんなの顔を見たら安心しました。」そしてベースの秋澤に変わる。「フジロックは絶対出たかったんです。ここにいることが奇跡だと思う。」とファンに対して感謝の意を述べた。ここにいる観客が一番望んでいる曲であろう“シンデレラボーイ”は中盤で披露された。イントロが鳴った瞬間にどよめき、Aメロから合唱が始まるほど。前方から奥の奥まで、この曲によって一体感が生まれるのを見た。
ライブ後半では、石原がMCで「シンデレラボーイが終わった瞬間、結構な人がどっか行っちゃったね……(笑)」と自虐を挟む。続けて「いろいろなバンドが出てるし、サウシーはその1ピースだけど、サウシーに居て良かったな、って思ってくれたら嬉しい。最高にカッコよくて優しいヴァイブスで行こう!」と言い放ち、“怪物たちよ”、“優しさに溢れた世界で”を歌い上げ幕を閉じた。

約1時間のアクト。確かに“シンデレラボーイ”後の観客の流出はすごかった。ステージ上で見ているメンバーにはさらに如実に見えたことだろう。それでも目の前にいる観客たちのために、必死に歌い、最後の最後までリスペクトを忘れなかった。バンドの本気は間違いなく観客に届く。その証拠に最後までサウシーが作り上げた優しい空間は、客が減ろうと消えはしなかったのだ。

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