ザ・クラッシュにレゲエを教えた男
ザ・クラッシュが様々な音を混ぜ、変わっていったことはつとに知られているけれども、「火のない所には煙は立たぬ」ということわざがある通り、変化のきっかけを作った男がクリスタル・パレスに登場。ビッグ・オーディオ・ダイナマイトのメンバーとして、初日のホワイト・ステージのトリを飾ったドン・レッツだ。
彼は、ジャマイカからイギリスへとやって来た移民の2世であり、この男がいなければ、ザ・クラッシュは『深化』せずに、荒削りなサウンドのままで終わっていたかもしれない。そうなれば、直前にシークレットで出演したマヌ・チャオも、マノ・ネグラを生み出さなかったかもしれない。
これらはあくまで「たられば」の話ではあるが、確実にメスティソ(混血)音楽の発展は遅れていただろう。「パンク」は音楽ではなく「精神」。パンキー・レゲエを地でいくドン・レッツは、ターンテーブルの上で自身のルーツを探り、まるでジャマイカへと旅しているかのようなスピンをしていたのだった。
文:西野太生輝
写真:前田博史