皆で創った「伝説」の一夜
パレス・オブ・ワンダー(以下、POW)のタイムテーブルに、「当日になっても明かされなかった枠」があったのは覚えているだろうか。ズバリ、ここで書くのは、その空白の時間のこと。フジの傾向を知る人間の間では、いわゆるUKやUSではない、どこかエキゾチック風味が漂うパーティの流れからして、ひとつの結論が導きだされていた。
良く言えば夢のような、別の言い方をすればめちゃくちゃなブッキング。実現すれば、それはフジロックの歴史に刻まれる、狂熱のライヴとなるのは明らかだった。
その裏側は突如として暴露された。
昼間のグリーンの最後、強熱のライヴを繰り広げたマヌ・チャオの口から発せられた言葉は、
「今晩、POWでライヴをやるぞ!」
…というものだった。
この言葉が発せられた時点で、夢は現実となり、グリーンではざわめきと歓声が沸き起こった。これはつまり、ラテン圏では万単位のオーディエンスを集めるアーティストが、300人規模の場所でライヴをやる、ということだった。そのため、アコースティック・セットという想像をしていた人もいる。だけれども、蓋を開ければ、昼間のグリーンと同じく、完全なるバンド・セットだった。
正直言って、本国では万単位のオーディエンスを集めるアーティストを、POWというちっぽけな(しかし、その香ばしさは計り知れない)場所に出す事に、不安が伴ったのは事実のはずだ。いつぞやのゴーゴル・ボーデロを思い起こさせる、とんでもないブッキングは、幕が開いたその瞬間から「伝説」に認定された。
万のオーディエンスを相手にすることと、数百人のオーディエンスを相手にすること、そのどちらも変わらないと言わんばかりに、圧倒的破壊力で突き進むマヌ・チャオ・ラ・ヴェントゥーラ。やもすると、POWのライヴのテンションは、グリーンのそれを超えていたかもしれない。
POWは、アーティストが原点に立ち戻ることができる唯一の場所。すでに小さなハコではライヴできない知名度を持っていたなら、なおさらだ。
オーディエンスとマヌ・チャオ・ラ・ヴェントゥーラ、どちらの立場からしても、手を伸ばせば届くばかりか、汗すらも降り掛かる距離だ。しかも、ステージは申し訳程度に数十センチ高くなっているだけ。同じ目線で炸裂するライヴに、マヌらも興奮していたのは間違いない。
テントという閉鎖された空間は、蒸し風呂のような状況となり、絶えず熱が巡る。ごった煮、ノンストップで突き進む猪突猛進なライヴに触発され、ボコボコと沸き起こるモッシュとダイヴの嵐とコール&レスポンス…そこにいる者全てが「表現者」となったかのような状況だった。
思えば、マヌという人はいつでも手を抜くことをせず、常に真摯な姿勢を示していた。去年の日本ツアーでも、集まってくるファンに対して、ひとりひとり友達のように接していた。その笑顔や背中に、スーパースターという看板は微塵も感じさせなかった。
それだけに、「近い」ライヴを欲していたのではないだろうか。バーあたりで弾き語ることはあれども、バンドの形態で、アンプを通した「手加減なし」のライヴを繰り広げることは、なかなかできない。
僕らにとって、体の痛みとして刻まれた記憶は、マヌらの中にも、強烈な印象として刻まれたのは間違いない。皆で創った「パレスの伝説」…そう言い切っても良いのではないだろうか。
文・西野太生輝
写真:前田博史