日本を感じさせる世界田舎音楽
東京のクラブシーンを中心とした地道な活動で、じわじわと人気を高めているEKDが苗場食堂の最後を彩った。ターンテーブルが基本となるリズムを繰り出し、ティンパレスが組み込まれたドラムセットがけたたましく鳴り響く。パーカスが香りを添えて、ギターは濡れたような響きを発して迫ってくる。
なかなか、最終日の小さなステージに人を集めるのは難しいはずだ。だが、数年前よりパレス・オブ・ワンダーで展開されている「ラディカル・ミュージック・ネットワーク」の息吹が、芽生えていると言っても良いだろう。
もちろんその中には、通りすがりで足を止めた人も居るはずだ。苗場食堂は、その店自体がフジロックの名物となっているし、ワールド・レストランの入り口付近という場所柄、人の流れも多い。だけれども、レッド・マーキーの爆音はそのまま届くし、グリーン・ステージのざわめきも丘を乗り越えて届いてしまう場所でもある。「裏」で出演する、いわゆる大物アーティストの誘惑をはね飛ばし、苗場食堂という小さなステージに大勢の人を集められるということは、誇っても良いことだ。
筆者は数回にわたって見ているが、この日のテンションはいつにも増して高かった様に思う。EKD(ギター)は、上下左右に揺れながら細かな指使いでかきならす。その表情は、泣いているようにも、笑っているようにも見え、くるくると変わっていく。苗場食堂のステージは揺れて、ステージ前の小高い丘にはどんどんと人が溜まっていく。
ラテンやクンビアといった、メスティーソ(混血)文化が広めた音楽への歩み寄りから生まれたバンドだけれども、端々に「日本」を感じさせる音に仕上がっている。アーティストならば、他の誰にも再現できない音を目指すものだ。彼らはすでに自分たちの色を持っており、それが最終日の苗場食堂で、小さな「祭り」として鳴り響いた。ラストは、機材を撤収しかけていた矢先の、まるで意図していないアンコールだった。このライヴは、EKDにとっても、そして通りすがりのオーディエンスにとっても、新たなる一歩として刻まれたのではないだろうか。
文・西野太生輝
写真:Julen Esteban-Pretel