苗場でモグワイが演奏する必然性
夕暮れが近づくが曇り空。弱い風が吹いて少し雨もあるグリーン・ステージ。もちろん次のYMOを観るための人もいるだろうけど、PA横のぬかるみ地帯まで人で埋まっていた。今回のモグワイは、繊細で美しいモグワイだった。”How To Be A Werewolf”で始まる。”I’m Jim Morrison, I’m Dead”や”Auto Rock”のようにピアノの響きをフィーチャーした曲が印象に残り、ちょうどこの時間帯の空気によく合っていた。スチュワートは遠目スクリーン越しにみると、痩せて、帽子を被った姿は小山田圭吾ぽい気もする。
以前のモグワイは最初から轟音で会場を圧倒していたけど、静から動への起伏が顕著になり、静のパートは美しく研ぎ澄まされていくのだけど、このグリーン・ステージでそれが表現できるのか、という心配は杞憂に終わった。
モグワイが作り出す静寂は山々を通り過ぎる風と一体になり、轟音はそれを切り裂く。フジロックが、なぜ山の中でやらなければならないのか。ただのコンサートなら便利な場所でやればいいものを、ということに対しての回答がここにあった。人間が作り出す不自然な轟音と、自然状況に近い場所と対比させながら鳴らされた美しさをグリーン・ステージの人たちは感じたのではないだろうか。”Mogwai Fear Satan”でその理想型をみせてくれる。轟音で眠っていた人を起こさせ、ラスト”Glasgow Mega-Snake”の轟音攻撃で昇天させた。演奏が終わると、スチュワートがMCで触れたenvyを観るためにレッド・マーキーに向かって駆け出すお客さんがたくさんいた。
写真:前田博史
文:イケダノブユキ