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Posted on 2013/07/28 13:30
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勝井祐二インタビュー(後編)

最多出演者が語る、フジロックマジック

バイオリン奏者であり、その演奏でフジロッカーや多くの人々を宇宙へと誘う勝井祐二。そして、おそらく最多出演者となる彼が、ステージから見たフジロックの魅力を存分に語ります。インタビュー後編、どうぞ。

―ピラミッドガーデンのほか、新ステージとなるバスカーストップにも出演しています。いかがでしたか?

「すごくよかった。っていうのも、あそこはストーンサークルやカフェドパリが連なっているエリアで、他の場所の音が重なる中での演奏だろうなって覚悟していた。でもスタッフの人達がちゃんと内容に気を配ってくれて、音のかぶらない時間を考えてくれたのでやりやすかった」

―演奏はほとんどアコースティック?

「半々ぐらい。僕はだいたい普段エレクトリック・バイオリンで色々表現しているんだけど、最近はアコースティックが楽しくなってきている。自分の中でも振り幅が広くなったというか」

―バスカーストップのように、勝井さんの音楽性に伴うかのような形でフジロックも幅広くなっていますね。

「ですね。即興演奏でも歌と一緒でも、どういうことをやろうかっていうことへの幅が広がっている気がします。フジではもう10数年もやっているけど、アコースティックで演ったのは今年が初めてだと思う」

―ああ、この取材にあたって勝井さんの過去の出演を調べようとしたんですが、本当に数が多くてフォローが…。

「僕も途中までは数えていたんだけど…(笑)、30回くらいはライブしているはず」

―1年に3回とかが当たり前のような感じですよね。

「一番多い年で5回ってのがあった。もしかして、最多出場かな」

―前夜祭のDJであるマメズカさんは…

「ああマメズカ君?たしかにそうだ(笑)カウントのしかたによるね」

―でも3日間のうちでは間違い無く最多です。もう出ていないステージがないんじゃないかって感じですよね。グリーンは…

「渋さ知らズで2回出ています。ルーキーは出ていないけど(笑)、あとはパレスもか。カフェ・ド・パリは…うーん、もう出たかどうか分かんなくなっちゃうね(笑)。今年のバスカーストップも『新しいところ作るんだけど、演ってみる?』っていう感じ。もちろん、やらせてもらえるんならやります。それはなんていうか、自分も一緒にフジロックを作っているって思っているから。これだけ出演させて貰っている自分の役目っていうか」

―そういう気持ちになるんですね。どんどん大きくなるフジを一緒に。

「そう。フジロックのレベルは実際毎年上がってきているって思う。今年だったらホワイトからアヴァロンの道が舗装されていたりとか。やっぱりフジって、この10数年で培われた野外フェス文化のフラッグシップリーダーとして、理念を持ってあるべき姿を示している。それは本当にすごいことだと思う。そこから自分も毎年新たな気持ちで挑戦しようという気持ちになる」

―ずっと出演していらっしゃいますしね。

「ROVOが初めて出たのは2000年のヘブンで、それ以降ほぼ毎年来ているんです。苗場に来なかったのは2011年だけ。
今年、ROVOとSystem7が合体してアルバムをリリースする予定で、11月に日本・台湾、来年ヨーロッパにツアーする予定があるんですが、11年には、そのSystem7がフジロックに呼ばれていて、当時から彼らが来日すると僕も一緒に3人でよく演奏していたので、苗場も3人でやろうか、というやり取りしていたんです。結局は彼らの新譜が出たタイミングだったから、それを2人でやる事になって僕は出ないことになった。それで、彼らが苗場に行く日に一緒に食事をして、行ってらっしゃいって言う時に、レイ・ハラカミ君の一報が入った。僕は毎年フジロックの期間はスケジュールを空けているので、その年は苗場に行かなくなったから空いていたんですよ。だからそのまま京都に行ってハラカミ君のお通夜から告別式まで出ることができた。その11年から、今年の昨日のステージまで、なんていうか全部つながっているって思う。ハラカミ君のライブをユザーンと初めて見たのもフジロックだし。色々なことがつながっている」

―そんなことがあったんですね。ところで、フジで一番好きな場所はどこですか?

「思い出深いことだらけだし、ピラミッドガーデンもすごく好きな場所だけど、1番好きなのは初めて演った場所で、その後も何度も出ているフィールド・オブ・ヘブンです。僕らROVOはヘブンのバンドだって思っている。ヘブンのスタッフやお店の人もそう思ってくれている人も多い。ホームだと思っています。ヘブンに行くと安心する」

―ROVOが広く知られるきっかけも初出演、00年のステージだったと思います。

「そうだね。その頃の僕らは新宿リキッドルームの規模くらいだったから『ここにどれだけ人がいるんだ』って思ったなあ。その年のライブの最後、僕が合図をしてジャーン!って終わろうとした時に山本精一さんがギターを頭上に掲げていて『あっ、しまった』って思ったけど曲を終わらせたら、やっぱりそのギターを地面に叩きつけたってことがあって…山本さんがエンディングでギターを頭上に掲げておいて普通に戻すわけないじゃない(笑)?で、その時にギターのヘッドの一部が割れて客席に飛んでいったんだよ。山本さんがあとで探しに行ったけど見つかるわけがない(笑)。それ以来…機会があったら見てほしいんですけど、山本さんのメインの黒いストラトキャスターのヘッドは今でも欠損したままなんです。今年、Rovoがソニーからリマスターボックスを出して、ボーナスで昔のライブを収録したDVDを作る際に当時のフジの映像も見たらちゃんとその瞬間が映っていた(笑)」

―じゃあ今もしかしたら誰かの家に…

「それが、8年後くらいにたまたまネットをみていたら『2000年のフジロックで山本って書いてある山本精一さんのギターの破片を拾って持っています』って書いてる人がいたんだよ(笑)。そのギターのヘッド、裏にマジックで『山本』って書いてあって、00年にその部分だけ割れて飛んで行ったんです。なので「これだ!」って(笑)でも『家宝にしています』って書いていて、山本さんにすぐ連絡したんだけど、大切にしてくれているんならいいんじゃないか、ってことで連絡しなかった」

―フジロックはなんというか、そういうフェスティバルマジックがありますね。

「やっぱりあるんでしょうね。会場の規模もそうだし、これだけ多くの人が音楽を楽しもうとして来ているっていう、その想いがあるから。その中でも特に今年は、スタッフの人とかお客さんにすごくいい意味で調和を感じました」

―それでは最後に、苗場に来るフジロッカーにメッセージをおねがいします。

「フェスティバルは、自分でつくるものだと思うんです。自分のタイムテーブルを組んだり、それが予定通りいかなかったり(笑)全然知らないのがすごくよくてそのまま見入ったみたいなことが楽しかったりっていう。あとはこういう場所で、生身の演奏があって、それをみんなで『雨降った』とか『暑い』とか全部含めて共有するっていうことが本当に楽しい。だから、その楽しみ方のフラッグシップリーダーであるフジロックを体感する、苗場を直接歩いて何か発見したり考えたり、ちょっと困ってみたり(笑)っていうことが、つまりフェスだけにかぎらず、その場所に来なければ分からないものがあるっていうことを体験してもらう機会になる。これは素晴らしいことだと思います」

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