MOREFUNEXPRESS8/22 SUN
私が見たフジロック(Day 3)from スタッフI
賛があり、否があってよい
このレポートを帰りの新幹線の中で書き始めている。シャトルバスはすんなり乗れて、越後湯沢駅も人は少なく、新幹線もすぐに乗れた。新幹線は空席が目立つ。
例年なら、フジロック明けの越後湯沢駅は非常に賑わっていて、まだまだ祭りの興奮状態が残っているけど、今年はそれもなく静かだった。人が少ない駅や新幹線にホッとしている自分がいる。また、開催中は大きな事故もなく終わることができたフジロックにもホッとしている。もちろん、1週間後、2週間後どうなっているかが本当に無事だったといえるけど。
3日目のフジロックも、刺すような夏の日差しがあり、突然の豪雨があり、どんよりとした空があった。1ヶ月遅れての開催だったので、寒いのではないかとよくいわれていたけど、たまたまなのかフリースを取りだすような凍える気温ではなかった。天候としてはいつものフジロックといっていいのではないか。
あと、基本的に会場で食べたものはほとんどが旨かった。このような状況でも出店してくれた店の思いもあっただろうし、一方でお客さんが少ない分、どの店も長蛇の列も少なく(店や時間帯によってはあるけど)、注文に対して落ち着いて対応できた店が多かったからかもしれない。店にとっては気の毒ではあるけど、参加者が少なかったことで生じたことのひとつである。もちろん、お酒を販売しなかったので、勢いで食べずにじっくり味わえたとかもある。
3日目は、cero(ほとんど音だけ)、秦基博、羊文学(70%くらい)、MISIA(90%くらい)、GEZAN、FINALBY( )、平沢進(冒頭20分くらい)、電気グルーヴを観た。秦基博の温かい音楽に包まれ、GEZANの強烈なパワーに圧倒され、FINALBY( )の「フェスでステージを見せること」を根底から問い直したワケのわからなさにぶっ飛ばされ、電気グルーヴの復活は笑顔で迎えることができた。
MISIAの「君が代」について
グリーンステージに登場したMISIAは1曲目に歌ったのが「君が代」だった。以前、無観客の場で歌ったので今回は多くの人の前で歌いたかったとか、分断でなく統合の象徴として歌ったとかというような意図なのか、または彼女には特別な意図はなく、単に自分の声をよく響かせる歌として歌ったとかは外からはわからない。書いている時点では彼女からの言葉がないので、どんな意図なのか決めつけることもできない。
ただ、歌ったことで感動する人や反発する人がでてきて賛否が分かれた。かつて忌野清志郎がフジロックで「君が代」を歌ったときも賛否が分かれたし、もっというなら通常のライヴだって、人気曲をやらなかったとか、期待されているようなアレンジでなかったとか、賛否が分かれることがある。賛否両論になること自体は悪いことでないのがひとつ。
アーティストは必ずしも答えをだすだけでなく、疑問を投げかける側になる。かつて銀杏BOYZの峯田がフェスで物議を醸したときに、「ロックな表現だ」と称賛した人がいれば、嫌悪して警察に通報した人もいる。アーティストが投げかけたものに対して賛があり、否があってよいではないか。
しかも、たくさんのステージがあり、たくさんのアーティストがでるので、自分が体験したフジロックと他の人が体験したフジロックは違うのだ。MISIAが「君が代」を歌っているとき、ホワイトステージではTHA BLUE HERBのBOSSが「フェスに中止求めるなら補償の仕組みを作れ」と訴えていた。同じ時間にフジロックにいたとしても観ているもの、聴いているものはこんなに違うのだ。MISIAとBOSSは対極であるともいえるし、「音楽の現場を愛し、コロナウィルス対策についてなんとかしてほしい、という思いは同じですね」ときれいにまとめることもできる。
そして、たくさんのアーティストが出演し、1万人前後お客さんがいるフェスで、ひとりのアーティストの表現だけでフェス全体を表していることはないといいたい。MISIAがいれば、ウーマンラッシュアワーの村本がでるのがフジロックなのだ。何を表現するかは自由だし(だからFINALBY( )のように音楽を超えたようなワケのわからないすさまじいライヴができる)、その多様性がフジロックなのだ。今年に限らず今までの出演者でいえば、野田洋次郎や椎名林檎がでる一方で、自ら左翼を自認する太陽肛門スパパーンがでるのがフジロックなのだ。どちらも居場所がある。そんな場所が日本にどれだけあるのだろう? だから自分はこの場所を愛する。
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