FKA twigs
原始と未来をつなぐ巫女
ここまでセンシュアルで繊細で、でも暴力的でもあるパフォーマンスを初めて見た。単にエロティックなだけなら、嬌声を上げて騒ぐこともできるが、そういうことでもない。FKAツイッグスことTahliah Barnettは身体の芯から湧き出る官能を表現する手段としてトリップホップ、エクスペリメンタル、エレクトロ、チルアウトなどの要素を持った音楽を捉えているのか?逆にこれらの音楽をダンスや、もしくは好事家にとってのマニアックな音楽にしておくのは違うと感じて、自身の表現を官能的なものにしているのか…どこかに答はあるのかもしれないが、できればモチベーションは並行しているのだと思いたい。声を含めた肉体を自身でいかにコントロールするか?がアーティストの仕事だからだ。
さて、3日目のホワイトステージの大トリという大役に抜擢された彼女のステージは膨大なスモークが焚かれ、そこへ本人とパーカッショニスト、ギタリストが登場する。東洋的なニュアンスのブラトップとトランクスに薄いガウンとセクシーな衣装だが、丸いサングラスと足袋っぽいシューズが独特なセンス。あの訥々と声を発するところから高音へふっと抜けるボーカリゼーションを聴かせながら、肉食動物のそれに似た低い姿勢での動きがしなやかすぎる。歌いながら?本当に?同じ人間という種なのかと憧憬の念を抱かずにいられない。
これは飽くまでイメージだが、カラシニコフの銃声のようなパーカッションの打音が、今もどこかで続く戦闘を思わせる。1曲1曲が短く、演劇のシーンのように暗転しては、また次のシーンへ。題材が変わっても、どこかでシークエンスやパーカッションのサウンドが数珠つなぎになっていて、彼女のボーカリゼーションとダンスの巧みさに加えて、物語を追っているような気持ちになり、いい緊張感が続く。
後半、それまでアブストラクトだったトラックがエレクトロなR&Bの様相を見せると、オペラ座の怪人めいたVOGUEダンサーが登場し、柔軟な肉体による鋭角的なダンスという、シュールな展開でFKAツイッグスと見事なシンクロを見せたのもひとつの山場だった。そしてパーカッショニストの一人が前に出てきて、クラウドにハンドクラップを促し、演劇的なステージに対して面白い光景が見られた。そう、意外というか、あれはギターシンセなのか?ほぼ打ち込みだと思っていたサウンドの中でも、ステージ上のミュージシャンが生演奏しているサウンドも存外多かった。それが結果的に彼女のパフォーマンスも生々しいものにしていたのかもしれない。
終盤、最近になってミュージックビデオが公開された人気曲”Two Weeks”が、揺らぐシークエンス、生で奏でられるカオスパッドなどが一体化して、彼女の繊細極まりないボーカルを彩る。しかしこの曲、他の曲に比べてメロディらしいメロディを持ち、しかも高みに上りつめるような美しさと開放感を生で聴くのは白眉だった。
この後、最初で最後のMCで、観客へ感謝を述べた声とニュアンスはこれまで怒涛のパフォーマンスをしてきた女性とは思えないキュートなもの。一気に親近感が沸いたオーディエンスも多かったんじゃないだろうか。
そして、やはりアブストラクト、エレクトロの重低音も繊細なため息一つもビビッドに聴かせるホワイトの音響には感謝と尊敬しかない。そうしてまた、ホワイトでしかあり得ないライブ体験に期待してしまうのだ。