紡がれる旅人の物語
「踊ろうマチルダ」とは、ただひとつの荷物を「マチルダ」という女性になぞらえ、「マチルダと共に揺られる=(ワルツを)踊る」、転じて「放浪する」という意味が込められている。それは元々、オーストラリアの旧い歌。トム・ウェイツが、”トム・トラバーツ・ブルース”で一節を引用し、ザ・ポーグスのシェイン・マガゥアンもカバーしている曲だ。
フジロックでの踊ろうマチルダは、釣部修宏だけではなく、気心の知れたウッドベース、黒田元浩と、ボタン・アコーディオンの小春(チャラン・ポ・ランタン)によるバンド・セットだった。
さらっとリハをこなしてからは、くるりとこちらに背を向けて、オーディエンスを交えた記念撮影の時間となった。その和やかな雰囲気からは、リラックスの中に程よい興奮と緊張をたたえた、万全の状態であることが見てとれた。釣部本人も、「知り合いが沢山いて、ワンマンみたいやった」と言うくらいの良い感触。知り合いが多いと言っても、アヴァロンの丘の上まで、人で埋め尽くすのは困難なことだ。この事実にフジロッカーズの期待の高さがうかがえた。
ライヴは、「あ、俺は反原発っす」の一言から始まった。そんなぶっきらぼうな一面と、等身大の歌詞とのギャップが、盛り上がりのいち要素としてはたらくことを、本人は知る由もない。だが、その不器用な部分がたまらない。踊ろうマチルダは、ギャップがあるからこそ染みてくる、稀なアーティストなのだ。
小春のソロから流れ込む”ハートブレイクブルー”…天から与えられたものではなく、釣部曰く「歌い込みで覚えた」というしゃがれ声は、ザクザクと刻むアコースティック・ギターの音色と共に、アヴァロンの空間に広がっていく。「踊ろうマチルダ」の根幹に横たわる、やさぐれた心情を歌った曲だが、ぬくもりをたたえたウッドベースに、軽やかに踊るアコーディオン、弦が切れるほどに強いストロークで弾かれるギター、そして「第四の楽器」とも言える釣部のしゃがれた声色は、どうにもご機嫌ナナメな空模様をすっかり忘れさせてくれるひとときを提供してくれた。
「俺のテーマ曲やります」…そんな言葉をきっかけにして奏でられた”踊ろうマチルダ”に、”ギネスの泡と共に”などなど、彼には心に爪あとを残す「名曲」が多すぎる。これは決して、ひいき目ではない。どの曲をとっても、こちらは思わず泣きそうになる。それは、筆者だけではなかったはずだ。
特に、最後に歌われた”マリッジイエロー”の幸せっぷりがとてつもなかった。何せ、「俺のかわいい可愛いお姫さん おいらと結婚しておくれ」と歌われるからたまらない。結婚をするかしないかで悩んでいる人や、結婚を毛嫌いしている人には、ぜひとも聴いてほしい曲のひとつだ。その歌詞は「もし料理をさぼったなら…君を食べちゃうぞ」で結ばれる。これほどまでに言葉遊びやひねりがひと欠片もない、どストレートな結婚の歌を筆者は他に知らない。アヴァロンは、誰に対するでもない、大きな祝福と、しゃがれ声をさらに枯らして弾き叫ぶ「踊ろうマチルダ」への喝采で包まれたのだった。
遅かれ早かれフジロックには出演することになるだろう…漠然とそんなことを思っていたが、いざこうして実現してみると、胸にグッとくるものがある。今まで、ことごとく「いちげんさん」を魅了し、自身のファンとしてきた彼と、彼の歌。その声色は、いつも以上にザラついていた。
ライヴが終わって、尽きなかった物販の列。その行列は、体験したオーディエンスが軒並み「踊ろうマチルダ」の紡ぐ世界に酔いしれ、心を揺さぶられたという事実を示していた。
文:西野太生輝
写真:直田亨 (Supported by Nikon)