“浅野凜太郎” の検索結果 – FUJIROCK EXPRESS '24 | フジロック会場から最新レポートをお届け https://fujirockexpress.net/24 FUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)を開催地苗場からリアルタイムでライブレポート・会場レポートをお届け! Tue, 13 Aug 2024 04:03:22 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.6 あれもない、これもないフジロック https://fujirockexpress.net/24/p_7583.html Fri, 09 Aug 2024 07:18:03 +0000 https://fujirockexpress.net/24/?p=7583 「おかえり!」と声をかけると「ただいま!」と応えてくれる……。前夜祭のレッド・マーキーにやって来てくれたみなさんと、そんな挨拶を交わして集合写真を撮影し始めたのは、2007年ではなかったか。初めてやったときには、オーディエンスがどう応えてくれるか、全くわからなくて、はらはら、ドキドキだったんだが、ものの見事にほぼ全員から「ただいま!」と返ってきたときにはめちゃくちゃ嬉しかった。フジロックが、あるいは、苗場が、年に一度、帰省するふるさとのようになっているのを実感したのは、この頃からだったかもしれない。

あれからすでに17年、相も変わらずそんなことを続けている。なにはともあれ、みんなの幸せな顔を見るのが嬉しいからだ。苗場音頭での盆踊りが一段落して、花火が上がったあと、レッド・マーキーの入口のテープがカットされると、この1年間、フジロックを待ちわびていた人達が、文字通り、堰を切ったように雪崩れ込んでくる。そして、DJ MAMEZUKAの絶妙な選曲で回されるレコードからあふれ出る音の洪水をかぶる彼らの幸せな表情ったら……ありゃあしない。それに魅入られた関係者や噂を聞きつけた出演者までもが、ステージからその光景を記録しようとカメラを構えている。どうやら、運営本部でもその様子が映像で確認されているようなのだが、ちっぽけなモニターで見るのと、現場にいるのとでは大違い。実際にそれを目の当たりにしてほしいと呼び出したのが、昨年までグリーン・ステージを担当していた、主催者スマッシュの新社長、佐潟氏。それに応えてわざわざやって来てくれた彼が「確かに、そうだね。実際に見ると……」と、口にしてくれたのが嬉しかった。

加えて、今年はステージ袖に腰をかけて、最初のバンド、USを待ちわびていたのが、フジロックを生み出した日高大将。言うまでもなく、彼の写真をフィーチャーして2021年に制作した「Wanted(指名手配)」Tシャツには「彼が最前線に戻ってほしい」という願いが込められていた。かつてfujirockers.orgが作ったTシャツで、これが桁違いのセールスを記録したのはなぜか? 多くのフジロッカーがそんな思いを共有していたからに違いない。嬉しいことに、昨年はクリスタル・パレスやどん吉パークに彼が出没。体調がすぐれないと耳にしていたにもかかわらず、今年はレッド・マーキーからグリーン・ステージにも姿を見せている。しかも、彼が惚れ込んだというUSのライヴを楽しんでいる姿を目撃したのは少なくとも2回。ひょっとしたら、それ以上足を運んでいたのかもしれない。

コロナ禍以降、なかなか本来のフジロックが戻ってこないことに苛立っているフジロッカーが多いことは百も承知だ。それでも、ここにいるだけで幸せを感じていた。奥地のカフェ・ドゥ・パリもストーンド・サークルもない。ジム・ウェストを中心に集まってきたDJたちがお気に入りの音楽を楽しむブルー・ギャラクシーは復活したものの、あの周りにあったワールド・レストランは見る影もない。昔からのフジロックを知っている人間にとってみると、かなり寂しい景色にも映る。それでも、「なにやら幸せ」な自分がいるのだ。どこかで読んだ記事に「フジロックで飲むビールがめちゃ旨い」というのがあったんだが、実にその通り。なにを食っても、なにを飲んでも、ここにいることでその全てが格別なものになっているのに気付くのだ。

何度もやってきている常連にとって、フジロックは盆と正月が一緒になった、里帰りのようなもの。懐かしい友や仲間に再会できる場所でもある。年に一度、ここでしか再会しない友人だって珍しくもない。それでも、どこかで同じような世界を引きずりながら生きていることを互いに確認したり、旧交を温めることになる。しかも、初めて出会っても、どこかで繋がっているような感覚に陥ることも珍しくはない。そして、この1年を振り返りながら、あ〜でもない、こ〜でもないと会話が続いていくのだ。

この1年でフジロックに馴染みのある人たちもこの世を去っている。そんな仲間やアーティストのことが頭をかすめるのも仕方がないだろう。そんなひとりがチバユウスケ。今年、1998年の「地面が揺れた」伝説のフジロックから、スタッフが記録し続けた彼の写真をフジロッカーズ・ラウンジで展示したのは、そんな勇姿が我々に焼き付いていたからだろう。土曜日にクラフトワークが、昨年亡くなった坂本龍一への敬意を示すように「戦場のメリー・クリスマス」を奏でて、「Radioactivity」への導入部のように使ったのが話題になっているが、彼も苗場に姿を見せたアーティストのひとりだった。

Photo by MITCH IKEDA

フジロック・エキスプレスの更新作業に使う本部テントの準備と取材活動のために、精鋭スタッフと共に苗場入りした火曜日、新たな訃報が飛び込んでいた。作業を終えた夕方、UKロックの源流と言っていいだろう、ジョン・メイオールが亡くなったことを知る。ご存知の方も多いだろう。彼の次男が、フジロックの第1回目から最重要スタッフとして行動を共にしてきたスマッシュUKのジェイソンであり、幾度となくDJとして、あるいは、ザ・トロージャンズというバンドを率いて出演してきたギャズは長男。いわば、ふたりともフジロックを語るときに欠かすことができない人物となっている。彼らにどんな言葉をかければいいのか……、かなり戸惑っていた。実の父親が他界したのだ。彼らが現場を離れても誰も文句は言えないだろう。が、ジェイソンは黙々とフェスティヴァルの準備に奔走し、少し遅れてやって来たギャズには予定通りにツアー続行することを告げられる。

規模で言えば、比較の対象にはならないことは百も承知なのだが、フジロックを触発することになった英国のグラストンバリー・フェスティヴァルに繋がる不思議な縁がメイオール親子かもしれない。後者の主催者で会場となる農場の主、マイケル・イーヴィスが大きな影響を受けたのは1969年に開催されたバース・ブルース・フェスティヴァル。そこで演奏したジョン・メイオールとブルース・ブレイカーズを見て、「自分もフェスティヴァルをやりたい」と思うに至ったと。今ではその中心人物として全てを仕切っている末娘、エミリーが口にしている。しかも、そのライヴのステージ裏にいたのが、まだまだガキンチョだったギャズとジェイソン。ずいぶんと大人になった彼らがフジロックで最もフェスティヴァル的要素を凝縮したパレス・オヴ・ワンダーからブルー・ギャラクシーの顔のような存在となっている。

1970年に始まったグラストンバリーは今年で54年目となり、1997年に始まったフジロックは、ちょうどその半分の27年目。苗場での開催が始まった1999年から25年の節目となることが今年は話題になっているのだが、フジロックのルーツと言ってもいい、アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティヴァルが産声を上げたのは1984年と、40年前にさかのぼる。というので、あの時、スタッフとして関わった身として、今年はジプシー・アヴァロンで続けられているアトミック・カフェのステージに立って、当時の話をしている。

あれから、とてつもない時間が過ぎ去ったように思う。その間に多くの友達や仲間に関係者がこの世を去り、フジロックが始まった頃にはまだ40代そこそこだった筆者も、すでに高齢者となっている。今年、グラストンバリーの主催者、マイケルが車いすに乗ってザ・パークと呼ばれるステージに姿を見せている一方で、フジロック生みの親、日高大将は杖を片手に前夜祭のレッド・マーキーやグリーン・ステージに立っている。かつてのようにジープで会場内を走って、動き回っていた彼らを見られないのは残念だが、世界の西と東で目撃したこの光景は彼らの想いがそのままフェスティヴァルとなっているんだろうと思わせていた。

なにやら表向きには順調に復活しているように見えるかもしれないフジロックだが、さて、どうなんだろう。確かに、主催者からは「来年はあります」と耳にしているし、今年も会場を離れるときに見たゲートには、その日程が発表されていた。しかし、その言葉の裏に「再来年はわからない」というニュアンスを感じていた。なにせ、異常とも思える円安のピークが開催期間中。ギャラの支払いはドル建てが原則なので、おそらく、海外からやって来た出演者に支払われる金額が想定よりも遙かに膨らんでいるはずだ。加えて、チケットのセールスも全盛期から比較したら、貧しかったと聞いている。チケットが値上げされているといっても、利益が出ているとは考えられない。

だからなんだろう、どこかで唐突にフジロックがなくなってしまうのではないかという危惧感は拭えない。なんの前触れもなく、消え去ってしまうような怖さも感じているのが正直なところ。でも、もちろん、そうなって欲しくない。なぜなら、想像できないのだ。年に一度帰る故郷がなくなることは。フジロックのおかげで知り合ったり、仲良くなった友人たちと再会できる機会が失われるのには耐えられないように思う。

初めてここに来た人達はどうだった? 同じように感じる? また、来年もやってきたいと思った? もし、そうでなかったら、フジロックの魅力が失せているってことなんだろう。もし、そうだったら、フジロックがこれでも他に類を見ない野外コンサートではなく、フェスティヴァルと呼ぶにふさわしい存在だということを証明してくれているようにも思う。でも、かつてのフジロックを取り戻したいという想いは変わらない。

今回、嬉しかったことのひとつは、会場で、かつてワールド・レストランと呼ばれる場所で中心となって動いてくれていたエチオピア人の仲間、ソロモンを見かけたこと。なんと7年ぶりに来た彼がなにを思ったか? ひょっとして、また、彼を核にワールド・レストランのような趣を復活させてくれないだろうかと期待してしまうのだ。そして、もうひとつ嬉しかったのが、何年ぶりだろう、戻ってきてくれたジーンズのリーバイス(Levi’s)。初期のフジロックでコンスタントにサポートしてくれていた彼らが戻ってきてくれた背景に、昔のスタッフが関わっていることに驚かされていた。

さて、そんな今年の会場内外での顛末を伝えてくれたのは以下のスタッフの数々。会場で一生懸命動いてくれた彼らに感謝して、そして、また、ここに集まってきたみなさんと再会できることを祈って、〆の文章を終えようと思う。ありがとうございました。

■日本語版
森リョータ、阿部光平、丸山亮平、あたそ、阿部仁知、イケダノブユキ、石角友香、梶原綾乃、三浦孝文、若林修平、Asakawa Maho、東いずみ、越川由夏、泉みや、Eriko Kondo、YAMAZAKI YUIKA、渡辺紗礼、こっこ、ヌー子、浅野凜太郎、井上勝也、エモトココロ、堅田ひとみ、粂井健太、古川喜隆、小林弘輔、佐藤哲郎、白井絢香、suguta、髙津大地、HARA MASAMI(HAMA)、平川啓子、前田 俊太郎、松藤 万里子、ミッチ イケダ、宮田遼、安江正実、リン(YLC Photography)

■E-Team
Nina Cataldo、Jonathan Cooper、Park Baker、Sean Scanlan

■フジロッカーズラウンジ
mimi、obacchi、SEKI、yamato

■ウェブサイト制作&更新
平沼寛生(プログラム開発)、迫勇一、坂上大介

■スペシャルサンクス
三ツ石哲也

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はじめてのフジロック「23歳+25歳」 https://fujirockexpress.net/24/p_7492.html Fri, 02 Aug 2024 04:54:35 +0000 https://fujirockexpress.net/24/?p=7492

やっぱりこの場所いいな、と帰り際にパシャリ

前夜祭の記事はこちら
1日目の記事はこちら
2日目の記事はこちら
3日目の記事はこちら

2024年のフジロックが終わった。そして僕にとって最初で最後の「はじめてのフジロック」も終わった。
ここで「あぁ、楽しかった」と終わらせてもいいのだけれど、改めて「なぜ今まで参加してこなかったのか」を考えてみると、「フジロックに行くべき理由」よりも「フジロックに行かなくてもいい理由」を考える方が簡単だったからだと思う。
テント生活は楽ではないし、飲食代も決して安くは済まない。これだけインターネットが普及している現代において、それらは周知の事実だった。ましてや、出演者たちのパフォーマンスでさえもスマホで観ることができるネット全盛期。わざわざ会場に足を運ばずとも、フジロックについて多少なりとも知っている“つもり”になれることが、「別に今度でいいか」と僕に思わせ、初参加を遅らせていた。

なぜこの荷物を持って、丘の上まで登ったのか、、、

今年以外のフジロックを知らない
話は逸れるが、今年のフジロックは円安の影響もあってか、海外アーティストへの出演交渉が一筋縄で行かなかったという噂も耳にしていた。しかし一方では、海外からのお客さんが非常に多く、彼らにとっては安価で堪能できる素晴らしいフェスなんだろうな、と金欠の僕は羨ましく見ていた。
でも、日本のお客さんにとってはどうだったのだろう。僕が越後湯沢駅で帰りのバスを待つために時間を潰していると、交通整備のおっちゃんが「今年はチケットが余っているらしい。去年はもっと混んでいた」と教えてくれた。今年以上の混み具合を想像した僕はゾッとする反面、参加者の減少という事実に少し寂しくなった。
もしかすると、今年は自分にとって最高のフジロックだったが、長年に渡り参加している方の中には「昔の方が良かった」と感じている人もいるのだろうか。
初参加の僕には、フジロックというイベントが発展しているのか、はたまた後退しているのかわからない。ただその一方で、フジロックの今後の盛り上がりや、開催され続けるかどうかへの不安を感じたのは事実だ。

シャワーならば無料だと知ったのは、帰宅日

25年後のフジロックと僕ら
話を戻したい。僕は今までフジロックへの参加を見送ってきた。それでも、とうとう参加したのは、やっぱりこの身体でフジロックの「今」を体感したいと思ったからだ。
テント生活やフジロック飯も、結局のところは参加してみないとわからないことの方が多かった。過酷だと思っていたテント生活も、今となってはあの苦労が恋しいし、節約するつもりだったフジロックでの飲食も、いざ会場に行けば暴飲暴食が始まっていた。ネットの情報を元に行ったフジロック・シュミュレーションは、ほとんどが外れるという結果に終わった。
インターネットで手軽にフジロックの情報を知ることができるようになり、フジロックはより身近なイベントになった。でも、それに安心して、いつまでも遠くから眺めているだけでは、いつの間にかフジロックというイベントはどんどん姿形を変えてしまう。
ステージ上では開催25周年という節目にちなんで「25年前から参加している人はいますかー!?」と、問いかけが行われたりもしていたが、そこで手を挙げてくれた人々が次のフジロックにも参加する保証はどこにもない。僕自身も、次の25年後に自分が同じことを聞かれている姿を想像するけど、23歳の僕には先のことすぎてイメージが湧かなかった。

フジロックのパワー

フジロックを取り囲む経済や自然環境、そして関わる人々は刻一刻と変わっていて、フジロック自体も変わっていくのだと思う。恐らく昔と今を比べても、現にさまざまなことが変わっているのだろう。そして僕が経験したフジロックも、来年にはまったく別のモノになっている可能性もゼロじゃないし、そもそも僕自身だって来年の自分のことすらわからない。
だからこそ、今年のフジロックを堪能できて本当にラッキーだった。今までのフジロックも、そしてこれからのフジロックも僕にはわからない。でも、一度しか経験できない2024年のフジロックを、僕は知っている。
未来のことで一つ言えることがあるとすれば、次の25年後も苗場でフジロックが開催されるのならば、僕は必ずその場にいたい。そして、2024年に行った「はじめてのフジロック」のことを思い出したい。
さいごに、交通整備のおっちゃんは「もうそろそろ引退だなぁ」と言っていた。フジロックにおける次の25年間を創っていくのは、僕らの世代なのかもしれないと、そのとき考える。
今回のフジロックは一人での参加だった。でも、25年後のフジロックでは、「フジロック仲間」もできていたりするのかなぁ。自分とフジロックのこれからが楽しみだ。

寝転がれるGREEN STAGEが大好きになった

書き手:浅野凜太郎

2024年に大学を卒業し、そのままフリーライターとして活動開始。ライターとしてもフジロッカーとしても一年目の自分だからこそ、感じるもの・書けるものがあると思っています。一番の楽しみはノエル・ギャラガーです!洋楽の世界に足を踏み入れるきっかけとなった兄貴とシンガロングしたいです!

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フジロックにはパワーが集まっている https://fujirockexpress.net/24/p_6822.html Mon, 29 Jul 2024 05:08:31 +0000 https://fujirockexpress.net/24/?p=6822 フジロック3日目の朝。昨夜から一晩中踊り続け、一睡もしていない僕の頭に「最後」という言葉が浮かんだ。2024年のフジロックは今日で幕を閉じるのだ。
歩き疲れる会場や飽きるほど見たファミリーマートとフジロックのコラボグッズも、今となっては恋しくなる。前夜祭も含めたこの4日間は、思いのほか早く過ぎ去ってしまった。
まだまだ物足りないが、こればかりはどうしようもない。僕は最終日を満喫するため、睡眠を捨てることにした。

お世話になったauの充電スポット

雨のフジロックを知る
雨の頻度が活発化してきたのは、食事をしていた13時ごろからだ。
「山の天気は変わりやすい、フジロックには雨具を持っていきなさい」ということは、ネットの有識者たちが口酸っぱく言ってくれていた。しかし、ここまでのフジロック2024ではそれほど雨は降らず、僕はなんだか拍子抜けをしていた。
本来ならば、この雨をめんどうだと感じるのかもしれない。しかし初参加の自分にとっては雨ですらも新鮮かつ、ちょぴり嬉しいものである。
雨が降った苗場の姿はどうなるのか。川遊びは中断されるのか。我がテントはどうなってしまうのか。そのほかにも、イケてるポンチョやレインブーツの着こなしを見るだけでも面白くて、頭の中で次回からのフジロック・ウェアを想像したりする。
僕は3日目にしてようやくフジロックのチュートリアルをクリアできた気持ちになる。

たとえ雨が降ろうと、参加者は歩みを止めない

夢だったシンガロング
そして雨は、本日の我がメインディッシュであるNOEL GALLAGHER’S HIGH FLYING BIRDSのパフォーマンス中も降っていた。
ノエル・ギャラガーは僕のアイドルの一人だ。今回も、ノエル見たさにやって来たと言っても過言ではないくらいで、Don’t Look Back In Angerをシンガロングすることは夢の一つだ。そしてそれが叶った。
友達同士やアリーナでするのとはワケが違う。ノエルとこの曲の偉大さを頭では理解していたが、それを初めて肌で感じることができた。シンガロングがこんなに気持ちのいいものなんて。教えてくれたのは、その場にいた全員だ。

シンガロング中に振り返れば

人のパワーをこれからも。

ノエル終了後のGREEN STAGEには、ジョン・レノンのPower To The Peopleが鳴り響く。直訳通りに人のパワーを感じたといえば平たい表現になってしまうが、初フジロックではそれをあらゆる場面で感じることができた。
僕自身、この夏場に一度もエアコンの風に当たることなくフジロックを完走できたことに驚いているし、若者である僕以上に元気な年長者がこの世にはわんさかいることも実感した。
フジロックには多くの人が関わっている。アーティストや参加者だけでなく、スタッフや美術、パフォーマーたちから感じる熱量も特別だ。スタッフや店員さんの多くがライブ終了後に乾杯しているのを見て、心の中でお疲れ様ですと口にする。

ライブ終了後も、盛り上がりは衰えない

23歳という年齢でフジロックを経験できたことを嬉しく思う。それは、ここに関わる人のパワーを体感できたからだ。人にはここまで大きな催しやアクションを起こせる力がある。フジロックは、改めて人の持つパワーを教えてくれる場所だった。そして僕自身、もっと自分のパワーを信じたい。
そして2025年のフジロック。そこで初めてフジロックに訪れる人には、今年の僕以上に驚く体験をして欲しい。そのためには、来年もここに集う人々のパワーが必要だ。来年のフジロックがどんなものになるのか、既に待ちきれない!

GREEN STAGEから戻る際のゲート

書き手:浅野凜太郎

2024年に大学を卒業し、そのままフリーライターとして活動開始。ライターとしてもフジロッカーとしても一年目の自分だからこそ、感じるもの・書けるものがあると思っています。一番の楽しみはノエル・ギャラガーです!洋楽の世界に足を踏み入れるきっかけとなった兄貴とシンガロングしたいです!

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限界までフジロックを味わいたい! https://fujirockexpress.net/24/p_5187.html Sun, 28 Jul 2024 01:44:37 +0000 https://fujirockexpress.net/24/?p=5187 フジロック2日目の朝だ。1日目に引き続き、テント内の蒸し暑さで起床。もはやアラームをかけずとも起きられる。
昨日は人生初のフジロックを堪能した。しかし弊害は大きく、疲労と日焼けによる痛みが身体を襲い、思わず唸り声をあげてしまった。
多くの人は、こんな時に気遣ってくれる誰かがいるのかもしれないが、ソロ参加の自分にそんな人はいない。ましてやテントの設営や行動スケジュール、体調管理までも自己責任で行うしかない。正直なところ、「気楽で良いな」という気持ち半分、ちょっぴり寂しい気持ちもあるわけだ。

GREEN STAGEにて行われたTHE LAST DINNER PARTYのライブ前

愛するものが同じであること
そんな気持ちを紛らわすかのように、僕はSNSを眺めてみる。あらゆる情報が溢れる中、特に目を引いたのは「Jリーグ苗場支部」という言葉で、サッカー好きの僕にとっては見逃せないものだ。
どうやらこのイベントはJリーグサポーターたちによる集会のようなもので、フジロック2日目の午前11時半にOASISエリアで開催されているらしい。しかし残念なことに、それを知ったのは14時ごろ。初参加の自分にとっては知る由もないことで、非常に悔しい想いをした。
思い返せば、会場内でサッカーユニフォームを着ている人は多い。僕は彼らを見かけるたびに勝手な連帯感を抱いていたが、まさか集会にまで発展しているとは。次のフジロックには必ずユニフォームを持ってこようと胸に誓うとともに、好きなものが同じであることの尊さを感じる。完全アウェイのフジロックにホームを感じた瞬間だった。









サッカーユニフォームを着用した多くの参加者たち

音楽と走り切る
「Jリーグ苗場支部」に参加できなかった歯痒さからか、僕はSNSを見過ぎたのかもしれない。グルメやお酒の写真がサブリミナル的に脳に刻まれて、どうにもこうにも腹が減って仕方がない。
最低限の節約はすると心に決めたはずが、少しずつ財布の紐が緩んでいく。そして周囲のどんちゃん騒ぎも相まって、とうとう僕は「もう好きにやろう!」というマインドになった。
1日目はフジロックというネームバリューにビビって、色々なものをセーブしていたが、せっかくのフジロックなのだ。ここでお金も体力もすり減らしてやろうじゃないか!

くるりのライブに向かう道中

18時からのWHITE STAGEに出演した”くるり”の岸田さんが、「孤独のそばにいてくれて、一緒に走る音楽がロックだと思う」という言葉をくれた。
僕の寂しさも、あらゆる不安も、一緒に走ってくれるのがロックだ!2日目はあらゆることが吹っ切れ始め、ついには今日も風呂に入らないことを決めた。臭くても気にしない!独りだからこそできる贅沢をするよ!
僕は気持ち新たに、一晩中音楽が鳴り響くCRYSTAL PALACE TENTへ向かった。

CRYSTAL PALACE TENT内の盛り上がりは衰えを見せない

 

前夜祭:すべてを受けいれる人生初フジロック!
初日:「時には黙って楽しむ!」はじめてのフジロック1日目レポート

書き手:浅野凜太郎

2024年に大学を卒業し、そのままフリーライターとして活動開始。ライターとしてもフジロッカーとしても一年目の自分だからこそ、感じるもの・書けるものがあると思っています。一番の楽しみはノエル・ギャラガーです!洋楽の世界に足を踏み入れるきっかけとなった兄貴とシンガロングしたいです!

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「時には黙って楽しむ!」はじめてのフジロック1日目レポート https://fujirockexpress.net/24/p_3667.html Sat, 27 Jul 2024 01:36:50 +0000 https://fujirockexpress.net/24/?p=3667 目が覚めたのは午前6時。アラームよりも1時間早く起きてしまったのは暑さのせいだ。昨夜はコロニーとまで呼んでいたテントが、今朝は蒸し風呂監獄状態。僕は外の世界を楽しみに、テントから飛び出した。

想像通りに外は絶景で、日光が朝露と大量のテントを照らす光景に思わずパシャリ。我ながら良い場所を選んだなぁと誇らしく思ったが、その考えの甘さこそがフジロック一年目だった。

設営ポイントからの絶景。明日も感動できるだろうか

僕はここから、歯磨きをするために麓まで降りなければならない。蛇口のある場所までは、およそ5分かかるため、それだけで汗をかく。意気揚々とテントを設営していた自分に説教をかましたいところだが、仕方なく朝からハードワークをした。(設営場所から程近い丘の上にも、蛇口があることを知ったのは、歯磨き中だった)

テントに戻った僕は、前日から着用していたTシャツをテントに縛り付けて干す。ハンドソープで洗っただけなので、臭いが取れるかはわからないが、これ以上テント内を悪環境にしたくはない。フジロックの猛者たちは、木に洗濯ロープを縛り付けて服を干している。フジロックに溢れる先人の知恵に関心するとともに、再び場所選びを悔やんだ。

フジロックに対するイメージ変化

そうこうしている間に時刻は11時。グリーンステージにてindigo la Endのライブが始まった。

驚いたのは、ステージからはかなり遠い場所でスタンバイしている人の多さだ。ライブなんて、近ければ近いほど良いと考えていた僕には、なぜそんなことを?と疑問が湧く。

そしてライブ終了まで、彼らはその場を離れることはなかった。日陰でくつろぐ姿を横目に、僕は音楽を求めて会場全体を歩きまわった。そして、とうとう歩き疲れてしまった17時ごろ。フジロックに対する一つのイメージが変わり始めた。

風呂に入っていなかったので、飛び込みたかった川

歩き疲れていても、森は涼しくて助かります

今日まで、僕にとってのフジロックは音楽を愛する猛者たちの集まる場所だった。つまり、フジロックには音楽を聴くことを目的に多くの人が集まっていると思っていた。

実際、それは正しいかもしれない。しかし、誤解を恐れずに言えば、フジロックは音楽を楽しみに訪れる場所ではない気がする。

フジロック1日目を歩きまわって感じたことは「もっとルーズでいいんだ」ということだ。ここで聴ける音楽は素晴らしく、多くの人が集う理由もわかる。

しかし音楽を聴くことに対して必死になりすぎるのではなく、時には寝転がって聴いてみたり、何かを食べながら聴いてみたり、なんならBGM扱いしてもいいのかもしれない。そんなことを、周囲の参加者たちを見ていると感じる。

実際、はじめてのフジロックだと張り切りすぎてしまい、少し具合が悪くなる瞬間もあった。それでは本末転倒だ。

意外にこの態勢でもステージ見えるんですよ

身体を休めるためにも、先輩たちをお手本に一度寝転がってみた。すると、聴こえる音楽が心地良く、気づけば仮眠をしてしまうという、従来の自分だったら考えられない楽しみ方をしてしまった。

もしもここが海外のフェスだったら、仮眠なんてできるのかなぁ、なんてことを考えてみたりもする。

まだまだ慣れませんが!

おっと、いかんいかん。今はフジロックに集中だ。

ヘッドライナーの凄さをあらゆる意味で体感しました

仮眠のおかげで、THE KILLERSのライブも存分に楽しめた。嬉しいアンコールもあったけれど、アンコールはヘッドライナーだけのものなのだろうか。他のライブでは、アンコールを聴くことがなかったので、2日目に確認したいポイントだ。

そしてもう一つの確認したいこと。それは蝉の存在だ。

1日目はなぜか蝉の鳴き声が聞こえなかった。苗場では、蝉はまだ活動していないのか?それとも、生息していないのか?単に僕が気づいていないだけかもしれないが、もしかすると演奏のジャマをしないでくれたのかもしれない。(こんなことを言ってしまえる気分ということです)

新たな楽しみ方を習得した1日目。まだまだ慣れないことも多いけれど、2日目はどんなことが起こるだろうか。

前夜祭の記事はこちら
すべてを受けいれる人生初フジロック!

書き手:浅野凜太郎

2024年に大学を卒業し、そのままフリーライターとして活動開始。ライターとしてもフジロッカーとしても一年目の自分だからこそ、感じるもの・書けるものがあると思っています。一番の楽しみはノエル・ギャラガーです!洋楽の世界に足を踏み入れるきっかけとなった兄貴とシンガロングしたいです!

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すべてを受けいれる人生初フジロック! https://fujirockexpress.net/24/p_1906.html Thu, 25 Jul 2024 17:36:01 +0000 https://fujirockexpress.net/24/?p=1906
交通費を少しでも浮かすために、僕は千葉から高速バスを使って、フジロックの開催される新潟県の苗場に向かった。
本当ならばマイカーで行きたい。もっといえばキャンピングカーで音楽を流し、優雅に過ごしたい。だけど、23歳にそんな金銭的余裕はなく、高速バスが停まる湯沢ICから越後湯沢駅まで歩き、そこからシャトルバスで苗場に行くことにした。
宿泊費もホテルでは高くつくという考えが先行したため、購入後一度しか使っていないテントと寝袋を引っさげて、前夜祭からフジロックに乗り込む。
そもそも、前夜祭の存在すら知らずにいたので、その盛り上がりにはやや疑心暗鬼になっていた。しかし、せっかく行くなら味わい尽くしたい。その想いで僕は、重い荷物を抱えながら足早に会場へ向かったのだが、すぐに自分の選択が、この前夜祭を楽しいものにしてくれるものだと気がついた。

キャンプサイトを一望できる高台をチョイス

テント設営で火がつく

テントを設営できるキャンプサイトには、既にテントが張り巡らされており、前夜祭の盛り上がりを教えてくれる。

「やばい、俺も早くテント立てなきゃ!」

そこから僕はお気に入りのテントスポットを探すことに夢中になってしまい、気が付けば丘のてっぺん付近まで来てしまっていた。

なんとか、見晴らしのいいポイントを見つけ、すぐさま設営に取り掛かる。すると、もともと節約のために選んだテント生活だったはずが、まるでフジロックにおける自分だけのコロニーを作っているような気持ちになってくる。この時には、既に夜が楽しみになっていた。

設営を無事に終えて丘を下ると、そこには多くの屋台ブース。ラーメン、カレー、ホットドッグと何でも揃っており、食には困らない。節約の甲斐もあって、僕は気持ちよく人生初のフジロック飯にラーメンとビールの黄金コンビをチョイス。盆踊りが始まる18時まで、大自然に囲まれながらビールを流し込んだ。

フジロック入場ゲート

何でもアリかフジロック

会場内中央のOASISエリアでは、赤提灯が飾られており、盆踊りが行われる。盆踊りはROCKなのかという疑問を払拭するかのように、音楽にノリなれているフジロッカーたちが会場を盛り上げ、釣られて僕も踊り出す。

そのほか、会場内ではさまざまなパフォーマンスがいたるところで繰り広げられており、その自由さがとても新鮮だった。

極めつきは、RED MARQUEEというライブブースに出演したお笑芸人のどぶろっく。下ネタ全開の音楽をも許容するフジロッカーには頭が上がらない。卑猥な言葉をあんなに大声で大合唱できることなどこの先ないだろうなと、なぜかセンチメンタルな気持ちになってしまった。

盆踊りが行われたoasisエリア

楽しみに備えて

前夜祭は想像以上の盛り上がりを見せていた。あらゆる自由が許容されているフジロックでは、僕のいかなる選択もポジティブなものにしてくれるパワーがある。

でも、きっと明日からはこれ以上のパワーが会場に溢れるのだろう。こんな日は、風呂に入らないという選択も許される気がする。明日に備えて、今夜はたっぷりと睡眠を取ることにする。

書き手:浅野凜太郎

2024年に大学を卒業し、そのままフリーライターとして活動開始。ライターとしてもフジロッカーとしても一年目の自分だからこそ、感じるもの・書けるものがあると思っています。一番の楽しみはノエル・ギャラガーです!洋楽の世界に足を踏み入れるきっかけとなった兄貴とシンガロングしたいです!

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