ロック親父たちがジョン・フォガティからロキシー・ミュージックへのリレーに熱視線を送っていた今年のフジロック。そんなロック親父の中には、日本のフォークやブルーズに惹かれていたという者がいてもおかしくない。
服装からフェス初心者とわかったが、豊田が紡ぐ言葉に合わせて口ずさんでいるところを見ると、かなり熱心なファンなのだろう。始まりはボブ・マーリィの”ノー・ウーマン・ノー・クライ”をなぞるような”走るアルマジロ”で、「everything’s gonna be alright」を、「なんとかなるさ」と訳し、日本語へのこだわりを見せていた。MCにしても、放浪の経験で得たであろう英語に日本語を交え、すべての人にメッセージを伝えようとしていた。
「40年ほど歌ってきました」…その言葉は、決して多くはないお客さんの心を掴み、増えることはないけれども、減ることもなかった。やがて、ブルーズのアーティストの名前を羅列しはじめて、最後に叫んだ名前は「ジョン・メイオール」…その息子のひとりは、最もフジを楽しむ術を知っている遊び人で、もうひとりは運営側にいる。豊田が知っているかはわからないが、もし知っていれば、何かの縁と感じることだろう。
途中に面白いことが起きた。アンプから離れすぎてギターからシールドが抜けたのだが、そのまま生音で弾き続け、そばにあったスタンドマイクに歩み寄って復帰。そんなトラブルの対応が、かえって盛り上がりに拍車をかけていた。パキスタンを題材にした”花の都ペシャワール”では、アコギを手で叩くたび、「ターン…」と響き、その消え入る音はまるで銃声のように聞こえ、”ジェフ・ベックが来なかった雨の円山音楽堂”では、ありったけの言葉を詰め込み、吼えていた。
彼はこの後、ジョン・フォガティを見に行ったのだろうか。そして”雨を見たかい”を歌ったのだろうか?
写真:岡村直昭
文:西野太生輝