FUJIROCK EXPRESS '25

MOREFUN - AREA REPORT 7/28 - (AFTER)

ここにいられる喜びをかみしめながら

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PHOTO BY阿部仁知
TEXT BY阿部仁知

Posted on 2025.7.30 20:53

日常にも持ち帰りたい、あるフラッグのゆくえ

今年のフジロックにパレスチナのフラッグを持参しました。そのフラッグというのは昨年のGlastonbury FestivalのGREEN FIELDSエリアのフォーラムでいただいたもので、実を言うと昨年のフジロックにも持参していたのですが、ついぞ出すことはありませんでした。「取材スタッフがそれをするのもな」みたいに思ってたんだと思います。そういう自分に対する言い訳です。

そして今年のフジロック。もともと「今年こそは!」と思い持参するつもりではいました。それから、ここに書いていいのかよくわからんですが、fujirockers.org主宰の花房浩一が「DJの時パレスチナのフラッグを掲げたいのだけど誰か貸してくれないか」といった主旨の投稿をしているのを発見。PYRAMID GARDEN -Beyond the Festival-の前入り取材で一緒だったこともあり、ぜひということで声をかけました。そして初日のブルー・ギャラクシーで掲げていた場面には僕は居合わせられなかったのですが、ここで感銘を受けたという取材スタッフの話も聞いていて、本当に嬉しかったです。花さん、ありがとう。

ただ、持参した僕が自分で掲げたいという気持ちはずっとあって、春ねむりのライブこそがそのタイミングだと思いジプシー・アヴァロンに持参。本当に素晴らしいライブだったし、明らかにここで掲げることはできたはず。誰一人として否定的に見ないし、そこにいる全員が歓迎してくれたでしょう。でも僕はそれができなかった。雨に濡れるから?それも自分への言い訳です。

なんだか僕はずっとやらなくていい言い訳を探しているようで自己嫌悪がありました。Summer Eyeは「臆病でオッケー 泣いたってオッケー」って歌ってくれたし、春ねむりも「それぞれがそれぞれにできることをやろう」と言ってくれて、まあ無理することではないのかもしれません。でも、ずっとやりたいのにできないモヤモヤがありました。

それから本部テントに戻って、モヤモヤしながらも作業を続けてたんですが、春ねむりライブの際に居合わせた取材スタッフと話しているうちに、やってみればいいじゃん、ここでやらないでいつやるんだよって気持ちに。「雨大丈夫だった?」と聞くと「パレスチナの人たちのことを思えば全然」とさらっと言っていたのにもとても救われました。はじめてのフジロックの洗礼で決して楽ではなかっただろうに、僕がこんなんじゃいけないなって。

バリー・キャント・スウィムを観にホワイト・ステージに向かう道中、それからフォー・テットのライブが終わってオアシスに戻るまでの間、フラッグを羽織って過ごしました。好奇の目で見られるんじゃないかとか、そんな気持ちでドキドキしてたんですが意外と気にならず、むしろ何人かの人が「Free Palestine!」と話しかけてくれたのが嬉しくて、やっぱりやってみるもんだと思いました。

好奇の目はあったのかもしれませんが途中からはまったく気にならなくなって、「スーパーマンのマントスタイルよりも襷掛けスタイルのほうが僕は好きかも」とか、そんなことを考えるくらいでした。あと、フラッグを背負っているとバリー・キャント・スウィムやフォー・テットの白熱のライブの中でも、僕が今ここにいられる幸福や、こういう喜びどころか当たり前の日常さえ失われた人々のこと、春ねむりも言っていた特権性について少し自覚的になった気がして、だからこそ心から楽しもうという気持ちにもなりました。これも、やってみなければわからないことでした。

これまた言い訳かもしれませんが、いろんな人にこの清々しい気持ちを感じてもらいたくて、次の日は取材スタッフにフラッグを託すことに。「私も振っていいですか?」とあっけらかんと言ってくれる人もいて、僕が悩んでたのはなんだったんだよとも思いました。ああ、僕が勝手に感じていたハードルって実はそんなに高いものじゃなかったのかもなって。気持ちを解いてくれた取材スタッフのみんなもありがとう。

今回の話はここでおしまい。僕としてはちょっと勇気を出したつもりですが、これができたのはフジロックだからということがとても大きくて、ここにはいろんな考えやスタンスを持った人、そしてあらゆる人種やセクシュアリティの人を受け入れる土壌があることを改めて感じました。Glastonbury Festivalほどフラッグが当たり前ではないとしても、それがこの国で一番やりやすい場所なんじゃないかと思います。「やるべき」「やらなきゃ」とかで無理してやるのは心がしんどくなるけど、それでもあなたの心が「やりたい」と思ってるんならやってみるといい。フジロックはそれを受け入れてくれる場所。そう感じました。そんなフジロックの雰囲気をつくっているみんなにありがとう。

ポールを持っていなかったので羽織るかたちになってしまいましたが、来年のフジロックではもっと色々…と書きかけたところで、そんな悠長なことは言ってられないんだということに思い当たります。今回感じたことを、小さいながら踏み出せた一歩を、日常の中になんとか持ち帰って、次の行動に移すことを考えて過ごしていきたいと思います。願わくば来年のフジロックではパレスチナの旗を振らなくていい世界になっていることを。

そして春ねむりの話に戻りますが、彼女が一番表現したいことって、最後に歌った“生きる”みたいな、生きることの素晴らしさや生命の尊さ、それだけなんだと思うんです。でもそんな「立場や思想信条に関係なく最も大切なもの」を脅かすことがいくつもある世界に向けて、やむにやまれぬ思いで表現しているんじゃないかと、彼女の姿を見ているとそんな風にも思います。誰が彼女を先頭に立たせて“政治的”にしているか、それを観てただ「さすが!」と言ってるだけでいいのか、そんなことを考えながら今年の僕の原稿を締めさせていただければと思います。ここに集ったすべての人に感謝を。

※今になってフジロックでまったくフラッグの写真を撮っていなかったことに気づいたので、部屋の写真で失礼します。こういうヘマが多くて超ゴメン。ポスターはもう何年も前からフジロックで一番観たいバンド。来年こそヘヴン大トリで出演して、エイドリアンはアヴァロン、バックはピラミッドでソロもたのむ〜(欲張り過ぎ)

[写真:全2枚]

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