『たかが20回目、されど20回目』
どこかに誰かの痕跡が少しずつ積み上げられているのかもしれない...
節目となったのが今年のフジロック。いろいろな思いが脳裏をよぎるのもしかたないだろう。例えば、1997年、フジロックが初めて開催されたとき、公式サイトの一部として始まったこのエキスプレスだ。あの時のスタッフはわずか3名で、今ではおもちゃにもならない、数十万画素のデジカメを駆使して、ぴ〜ひゅるる〜と始まるアナログ回線(って、わかる?)で更新作業を続けていた。といっても、やっていることは今とそれほど変わらない。目の前で起こっていたことを速攻で伝えると同時に、『モニターなんて見ていないで、遊びにおいでよ』とみなさんに語りかけていたのだ。
ご存じのように、初回のフジロックは台風の影響で大荒れとなり、それどころではなかったというのが実情なんだけどね。結局、2日目の朝、バスで大量のお客さんが主要都市から出発する前に、中止の知らせを流さなければ… と、ほぼ不眠不休で作業を続けていた。その顛末はここで繰り返す必要もないだろう。あの頃の話はすでに伝説として多くの人々に知れ渡っている。
当時、フジロッカーをつないでいたのはSNSの元祖のような掲示板。「Let’s Get Together Board(一緒になろうぜ)」と名付けられたここから、フジロック(あるいは、そこから映し出されるなにか)を愛する人たちの輪が生まれていった。互いに仮想空間でしか出会ったことのない人たちが、実際につながるために目印を付けようと提案されたのが『赤いリボン』。多くの人たちがそれを身につけていたのを目の当たりにした故ジョー・ストラマーは「全く面識のない人たちがつながり合える」ことにいたく感動していたものだ。その彼を騙った書き込みをした人物が使っていたドメイン名、riot.orgを、当の本人も気に入って大騒ぎしたことに触発されてfujirockers.orgが生まれている。
あれから19年。数字だけを見ていれば、さほどのことではないかもしれないが、我々の生活に目を向けると、とんでもない変化が起きているのがわかる。アナログ回線がデジタル化され、ISDNから光ケーブル、さらにはWi-Fiへと進化。今でこそガラケーなんぞと呼ばれている携帯電話だって、普及し始めたのはあの頃だ。スマートフォンなんぞ、夢の夢どころか、想像すらしていなかった。なにせ、あれは前世紀の出来事なのだ。また、デジタル音楽配信でCDが大打撃を受け、大型レコード店の数々が全国から消えていくなんて、誰が想像できただろう。
加えて、遙か彼方で起きたチェルノブイリを超える悪夢が、原発は安全と信じ込まされていた日本で起こると予測した人がどれほどいただろうか。いや、存在したのだが、その声は『かき消されて』いた。また、阪神淡路大震災で驚愕したというのに、あれを上回る衝撃を与えたのが東北大震災。さらに、熊本地震では『かつての常識を覆す』震度7を連続して観測する事態に直面している。そういった天変地異のみならず、ヘイト・スピーチやヘイト・クライムといった言葉に代表される状況や貧困問題だって、あの頃には想像もできなかったはず。また、海外に目を移せば、中近東からアフリカと戦争が拡大し、日本人が惨殺されるといった事件までが続発。戦争できる国へと突き進む日本を、あの頃に想定できた人はどれくらいいただろうか。
フジロックが産声を上げたとき、まだまだあどけなさが消えない10代だった人だって、すっかり大人になって、家庭を持っている人も多いはずだ。また、あの頃生まれた子供はすでに選挙権を持っているし、すでに大人だった人は老人の域に達しようとしているかもしれない。当然ながら、多くの仲間や友人、家族を失った人も数え切れないだろう。フジロックとは切っても切れないつながりのあった、前述のジョー・ストラマーや、テーマ曲とも呼べる「田舎へ行こう」を歌った忌野清志郎は言うまでもなく、2回目のフジロックで、文字通り、会場を揺るがし、2000年にはグリーンのトリを務めたジー・ミッシェル・ガン・エレファントのアベフトシ… 裏方でフジロックを支えた仲間たちと、この間に亡くなった人たちのことも思い出してしまうのだ。特に今年はパレス・オヴ・ワンダーを支えるUKチームの2名、アンクル・デイヴとサイカが他界。開催直前に訃報を受け取り、スタッフ一同、大きなショックを受けることになった。
が、どこかで彼らといつも一緒にいるのを感じるのだ。同時に、忘れてはいけないのは新しい命が生まれ、育っているということ。徐々に充実し、成長しているキッズ・ランドを反映しているのか、あるいは、子連れでやってくるフジロッカーに後押しされてこうなったのか? いずれにせよ、これほど多くの子供たちが遊ぶことのできるフェスティヴァルは、日本ではフジロックをおいて他にはないだろう。日本のみならず世界中から集まってくる多種多様な人々や文化を受け入れ、認め合い、つながりながら、彼らが体験する自由で平和な数日間が未来につながっているはずだ。それこそ私たちが描く未来じゃないだろうか。
残念ながら、心ない人たちのおかげで肩を落としていた仲間がいたことも書き残しておくべきだろう。すでにフジロッカーにはおなじみの、ところ天国とホワイトを結ぶ橋の下に流れる小川を中心に展示されている岩のアート、ゴンちゃん。毎年、岩探しから始まって、清掃乾燥に色塗りから目を加えるなど1週間以上も時間をかけて制作している作品だ。さらに、それぞれの表情や大きさ、色を考えてレイアウトもしている。そのアーティスト、ゴードンの作品が土曜日にはほとんどその姿を消していた。『日曜日の午後5時までは』そのままにしてとお願いしているにもかかわらず。フジロックだからこそ、警備員を立てたり、注意書きの看板を置いて『作品を台無しにしたくない』という、彼の思いを考えてくれただろうか。そんな大人たちの行動を見た子供たちがどんな影響を受けるか、それをジックリと考えてもらいたいと思うのだ。
どこかでまだまだ問題や疑問はあるだろう。それでも、年に一度の里帰りのような魅力に溢れたフジロックがいつまで続き、どう成長していくのか? これから10年後、20年後、フジロックそのもののみならず、ここに集まってきた人たちが残したものがどう変化して、何を生み出していくのか? それを見続けていきたいと思うのはひとりやふたりではないだろう。また、来年、みんなと会えますように! それを願って、筆を置こうと思う。
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フジロック・エキスプレスを作っているのは、フジロックをこよなく愛するが故に、なにかをしたいとfujirockers.orgに集まってきた人々。ライターや写真家は、もちろん、編集者や映像作家にデザイナーからIT関係のプログラマーといった肩書きを持つ人もいれば、会社員から無職の人や学生もいる。彼らが朝から晩まで会場中を飛び回り、取材を続けてくれました。褒めてやっていただければ幸い。今年、会場内外で馬車馬のように働いてくれたスタッフは以下の通りです。
日本語版(http://fujirockexpress.net/16/)
写真家:森リョータ、古川喜隆、平川啓子、北村勇祐、MITCH IKEDA、JulenPhoto、小西泰央、粂井健太、Natsumi Arakawa、サイトウマサヒロ、Masami Munekawa、アリモトシンヤ、安江正実、志賀崇伸、森空
ライター:松村大介、三浦孝文、イケダノブユキ、石角友香、Paula、若林修平、菊入加奈子、あたそ、梶原綾乃、阿部光平、近藤英梨子、山本希海、千葉原宏美、東いずみ、丸山亮平
英語版(http://fujirockexpress.net/16e/)
Laura Cooper, James Mallion, Patrick St. Michel, Sean Scanlan, David Frazier, Park Baker
フジロッカーズ・ラウンジ:飯森美歌、湯澤厚士、関根教史、藤原大和、小幡朋子
ウェブデザイン・プログラム開発・更新:三ツ石哲也、平沼寛生、宮崎萌香、坂上大介
プロデューサー:花房浩一
スペシャルサンクス:永田夏来、鵜飼亮次、名塚麻貴、吉川邦子、高橋舞日、前田博史、藤井大輔、小川泰明、高木悠允、西野タイキ、船橋岳大、松坂愛、熊沢泉, Shawn Despres, Nick Coldicott, Jason Jenkins, Philip Brasor, Mark Thompson