LIVE REPORT - FIELD OF HEAVEN 7/30 SUN
ROTH BART BARON
Posted on 2023.7.30 20:12
今ここにいることを全員で讃え合うように
最終日15時過ぎのフィールド・オブ・ヘヴン。ここには今年初めて訪れたが、やはりわざわざ一番奥地のステージを選んで集まった人々が織りなす独特の雰囲気が好きだ。そして彼らはそんな空気にぴったりだと思っていたので、ずっとずっとここで会えることを待ち望んでいた。多分似たようなことを思っていた人は多いんじゃないだろうか。ROTH BART BARONの7年振りのフジロックのステージが幕を開ける。
まずは最新アルバムの表題曲“HOWL”からライブはスタート。ボン・イヴェールのようなインディー・フォークのニュアンスを巧みに取り入れながら、7人編成のバンドが織りなす力強いアンサンブルは、生命の胎動といったような躍動感をまとっている。ドライヴ感溢れる“春の嵐”や、西池達也(Key)のシンセと工藤明(Dr)のキックに合わせて手拍子が巻き起こった“K i n g”でも、3拍子でも4拍子でも好きなように揺れていればフィットする、各々の身体のリズムを呼び覚ますような懐の深いバンドサウンドが、ヘヴンのフィールドに鳴り響いている。
“霓と虹”が終わったあたりで、照りつけはじめる太陽。そして“赤と青”で三船雅也(Vo / Gt)がゆらめくように歌う「赤と青 その手を繋いだなら どんな色だって 作れるはずなんだよ」というフレーズに僕は早くも目を潤ませてしまう。ROTH BART BARONのライブを観るたびに感じることなのだが、三船が歌う言葉には、例えば(でもそれができないのはなぜ?)といったような憂いのトーンが感じられて、この世界が、あるいは僕らや三船自身がどれほど残酷で醜いのかを暴きだし、心の奥底の触れないでいたい部分にあっさりと触れてくる。何か見透かされたような気持ちにもなってしまう。
それでも彼の歌は、「僕はここにいるんだ、ここにいていいんだ」と誰もが感じるような肯定感に満ち溢れている。コロナ禍でアイナ・ジ・エンドとのユニットA_oの楽曲にも何度も勇気付けられた“BLUE SOULS”も、ROTH BART BARONのアルバムアレンジがヘヴンによく似合い、ただただ手を振り上げ喜びに身体を震わせる僕らがいる。残酷さや醜さから一切目を逸らさないからこそ、彼の歌う希望の言葉がスッと胸を打つのだろう。
そして「10年分の想いを込めて歌います」と語り、初期の代表曲のひとつ“化け物山と合唱団”を演奏するROTH BART BARON。神戸のライブでLPを買ったなあなんて思い出も浮かんできたものだが、バンドの躍動感は当時よりも飛躍的に進化しているようで、ザック・クロクサル(Ba)の堅実なベースに乗せて、優河 with 魔法バンドやnever young beachのステージにも出演した岡田拓郎(Gt)のジョニー・グリーンウッドを思わせる荒々しいギターが生み出した混迷の後、三船の歌声が空に抜けていくのには感極まってしまったものだ。
アンプのジーっという音が聞こえるほどの静寂ごと奏でているような情感があった“糸の惑星”に続いて、岡田のギターと竹内悠馬(Tp)のトランペットや大田垣正信(Tb)のトロンボーンの絡み合いが冴え渡った“Ubugoe”と、どんどんと深みを増していくフィールド・オブ・ヘヴンの空気感。代表曲となった“極彩 | I G L (S)”や“けもののなまえ”では、感極まったように思い思いに手を振り上げて踊る僕らの姿がそこにはあった。三船も「この景色が本当に美しいよ」と言っていた、それぞれの心と身体が織りなす極彩色の光景。どこかから湧き上がった「最高!」という歓声に、さも当たり前のように「あなたたちが最高なんじゃないですか」と応える三船の姿にも心からグッときたものだ。
思えばフジロッカーズ・オルグ主宰の花房浩一が、グラストンベリー・フェスティバルを語った記事や3日前の前夜祭でも「フェスティバルはみんなでつくるもの」「生きているって実感する場所」といったことを話していたが、ROTH BART BARONのライブを体感しながら、そのことがスッとつながったような気持ちになった。最後の“鳳と凰”で三船が僕らのもとまで降りてきて巻き起こったシンガロングは、7人のバンドメンバーだけではなく、ここにいるすべての人が主人公なのだと讃え合うような喜びに満ちている。惜しみない拍手が鳴り渡った終演後にも、僕は輝いているみんなの表情をしばらく見渡していた。居合わせてくれたすべての人に心からありがとうと言いたい。僕らは確かに今日ここにいたのだ。
[写真:全10枚]