LIVE REPORT FIELD OF HEAVEN 7/29 SAT

THE GOLDEN CUPS

ミュージシャンという生き物の色気

ゴールデン・カップスのフジロック出演は、今年デビュー50周年というメモリアルな意味も大きいだろう。だが、実際に演奏を聴くとそれだけじゃない気がした。オーセンティックなブルースはもちろん、メロウなグルーヴもお手のもののベテランが持つセンスは、今、若い世代が60年代の音楽などもディグって参照している流れとリンクしていると思うのだ。

念入りなサウンドチェック後、定刻に鳴らされたのは忌野清志郎の「ゴールデン・カップスは僕の青春です!」という、ライブで彼らと共演した時のMCだ。なんてフジロックらしい演出なんだろう思いつつ、なんであなたは50代であっちへ逝ってしまったんだ?と悔しくもなる。だが、清志郎も愛したゴールデン・カップスである。エディ藩(Gt、Vo)、ルイズルイス加部(Ba)、マモル・マヌー(Vo)、ミッキー吉野(Key)に加えて、サポートドラムの富岡”Grico”義広(Dr)が登場する。きちっとシャツを着こなしたエディさんと、いつ見てもモデルのような加部さん。いるだけでミュージシャンのオーラが違う。

挨拶も特になくおもむろにあまりにナチュラルに始まったのは、加部さんもギターを弾く、酩酊感のあるインストの“ウォーター・メロン”。続いてはエディさんのストラトの音で「やられる」、ブルージーな”ウォーキング・バイ・マイセルフ”。70年代にはGSブームもあって、日本語の歌謡曲調な曲も音源で残っているが、そもそものバンドの個性はアメリカのルーツミュージック、つまりブルースやロックンロールなのだなと、今更納得してしまった。この人たちが洋楽にときめいて、そこから綿々と続いてきた先に今の日本のロックも存在する。

「えー、ゴールデン・カップスです。多分日本最古のバンド。嬉しいですよ、この歳でフジロックに呼んでもらって。ゆっくりやって間違えたらやり直しながらやります」というエディさんの自虐なのか余裕なのか、生き抜いてきたミュージシャンのタフネスってやつだ。そんなことを言いつつ、“絶望の人生”で鳴らしたストラトの音のいいこと!(こればっかり書いてる気もするが)エレキもエレピも色気が溢れ出ていて、「ああ、バンドマンがモテた時代のミュージシャンの音ってこういうことなんじゃないかな」と、また勝手に納得する。しびれる、なんて相当なミュージシャンやプレイにしか出ない言葉だから。

吉野さんのメロウネス溢れるエレピやハモンドが豊穣な音を聴かせ、元祖シティポップは彼らなんじゃないかと思う場面も。そして、エディさんがヘヴンの同日夜に出演するエルヴィン・ビショップのことに触れ、「彼がいたバタフィールズ・ブルースバンドの曲を聴いて、こういう曲やりたい!と思った」という“ウォーキン・ブルース”へ。ラストの名曲”ルシール”まで、気がつけば雨の中で老若男女、そして我々以上にブルースロックに馴染みが深いであろう、外国人男性も前方で熱心に見ていた。

音を鳴らすことの意味という真面目な側面と、ロックはやはり女の子の心を射止めないとね、そんなセクシーな親父さんたちのロックがかっこよかった時代の生き証人感が相まって、全曲演奏を終了してもアンコールの声が上がる。さらっと確認して、すぐ“モジョ・ウォーキン”に突入する様も、まさにミュージシャン。ロックの何がかっこいいのか。古希世代の彼らが全身で表現していたように感じた。加えていうと、どんなことでも50年、何か続けられたら色気も出るよねと信じたい。

 Photo by 北村勇祐  Text by 石角友香 Posted on 2017.7.29 15:20