LIVE REPORT GREEN STAGE 7/29 SAT

CORNELIUS

フェスの狂騒とは真逆の小山田圭吾の壮絶なクリエイティヴ

ちょっとこの感情をどう言い表したら良いのかわからないのだが、全15曲を演奏し終えて、すでにビジョンには全く無言だった小山田圭吾のメッセージとして「Thank You Very Much, Everyone,Cornelius “Mellow Waves”」と投影されたあたりで、感動なのか何なんか嗚咽してしまった。この人は言葉を信じている。でも言葉の怖さも知っている。そして音楽に乗る言葉がさも簡単に自分の思惑を裏切ってしまうことも知っている。もちろん、それが嫌だから言葉を切り貼りしたような符割の歌を作ると言いたいわけでもないし、珍しく歌物かつラブソングであるというのに(いや、だからこそか)”あなたがいるなら”の作詞を他人=坂本慎太郎に依頼したりするのだろう。もちろん、坂本が優れた言語感覚の持ち主だからには違いないのだが。通常、言葉はあまりにも簡単に使われているし、自分の本心かどうか、自分のボキャブラリーかどうかも怪しい。というか、いちいちそれに向き合っていたら神経がすり減ってしまう。でも、自分が世の中に出すものに関してはやりすぎるぐらい責任を持つアーティスト、それが小山田圭吾なのだ。そして、音楽なんて誰にも作れるし、すでに世の中に溢れているからこそ、まだ自分がやっていないことは何だろう?と突き詰める、それはもうフリッパーズ・ギターの頃から彼の業のようなものだと思う。

およそフェスの狂騒とは真逆なベクトルの土曜日、トリ前のグリーン。ステージ前に張られた紗幕にアーティスト名が投影され、それが静かに落ちると、上手から大野由美子(Ba、Key、サンプラー)、小山田圭吾(Vo、Gt、テルミン、シーケンサー)、あらきゆうこ(Dr)、堀江博久(Key、Gt、Cho、Tp)が横一列に並ぶ。各々の背景に照明装置もセットされている。その様子だけでライブというより、MoMAに永久展示してほしいグッドデザインである。曲としては新作『Mellow Waves』からの“いつか / どこか”から。ローマ字でメインの歌詞を映し出すあたりがCORNELIUSらしいグローバル感で、さりげないメッセージだ。

ちなみに気になる選曲は、先日行われたリリースパーティに近く、『Mellow Waves』から4曲、『Sensuous』からが最も多く6曲、『Point』から2曲、『FANTASMA』から2曲。小山田のギターや大野のベース、堀江のピアノが手弾きなのは当然として、サンプリング的に聴こえる単音や、複雑に抜き差しが考慮されたアンサンブルもほぼ全て人力で表現していること。そこに人の声も加わった“Drop”では、水のあぶくの音に始まり、小山田の「あー」、少し遅れて堀江の「あー」、大野の「あー」が、サンプラーなんか軽く一蹴する重層的な聴感を作り出す。あくまでも音とカットアップされた言葉の断片でどこまで人の五感、時には第六感を動かすことができるか。グリーンとは思えない圧のない音像がむしろ衝撃的だ。

マスロックとはまた違う、でも数学的かつ幾何学的な抜き差しで進んだステージに一種、ロックサウンドのカタルシスをもたらした“COUNT FIVE OR SIX”。メンバーの背後にある電子掲示板(!?)に数字が映し出される様子はスロットマシンのようでちょっとユーモラスだった。さらにハードロックやラウドのギターサウンドの音の要素だけを取り出して分析したような“I Hate Hate”も、そんなアプローチでコードを弾く人もいないんじゃないだろうか?と、改めて彼の『FANTASMA』以降のユニークさが全く色あせていないことを思い知った。ちなみに『FANTASMA』は20年前の作品だ。

終盤、日用品たちが思わぬアクションを起こし、さしずめ普通の家庭版ナイト・ミュージアムのような映像も楽しい、少し懐かしさもある“STAR FRUITS SURF RIDER”では、あの口笛が生で、そして完璧なフォルムで誤差のないテルミンのサウンドを操ったあたりにも、CORNELIUSのライブにおけるストイックさ、通常ライブで求められる予定不調和が逆に過剰な感情のダダ漏れでしかないとでも言わんばかりの完璧な予定調和で曲が進行していく。それは、一歩間違えば演奏が破綻するからに他ならない。

シンプルなビートが鳴り、モノクロームの映像が映し出されるとひときわ大きな歓声が上がる。アルバム『Mellow Waves』の本質を表し、最初にMVも公開され、アナログもリリースされた“あなたがいるなら”だ。ここまでの演奏もそうだったが、この曲でのあらきの人間のビート感では相当難易度の高いドラミングが明確にわかった。そして何より、恋を想起させるその歌詞である。ありがちなことを言えば、人間は他者の存在無くして自分の存在は確認、実感できない。それを他のどんな平易な表現でも受け入れ難かった人たちが、静かに涙を流す曲。それが“あなたがいるなら”だと思う。

音楽だけで受け手が何を感じるか。そして自分の手を離れたらそれは受け手の自由だ。音楽を作る必要なんてあるのかなーーそんな思いを隠さず、作るからには一切の妥協なく新鮮な体験を提供する。小山田圭吾のモノ作りの意識に大いに当てられてしまったのだと思う。最後の最後メンバーとともにお辞儀をしたとき初めてサングラスを外した彼は笑顔だった。この壮絶さは体験した人だけの宝物になるだろう。

 Photo by 古川喜隆  Text by 石角友香 Posted on 2017.7.31 01:30