自由自在に
雨知らずのフジロックは3日目になっても健在で、ちょうど13時〜15時にかけての時間帯の太陽の睨みつけようったらとんでもない。それでもグリーンステージ前には後方までまんべんなく人が溢れていて、ステージに登場するtoeを待つのだった。ステージには半円形を描くように楽器が置かれ、定位置にメンバーが登場する。半円形の中心にギターを持って座る山嵜が、「去年からいろいろありましたね。原発についても言いたことはあるんですけどね…」とゆっくりとした口調で話し始めた。原発についてのそれ以上深いことには触れなかったものの、音楽に溢れた3日間を過ごすなかでも、自分たちが直面している現実のことを思い出させてくれる。
ステージにACOを迎えた”グッド・バイ”、”月、欠け”は、変則的に入り乱れるドラム、ベースの合間を縫ってギターと、ACOのボーカルが音の真ん中を交互に道を作っていく。複雑なリズムな音に相反する日本語にあったシンプルなメロディーが絡み合う。お互いの領域を侵害しあうことなく共存できているこのバランスが絶妙だ。熱さと冷静さとの共存と言ったらいいだろうか。
ゲストボーカルを迎えた曲ももちろん彼ら自身の音楽であることには間違いないけれど、インストゥルメンタルの曲になると、完全に裸のtoeを見せつけられた。グリーンステージに初めて立つ彼らだけれども、ステージの大きさ、目の前のオーディエンスの数、空高く広がる苗場に物怖じするどころか、すべてに食ってかかってきた。ギターを弾くことが表現ではなく、時として自分を表現するための手段がギターであるかのように振り乱し、時として、女性を抱くかのように繊細な音を描いていくのだった。ドラム、ベース、そして足元の機材に手を伸ばし、一寸でも乱れると、全部が崩壊していまいそうな楽曲たちが、人間というアナログな表現方法により、音の血管にどくどくという脈を作っていくのだった。淡々と、無機質にも感じてしまうこともあるインストゥルメンタルだが、脈を得た音たちが生々しい感情をもった曲の連続に、オーディエンスの興奮だけにとどまらず、最後には、ステージからフォト・ピットまで降りてくるほどまでの盛り上がりを見せた。
toe
写真:前田博史