おかえりなさい!
ディジュリドゥやパーカスが並ぶ光景を見るだけで、胸が締め付けられる。このバンドの中心人物、ディジュリドゥ奏者のゴマは、交通事故で脳に障害(高次脳機能障害)を負い、記憶を保つことがほとんど出来ない。記憶が次から次へと消えていく…まるで、映画『メメント』のようなことを、日々体感しているのだ。
その一方で、「点描」の素質を開花させた。その緻密な世界は、驚嘆に値するほどだ。しかし、それまで生きてきた「記憶」と「才能」と、どちらをとるかといえば、よほど冷徹な人間でない限り、「記憶」をとるはずだ。
「点描」の個展を開いても、『記憶展』というタイトルがつけられ、ひょっとすると、ディジュの技量も何もかもを、「記憶」と交換したい思いに駆られたかもしれない。もちろんこれは、あくまで外様の意見。誰もが彼になることは出来ない。だが、ゴマ自身も、自分の歴史が抜け落ちていたために、「自分」になることができないでいたのではないだろうか。
姿を見せた時に、口をついて出たのは、「おかえり!」の思いと言葉だった。
デュジュリドゥは、以前と比べても遜色のないレベルで溢れ出してくる。「これは何だ?」という、イチから始めなければならなかった状態であったにもかかわらず、体の記憶は、彼を再び一流のレベルへと押し返した。
ディジュは、彼にとっての「命」であったことがわかる。そして、奏でられるは「魂の響き」であったことがわかる。
一流のプレーヤーが絶え間なく鋭いリズムを叩き、対してゴマはディジュリドゥに息吹を与えて倍音でぼかしていく。複数で責め立てるリズム隊に、たった一人で太刀打ちしていくゴマの「フジロック復活」は、『圧巻』のひと言だった。
終盤は、彼の言葉しか覚えていない。ゴマ自身が、ステージの上で泣きながら語ったからだ。
「自分が今まで、どのように生きてきたか、このステージにどうやって来たかもわからないけれど、ただひとつ、これだけは確実に言えることがある…俺は生きてるってことやねん!」
「事故にあって、『人生が終わった…』と思いました。みなさん、僕を待っててくれてありがとう……」
号泣とともに、膝から崩れ落ちたゴマ。他のメンバーも、オーディエンスもさめざめと泣いている。決して軽々しい言葉はかけられないけれども、どこか晴れ晴れとした気持ちだった。それは太陽とて同じ。復活を祝福し、思う存分踊ることができるようにしてくれていた。彼の記憶を補うのは、家族と、ディジュと、オーディエンスなのかもしれない。
最後にもう一度だけ言わせていただきます。
「おかえりなさい!」
文:西野太生輝
写真:北村勇祐 (Supported by Nikon)