LIVE REPORT - RED MARQUEE 7/25 SAT
cero
Posted on 2026.7.26 11:14
今ここ/ここではないどこかが折り重なるパラレルな音楽体験
爽やかな風が吹き抜けたザ・ベスのライブに続いて、レッド・マーキーに登場したのは5年振りの出演となるcero。11年のROOKIE A GO-GOにはじまり、ヘヴンやホワイトの昼と夜、グリーンも経験している彼らだが、レッド・マーキーは16年深夜のVIDEOTAPEMUSIC × ceroとしての出演以来10年振り。バンド単体としてははじめてだ。ceroと明るい時間のレッド・マーキーはいまいちイメージが結びつかず、だからこそ気になっていたこのライブ。果たしてどんな時間になるだろうか。
そんな期待をくすぐるような髙城晶平(Vo / Gt / Fl)のフルートからはじまった大アンセム“Summer Soul”で、早速奔放に手を振り上げるオーディエンス。踊る僕らの映像をリアルタイムでコラージュする演出は昼のレッドではめずらしい感じもするが、しっとりと汗ばむ夏の情感が鮮やかに演奏を彩っていた。この手の映像演出は前夜祭をキックオフしたDJ MAMEZUKAや超巨大な熱狂を生んだTURNSTILEでも見かけたし、今年やたら見る気がする。「フェスティバルは一人ひとりがつくる」ってテーマ性を表現するのに絶好ではあるが、あんまりやりすぎてもくどい。
でもceroのグルーヴに乗せられたらもう頷くしかない説得力があって、“マイ・ロスト・シティー”ではサイケなエフェクトも混ぜつつ、奔放に踊り出す髙城とともに各々のリズムで応えるフロア。“Fdf”ではスター・ウォーズのテーマを織り交ぜる遊びも見せつつ、変拍子をはっきり感じながらも合わせるでもなく身体が合っていく、歓喜のグルーヴを楽しむ僕らがいた。
MCでは、Instagramなどで展開されるお客さんインタビューを片っ端からチェックしたのに、楽しみなアーティストに誰もceroを挙げていなかったことを自虐する一幕も。名前を挙げるまでもない存在になっていた、と勝手に受け取りたくもなるけれど、なんだかごめん。でもこういうゆるいやりとりもceroとつくるグルーヴだったりもする。どうでもいいけど、いつだったかSASUKEのネタバレされたのを根に持ってるよ僕は。
なんだかノスタルジックを超えて神秘的な気持ちが立ち上がってくる“Orphans”や、ゆっくりと立ち上げ後半にかけてダイナミックに展開した“Nemesis”など、ここではないどこか遠くと今ここを交錯させるような情感を描くceroのバンドセット。これまで以上に複層的なリズムが際立っていて、昨年の新曲“Moving Still Life”では、二拍でも三拍でも裏拍で揺れても噛み合うふくよかなグルーヴに自分の一番気持ちいいところを探り、“WATERS”は簡素なビート主体のアレンジでポリリズムが強調されているのに、余計に身体に馴染むわけのわからない感覚と戯れる。
誰もが自分の身体感覚に没頭し、誰ひとり同じように揺られていないフロアの様子はまさに「同じ場所にいながら 異層に生きるものたち」という感触だが、同時に「異層に生きながら 同じ場所にいるものたち」に想いを馳せる、何重もの意味でパラレルな音楽体験が心から清々しかった。
昨日は息子と家でYouTubeの配信を観ていたと語る髙城。息子にお願いされたという髙城家のお風呂が沸いた時の音?を笛で吹く様子はわけがわからなすぎてだいぶシュールだったが、もうみんなの気持ちも身体も解放されちゃってるから、ここでこの日一番の歓声。観てるかー!これがYouTubeだ!
そしてより体感的に歌が沁みる“健忘者たち”に続いて、“Poly Life Multi Soul”では様々な場所の映像がコラージュされていく。ここ数日で撮られた苗場の景色や、配信でCHAPPOを観ている様子、苗場プリンスホテルから眺めたような風景、都会の情景までもが折り重なり、時間も場所もレッド・マーキーの中でゆるやかに交差していく。ここで紹介されたVJは盟友VIDEOTAPEMUSIC。10年ぶりにフジロックで再び交わるこの組み合わせもまた、時間と場所を越えた表現の一つだったのだろう。
最後にしっとりと歌い上げた“Angelus Novus”は、どこか超然とした風景描写がフジロックと重なるようでもあって、レッド・マーキーを出た時に観た風景が少し違って見えた気がする。コンセプチュアルな志向を音と映像で表現しきったceroのパフォーマンスは、一人ひとりの感覚を静かに立ち上げてくれる、稀有な音楽体験だった。さあ、2日目の夜へと突入だ。
[写真:全10枚]









