「おかえり!」と集まったオーディエンスに声をかけると、めいっぱい幸せな表情を浮かべた彼らから「ただいま!」と返ってくる。フジロックを愛する人にとって幸せの絶頂を感じることができるのが、恒例となったレッド・マーキーでの前夜祭記念撮影。ここ数年続けているのがこんなやりとりなんだが、今年はいつものような気持ちで語りかけることはできなかった。
その理由は、もちろん、311にある。どれだけの人が今年ここに戻ってこられなかったのか… それを思うと、言葉にならないほどの痛みを感じていたからだ。
言うまでもなく、3月11日以来全てが変わってしまったといってもいいだろう。東北のみならず日本中が、文字通り、一連の地震に揺り動かされ、津波に飲み込まれていた。実は、あの日、石巻市で九死に一生を得たのが筆者の友人。親兄弟や親戚縁者、あるいは、友人や仲間を失った人たちの悲しみや痛みを思うと、どんな言葉さえもが虚しく非力に感じてしまうのだ。さらに、あれから数ヶ月を経ても避難所での生活を余儀なくされている数多くの人々がいる。被災者のために何が出来るのかを自問し、何もできていないのではないかというもどかしさに苦悶する人も多かっただろう。
それに加えて、福島のみならず東北から首都圏、さらには日本中に今も被害を拡大し続ける放射能の恐怖にさらされているのだ。半減期が8日程度とされる放射性ヨウ素131が最近も検出されているという報告が事実だとすれば、今も放射能漏れが止まっていないことを示している。言葉を換えれば、30年ほども居座り続ける放射性セシウム137がさらに蓄積して我々を蝕み続けていくことになるのだ。しかも、食物への放射能汚染が次々に報告され、さらに深刻な内部被曝への恐怖を拡散し続けている。
目にも見えず匂いもない放射能への恐怖が、あの頃予定されていた数多くの来日コンサートやツアーのキャンセルにつながっていることはご存知だろう。公式コメントが直接的な言及を避けていても、その多くが原発事故による放射能汚染に端を発していた。それに加えて浮き上がってきたのが、多くの被災者を出している状態で「お祭り騒ぎ」をしていいのかという「自粛ムード」。そんな状態でフェスティヴァルを開催できるのか? あるいは、してもいいのか? そんな疑問や声がいろいろな場所でささやかれていた。
一方で、そんなことを露ほども考えなかったどころか、脳裏をかすめることさえなかったのが日高氏。加えて、過去最高のフジロックにしてやろうという思いを持ったのが関係者に共通した認識だったように思える。もちろん、その「最高」とは経済的な意味ではない。なにせ、フジロックは始まったときから「オルタナティヴとビジネスの綱渡りのようなもの」として誕生している。それよりなによりも思い出さなければいけないのは、今はなきジョー・ストラーマーが口にした言葉じゃないだろうか。
「年に1度、3日だけでもいいから、『生きている』って、どういうことなのか知ろうよ。それがフェスティヴァルなんだ」
フジロックが始まった1997年からこれまで、この祭りを愛し支えてくれた仲間が幾人もこの世を去っている。ジョー・ストラマーや忌野清志郎といったミュージシャンのみならず、裏方で仕事を続けてくれた人たちに、毎年のようにフジロックにやってきてくれたオーディエンスにもそんな仲間がいるだろう。が、我々が悲しみや苦しさにうちひしがれている様を見て彼らが喜んでくれるんだろうか? 逆に、そんな逆境の中でこそ「生きていること」を謳歌すべきだろうし、「本当に生きる」意味を感じることのできる祭りにしなければいけない。主催者のみならず、関係者、そして、どこかで祭りの主人公たるオーディエンスにもそんな意識があったのではないかと察する。
が、自然は容赦しなかった。前夜祭に向けて多くのオーディエンスが集まってくる頃から見舞われたのは、時折ゲリラ豪雨のような表情を見せた断続的な雨。しかも、高速道路の不通や鉄道の運休といった情報がツイッターやフェイスブックから届けられていた。すでに苗場にいたスタッフには「いつもよりちょっとひどい雨」程度にしか思えなかったんだが、ニュースをチェックして発見したのは新潟と福島を中心に数十万人への避難勧告が出されたこと。結局、北部から苗場を目指したフジロッカーズには今年のフジロック参加を断念せざるをえなかった人もいたようだ。
それでも苗場に集まったフジロッカーズは楽しそうだった。会場のいたるところでドラマや感動が生まれていたのはいつも通り。雨だろうが、嵐だろうが、みんな、自然と共に生きているんだろう、命を謳歌しているという言葉がぴったりな情景が広がっていた。しかも、今年を象徴するようにジプシー・アヴァロンで復活した80年代のアトミック・カフェはほとんど雨の影響を受けることはなかった。強力なメッセージを発した加藤登紀子が圧倒的な存在感を見せ、ソウル・フラワー・アコースティック・パルチザンの「満月の夕」に魂が揺れた。そして、始まって以来だろう、入場制限がかかった斉藤和義と中村達也によるマニッシュ・ボーイズでの「みんなウソだった」大合唱。トーク・ライヴに姿を見せたYMOの面々、特に「この国の将来を憂う」という教授の言葉はオーディエンスの胸に突き刺さっていたように思う。
なにはともあれ、今年も「夢のような出来事」が目白押しだったように思えるんだが、どんなものだろう? おそらく、それを見事に証明してくれるのが感動を呼んだザ・ミュージックの日本での最後のライヴを経て撮影された、おなじみの記念写真。はじけるような皆さんの笑顔が雄弁にそれを物語っている。思うに、フジロックを「夢のような出来事」で終わらせるのか、あるいは、そこからなにかが始まるのか、それはすべてのフジロッカーの手のなかにあるんだろう。
よりよいエキスプレスを目指して、今年もサイトを構築し、会場の内外を走り回って取材を続けてくれたのは以下のスタッフの数々。実に素晴らしい仕事をしてくれたと思っている。また、ここには名前が載っていなくても、サポートしてくれたスタッフは数知れない。加えて、fujirockers.orgで日頃から取材活動や更新作業を担ってくれている人たちも忘れてはいない。言うまでもなく、来年のフジロックはすでに始まっている。そこに向けて、新しいスタッフが加わってくれることを切に願っていると記して、一区切りとしたいと思う。
また来年、元気なみなさんと会えますよう!
日本語版(http://www.fujirockexpress.net/11/)
北村勇祐、前田博史、中島たくみ、古川喜隆、直田亨、岡村直昭、熊沢泉、府川展也、深野輝美、佐俣美幸、森リョータ、本堂清佳、永田夏来、船橋岳大、輪千希美、名塚麻貴、横山正人、近澤幸司、丸岡直佳、近藤英梨子、岡安いつ美、藤原大和、飯森美歌、池田信之、西野太生輝、千葉原宏美、松坂愛、伊藤卓也、小田葉子、Julen Eesteban-Pretel、丸山 亮平、伊部勝俊、RJ、堀内里美
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